第146話「詐術 その2」*

 ゼニマール卿は眉根を寄せながらゲッツに報告した。


「木材価格が戻りました。それどころか、投機の反動で元値を割り込んでおります」

「……つまり東方辺境に冒険者を送り込んだのは完全な無駄だった、と?」

「まああの地域の開拓促進にはなるので無駄とは言えませんが、余計な出費を強いられた事は事実ですな」

「下手人の特定は?」

「済んでおります、【トーマス商会】です。傘下の商人を幾人も噛ませていたため特定は困難な作業でしたが、どうにもトーマスとやらは多く恨みを買っている人物のようで、造反者が接触してきました」

「大変結構。何か一発食らわせてやりたいが……」

「今は難しいでしょう、結局この騒動は市民生活に影響を与える前に収束してしまいましたからな。介入する口実が弱い」

「チッ……まあまきが本当に必要になる季節が来る前に収束して良かった、と思っておこう。だが【トーマス商会】の名前は覚えたぞ」

「はい、私も今後は注視しておきます」



 1週間後。僕は【トーマス商会】で歓待を受けていた。豪勢な食事に美酒に舌鼓を打ちながら談笑する。


「いやぁ、この前の木材の件は助かりましたよ」

「お力添え出来て何よりですとも」

「結局あれは何だったんでしょうね。あの後すぐに価格戻っちゃいましたし」

「さぁ、投機商人どもの思考は良くわかりませんで。はた迷惑な話です」


 木材価格は僕たちが契約を結んだ数日後に下落し、一時元値を割り込んでから元に戻った。エンリコさんにお小言を言われて僕とイリスは凹みながら原因特定に勤しんだが、結局木材の高騰理由はわからず終いだ。これでは次に同じ様な事があったとしても対処が難しいが、トーマスさんにもわからないとなればもう諦めるしかない。


「そういえば、今度は鉄が高騰を始めているようですよ。既に1/10増し程度」


 トーマスさんが1/10と言っているのは、10%を示している。というのも、この世界はまだ歩合の数が発明されてないからだ。面倒なので今までは歩合の数や百分率(%)で翻訳していたが、実態はこれだ。面倒なので頭の中では引き続き歩合の数で翻訳するが。


「えっ、本当ですか。原因は?」

「また投機でしょうなぁ。いつ熱が冷めるか全く予測出来ません」

「困りましたね……」


 木材高騰騒動で1つわかった事がある。僕は資本があるからまだ良いが、新規職人たちは然程余裕がないため、原材料高騰で受ける影響が割と大きいという事だ。まだ銃職人ギルドは発足していないものの、銃の普及という使命を帯びている以上は僕が職人たちを守って事業を持続させてやらねばならない。つまりは原材料の安定した供給路を確保してやる必要がある。


「そこでですね、1つ良いお話があるのですが。実は我が商会にはだぶついている鉄の備蓄がありまして、これを市場価格の4%引きでお譲りしても良いと思っているのです。【名だたる鍋と炎商会】さん

「本当ですか!?」

「本当ですとも。ただし2つ条件があります。1つ、摂政殿下と私の会談の場を設けて頂くこと」


 なるほど、やっぱり僕たちに接触してきたのはそれが目的か。だが紹介するだけで安く鉄が手に入るというのなら悪い話ではない。


「もう1つ、買うのでしたら鉄の備蓄全てを一挙に買って頂きたい。というのも、ちまちまと毎月輸送するよりは船団を組んで一括で輸入した方が効率が良いですからな」

「なるほど。ちなみに量はどの位になります?」

「ざっと金貨200枚ぶん」

「そ、それは買えないですね……そこまでお金無いしさばききれないですよ

「お金なら貸しますとも、年利3%の超優良利率で!」

「それにしても量が多すぎますね、他の銃職人に回すとしても捌ききれないです」

「何も銃職人だけに回さずとも良いのです、鍛冶屋なんぞに回してしまっても良い。しかもこれは商機ですぞ、例えば市場価格の2%引きで売り渡せば、私から買った4%引きとの差額2%ぶん貴方は儲かる、売られた方も市場価格より2%安いので助かり恩義を感じる、良いこと尽くめです」

