第136話「にわとり」*
翌日。明日はビール祭りなのでどこか街中が浮ついた雰囲気で、もう準備をしている人達も散見される中、僕とイリスは不動産屋に行った。
「水車付き、十分な広さがあり……という物件ですか。申し訳ないですが、借家でも売家でも無いですねぇ」
「そうですかー……」
「ただ、今の工房からは離れますが川沿いに売地はありますね。民家なので水車こそありませんが、工房のスペースだけは広く出来るかと」
「詳しく聞かせて下さい」
「実際見たほうが早いでしょう、お時間はありますか?」
僕とイリスは頷き、不動産屋に連れられて見学に行く事になった。
◆
「こちらです」
工房通りをずっと西に行き、工房よりも民家の方が多くなってきた所にその家はあった。木造の平屋で、確かに今の工房よりは広い。工房のスペースだけは。
「居住スペースが無いわね、これは」
「そうだねぇ……」
工房を置くスペースだけならこの売家の方が広いが、今度は居住スペースが無くなる。今の工房は隣のイリス実家と接続する事で居住スペースを確保しているが、これでは執務室を置くのが限界だ。そうなると職人たちはイリス実家に戻って食事と睡眠を取る事になる。つまり通勤時間、というものが発生する。まあ徒歩5分程度ではあるが。
「んー、上手く行かないねぇ。全部一緒くたに出来れば良いんだけど」
「お金こそかかりますが、2階建てにするという手もありますよ。居住スペースを2階にしてしまえば良い」
「あ、なるほど。ちなみに値段感はどうなります?水車新設込で」
「金貨200枚は下らないかと」
「おおう……」
金貨200枚。日本円にして1億円! 目がくらみそうになる金額ではあるが、殿下に頂いたお金と商会の収入的に払えない金額ではない。だが今すぐ買うと現金が枯渇するので、もう少し待つか借金するかしかない。
「即決出来るような値段では無いでしょうし、ゆっくり考えるのが宜しいかと」
「そうですね、そうします」
確かにこれは熟考が必要な案件だ。僕とイリスは工房へと戻った。
◆
エンリコさんに不動産屋から聞いた内容を話すと、やはり値段に顔を
「今すぐに払える値段では無いな。まあ現状でも回るは回るのだ、もう少しカネが貯まってから再考するとしよう」
「ですねぇ」
「ああ、ところでスナップロック式改善版の製品版が出来たぞ。とりあえず殿下に届けて、問題ないか見てもらってくれ」
「わかりました。……ところでこれ、名前どうしましょうか」
「考えて無かったな。スナップロック式改善版では長いし、売るときにインパクトに欠ける」
「うーん、
改善版は当たり金が跳ね上がると同時に、火蓋がスライドして開くので端的な命名である。
「わかりやすいが……せっかくだから動物の名前を入れたいな」
「動物ですか?」
「その方がウケが良い」
銃は
「剣術の構えとか技なんか、結構動物由来の名前多いしな。その方が覚えやすい」
「そうなんですか?」
「俺も聞きかじり程度だが。ほれ」
そう言ってヨハンさんはナイフを抜き、「これが雄牛」「これがライオン」と実演してくれたが……うむ、全くわからない。だが他の皆は何かピンと来たようで頷いている。感性がわからない!
皆でああだこうだと案を出し合っていると、ルルが何か思いついたようで手を挙げた。
「
「に、ニワトリ?」
「ほら、ハンマーが当たり金を叩くと火蓋が滑って逃げるじゃないですか。エサをつついて取りこぼしたニワトリっぽくないです?」
「「「なるほど」」」
僕以外全員が納得した。感性が!わからない!
