第138話「詐術 序」

 ビール祭りの翌日。僕はげっそりしながらイリスの案を検討する会に出席していた。面子は商会の人達だ。


「……大丈夫かねクルト君?」

「大丈夫デス」

「昨日飲みすぎちゃったのよねー?」

「ソウデス」

「そ、そうか……」


 僕とは対照的にイリスはツヤツヤとしている。そんな彼女が話し始めた。


「まず、殿下が銀貨の増発するって言ってもその効果が出始めるのは1月よりももっと早いと思うのよね」

「どういう事?」

「まず金鉱山が見つかったって情報だけで金貨の価値が下がると思うの、金が世に出回る事は確定だからね。そして多分金鉱山はもう稼働に向けて準備しているでしょうし、そのための人員を募集する段階で"金鉱山がある" って情報は絶対に漏れるわ」

「なるほど。そうなると……ちょっと大商人の気持ちになってみよう。自分は金貨を蓄財用として大量に持っている。その金貨の価値が下がるとすれば……うーん、まずは銀貨に替えちゃうかな?」

「多分そうするわね」

「ええと、そうすると一時的には銀貨の値段は上がるのかな。……いや銀貨の値段ってなんだ?」

「銀貨は値段が上がるっていうより、出回る量が減るんじゃないかしら」

「ああ、商人が買い占める形になるからか」

「そうなると物価はそのままに銀貨だけ市場から消えるから、人々は金貨か銅貨で取引をするしかなくなるわ。で、金貨は価値が下がるけど銅貨は需要が上がるから価値が上がると」

「つまり……」

「今銅貨を買い占めておけば為替で大儲け出来るわ!」


 イリスは元気良く平坦な胸を張ってドヤ顔をした。因みに筋肉が増えたぶんだけ1mmくらいバストアップしたように思える。だが脂肪層はそのままだ。


 バストはともかく彼女が言う通り銅貨を買い占めて、需要が上がってきた頃に放出すればその差額分だけ儲けられるだろう。だがエンリコさんが待ったをかけた。


「やめておけ」

「どうしてよお爺ちゃん」

「銅貨無くなったら一般市民が買い物出来なくなるだろ。物々交換の時代に逆戻りだ、恨まれるぞ」

「あー……」


 イリスがへにょへにょとしぼんだ。バストは特に萎む余地がない。


「やるなら銀貨の買い占めに加担するくらいにしておけ、今動けばほんの多少だが儲ける事が出来るだろうよ」

「むう……」

「普通に工房買うだけで良いんだ、今買って先払いしておけば後々銀貨が増発された時に実質安く買った事になるんだからな」

「でも何か損した気分じゃない!それって実際に現金が手に入る訳じゃないんだし!」

「これだから只の人間ヒュームは……長期的に見て得なんだからそれで良いだろう!?」


 せっかくの情報を活かして現金を手に入れたいイリスと、不動産を買っておいて実質的に得をすれば良いじゃないかというエンリコさんで喧嘩が始まってしまった。どちらの言い分もわかるんだけどなぁ、と思っていると矛先が僕に向いた。


「「商会長!裁可を!」」

「ええ……」


 まあ確かに僕が最終的に決める事ではある。だがどちらも一定の正しさがある以上、ここは中間を取るべきではないか?不動産は買うがイリスの為替操作も少額でやっておく、と。中途半端だろうか。


 ……いや、ピンと来た。中途半端ではなくどちらも全力でやれば良いのでは?


「質問、不動産って銀貨で支払ったら嫌がられます?」

嵩張かさばるから良い顔はされんだろうが、大工どもの給料を支払うには丁度良いから受けてはくれると思うぞ」

「もう1つ質問、銀貨の価値が上がると銀貨で沢山建材が買えるようになるって認識で合ってます?」

「うむ。銀貨だけでなくつられて銅貨も上がるだろうから、銀貨と銅貨での買い物は得になるな」

「じゃあ両方を全力でやりましょう。つまり――――」


 僕が説明したのはこのような内容だ。


1. 工房建設の見積もりを出してもらって、必要な建材を割り出す

2. 建材は自分たちで調達するという条件で建設を依頼し、建設費を確定しておく

3. 金貨を銀貨に替える

4. 銀貨の需要が上がった頃に銀貨で建材を買う(銀貨の上がり幅分得)

5. 残った銀貨で何か品物を買っておく

6. 銀貨が増発され価値が下落したら建築費を支払い、同時に品物を売りさばく(銀貨の下落分得)


「……あんた以外と頭良かったのね?」

「もっと褒めて欲しい」


 イリスは頭を撫でてくれた。大変心地が良い。まあこれはイリスとエンリコさんが喧嘩してくれなければ思いつかなかったが、1つ気づきを得た。必ずしもトップの頭が良い必要は無いのだ。もちろん、イリスとエンリコさんのような僕より頭の良い人たちの言葉を理解する程度の知性は必要だが、頭の良い人たちに議論してもらい、それを修正し決断するのがトップの仕事なのだ。もちろん彼らに離反されないように人心掌握するのも大切だろう。


