第126話「人狼と魔女裁判」*

「ぐすっ……もうお婿むこに行けないよぉ……」

「もう私の婿内定してるでしょ」


 僕はヤギの膀胱を水盆で洗い、イリスは満足げな顔でベッドに腰掛けていた。その裸体は平坦である。


 とりあえずイリスは1回戦だけで満足してくれたようだ。というかこれ以上続けるとへばって寝る事が予測出来るので流石に自制したのだろう。僕も流石に枯れそうなので助かる。


 ヤギの膀胱を干していると、部屋の扉が強く叩かれた。まあ流石に民兵も嬌声きょうせい聞かされたら怒るよね。昼間あんなに嫌味言ってたのにに怒らなかったのは良心の現れだろうか、案外と良い人だったのかもな――――とイリスと目を合わせた直後、扉の外から悲鳴が上がった。


「うわああああああああああああああああああああッ!?」


 その声には聞き覚えがあった。ルル、フリーデさん、ヨハンさんの部屋を監視していた民兵のものだ。僕たちは急いで服を着て、僕は銃と鍋を腰に差して扉に駆け寄った。


「何事です!?」


 扉の外に声をかけるが応答はなし。民兵の狼狽した呼吸と、駆けつける宿の人達の足音が聞こえるだけだ。僕とイリスは目を見合わせる。人狼か?


「ひっ……」

「く、食い殺されてる……」

「誰か!クンツ様を呼んでこい!」


 そんな声が聞こえる。やっぱり人狼か!


「出たんですね?開けますよ!?」


 扉を開けようとするが、出来なかった。何か重量物で扉が塞がれているようだ。力づくで破れないように対策されていたのか?


「やめろ、扉を動かすな!」


 怒声が返ってきた。咄嗟に出ようとしてしまったが、不味かったか。――――そう思った矢先、扉の隙間から部屋の床に液体が流れ込んで来た。赤黒く、粘つく液体が。これは。


「血……!?」



 僕たちが部屋から出されたのは、クンツ様と民兵達がやって来て扉の前のがどかされた後だった。扉を塞いでいたのは監視の民兵の死体だった。腹を食い破られている。民兵達の声から、彼の名前がヴィスリートと言う事がわかった。


「2人目か……今の時刻は?」

「霧で月が見えませんが、恐らく22時過ぎかと……」

「人狼は1日に1人殺すのだったな。という事は村長が殺されたのは昨日の内という事になる。そして……」


 あと2時間で日付が変われば、また24時間の間「誰かが殺される」時間が続く。長期戦の予告だ。全員が表情を曇らせるが、クンツ様は指示を出す。


「村人達を一旦起こし、睡眠はローテーションで取らせるようにしろ。各家で2人以上は起きているようにな!」

「はい!」

「待て、伝令も必ず2人以上で行くようにしろ。どちらかが食い殺されればもう片方が人狼とわかる」

「は、はい!」


 2人の民兵が伝令に駆けた。その間にクンツ様が尋問を始める。


「さて事情を聞こうか。ルッツ?」

「は、はい……」


 ルッツと呼ばれた民兵が震えながら話し出す。先程悲鳴を上げた、ルル、フリーデさん、ヨハンさんの部屋を監視していた人だ。


「俺とヴィスリートはつつがなく監視任務に就いていました、雑談して眠らないようにしながら……。でも途中で会話が途切れ、俺はあくびを1つしました、次の瞬間です!隣で誰かが倒れる音がしたんです!振り返ってみるとヴィスリートがさっきの有様で倒れていて……!」

「一瞬目を離した隙に殺されたと?にわかには……いや、村長の妻も隣で寝ている村長が殺された事に気づいていなかった。人狼について我々がわかっている事は少ない、声も出せず一瞬で殺されるというのもありえん話ではないか」