「……なるほど?」

「それでも貴方のツテだけでは捌ききれないとあらば。


 つまり「あなたが捌ききれないなら知り合いに売り渡せば良いんですよ。なぁに、僕が売り渡した金額と市場価格の中間くらいの値段で売れば、あなたはその差額ぶん儲かる、相手は市場価格より安いので助かる!」と言えば良いと。


「なるほど!」

「流石理解が早い!では早速――――」

「いえ、財務担当は妻なので相談してから決めますね」

「……そうですか。ですが相場は日々動きます、お早めの決断を」

「わかりました」


 その後は食事しながら談笑したのだが、給仕の女性たちが皆美人かつ豊満で驚いた。


「どうです、ウチの使用人たちは」

「いやまあ、何というか。見目麗しい人を揃えたんですね」

「そうですとも、稼げばこういう人材も雇える!ちなみにおたくは使用人は雇っておられますか?」

「いえ、まだですね」

「であればもっと稼ぎなさい!そうすれば美人も雇えるし――――」


 トーマスさんは1人の給仕の女性を呼び寄せた。そして突如その胸を揉みしだいた!


「――――こういう事も出来る。めかけですよクルトさん。複数の女性を侍らせる事は男の甲斐性、そしてロマンの最たるものでは?」

「そ、そうかもしれませんね」


 トーマスさんを見ようとするとどうしても胸を揉まれる女性も視界に入る。僕は目を逸した。護衛として付いてきてるフリーデさんを見ると、わずかに眉根を寄せていた。


「ムハハ、ウブですなぁ!ですがこれは貧民救済でもあるのですぞ。実際この娘も寒村から口減らしにと押し付けられたクチでしてね。ああ勿論、人身売買などではありませんぞ。彼女の家族と合意の上で私は家族にカネを渡し、彼女は自由意志で私に仕えているのです」

「そ、そうなんですね……」


 給仕の女性は、わずかに耐え忍ぶような苦痛の色を瞳に浮かべていた。


「護衛の牧師殿もこれは社会奉仕であるとご理解頂けますな?」

「……ええ、比較的マシになってきたとはいえ女性の地位と収入は低いので。お金のある男性が女性を雇って仕事を与えるというのはある種の社会奉仕であるかと。淫行いんこうについては、褒められた行為ではありませんが」


 あんたの淫行は良いんかい、と思ったが、確かにフリーデさんのそれとは違う。どう見ても合意の上のようには思えなかった。


 自由意志で仕えてると言っていたが、寒村から出てきた村娘が1人で都市に放り出されたらどうなるかはルルを見ればわかる。彼女はこのままだと娼婦になるしかなかった、と言っていた。たまたま戦闘技能があったから冒険者になれたが(それでも槍1本かつ防具なしでスタートしたのだ)、そうで無ければ本当に娼婦になるしかないだろう。それに逃げ出してトーマスさんの不興を買い、故郷の寒村の交易を止められたら……と考えるとやっぱり逃げ出すという選択肢は取りづらい。


 表情が渋らないようにするのが精一杯だ。もしかしたら渋くなっているかもしれないが、トーマスさんは酒が回ってきたようで顔を赤くし上機嫌で、給仕の尻を揉みながら話し続ける。


「この通り倫理的にも問題はありません!女を侍らせ社会貢献も出来る!……気が変わりましたよクルトさん、今すぐにでもあなたにこの生活を味あわせてあげたい!先程の話、今この瞬間!この瞬間結ばねば無かった事にしましょう!この生活を手に入れる第一歩を踏み出すには今しかない!今ならこの給仕たちを1人しても――――」

