第95話「参審員協議」
それから2週間というもの、僕は冒険者ギルドのベテラン達に頼み込んで必死に訓練し、その間にイリスが裁判に必要な書類を集めた。途中、イリスのお兄さんとお爺さんが火薬が欲しいと受け取りに来たが、僕はもうそれどころではなかった。銃が完成する前に決闘裁判で死んでしまっては何の意味もないからだ。
あっという間に日は過ぎ、とうとう裁判当日になった。風呂屋で身を清めてから3人で朝食を摂る。
「頑張って下さいねー」
「うん、ありがとう。ルルも証言よろしく」
「はーい」
力が出るようにと、朝食は白パンに塩漬けニシンの焼き物、ベーコンスープと豪勢だった。
「これが最後の
「不安?」
「不安に決まってるでしょうが!」
「正直、悪かったと思ってるわよ。でも勝てるわ」
「根拠は?」
「ん」
イリスはテーブルから身を乗り出し、僕の唇にキスした。ルルが黄色い歓声を上げるがお構いなしだ。
「これじゃ不十分?」
「根拠にはなってないけどやる気は出たかな」
悔しいが事実として身体に力が
「……じゃ、行こうか」
こうして僕たちは、裁判の会場となる東門へと向かった。
◆
東門のそばには広場があり、そこには1本の木が植えられていた。その下に裁判官なのだろう、礼服や法服に身を包んだ人たちが居る。そして広場には多数の見物人。
「よぉ新婚さん、頑張れよ」
「まだ婚約ですよ。ともあれ主の視線あらんことを」
ヴィルヘルムさんとマルティナさんも居て、そう声をかけてくれた。
「ありがとうございます。……何かすいませんね、ご迷惑おかけして」
「迷惑なもんですか、これは冒険者ギルドの問題ですよ。ギルドの指揮権に喧嘩を売ったイリスちゃんのお父さんをミンチにするためとあらば、どんな協力も惜しみませんとも」
「ミンチはちょっと……」
マルティナさんの物騒な言葉に苦笑する。因みに僕の戦闘訓練を主に担当してくれたのは彼女だ。相当なスパルタ訓練だったが、メイス1本どころか素手(あれは魔法を使ったらしいが)でホブゴブリンを殺し切る彼女が教える、
マルティナさんは自分のパーティーのクエストを放り出して訓練してくれた。放り出されたパーティーメンバー達も文句も言わず、僕を応援してくれたばかりか今日この場にも来てくれている。というか殆どのパーティーが参列している。ありがたい事この上ない。
「勝訴したらまずギルドの皆にお酒
「だねぇ」
「……ところで。一応決闘裁判でも故意の殺人は禁止だけど、お父さんは殺しに来ると思う」
「そんな気はするね」
「だからあんたも手加減しないで良いわ。手加減して死んだんじゃ馬鹿らしいから……それでお父さんが死んじゃっても私は恨まない」
「流石にお嫁さんのお父さん殺したんじゃ目覚めが悪いから、殺さないで勝てるよう努力はするよ。ようは最後の一撃だけ手心加えれば良い」
「ありがと」
イリスと頷きあっていると、木の下に居た、木の杖を持った、帯剣した男性が声を張り上げた。
「これより裁判を
彼が裁判官だ。原告と被告が連れてきた参審員と協議し、妥協案を探る仲介役だ。
「名前を呼ばれた者は前に出よ。原告、"血まみれ" フーゴ!」
「はい」
イリスパパが肩を怒らせながら裁判官の前に出る。その身長は190cmはあるだろうか、筋肉も
「被告、"鍋の" クルト!」
「はい」
僕も前に出て、横に並んだイリスパパ――――フーゴさんと距離を置いて並ぶ。僕が木を挟んで左、彼が右だ。一瞬目が合う。鬼の如き形相で僕を睨むが、怯まず睨み返す。今朝あんたの娘にキスしてもらったんだぞ、負けるもんかよ。
「裁判を執り行うにあたって、参審員の指名を許可する。まずは原告から」
「市参事にしてクロスボウ職人ギルドが長、"のっぽの" エゴン。工房通りの地区長であり刀剣鍛冶の"鋭き" ライナー。無二の友人たる"
3人の男が前に出て、木の右側に並んだ。結構大物を連れてきたな。最後の男は良くわからないけど。
「続いて被告」