 僕たちも外の音に注意を払っていた訳ではないが、悲鳴や腹を食い破る音の類は聞こえなかった。一瞬で殺されたというのは頷けそうだ。だが。


「すみません、質問なのですが。ルッツさんがあくびをしていた時、廊下に他の人はいましたか?」

「いや、居なかった。だから……」


 だから貴方しか犯人がいなそうなんですが、と言おうとした時、ルッツさんはとんでもない言葉を吐いた。


「お前達が人狼なんだろ!」

「……はい!?」

「隙を見計らって扉を開け、ヴィスリートを殺したんだろう!」

「ちょっと待って下さい、じゃあ僕たちは、貴方があくびをしている一瞬の隙に扉を開けてヴィスリートさんを殺し、彼が倒れる前に扉の中に戻ったって言うんですか!?」

「そうとしか考えられねえだろうが!」


 物理的に不可能でしょうが――――と思ったが、民兵達の猜疑さいぎの目が僕とイリスに向く。……ああそうか、あり得なくもないのか?人狼のはわかっているが、人狼が実際どうやって人を殺すのか、そのまではわかっていない。もしかしたら触れるだけでも人を殺せるのかもしれないし、人を殺す瞬間だけ超人的なスピードを発揮するのかもしれない。わからない、故にあり得る、疑わしい。彼らの目はそう言っていた。


 不可知の情報は猜疑と恐怖を産む。そして恐怖は人をはやらせる。――――くそっ、魔女裁判ってこうやって起こるのか!


「……クンツ様、一先ずこいつらを処刑しませんか。俺はルッツを信じたいです」

「控えよ、まだ判断材料が乏しい。それに冒険者達の言葉にも理がある、一瞬で扉の中に戻ったというのは―――――」

「人狼はモンスターですぜ、あり得ない話じゃないでしょう!?それにクンツ様、こいつらは余所者で、ルッツは長年苦楽を共にした仲間です。どちらを信じるかと言われたら、村人達は間違いなくルッツを支持しますぜ」

「やめよ、これは感情で決めて良い事では無い!それに多数決で決める事でもない。この村の裁判権は領主様、現在は代官たる私にあると心得よ。貴様らの意見は聞くが――――」

「余所者をかばい立てすると?」


 民兵達の目に殺気が宿った。その目はこれ以上僕たちを庇うなら容赦しない、領主の権力が何だと訴えていた――――反乱の示唆。


 悪いことに、急いで駆けつけたのかクンツ様は帯剣こそしていたが平服であった。甲冑が無い。対する民兵達は完全武装で警戒にあたっていた所から駆けつけたのだろう、粗末ながら防具を着込み、全員が武器を携えていた。睨み合いが発生する。


 クンツ様は剣に手を伸ばそうとした姿勢で止まっていた。その柄に触れたが最後、反乱が起きる。かといって僕たちの処刑を許可すれば、事件が終わった後に殿下と揉める。どちらを選んでも地獄だ、決めかねている様子だった。だが最終的に彼は僕たちの処刑を許可するであろう事が予測出来た。彼がにはそうするしかないからだ。


 何か反論の糸口を探し、村人達を説得せねば僕たちが死ぬ!


 少なくとも結論を先送りにしなければならない。頭を巡らせるが、焦燥感が思考を空転させる。イリスも何か考えているようだが表情が渋い、僕と同じ状況か。【鍋と炎】の残りのメンバーも部屋から出てきたが、彼らと一緒に己の身を守るという事は村人達との殺し合いを意味する。最終手段にしたい。――――そんな甘い考えを嘲笑あざわらうかのように、或いは最後のひと押しだと言うように、ルッツさんが口を開いた。


