第142話「エルデ村の怪 その4」
怪物の頭に鍋がぶち当たった瞬間、吸魂を試みる――――が、奇妙な感覚に囚われる。確かに鍋の中に怪物の魂は吸い込まれてゆくのだが、まるで巨大な砂の山を削って崩すように、段階的に吸い込んでいる感覚。みるみる内に鍋が満たされていくが、見れば怪物の魂の大部分は未だ吸収されずにそこに残っていた。
『大変結構である、そこに直れ』
再び軽い頭痛と共に脳内に声が響く。急いで吸魂を中断、飛び離れた。これ以上続けたら破滅的な事態を引き起こす気がしたからだ。だがフリーデさんは攻撃を続けようとしている。
「怪物が、何を偉そうに!ここで討伐して――――ぐっ!?」
再び殴りかかろうとしていたフリーデさんが動きを止め、胸を押さえてよろめいた。
『直れと言っている。このまま心臓を握り潰されたいか?』
「フリーデさん、戦闘中止!」
異常を察知したイリスが叫ぶ。フリーデさんは尚も前進を試みたが、胸を押さえて膝をついた。詰まったような呼吸音。僕はフリーデさんに駆け寄り、肩を抱いて支えた。彼女を助け起こすため、そして逸って飛び出さないようにだ。本当に次は無い、そんな気がした。怪物はどういう魔法なのか、心臓に直接攻撃を加える手段を持っているようだ。今までそれは使わなかっただけ。本当に、僕たちをいつでも殺せたのだ。それをしなかった理由は――――
『良い余興であった。その戦いぶりに敬意を表し、話は聞いてやろう』
純粋に、戦いを楽しむため。ただそれだけのために僕らを即座に殺さなかった。
「フリーデさん、抑えて下さい。後は僕に任せて」
「……ッ!」
フリーデさんも事態を把握したのか、頷いた。それと同時、心臓への攻撃も収まったのか、詰まったような呼吸が荒い呼吸へと戻った。一先ず安心して良い――――否、怪物の目は僕を見つめている。
『さあ話すが良い、ナイアーラトテップの伝令よ。人の身で我、チャウグナル・ファウグンに臆せず立ち向かい手傷を負わせた勇気と実力を称賛し、話す権利をくれてやると言っているのだ』
――――怪物はやはり、勘違いをしている。僕をナイアーラトテップの
僕はパーティーメンバーを見渡す。全員察したのか、頷いた。縋るような目で。――――僕が何か、ナイアーラトテップからの伝言をでっち上げなければならない!
「えーと……」
状況を整理しよう。僕たちはそもそも、バイアクヘーと思われるモンスターを討伐しに来た。しかし、実際には遥かに強大なモンスターが居た。そのモンスターはおよそ討伐は不可能に思える。話は聞くと言っているが、ナイアーラトテップの伝令であろうとも気に入らなければ殺しそうな雰囲気である、ナイアーラトテップとの仲はその程度であると推察出来る。
これらの要素だけで、「ナイアーラトテップからの伝言」をでっち上げるとしたら……
「申し上げます、この土地から退去して下さい」
そもこの周辺は新教が信仰されており、つまりはナイアーラトテップの信徒が住まう地域だ。この怪物……チャウグナル・ファウグンはその土地に踏み込み、しかも信徒であるエルデ村の村人を傷つけた。ナイアーラトテップからしてみれば、「ウチのシマで何してくれてるんだ」と怒ってもおかしくはない……と思う。いや神にテリトリー意識があるかは知らないが、僕の……人の尺度で考えるとしたら、そういう事があってもおかしくないのではないか。そう思いついたのだ。
『……ふうむ』
冷や汗が垂れる。でっち上げを見抜かれたり、機嫌を損ねたりしたら即座に心臓を握りつぶされるという重圧。歯の根が鳴りそうになるのを必死で抑えながら、返答を待つ。
『良かろう。奴がそれほどまでに信徒どもを気にかけているとは知らなんだ、応じよう』
「ありがとうございます」
……通った!ほっと胸を撫で下ろす。
『しかしである、そもそも我がこの土地に飛ばされたのは、元はと言えばナイアーラトテップのせいである』
「えっ?」
『奴めが魂を別世界に転移させた余波で世界が歪み、我はその歪みに巻き込まれ転移したのだ。ローマ人の土地は気に入っていたというのに、誠に良い迷惑である』
……こいつも転生者かよ!? いや転移か? しかもローマ人の土地とか言ってるから、カエサルさんの時代に生きていて……憶測に過ぎないが、カエサルさんの転生に巻き込まれたのか? いずれにせよ。
「それは、クソ迷惑ですね。うちの邪神が申し訳なく」
『全くである。……であるからして、被害者である我が直々に足を運び退去するのは癪である』
「はい……はい?」
『よって貴様らで人足を手配し、我を安住の地まで運ぶべし』
「ええ……」
『何か文句でも?』
「いえ、ありません」
『大変結構』
そう言うと、チャウグナル・ファウグンは胡座を組んで地面に座った。それきり、石像のように動かなくなった。話は終わりという事だろう。僕はパーティーメンバーを見た。
「……という事になりました」
「ええと……とりあえずこれ、本部に戻って報告しなきゃよね。あれ運ぶの、馬車が必要でしょうし……」
「うん……」
「じゃあ、一旦村に戻って事情を話してから帰りましょう」
そういう事になり、一行は洞穴を後にした。僕は洞穴を出る間際、「ああ言ってたし、僕たちが帰っても村人には手を出さないよな?」と不安になり振り向いた。暗闇に覆われチャウグナル・ファウグンの姿は見えなかったが、再び軽い頭痛とともに脳内に声が響いた。
『――――ナイアーラトテップに仕えるのが不満であれば、我に鞍替えするが良い』
「……!?」
『ここで直接召し上げては我が奴の不興を買う、しかし貴様が奴との縁を断ち切ってからであれば話は別だ。考えておくが良い、戦士として取り立ててやるでな……』
「縁を切る、なんて事が出来るんですか?」
『いずれにせよ身も心も鍛え上げるが良い、さすれば自然と切る機会も訪れよう』
……声はそれきりだった。
「どうしたの?」
イリスが声をかけてきた。他のメンバーも怪訝そうな目で僕を見ている。……今のテレパシー、僕だけに送ったのか?
「……いや、捨て台詞を聞いただけだよ」
「
フリーデさんも居る事だし、本当の事を言うのは憚られた。後でイリスと二人きりのときに話すとしよう。
村に戻り、村長さんに事情を説明した。動揺し、バイアクヘーよりもさらに厄介なものが村の近辺に現れた理不尽に怒りもしたが、一先ず危険は去ったであろう事を理解すると落ち着いた。
「……ではその、チャウグナル・ファウグンなる怪物の輸送は冒険者ギルドがどうにかしてくれるのだな?」
「私たちになるか、殿下が軍を動かすか、はたまた教会がやるのかはわかりませんが……とにかく早急に伝えてきます」
「宜しく頼んだぞ……」
もう暗くなり始めていたが、事態が事態である。僕たちはエルデ村を出発し、日が落ちきる前に少しでも距離を稼ぐため、ブラウブルク市への帰還を開始した。
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