第105話「暗殺作戦 その3」

「この状態から入れる保険があるんですか?って日本のCMでありましたよね」

「はい」


 僕は薄暗い教室で、プロジェクターで映し出された「停止」とテロップの出た映像を眺めていた。僕が鍋をウドの胸に振り下ろしている瞬間で停止している。教壇にはそれを眺める女神。


 詰みを自覚した瞬間、僕は咄嗟とっさに祈った。次の瞬間、これだ。女神も律儀な事だ。


 彼女は口元を歪めながら、その手の中で光球を弄んでいる。ウドがリッチーだと判明してから溜め込んだモンスター達の魂だ。数は30だろうか。銃が失敗した場合の予備計画として、女神に新たな呪文を請うために取っておいたものだ。まさか本当に使う事になるとは思わなかったが。


「死亡保険だとマズいので、この状況を打破する呪文が欲しいんですけど」

さといですね、保険の話の流れから死亡保険的な呪文をお教えしようかと思ったのですが」


 女神はくつくつと意地悪そうにわらった。こいつ……。いや、こんな状況で助けを乞う僕も僕だが、それはそれとして意地悪過ぎないか?邪神の類なんじゃないか、こいつ。


「今さらですけど、貴女ってナイアーラトテップ様で良いんですよね?」

「まあ、貴方達の発音ならそうなりますね」


 じゃあこの世界の人たち、こんな邪神あがめてるのか。どうなってるんだこの世界。


「思考丸聞こえなのをお忘れなく。まあ別に構いませんけどね。……さて、この状況を打破する方法ですが……なるほど、確かに幽体ゆうたい剃刀かみそりは間に合わないし身体への打撃も間に合いませんねぇ」


 ナイアーラトテップは映像を眺める。僕の鍋は火球がせり出し始めているウドの胸の、30cm手前で止まっている。


「この状態で魔法の発動をキャンセルするには、術者を殺すしかありませんね」

「でもリッチーなので死なないんですよね」

「その通りです。ですが……ふむ、丁度良い位置にね。良いでしょう、リッチー殺しの方法をお教えしましょうとも」

「本当ですか!?」


 ナイアーラトテップは意地悪そうに嗤いながら頷いた。


「そもそも、リッチーは何故魔力を無尽蔵と思えるほど使えるのか、考えた事はありますか?」

「いえ……」

「魔力は人間なら寝ている間に回復しますが、その機序は実に単純です。意識を失っている間に、その意識の隙間を埋めるようにして魔力が滑り込んでくるのです」

「……じゃあ、リッチーは無意識で行動してると?」

「違います。この世界の意識とは魂と直結しています。つまるところ、身体から魂が離れた状態が睡眠であり、リッチーは身体から魂をことで隙間を作り、無限に魔力を供給されているのですよ」


 ナイアーラトテップはどこからともなくガラスの小瓶を取り出し、コルク栓を抜くとそこに水を注いだ。瓶が身体、コルク栓が魂、水が魔力という事だろうか。


「そういう事です。分離しすぎると身体の制御を失いますからね、リッチーになった者は様子を見ながら徐々に分離を進めるのですが……ウドは欲張りですね、最初から大きく魂を引き剥がしたようです」


 ……ああ、ウドが自分の身体に他人の魂を宿すのはうまくないと言っていた理由がわかったぞ。他人の魂がコルク栓として機能してしまうんだ。リッチーではなくなってしまう。


「魔力の事は何となく理解しましたけど、無限に身体が再生し続けるのはどういう事なんです?瓶を砕いたら水はダダ漏れになると思うんですけど」

「魂の情報から復元しているんですよ。ひどいチートですよね、誰にも見えないし触れられない所にバックアップがあるんですから」

「確かにそれはチートですね……」

「ですから、そのチートを破るチートを与えましょう。魂を見えるようにしてしまいましょう!」


 ナイアーラトテップは嬉しそうに手を叩き、その両手の平の中で光球をかき消した。1つだけ光球が漏れる。裏がありそうだが、拒否権は無いようだ。


「見えてしまえば、その吸魂の付呪が施された鍋で触れて、吸い取ってしまえばそれで終わりです」

「その魔法の燃料は?」

「大したものではないので、魂1つで十分でしょう」


 女神は残った光球を指で弾いて僕に返した。


「わかりました」


 視界が歪み、プロジェクターで映し出された映像の中に意識が吸い込まれる感覚を覚える。


「今回は超・緊急時価格として多めに供物を頂きますが、平時ならもっとお安く提供しますのでご贔屓ひいきに。供物があればいくらでも力を与えましょうとも、我が恩寵受けし者ギフテッドよ――――」


 歪む視界の中で、嘲笑ちょうしょうに歪んだ女神の顔が1瞬だけ見えてぞっとする。それにやっぱり僕は恩寵受けし者ギフテッド扱いなのか。だがこれで状況を打破出来るはずだ。あの嘲笑にどのような裏があるのかは知らないが、やるしかない。