「そう言えばヴィスリートが言ってたぜ、"部屋の中から声が聴こえる" ってな!俺たちを殺す算段を立てていたに違いねえ!」


 言いがかりだ!だが僕たちが部屋で声を上げていたのは事実だ――――これだ。僕は時間稼ぎの方法を閃いた。


「ちょっと、雑談くらい――――」


 反論するイリスを手で制する。違うぞイリス、時間を稼ぐための糸口はだ。勝ち誇ったような表情のルッツを無視し、僕は努めて真顔で事実を述べる。


「正直に言いましょう、僕達はやりました」

「やはりな!観念して洗いざらい――――」

「――――男女の営みをね」


 時間が静止した。突然のカミングアウトに全員が口をぽかんと開けている。おずおずとルルが手を挙げた。


「……そのう、性の悦びを?」

「覚えたよ。というかイリスがどハマりしてるよ。さっきまで僕が食われてたんだ、多分ヴィスリートさんが聴いてたのは僕の嬌声なんじゃないかな」

「ちょっとクルト!?」

「ぶふっ」


 誰かが噴き出した。他の人も笑って良いのか怒るべきなのか迷っている表情だ。だが一先ず殺気は消えた。良し。


 クンツ様は眉間を揉みながら質問してきた。


「……証拠はあるか」

「部屋の中に使い終わったヤギの膀胱があります」

「おい、誰か調べて来い」


 民兵の1人が僕たちの部屋の中に入っていく。「ねえ、切羽詰まってても言って良い事と悪い事があるでしょう!?ねえ!?」とイリスが涙目で突っかかってくるが無視して思考を続ける。今はまだ時間を稼いだだけだ、何とかして僕たちへの疑いを晴らし、人狼を見つけ出さねばならない。その方法は、人狼を見つけ出す方法は何か――――思いついてしまった。確証は無いしリスクは大きいが試してみなければ。


 僕はそれを実行した。吐き気と震えが襲ってきたが己を強いて姿勢を保つ。そこに部屋の中を調べていた民兵が戻ってきた。


「……ありました。洗ったのでしょう、水盆に汚水も入ったままです。ベッドの汚れからも……」

「そうか……」


 何とも言えない空気が流れる。その流れを変えようとルッツさんが口を開きかけるが、それよりも早く僕が言葉を紡ぐ。


「クンツ様、下世話な話の直後で申し訳ありませんが、極めて真面目なお願いが御座います」

「……何かね」

「村人全員を集めて下さい、人狼を見つけ出す方法がわかりました」

「本当かね?教え給え!」

「村人全員を集めてからです。この中に1人、人狼が居ます。情報共有されて逃げられるとコトですので、まずはそれを実行して頂きたく」

「クンツ様、デタラメです!そいつはホラを吹いて生き延びようとしているだけです!」


 ルッツさんがそう叫ぶと民兵たちが首肯する。が、民兵たちには戸惑いの色が見える。まだセックスカミングアウトの困惑から立ち直っていない。……畳み掛けるなら今か? 納得させるには証拠が必要だ、多少強引だが今やらねば僕の意見は通らないだろう。僕は覚悟を決める。


「では証拠をお見せしましょう」


 僕は銃を抜き火蓋を開けたきった。――――全員が銃を注視するが、困惑顔だ。これが武器だと理解していないのだ。ヴィースシュタイン周辺とブラウブルク市は交流が薄く、銃はまだ伝わっていない。イリスとのヴィースシュタインでのデート兼市場調査で判明していた事だ。鍋で飛びかかれば即座に阻止されるだろう、しかしであれば、向けられてもそれが武器だと気づくまで一瞬の時間が必要だ。


 そして照準を合わせ、引き金を引くにはその一瞬で十分だった。


「あんたが人狼だよ、ルッツさん」


 ルッツさんの眉間を狙って引き金を引く。爆音で民兵たちが身をすくめ、ルッツさんが頭を爆ぜさせながら倒れる。民兵たちはこれが攻撃だと気づき僕に飛びかかろうとするが。


「よくもルッツ……を……」


 飛びかかろうとしていた民兵たちが動きを止める。ルッツさんの死体が粘土細工のようにこね回され、みるみる内に頭の無い狼の死体に姿を変えたのを見たのだ。


「そんな……ルッツが人狼……!?」

「これで如何ですか。……勝手に殺した事は謝ります、ですが僕が人狼を見分けられるという言葉に、嘘が無いとご理解頂けたと思うのですが?」


 言いながらもう1丁の銃を抜く。全員が身構える。これは脅しだ、得体の知れない武器で攻撃されるかもしれない、という恐怖で反論を封じ込める。乱暴極まりないがこの場を切り抜けるには恐怖が必要だ。人々を魔女裁判に駆り立てるのが恐怖なら、それをコントロールすれば主導権を握れるはずだ。


「村人を、集めて下さい」

「……全員を教会に集めよ」


 クンツ様はそう絞り出した。反乱、殿下との裁判、そして僕の銃と3つの恐怖で板挟みになった彼が気の毒だが仕方ない。民兵達は銃から逃げるようにして伝令に散っていった。


 魔女裁判、もとい人狼裁判の始まりだ。

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