第128話「人狼の結末とバスト」*

 人狼事件は奇妙な結果をもたらした。


 シュタインヒェンバーデン村の領主たるヴィースシュタインの領主は、代官たるクンツから報告を受けて頭を抱えた。冒険者ギルドからの情報を得て山賊討伐におもむき、カネと人命(動員した民兵は彼の収入を支える市民・農民に他ならない)を消費した所に、シュタインヒェンバーデンの村人7名、さらに隣村の45名が死亡したという知らせである。山賊の被害者数は未だ不透明であるが、小領主にとって人狼の被害と合わせるととんでもない痛手である事は間違いない。


 そこに冒険者ギルドから使者がやってきた。曰く「人狼討伐の代金を頂きたい」と。信じられないくらい高い金額であったが、その金額設定に一定の合理性がある事は彼にもわかった。とはいえ小領主にとっては数年分の歳費にも等しいその金額は頷き難いものであった。


 これが野良の冒険者であれば踏み倒す事も出来た。或いは今回人狼討伐に赴いた冒険者の狼藉ろうぜきを以て罪人扱いにし、上級領主――――この場合はノルデン選定候――――に働きかけ、ラント追放(一切の法的庇護ひごを受けられない状態。事実上の死刑)にしても良かった。だが今回、その冒険者がノルデン選定候の半私兵である事が問題であった。


 ラント追放は通らない。踏み倒してもにらまれる、それどころか裁判の種にもなろう。この場合は皇帝の主催する裁判で係争する事になり、恐らくは冒険者の狼藉と功績を相殺して追加料金減免ないし無料にはなろうが、選定侯との関係は悪化する。


「示談だな」


 ヴィースシュタイン領主はそう判断した。冒険者ギルドに加えてノルデン選定候、その摂政を交えた協議を行おう。そこで呑める金額に収まれば良し、収まらねば致し方ない、裁判だ。そのような段階を踏む事にした。


 ――――こうして開催された3者協議(仲介人として教会を挟み実質4者協議)の結果、以下のように示談はまとまった。


・冒険者ギルドはヴィースシュタイン領主に謝罪する事

・ヴィースシュタイン領主は冒険者ギルドに人狼討伐の功績を評して金貨20枚を10年払いで支払う事

・ブラウブルク市―ヴィースシュタイン市の間に街道建設を行う事に双方同意する事

・ヴィースシュタイン領主はノルデン選定侯に対し石材を相場の2割引きで提供する事


 当初冒険者ギルドは金貨50枚を要求してきたが、摂政のとりなし――――街道建設への合意をねじ込み、それに対する礼――――で金貨20枚まで要求を引き下げた。代わりに石材を割引価格で提供する事になったが、摂政が街道建設のために買い上げる石材は莫大である、その収入で相殺、それどころかヴィースシュタイン領主は黒字になるため呑めた。しかも支払期間が10年となった事で緊急にカネを引き出す必要もなく、ヴィースシュタイン領の各地域に重税を課す必要もなくなった。


 冒険者ギルドとヴィースシュタイン領主は面子と健全な財政を保て、領民はこれ以上の苦難を免れ、摂政は街道建設の目的を安く達成出来るというWin-Winの条件だ。喪われた人命は戻らないが、これから生きていく者にとってはまずまずの再スタート条件と言えた。


 かくして人狼事件は幕を閉じた。



 シュタインヒェンバーデン村の人狼達、彼らが化けていた村人達の遺体は村の近くの森の中で見つかった、と伝え聞いた。だが本来の依頼は「小規模な狼の群れが隣村との道を塞いでいるので排除して欲しい」との事だったが、その隣村は人狼によって全滅させられた事が判明した。村人45名と狼1匹の死体が見つかったらしい。


 下手すればシュタインヒェンバーデン村も、僕たちもろとも同じ運命を辿っていたかもしれないと思うとぞっとする。生き残ったシュタインヒェンバーデン村の人達がどうなるか気がかりではあったが、イリスの「背負過ぎるな」という言葉にいくらか救われた。というか背負っている場合ではなくなった。


 僕は時折悪夢に苛まれるようになっていた。魂を可視化した際に見て・読んでしまった余計なもの、それが夢に出るのだ。教会宿での寝床を配置換えし、イリスが添い寝してくれる事になったが(夜伽よとぎ厳禁)収まらず悩んでいると、フリーデさんがある提案をしてきた。


「告解をしてみては如何でしょう」

「告解?」

「旧教では懺悔ざんげと言いますが。神父、あるいは牧師に罪や悩みを打ち明ける事です」

「どんな意味があるんです?」

「旧教では自らの罪を認める事でゆるしを得る行為ですが、新教では己の状況を正しく認識し、噛み砕き、するために行われます。信徒であればそこからどのように信仰し生きていくかの道を探りますが……クルトさんはナイアーラトテップ様を信仰しておられませんね?」

「……気づかれてましたか」

「まあ薄々は。というかここ最近の出来事を見るに、少なくとも信心が揺らぐのも致し方ないとは思っておりました」

「じゃあ告解も意味無いのでは? 申し訳ないですけど、僕が信仰に傾くことはほぼあり得ないと思うんですけど」

「例えば告解に来る者の中には兵士や大災害の被災者が居ます。戦場での恐怖体験や災害体験が頭にこびりつき、夢に出てくる――――今のクルトさんと同じ状況ですね。そういう方も告解し、出来事を受け入れ消化する事で悪夢から解放される事があります。……結局、人は恐怖を忘れ去る事は出来ないのでしょう。出来るのは乗り越える事だけです。告解はそれを手助けするものです」