「市参事にして冒険者ギルドが長 、"笛吹" ヴィルヘルム。冒険者ギルド主席副団長にして市教会の牧師マルティナ。冒険者ギルド団員にして我がパーティーメンバーの"追い立てる" ルイーゼ、お願いします」
僕が呼んだ3人が木の左側に並ぶ。全員冒険者ギルド団員だ。フーゴさんは完全に冒険者ギルドを敵に回してるという事を周知させる。
「原告による訴状を読み上げる。――――"被告クルトは我が愛娘イリスを
「ありません」
「被告、これに対し異議申し立てはあるか」
ここで「無い」と答えればフーゴさんの意見通りの判決が下る。それは許せない。僕はイリスが考え、訓練の合間に練習した反対弁論を淀みなく述べる。
「あります。まず原告の主張は大前提として父権の上に成り立っていますが、我が恋人イリスは冒険者ギルドの正規構成員であり、その指揮権は冒険者ギルド団長にあります。僕はこれを父権より優越するものとみなし、原告の主張は一切成り立たないものと考えます」
見物人の男性達――――中年が多い――――からブーイングがあがるが、冒険者ギルドから「そうだそうだ!」「冒険者の掟
「
裁判官が杖で木をぶっ叩いて野次を黙らせると、裁判が再開する。
「これより参審員による討論を始める。意見のある者は挙手せよ」
まずはヴィルヘルムさんが挙手した。裁判官が発言を促す。
「被告の言った通り、冒険者ギルドの掟にはこうある――――汝らはいかなる理由があろうともギルド団長の命令に従わねばならず、その許可なく職務を離れる事は許されない――――これが冒険者ギルド団長の指揮権の根拠だ。
これは明らかに団員の身体を拘束しており、これはいち家庭の父権を優越している。被告とイリスも自らの意思でこれに服している。これは当時入団儀式を執り行った現摂政殿下とその場に居た全員、そしてこの書類が証明する所だ」
ヴィルヘルムさんは殿下の名前を出して権威を誇示しつつ、2枚の羊皮紙を掲げた。それは当時ドーリスさんが
「暴論だ!」
そう声を上げて挙手したのはフーゴさんの参審員、クロスボウ職人ギルド長の男だ。発言が許可される。
「その指揮権とやらに結婚や交際に関する規定は明記されていないだろう、拡大解釈も良い所だ。それで伝統法に記された父権に対峙しようとは片腹痛い!原告の主張は伝統、即ちプリュ―シュ人の歴史に則ったものであり、全面的に肯定されるべきものと考える!」
今度は見物人の男性陣から肯定の野次が飛ぶ。これが世のお父さんがたの意見か。
「では質問だ、伝統的に考えて、軍役において父権を理由に子を兵に出さない事は合法か?」
「何?」
「冒険者ギルドは先の内戦で示した通り、事務員に至るまでその全員が軍役に参加した。ギルドの掟と団長の指揮権に従って、だ。父権を理由にそれを覆す事は可能か?……答えは不可能だ。軍役拒否者は逃亡兵として問答無用で死刑に処すし、そんな不名誉な行いに異議申し立てをする腰抜けのプリューシュ人はこの場に存在しないと考えるが?」
この世界における軍役とは義務であると同時に、権利と名誉の担保だ。それをああだこうだと言って拒否し逃れようとするのは不名誉だ、とヴィルヘルムさんは主張する。
「この点から、冒険者ギルド団長の指揮権は団員の身体、さらには諸権利をもその配下に置いている事は明らかだ。よって父権の介入は認められない」
「ぼ、暴論だと言っている!戦時規定を平時に持ち込むとは!それにイリス嬢は女子だ。そのか弱さから保護すべき対象であり、それは第一に父によって為されるのが当然である」
お父さん方から肯定の野次が飛ぶ中、マルティナさんが挙手する。
「教会として申し上げますと、父権はプリューシュ人の伝統であり
新教地域ではその教えと、魔法のおかげで女性の権利が向上している。それは主に生活魔法における話だが、マルティナさんは戦闘に絡めてイリスの独立性を主張した。これは相当有利になるのでは、と思ったが、見物人の男性陣が一様に顔をしかめた。……もしかして男女同権に賛成してないのか、この人達。あるいは強くて独立した女性に嫌悪感を示しているのか。ほどなく僕の予測は当たった。