「うん、じゃあ無かった事にして下さい」

「えっ」


 まくしたてるトーマスさんを一蹴し、僕は席を立った。


「申し訳ないですが気分が悪いので、今日はここで失礼しますね」

「お、お待ちなさい!……なるほど、この行為があなたの信仰心に適わなかったのですな?ならば謝りましょう、ですが先程のお話は――――」


 続きは聞かず、僕はトーマスさんの邸宅を後にした。



 帰り道、暗くなり始めた路地を歩きながらフリーデさんに話しかける。


「……本当にあれって教会的に良いんです?僕の商談に配慮して控えめに答えたりしてません?」

「公式な場で問われれば否定しますが、しかしあれが社会奉仕の一端を担っているのは事実です。罰して彼女らが放逐ほうちくされたとして、彼女らを救ってくれる人は居ないのですから。ですので公式の場では議題に上げないか、上げても非難声明に留めるのが常です」

「そう、ですか……。そうですよね、この世界は何も保障が無い。仕方ない事なんですね、あれは」

「ああいうのはお嫌いで?」

「実際に見て、嫌いだと気づきましたね」


 祖父母から聞いた、バブル時代に複数の女性を侍らせた社長の話。下品な成金の話。……ああそうか、あれはから嫌なんだ。「失われた30年」の中で生まれた僕にとって、豊かだった時代の話を、しかも古い価値観のまま聞かされる嫌悪感。もちろんこの世界では許容範囲内と捉えられているようなので、それだけで商談をるのは非合理と言えるが。


「ともあれ、商談の内容自体は美味しいのでは?教会の人間としては嬉しいですが、感情で蹴ってしまったとすれば――――」

「いえ、全然ダメですねアレは。1%損です」


 物事を単純にするために、通貨が10進法に支配された日本円で考えてみよう。


 鉄の市場価格が100円としよう。それを4%引きで買うと96円。これを市場価格の2%引き、つまり98円で売りさばくと差額の2円が手元に残る。なるほど儲かるように見える。


 しかし96円は年利3%で借り入れているので、96×0.03=2.7 で四捨五入して3円としよう、これをトーマスさんに支払わねばならない。つまり2-3=-1 となり、1円損なのだ。


 もちろんもっと高く売れば解決する話ではある。しかし投機熱が冷めて価格が戻ったらどうなるか。確か10%の値上りと言ってたので、先程の式に当てはめると90円くらいが元値だろう。つまり96円で買ったものを90円以下で売らねばならなくなる。


 しかもこの世界の借金は基本的に複利が付くので、在庫が数年に渡ってだぶつき返済が遅れれば損害はどんどん膨らむ。


「……そうなのですか?良く気づきましたね。まくし立てるのでてっきり得なのかと思っていました」

「最初は呑まれかけましたけど、トーマスさん"" とか言ってましたよね。あれで警戒心が芽生えたんですよ、あれはネズミ講とかマルチ商法って呼ばれるやつです。もっと原始的な感じでしたけど」


 マルチ商法。日本でもたまに話題になるやり口だ。詐欺ではないものもあるらしいが、大抵はトラブルになるらしい。販売元から商品を買い、それを他の人(複数人)に売りつける。売りつけられた側はさらに複数人に商品を売る。その繰り返しでピラミッド状の販売経路が形勢され、ピラミッドの最下部が誰にも商品を売れなくなった段階で破綻するというシステムだ。


 ピラミッドの頂点は短期的に資金を得て逃げられるが、ピラミッドに組み込まれた人達の人間関係が破壊されるため悪名高い商法だ。最近は中高生をターゲットにしたものが展開されているため、高校にも啓発ポスターが張られている事がある。それを読んでいたから気づけた形だ。


「つまるところトーマスさんが僕に仕掛けて来たのは、人間関係を破壊した挙げ句に借金で縛る行為です。多分僕が数字に弱くて乗せられやすい人物だと思われてたんでしょうね」


僕の経歴を洗えば余所者かつ冒険者なので学があるようには見えないだろう。この世界、まともな教育を受けている人の方が少ないので僕はであると判断されたようだ。


「特に、算盤なしで計算が出来るとは思わなかったんじゃないですかね」

「そこは私も不思議なのですが、どうやって計算したのです?な計算では?」


 僕はフリーデさんに解説するため、地面に指で計算式を書く。


 この世界、歩合の数も百分率もまだ存在しない。もっと言えばので1未満の数字は全て分数で表現する。すると「100円の4%引き」はこのように計算される。(*乗算記号はわかりやすくするために残した)


