第96話「決闘裁判」
「参審員、両戦士のために試合場の幅を決めるように」
裁判官がそう言うと、参審員達が広がって輪を作った。半径10mほどの円形だ。補助要員がそれに沿って杭とロープを張ってゆく。それが終わると、裁判官は剣を抜いて高らかに宣言した。
「
「「「片手で償うべし、承知承知!」」」
見物人達がそう唱和する。この平和の法とは、武力行使の禁止だ。誰もこの決闘を武力で以て手助けしてはいけない。
裁判官が、僕とフーゴさんの身体検査を行う。鍋と腰の日用ナイフは取り上げられ、他に武器も防具も持っていない事が確認された。そして2人に
棍棒は60cmほどの木の棒を革で包み詰め物をしたもの。決闘者が死なないようにとの配慮のようだが、当たりどころが悪ければ十分に死ぬだろうという固さだ。ましてフーゴさんの190cmほどの身長と
やがて裁判官が宣言する。
「これより決闘に赴く戦士の名は、原告"血まみれ" フーゴ、対するは被告"鍋の" クルト。原告勝利の場合は訴状の通り。被告勝利の場合は――――」
「イリスとの婚約を認めて下さい」
「……良かろう」
フーゴさんが肩を怒らせ頷く。
「……そのように。では両者に祈りの時間を与える」
フーゴさんは目を
この決闘裁判とやらは、神に権威と名誉を認められた方が神から力を授かって勝つ、という信仰の上に成り立っている。だが僕は、あいつは魂を捧げないと何もくれない事を知っている。祈っても無駄だ。……なら僕が信じるべきは、自分の力だけだ。この4ヶ月近くを生き残った自分の実力。目を瞑り、経験してきた戦闘、訓練、そして最後にイリスの顔を思い浮かべ、目を見開く。視界の端にイリスの小さな身体が見えた。それで十分だ。
「……準備はよろしいか」
「「はい」」
僕とフーゴさんが睨み合う。明確な殺意。だが何度も戦場でぶつけられたものだ、怯みはしない。裁判官は輪の外に出て、剣を掲げた。
「主よご照覧あれ。互いの名誉に懸けて……」
見物人達のざわつきがしんと静まり返る。
「始め!」
裁判官が剣を振り下ろすと同時、僕とフーゴさんは互いに突進した。
「ぬうううううううううううあッ!」
突進と同時にフーゴさんは思い切り棍棒を叩きつけて来た!盾は無いので両手で棍棒を握り、横一文字に構えたそれを押し上げる。加速しきる前の棍棒の柄を受け止める。
「ぐうっ!」
重い!加速を阻止し、打点もずらしたというのに押し切られそうにになる。そして
「喰らえ!」
「ああッ!」
フーゴさんは
「固い!」
「娘への愛がその程度で折れるかよ!」
連撃をいなし、それが途切れた瞬間に距離を取って仕切り直す。確かに肩に全力で棍棒をぶち当てたが、フーゴさんの動きは全く鈍っていない。棍棒自体が衝撃を殺した事、そして筋肉の鎧のせいか。あとは
「折れて下さいよ!イリスを愛してるならその意志を尊重すべきでしょッ!」
言いながら今度は僕から仕掛けるが、フーゴさんは逞しい左腕を盾にがむしゃらに攻撃してくるので防御に回らざるを得ない。
「尊重しよう!だがその相手が冒険者では認められん!いつ死ぬかわからん奴に娘をやれるものか!」
「少なくとも貴方に勝てば死にづらい男だと証明出来ますね!?」
「そのつもりで決闘裁判の提案を、受けたッ!万一にも君は勝てないがな!」
そう言いながら棍棒を振り回すが、目が慣れてきたのかその動きが隙だらけな事がわかってくる。
「戦い慣れているな!だが喧嘩殺法舐めてくれるなよッ!」
「ッ!?」
フーゴさんの攻撃量が2倍になった。防御に回していた左腕を、拳を握って攻撃に使い始めたのだ。棍棒とパンチの連打が僕を襲う。
「ぐうっ!」
棍棒で防ぎきれなかったパンチを左腕で受けるが、凄まじい衝撃で腕が
「死ねーッ!」
「おおおおおおお!?」
受け止めきれないと判断した僕は咄嗟に前転し、フーゴさんの股の下をくぐり抜けた。ホブゴブリンとの戦闘経験!そして立ち上がると同時にフーゴさんの背中を殴りつけようとしたが。
「うげっ」
ノールックで繰り出された後ろ
やばい、視界が
「やっちまえフーゴ!父親の怒りを見せてやれ!」「殺せーッ!」
見物人の野次が
「良い感じに力が抜けてきたなぁクルト!」
その声を聞いた僕は、強いて立つのをやめた。ふわりと身体が沈む。それと同時に慣性に従って血液が頭に集中し、視界が少しはっきりする。フーゴさんが棍棒を振り下ろすのが見える。棍棒を掲げて防御すると同時に、沈みきった脚のバネで再び右に飛ぶ。棍棒同士が擦れ合い、フーゴさんの棍棒は地面を叩く。