「ともあれ、エンリコさんとイリスは冬のボーナス増額にしますね」

「やった!ところで品物はどうしましょうか」

「鉄か硝石で良いんじゃないかね。麦は安牌だが確実に民衆に恨まれる、その点鉄と硝石なら銃の生産増加に合わせて需要が上がるが特に恨みは買わん」

「甲冑師の恨みを買います」


 そう言って手を挙げたのはヴィムだ。そういえば君、思いっきり鉄使うもんね。


「……まあこの辺はまだ先の話ですし、追々決めるとして。まず新設工房を注文するために内容を確定しなきゃですね」

「よっしゃ、婆さんたち呼んでくる」


 結局工房を使う職人チーム、2階に住む事になるイリス一家、そして僕とイリスという大所帯で不動産屋に押しかけ、すっ飛んできた大工を交えて間取りを決めた。


 建材は僕たちが用意するという内容だが、設計図の作成に2ヶ月程度必要なので必要な建材量は大雑把にしかわからなかった。為替相場操作に間に合わない。仕方ないので、基礎として打ち込むだけを僕たちで仕入れる、という内容に変更した。まあこれだけでもいくらか得するだろう。


 そういう訳で建築費の確定は設計図の完成後になった。2ヶ月後、つまりは銀貨需要が上がっている時だ。この時期に建築費を確定出来ればその後の銀貨下落との差額が大きくなるので最高だ。


 結果オーライではないか、という事で次は金貨を銀貨に替える作業に移った。両替商は橋の上での営業しか認められてないので、必然的に中川にかかる橋に両替商が集中する事になり、見つけるのは簡単だった。


 手持ちの金貨120枚全てを銀貨に替えようとしたが、個人の両替商が取り扱える量ではない上に重量が大変な事になるので、複数の両替商に銀貨を工房の金庫まで運んでもらった。


「銀貨がこんなに入用だなんて、一体何をするおつもりで?」


 両替商がそう尋ねてきた。僕は嘘が下手だと自覚しているのでここはイリスに任せる事にした。


「銃の資材調達のためよ。その時々の鉄・木材価格を見て即座に買うためには銀貨の方が都合が良いから。そうやって節約しようってワケ」

「なるほど、やりくり上手ですなぁ!……そんなに継続的に銃の注文が?」

「ウチだけじゃ回らないから、新規職人に仕事回す程度にはね」

「ははあ、流石に御用銃職人は儲かってますなぁ!」

「殿下さまさまよ!」

「羨ましい話で。では、今後ともご贔屓ひいきに」


 ……イリスは上手く切り抜けてくれた。彼女が吐いた情報は、僕たちの状況をちょっと調べればわかる事しか無い。為替操作や銀貨増発を勘付くのは無理だろう。


 両替商たちが帰った後、僕とイリスはにんまり笑った。


「これで……」

「大儲けの第一段階、完了ね」

「「ムッハハハハハハハハハハハ!」」


 高笑いが工房に響いた。



 両替商は帰路、橋に直帰せずに知り合いの大商人の元へ駆け込んだ。


「旦那、耳寄りな情報をお持ちしました」

「いくら欲しい?」

「そうですなぁ、【名だたる鍋と炎商会】が金貨100枚以上の取引をした、という情報にいくらお値段をつけるかによりますが」

「私はだね?」

「この情報を教えるのは旦那が1番目でさぁ」

「……銀貨10枚くれてやる」

「毎度あり」


 両替商は、【名だたる鍋と炎商会】が金貨120枚を銀貨に両替した事、そしてイリスが話した内容を喋った。大商人は唸る。


「ゼニマール卿に次いで殿下に最も近い【名だたる鍋と炎商会】が銀貨をな……噂に過ぎないが、道路建設予定地の付近で最近砂金を売りに来た農民が居たと聞く。それと関係あるのか……?」

「どうでしょうね。商会長の奥方はそんな素振りは見せてませんでしたが」

「女は化け物だぞ、その言葉を額面通り受け取るべきではない。だがそれはともあれ、少なくとも銀貨を使う予定がある事は事実だろう。銀貨で買える小口の……木材か?確か奴らが売ってる銃とやらは木材を使用するのだったな」

「はい」

「……ふむ。一先ず木材を買い占めて値段を釣り上げておくか。奴らが買ってくれるなら良し、そうでなくとも殿下の道路建設計画で必要になるのだ、少なくとも損はしないな」

「彼らと敵対するおつもりで?」

「まさか。これは彼らの商売にちょっと相乗りさせて貰うだけだとも。相場価格よりほんの少しだけ安く売って恩を売りつけるのも良い……それと予備的に銀貨も買い入れておくか。良い情報だった、ご苦労」

「今後ともご贔屓に」


 両替商は商館を駆け出していった。他の商人に情報を売りに行き、小銭を稼ぐつもりだろう。


 ともあれ、大商人は小間使を呼んで木材の買い占めと銀貨の買い入れを指示した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る