 なるほど、懺悔や告解はこの世界、この時代の心理療法なんだ。現代日本でも精神薬を使わない場合カウンセリングを行うらしいが、こういう事をやっているのかな。


「まあ告解を通して信仰心が芽生えて欲しい、というのが本音ではありますが。私の任務は貴方の肉体、そして精神的な護衛でありますれば、今はそこは目をつむりましょう」

「ちょっと良いかしら」


 イリスが割り込んで来た。


「精神的な護衛って言ったけど。もしかしてクルトへの身体的接触、それも性的なのが多いのってそれのせい?」

「はい」

「はい、じゃないのよ。こいつは私の旦那だって理解してる? 不倫になるわよね」

「ですが肉体的快楽は心を安らげます。そうであれば私は手段を問いません」

「……それは否定しきれないけど。正直、私もクルトに抱かれた時に不安が和らいだのは事実だし」

「2日目は僕が抱いたんじゃなくて僕が抱かれた気がするんだけど??」

「うるさい!……とにかく有効性は認めるけど不快極まりないわ。金輪際やめて」

「あのー、僕からもお願いします。イリスと円満で居る事が僕の心の支えなので、それを壊されると本当に潰れちゃう気がするので」

「……なるほど、理解しました。そういう事であれば私は手を引くのもやぶさかではありません。が」

「が?」

「それはクルトさんの心を守る手段を1つ失う事を意味します。特にこれです」

「んなっ」


 そう言ってフリーデさんは胸を寄せ上げた。僕を抱きとめて正気に引き戻した胸だ。


「女性の胸の抱擁ほうようは偉大です。女性である私でも、先輩牧師の胸に抱かれた時は心が安らいだものです。つまるところこれは、性的魅力を抜きにしても精神作用があると考えますが」

「まあ確かにひい婆ちゃんの胸、気持ちいいけど……けど!」


 イリスのひいお婆さんのバストは豊満だ。しかしイリスは平坦だ。彼女は涙目になって抗弁しようとするが、言葉が出てこない。……ちょっとフリーデさんどうにかしなきゃ。嫁のコンプレックスをえぐって傷つけられるのは看過しかねる。だが僕が口を開くより先にフリーデさんがとんでもない事を言う。


「なのでイリスさん。豊胸運動、しましょう」

「……なんですって?」

「私は身を引きましょう、ですが代わりは必要です。つまり貴女が豊満になれば良いのです。豊胸運動しましょう」


 ちょっとこの聖職者、何を言ってるのかわからない。やっぱり頭がおかしいんじゃないかな。だがイリスが豊満に――――いやあと1cmでも良い、厚みが出れば――――それは喜ばしい事なのかもしれない。だって今は皮膚と肋骨しか感じないもん。


「あれは筋力トレーニングをしていた時でした、チェストが鍛え上がると同時にバストが大きくなり、張りが出たのです」

「マジ?」

「マジです。筋肉は全てを解決すると学びました」


 イリスは自身の胸を撫ぜた。引っかかる所が無くストンと手が落ちる。絶壁である。しかし彼女はそれを乗り越えるべき壁と認識したのか、目に決意が宿る。


「……やるわ」

「大変結構。あと女性は妊娠するとバストが大きくなるのはご存知ですね?」

「……ヤるわ!」

「イリスぅ!」


 なんかとんでもない方向に話が飛んだぞ!だがイリスはすっかりやる気になってしまっている。


「まあ妊娠は色々落ち着いた頃合いを見てになるけど」

「そこだけ理性的で助かったよ!」

「ともあれ豊胸運動するわ。フリーデさん指導お願い」

「承知。……ですが。実際イリスさんの胸が大きくなるまでの間、私の胸を使う許可は頂きたく」


 やっぱりこの聖職者頭おかしいんじゃないかな、どうしてそうなるんだろう。いやバストは魅力的なんだけどさぁ!


「イリス、突っぱねて良いよ。僕は君の胸で満足だから」

「…………でも精神的作用が捨てがたいのは事実なのよね。よしフリーデさん、性的意図なしで抱擁だけなら許可するわ」

「ありがとうございます」

「ちょっと何言ってるかわかんないんだけど!そんな無理しなくて良いんだよイリス、僕は君と一緒ならそれで心安らぐから!」

「ありがとうクルト。でもこれは私の戦いなのよ」

「はい?」

「今に見てなさい、フリーデさんより大きくなってあんたを抱きとめてやるんだから。これは女の戦いよ、性的魅力でもフリーデさんに勝って、いやそれどころかルルをも超えてもう誰にも目移りさせない妻になるんだから!それまでは精々楽しんでおく事ね!」


 そう言って指を突きつけるイリスの目は闘志と自信と希望、そして狂気に染まっていた。「その心意気ですイリスさん」とフリーデさんも感動に目をうるませていた。……やっぱやべーよこの聖職者、多分無自覚なんだろうけど、イリスのコンプレックスを利用して自分の意のままに操ってるじゃないか。


「そうと決まれば早速やりましょう、さぁ腕立て伏せからです!」

「やってやるわ!」


 そう言って2人は外に出ていった。僕は教会宿にぽつんと取り残された。


「……あれぇ、告解は……?」


 延期である。

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