第145話「詐術 その1」*

 ノルデン選定候領の財務大臣、ゼニマール卿は大忙しであった。普段の財政業務に加え、先日存在が確認された金鉱山の管理、さらに銀貨増発計画まで担当になったからだ。加えて、そこから自分の財布を膨らませる作業まで行わねばならぬとなれば休んでいる暇など到底無かった。カネのためなら365日不眠不休で働く事もいとわぬ性格なので何一つ苦痛ではなかったが。


 自分が引き連れてきた騎士や平民たち――――実質官僚として働いている――――が上げてきた報告を吟味しながら、ゼニマール卿は唸る。


「予想より銀貨高が進むペースが早いな」


 金鉱山の存在は確定したが、その情報は厳重に秘されている。とはいえ、鉱山労働者の募集(開拓業務と偽って募集している)に資材の集積は聡い者から隠しきれるものではない。それに鉱山を発見した地質調査団の家族が砂金取りに励んでいる事も知っている。彼らが採れた砂金をどこかに売れば、やはり気づく者はいるだろう。


 結果、銀貨増発を発表する前に金価格は下落し代わりに銀貨は高騰する。それに釣られて銅貨も高騰するだろう。これは予測されていた事である、しかしそのペースが早い。無論ゼニマール卿も嫁の家族が営む商家に情報を流し、銀貨を買い占めさせてはいる。しかしリーゼロッテに「銀貨と銅貨の買い占めはやりすぎてはダメですわよ、あと麦も」と釘を刺されたため、その量は極めてだ。具体的には金貨200枚分、銀貨9600枚ほどしか買っていない。ノルデン選定候が発行した銀貨と領内で流通している帝国銀貨の総量はおよそ50万枚と見積もられていたため、およそその2%買い占めていない事になる。控えめである、少なくともゼニマール卿はそう確信している。


「それに木材も高騰を始めているのはどういう事か?」


 木材はこの時代、それなりの貴重資源だ。というのも開拓が進んだ結果、森の面積が減ってしまったためだ。そのため森林の使用は制限され、伐採したら植林するというローテーションが組まれ計画的に森林資源が使われるようになった。当然一度に手に入る木材の量は減る。しかし木材は建材、日々のまき、炭、武器や日用品の生産に使われるため需要は常にあり価格は上がりがちだ。


 確かに、道路建設や内戦で傷ついた地域の再建のために木材を使うので価格が上がるのはわかる。しかしどうにもそれ以外の要因が絡んでいるとしか思えぬペースで価格高騰が進んでいるのはどういう事か。部下の報告を聞いたゼニマール卿は一先ずゲッツに相談する事にした。


「――――というわけで、銀貨の高騰は予想を上回るペースで進んでおります。そして木材も。後者はどうにも投機の対象になっているようで」

「銀貨は仕方ないとして、木材はマズいな。不必要な凍死者を出すわけにはいかん」


 今日から10月だ。12月になれば雪も降るだろう、その時に木材が高く、薪を手に入れられない市民が出るのはまずい。


「どうすれば良いと思う?」

「木材を買い占めている商人を"不必要に市場を混乱させた" として罰するのが簡単ですが、商人どもの反発は必至でしょう。最悪、経済活動が萎縮します。ですので東方辺境の開拓村から木材の輸入を増やし、値崩れを起こさせるのが宜しいかと」


 東方辺境、ポレンとの境界線付近には、先の内戦で捕虜となった農兵達を開拓団として送り込んでいる。だがその開拓作業はモンスターに妨害されあまり順調には進んでいない。となればモンスター討伐のために冒険者なり何なりを送りつけて支援しなければならない。


「んじゃ冒険者ギルド送り込むか」

「はい、それが宜しいかと。それに、当地には例の神格を護送している騎士隊もおります。キャラバンを待つ間、騎士という戦力を遊ばせておくのも無駄でしょう。彼らにも手伝わせましょう」

「なら彼らには別途報酬が必要になるな。冒険者と併せてカネがかかる事だなァ」

「ですなぁ。開拓が進むので悪い事では無いのですが。まあ銀貨増発ぶんで補う他ありますまい、予定発行量を増やしますか?」

「そうするかァ」


 銀貨発行量の増加、そして東方辺境への冒険者派遣が決まった。派遣団の代表はヴィルヘルム率いるブラウブルク市冒険者ギルドだ。


 ちなみに本来の銀貨発行量は流通量の5%が予定されていたが、これにより8%に増加が決定した。



 東方への冒険者ギルド派遣が下達されたが、期間が数ヶ月の見込みということで、僕は銃販売も重要な副業という事もあり【鍋と炎】はお断りして残留組になった。その分、ブラウブルク市近郊でのクエストは多少割が悪くても受けねばならないが。これで迷惑被るのはルルとヨハンさんなので、商会からの収入の1部を彼らに配って埋め合わせする心づもりだ。


 今日は特にクエストが無かったので、商会の手伝いをしていたのだが。


「ううーん、木材が高騰してる……」


 僕は仕入れに向かった商人の元で唸っていた。木材は新設工房の杭に使う上、銃の生産にも必要なのでこれが値上がりしたのは痛い。一先ず銃の生産に必要な量はまだ在庫があるので、高騰が一時的なものなのか確かめるために今日の仕入れはやめておいた。