「じゃあスナップロック式と組み合わせて、スナップ
「「「賛成」」」
そういう事になってしまった。まあ現地人がわかりやすいと言うなら、その方が売れるだろうし良いだろう。僕は色々と諦めて承諾し、スナップハーン式を持って殿下の所へ行った。
◆
殿下にスナップハーン式を渡すと、早速本人が試験してくれた。馬で駆けながら銃を放つ作業を何度か繰り返して戻ってくる。
「うむ、良いと思う。風の影響は
「良かったです。……ところで、やっぱり銃って騎兵用なんです?」
「歩兵用途としちゃ射程が短すぎるンだよな。だが白兵戦をやる騎兵、それも騎馬突撃する騎士用としちゃ最高だ。何せ
「なるほど」
「それにな、馬は銃声に驚くんだ。銃を知らない騎士にはめっぽう効くだろうな。通過攻撃の直前で
「へえー……でも殿下の馬は驚いてませんよね?」
「慣らしたンだよ。まあ訓練すりゃ克服出来るから、銃が普及しきれば優位は失せるがな。だが当面はそれをウリに出来るんじゃねェか?」
「あーなるほど、まだ銃が普及してない地域に行く傭兵とかに?」
「そういう事だ。だんだん商売がわかってきたな?」
「お陰様で」
僕の成長を喜んでか、殿下は馬上からわしゃわしゃと僕の頭を撫でてきた。平民との垣根が小さいところは変わっていないようで、僕も安心する。
「……おっと。商売ついでに、1つ良い情報をくれてやる」
「何です?」
「実はな、領内で金鉱脈が見つかったンだ。それを元に新年あたりに、銀貨の増発を布告するつもりだ」
「おおー、凄いじゃないですか!」
金鉱脈!よくわからないが、お金にはなるのだろう。それにしても、何故金鉱脈が見つかって銀貨を増発するんだろう?
「……その顔だと意味がわかって
「さっぱりです」
「流石に日本でも若者に経済学は教えんのか?まあ俺も最近知ったから人の事ァ言えんがね。つまりだな……」
殿下は得意げに解説してくれた。なんとなくだが、僕にも銀貨増発の意味がわかった。
「つまり……銀貨が増発されると物価が上がると?じゃあ今のうちに材料とか買っておいた方が良さそうですね」
「うむ、だがそれだけじゃ
「金利が……?」
「例えば銀貨10枚を借り入れたとするだろ?んで金利は年間銀貨2枚としよう。そこで銀貨の価値が半分に下がるとどうなる?」
「……あー、支払った銀貨の枚数は同じなのに借入れ額(10/2)と金利(2/2)合わせても、実質銀貨6枚ぶんの支払いで良くなる?」
「そういう事だ。だから金貸しはそれを回収しようと金利を上げてくる。だが借入れ額と金利は事前の契約で決まってるから、通貨価値が下がる前の契約についてはそのままだ」
「つまり借りてた方が丸儲けと」
「そういう事だ!……ああ、因みにこれは機密情報だからな、商会の外には漏らすなよ」
「ええ勿論!ありがとうございます、丁度工房新設するか迷ってたのでめちゃくちゃ耳寄り情報です!」
「そいつァ何より。ガンガン儲けてガンガン銃を卸してくれよ」
僕は殿下に頭を下げ、工房に戻った。
◆
「というわけで、工房新設しちゃいません?」
僕はエンリコさんに殿下から聞いた内容を話すと、彼は大喜びしだした。
「御用職人万歳だな!最高の情報ではないか!」
「へっへっへっ……」
「なら工房新設、してしまうか!」
「賛成です!」
「んー、ちょっと待った」
そう言って制したのはイリスだ。
「工房新設は賛成だけど、それだけにお金を使うのは勿体なくない?まだ冬まで少し猶予があるし」
「他に使い道が?」
「せっかく商会って名前を付けたんですもの、商売で1儲けしてみない?腹案があるわ」
イリスはニヤリと笑った。何か思いついたようだ。その腹案を聞くと、確かに儲けられそうな内容だった。
「まあ、直ぐに手配出来る話でもないし……一先ずビール祭りを楽しんでからにしましょうか。それから再考しましょ」
そういう事になった。明日はビール祭り、お祭りデートの日だ。まずはそれを楽しむとしよう。
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