「伝統的女性像とは言い難い。最早それは秩序への挑戦では?」
「新しい女性像に文句があるなら私に異議申し立てすればよろしい」
そう言ってマルティナさんはばしばしとメイスの柄頭を叩きながらフーゴさんに目をやった。マルティナさんの戦闘能力は知れ渡っているのだろう、フーゴさんのみならず見物人の男性達も身を強張らせた。
「参審員からの挑発はやめよ!……他に意見のある者は」
「はい!」
ルルが勢いよく挙手する。
「クルトさんとイリスさんのお付き合いは清いものですし、2人が致しちゃう前に結婚認めたほうが丸く収まると思います!お父さんもキズモノを嫁に出すより気持ち良いと思います!」
失笑が起きた。だが裁判官とフーゴさん側の参審員2人("
「お嬢さん、その清いお付き合いとやらはどうやって証明するんだ?」
「私が証人です!内戦中はずっと2人と一緒に行動してましたし、内戦後は一緒に住んでましたけど、2人が致した事はありませんでした!」
見物人から「あのゲス野郎、女2人連れ込んでたのか……」という声が聞こえたが気にしない。
ライナーさんは口角を釣り上げながら1枚の紙を取り出した。
「これは被告とイリス嬢が不動産屋で交わした賃貸契約、それを公証人が写したものだ。これによれば、2人は内戦以前から同棲していたようだ」
そこまで調べていたか。相手も周到に裁判準備を進めていた事がわかる。
「ルイーゼ嬢、途中から同棲を始めた君では、それまでの間に2人が婚前交渉に至った可能性は否定出来ないね?であれば賠償金は満額――――」
「私が来る以前に婚前交渉したとして、性の悦びを知った16歳が2ヶ月近くセックス我慢出来るとは思えません!よって2人はしてないと思います!」
会場に爆笑が起こった。ルルぅ!……だがマルティナさんのくだりで張り詰めていた空気が和らぎ、まともな協議に移れる雰囲気になった。それを読み取ったのか裁判官が咳払いする。
「そろそろ具体的な判決の協議に移るべきと考えるが、如何かね?」
参審員全員が頷いた。まず口を開いたのはヴィルヘルムさんだ。
「被告をブラウブルク市から追放するというのは冒険者ギルドとして受け入れられない。業務に支障が出るし、前述の通り指揮権上認められない。賠償金についても金貨20枚は吹っかけすぎだ、同棲とキス程度なら金貨2枚で手を打てないかね」
「私も追放は取り下げるべきと考える。しかし同棲とキスは愛娘を傷つけ――――までは行かなくとも、今後の縁談において不利になる要素だ。金貨10枚が妥当だろう。ただ婚約については認めても、」
「ダメだ」
そう声を上げたのは"
「婚約は認めない、それは絶対条件だ」
……彼はフーゴさんにそう言い含められて送り込まれたか。そしてあのいかつさ、いざという時の決闘要員でもありそうだ。ヴィルヘルムさんもそれがわかってるのか、ヘラヘラとしながら話しかける。
「金貨2枚の賠償金、追放はなし、婚約は認める。俺はそう提案したい所だが?」
「認められない。追放は取り下げるが、2人は絶交させ2度と接触しないと宣誓させるべきだ」
ヴィルヘルムさんとマルセルさんの間で火花が散った。参審員の間で意見がまとまらず、そして誰も正式な判決提案に至ってないので、原告か被告による参審員への決闘挑戦も認められない。このままでは平行線だ。裁判官はそれを認め、口を開く。
「……原告側から訴状提出と同時に決闘裁判の希望があった事を開示する。参審員の協議がまとまらない上、諸君は指揮権だ父権だと言うが、これは最終的には2人の男の権威と名誉の問題だ。よって決闘によって決着をつけるのが妥当と思われるが如何か?」
参審員全員が頷いた。全員、こうなる事はわかっていたのだ。だが各々が各団体の権威と名誉を背負っている以上、審議の場では己の意見を表明した。そういう事だろう。
「では裁判形式を決闘へと切り換える!」
こうして、ついに決闘裁判が幕を開けた。
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