 100-{100×(4/100)}

=100-{(100/1)×(4/100)}

=100-(1×4)

= 96


 ……面倒くさい。だが暗算でも何とかなる、というのは日本人の感覚だ。


 少数が存在しないという事は数字の「0」も存在しないという事だ。なのでフリーデさんに書いてみせた式は実際はこうなっている。(*実際使われてる文字は違うが、漢数字に置き換えるとこうなる)


 百-{百×(四/百)}


 ……うむ、全く以て暗算向きではない表記法だ。今回は単純化しているので良いが、端数が出始めると途端にややこしくなる。それでも10までの数字なら指で何とかなるが、それ以上になると算盤が必要だ。ちなみにプリューシュ人は拳を1と数えて計算するので片手で6、両手で12まで数えるし、言語上の数字の数え方も12までが1塊だ。これも10進法の暗算で不利だ。


「で、これを日本式に置き換えるとこうなります」


 次に書いた数式は次の通り。少数を使うとこう表現される。


 100-(100×0.04100の4%)


 一応丁寧にカッコ内を筆算するとこうなる。100の各ケタに4を掛けていって、最後に小数点を計算完了だ。楽ちん!


 1 00

×0.04

―――

=4.00


「この"0" というのは?」

「何も無い事を示します。で、コンマを打った後の数字は0以上1未満を示してます。分数を置き換えた形ですね。0ヌルがあるとこんな感じで計算が楽じゃないです?」

「…………なるほど?」

「理解出来ましたか」

「概念自体は知っていますので。でもこれ人には言わない方が良いですね、異端です」

「えっ」

「この世界はアツァトホート様の夢、そのご意思が隙間無く満ちていると考えるので、"何もない" というのは神の否定に他なりません」

「ええ……」


 斜め上な回答に頭が痛くなってくる。信仰>計算上の利便さ なのかぁ……。ともあれ僕は急いで計算式を消した。誰にも見られてないようで安心する。


「まあともかく、算盤なしでもサラッと計算出来たのはこういう理由です。頭の良い人なら分数でも暗算で、あるいは経験豊富な人なら感覚で近い数字を弾き出せたかもしれませんけど、僕はどっちでも無いですね。単純に文明の勝利です」

「なんとまあ……」


 無論、この世界の人でも算盤を仕えば計算自体は出来る。特に僕は工房に戻れば長年商売をやってきたエンリコさんと、その教育を受けたイリスが居る。だからトーマスさんは僕が帰る前に性急にまくし立てて契約を迫ったのだろう。


「つまりは舐められていたんですね、僕」

「……改宗パンチしてきましょうか?」

「いや、まだ詐欺が実行された訳じゃないので……でもちょっとムカつくので殿下にはチクっておきましょうか。絶対にお近づきになれないように」


 そういう事になり、明日は城に行く事になった。


 いやしかし、銃以来の知識チートが出来て気分が良い。義務教育って凄いや! 僕は騙されかけたにも関わらず、ご機嫌で帰宅した。



 クルトが帰った後、トーマスは唸っていた。


「……チッ、あんなに信仰心に篤い奴だったとはな。計算違いだ」


 まだトーマスは、自分が仕掛けた詐術が看破されているとは思っていなかった。暗算で見破るには相当の地頭か経験が必要だ。そして話した感じ、クルトにそんな知性も経験も感じなかった。故に、単純に信仰心が篤いため淫行に怒ったのであろうと解釈していた。或いは用意した給仕が悪かったか?クルトの嫁は平坦である、豊満な妾は魅力的に映ると思ったのだが。平坦美人を用意すれば良かったか。


「まあ今回はフイになってしまったが仕方ない。賄賂わいろを贈りつつ鉄を安く売ってご機嫌を取るとしよう、結局カネの魅力には勝てまいて」


 トーマスはそのように判断し満足すると、嫌がる給仕を無理やり寝室に連れ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る