 意識が身体に戻った瞬間、僕は鍋に蓄えられた魂を1つ消費してを使った。


 瞬間、目前に青白いもう1人のウドが現れた。いや違う、これが魂だ。魂には傷一つなく、これを元に身体を再生しているのだとわかる。


 そしてウドの魂は、身体から半歩踏み出すようにして重なり合って存在していた。そして僕の鍋はウドの身体から30cmの位置にある。その前にせり出す魂に、鍋が触れていた。


 吸い取れ。そう念じると、ずるりとウドの魂が渦巻いて鍋の中に吸い込まれ始めた。ウドの魂が驚愕に目を見開き、何かを叫ぶが音は聞こえない。鍋を振り抜くと同時、完全に吸魂が完了した。ウドの胸からせり出していた火球が掻き消え、その身体はどさりと崩れ落ちた。


「や……やった……」


 リッチー討伐、完了。神の力こそ借りたが、やり遂げた。歓喜し皆の方向を向き、両手を上げる。


「やったぞ……うわあああああああああああああああああああああッ!?」


 そこに皆の姿は見えなかった。否、


 普通の男女、古代風の戦士、原始人めいた毛深い人、鹿、猪。それらの魂がこの部屋にぎっしり――――それどころか壁に埋まっているものもある――――詰まっていた。


 何より僕の正気を蝕んだのは、床に埋もれる魂達だ。羽の生えたたるのような肉塊、アメーバ状の生物、ポリプのようなもの、4本の円筒が生えた円錐状の生物。それらが足の踏み場もないほどに床に埋まっていた。過去にここで、この地層で何があったのか。見るべきでは、知るべきではなかったものの姿が脳を苛む。


「クルト、大丈夫!?」


 イリスの声が聞こえ、いつの間にかうずくまっていた僕の背中をさする。声のする方向を見るが、ぎっちりと詰まった魂達でイリスの姿が見えない。……いや、魔法が解けてきたのか段々と魂達が薄らぎ、イリスの顔が見えてきた。とびきり可愛い僕の嫁の顔だ。幾分気持ちが安らぐ。ルッキズム万歳だ。


「だ、大丈夫……一瞬見ちゃいけない物が見えただけ……」


 ルルやヴィルヘルムさん達も心配そうに僕を見ている。その顔が次の瞬間驚愕きょうがくに歪む。そして【這い寄る霧】の面子がどたどたと階段を降りてきた。


「悲鳴が聞こえたが無事か!?リッチー……は……」


 リーダー格の男が愕然がくぜんとし、持っていた銀の杭を取り落した。彼らの視線の先にイリスと一緒に視線をやると、イリスが小さく悲鳴を上げた。僕は立ち上がり、イリスの肩を抱いて離れた。ウドの死体から。


 ウドの死体は透明の何かに食べられ、或いはこそげ落とされるようにしてどんどん肉を失っていく最中だった。血すらもすすられるようにして虚空に消えていく。


恩寵受けし者ギフテッドと同じ死に方だ……」


 ヴィルヘルムさんがそう呟いた。恩寵受けし者ギフテッド。神から力をたまわり、死に際してその魂と肉を奪われる者。ゴブリンマザーの末路と同じだ。ということはリッチーというのは神から力を賜る事で成るものなのか?


 そんな推測をしていると、鍋からガリガリと音が響いた。


「ひっ」


 鍋が不可視の指で引っかれている。それも巨大な力で。強大な力を持った者の存在をすぐ傍に感じる。いや、。背筋が寒くなり、全身の毛が逆立つ。


 今、鍋の中にはウドの魂が入っている。欲しがっているのか?拒めば大変な事になる、そう直感した僕は記憶を辿る。ウドは任意に魂を取り出せると言っていなかったか?僕はウドの魂を追い出すように念じてみる。次の瞬間、何かがを掴んだ感覚が走り、鍋を引っ掻く音は消えた。ウドの肉体もすっかり白骨化していた。


「……おい、一応確認しろ」

「は、はい」


 【這い寄る霧】がウドの死体をあらためる中、僕は地面にへたり込んだ。鍋を引っ掻いていた存在、あれには絶対に敵わない、そう直感していた。そんな者に見られた恐怖と、そこからの解放感から身体の力が抜けてしまった。


 イリスがしゃがんで僕の顔を覗き込み、ルルもそうした。嫁の顔は可愛い、しゃがみ込んで膝で押し上げられたルルのバストは豊満だ。少し気持ちが安らいだ。ルッキズム万歳、セクシャリズム万歳だ。自分が単純で良かった。


「骨を砕いてみましたが、再生しませんね。これはです」

「……念の為、頭蓋骨に杭を打ち込んでおけ。それで回収して帰るぞ」


 とりあえず、ウド暗殺作戦は終わったようだ。ヴィルヘルムさん達は地上に報告に上がり、【這い寄る霧】はウドの骨を回収した。とりあえず、今日は帰って寝たい。短時間に多くの事がありすぎた。脳が休息を求めているが、【這い寄る霧】が声をかけてきた。


「お疲れの所悪いが。殿下への報告も兼ねて、君達には同行して貰う」


 まだ今日という1日は終わらないようだった。

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