 工房に帰ってみると、イリスが僕の仕事机に1枚の書類を置くところだった。


「あ、丁度良い所に帰ってきたわね。さっき商人が来て、割安で木材を買わないかって提案してきたのよ。これ価格表ね」


 書類を見ると、確かに今の市場価格より安い木材の値段が記されていた。今は元値より10%高騰しているが、元値より8%高い価格で買わないかという提案だ。2%得ではある。


「……何の目的かな?」

「私達を起点に、殿下にお近づきになりたいんじゃない?」

「そのために恩を売っておくってわけね……」


 まあ、悪い話ではない。というのも、今回の木材高騰の理由を調べようにもツテがないので出来ないが、懇意こんいの商人が出来ればそれも解決するかもしれないからだ。情報源が無いというのは辛い事だ。ちなみにクロスボウ職人ギルドのツテはあるが、彼らは銃というクロスボウを置き換えかねない兵器を作る僕らに好意的とは言い難いので、あまりあてには出来ない。独自の情報源を作る必要がある。加えて市場価格より若干割安で木材が買えるなら悪い話ではない。


「うーん、向こう1ヶ月は在庫持つけど……悪い話ではないし乗っても良いかなぁ」

「もう少し様子を見ても良いのではないかね?高騰が一時的なものなら損だぞ」


 釘を刺してきたのはエンリコさんだ。彼は長寿のハーフエルフなせいか、比較的長期的でゆっくりした視点でアドバイスをくれる事が多い。


「でも明日はもっと高騰してる可能性もありますよね?高騰してるって事は需要があるって事でしょうし、当面上がり続けるかも……」

「それはそうだが……」

「これ、金鉱山開発のための資材として木材が使われてるんじゃない?あと道路」

「ありそうだねぇ。まあ、もう1週間くらい待ってから決めようか」


 ……だが結局、1週間後も木材の高騰は止まっていなかった。そろそろ買わないと決定的に損失が生じるのでは、と思っていると工房に訪問者がやって来た。見知らぬ商人であった。話を聞いてみると、木材を売りに来たようだった。


「このお値段で如何でしょう」


 提示された価格は、元値の9%増し。これは却下。


 その商人が帰ると、またもや別の商人がやって来て木材を売りに来た。価格は元値の7%増し。とりあえず保留。


「なんだろうね、急に木材売りに来る人が沢山来るなんて」

「やっぱり御用銃職人の肩書効果かしらねぇ」


 ともあれ、これ以上木材が上がると困るので一番安い価格を提示してきた商人から銃用の木材と杭用の木材を買い付ける事にした。エンリコさんは不服そう……というか値動きに疑問を持っているようだったが、これ以上の高騰は困るという事で最終的に納得してくれた。



 木材買付を指示した大商人、【トーマス商会】の主トーマスはほくそ笑んでいた。【名だたる鍋と炎商会】が無事に自分から木材を買う事になったからだ。


 トーマスは自分に追従するようにして、他の商人達が木材を買い占めたのを知っていた。当然、後発の彼らの仕入れ価格は自分より上だ。故に彼らが【名だたる鍋と炎商会】に商談を持ち込んだとしても、自分より有利な価格は提示出来ないと踏んでいた。そのタイミングで仕掛ける。こうする事で、【トーマス商会】の有り難みを感じてもらうという算段だ。恩を売りゲッツに近づく足がかりを得て、ついでに少し儲けるという作戦は無事に成功した形になる。


 問題はだぶついた木材であるが、これは元値で市場に流してしまう事にした。【名だたる鍋と炎商会】から得た利益と手数料その他諸々を相殺すると、ほぼ利益は残らないが問題はない。人脈という金鉱山を得たからだ。しかも今木材価格を下落させれば、投機に乗っかってきた商人達に損害を負わせる事も出来る。攻撃的な市場操作で優位を得るのがトーマスのやり方であった。


「しかし矢張り奴らの頭、クルトとやらは御しやすいな。まだまだ付け込めるぞ」


 独自の身辺調査でクルトが余所者だった事(それ以前の形跡がさっぱりなのは気味が悪いが)、ブラウブルク市に入ってからは特に知識人として活動した記録は無く、冒険者としての経歴しか無い事は知れていた。まともな教育を受けたとは思えない。


 その上見目麗しい女達をパーティーに囲い、挙げ句リーダーの小娘を父親から力づくでぶん取った女好きのろくでなしである――――というのが市井の噂だ。なお、主な情報提供者はかつて冒険者ギルドへの入団を拒まれた者達である。


 ともあれ知性と学識に優れた人物とは思えない。銃とやらを思いついたのは、恐らく火炎魔法使いたる嫁かその家族の者だろう。であれば、彼女らと引き剥がした上で詐術を仕掛ければ簡単にハマる事が予測出来た。


「さて楽しくなって来たぞ。詐術で締め上げ、私の援助無しではやっていけないようにしてやろう。そうすればそこを起点に殿下にお近づきになれるし、銃の販売益も私の手中に収まる」


 トーマスは次の手を考え始めた。

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