「おえっ……」
慣性に従ったのは血液だけではない、胃からこみ上げてきたものを吐き出しながら必死に距離を取る。大分軽くなった。
「ゲホッ、すっきりした」
「ちょこまかと!」
追ってきたフーゴさんの連撃を、棍棒は棍棒で受け流し、拳は後退して避ける。脱力だ。抗わず、受け流す。最初にヴィルヘルムさんに習った事だ。
「殴らんかいクルトォーッ!殴らにゃミンチに出来ねえだろうがーッ!」
マルティナさんの酷い声援が聞こえる。僕はフーゴさんのパンチに棍棒をぶち当てて弾き、その反動で次に来る棍棒にこちらの棍棒を当てて受け流す。
繰り返し。再び繰り出されるパンチに棍棒を当て、反動で棍棒に対応。再び繰り出されるパンチに棍棒を当てる。マルティナさんの教え、非力でも殴り続ければミンチ製造機になれる。
「ぬうっ!」
フーゴさんの左拳の皮が裂けて鮮血が飛び散り、一瞬彼の動きが止まる。反動でくるりと手の内で回る棍棒の狙いを彼の顔面に定め、叩き込む。
「がっ……」
軽い。だがフーゴさんは鼻血を噴き出す。
「もう連撃は通じない。続けるならその左手を二度と使えなくします」
「ははは。なるほど、やるな。ははは」
フーゴさんは鼻血を垂れ流し、血まみれになりながら笑う。
「ははは。面白い、久々に面白いぞクルト君。若い頃の喧嘩を思い出す。ははは、キレちまったよははははははははははは…AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHGGGGGGGGGGGGGGGGGGGRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!!」
哄笑は突如雄叫びに変わり、顔どころか全身を真っ赤にしながら突っ込んできた。
「嘘ぉ!?」
先程より素早く、さらに力強い連撃が飛んできた。裂けた左拳もお構いなしに叩きつけてくる。キレて乱雑になった攻撃を
先程と同じプロセスを繰り返そうとするが、もはやそれすら適わない速度だと直感した僕は完全に防御に徹する。棍棒を正中線に構え、左右に身体を振って何とか受け切るが、あまりの圧力に上半身が少しずつ反らされる。後退や左右への移動を試みるが、フーゴさんは勢いのまま執拗に追ってくる。このままでは押しつぶされる!
「ぬぅあッ!」
フーゴさんの渾身の振り降ろし、それを両手で支えた棍棒で受けるが、大威力のそれを真正面から受け止めたせいで上半身は反りきり、両膝も深く曲げさせられてしまった。移動不能。そしてフーゴさんは反動で棍棒を振り上げ、もう一度全力で振り下ろそうとする。やばい、これは受けきれない。
「クルト!」
イリスの悲鳴が聞こえる。負けたくない、死にたくないが!
「距離詰めんかい!!」
マルティナさんが叫ぶ。距離詰めろったって足動かせないんですが!……いや、1つだけ方法がある。直感した僕は、腹筋に力を入れて上体を起こした。普段は鎧を
「いっつ……」
頭に激痛が走るが、フーゴさんは棍棒を振り下ろす途中で腕を止め、たたらを踏んだ。
「距離!詰めんかい!!内側から食い破れッ!!」
「わかってますよ!!」
叫び返しながら前に飛んで肉薄し、フーゴさんの首に左腕を絡める。そして左脚をフーゴさんの左脚の外に起き、左腕を身体を捻りながら思いっきり右に振る。首を抱え込みながら相手を投げ落とす技。マルティナさんに習った、パンクラチオンと呼ばれる古代格闘技の投げ技。首投げ!
「うおおおおおおおおおッ!」
「がはっ」
付け焼き刃のそれは多分に腕力に頼ることになったが、重い盾を振り回し続けた腕力が活きた。何とかフーゴさんの身体を浮かせ、背中から思い切り地面に叩きつける事に成功する。見物人から驚嘆の声が上がる。
寝技に移行すべきか一瞬迷うが、即座に棍棒を振り上げる。付け焼き刃のパンクラチオンより、使い慣れた鍋に近い、棍棒を取るべきだと自然と身体が動いた。
「これで!」
素早く顔面に棍棒を叩きつける。鼻が完全に折れたのかさらに血が噴き出すが、お構いなしに反動で棍棒を振り上げ、もう一撃。
「イリスは!」
フーゴさんはなおも腕で受けようとするが、途中で打撃軌道を
「僕の、嫁だーッ!」
頭を抱えて守ろうとする両腕の間が閉じる前に、棍棒を割り込ませる。手加減する余裕は無く、渾身の一撃が顔面に入った。
「むん……」
とうとうフーゴさんは力尽き、白目を剥いて四肢を地面に投げ出した。裁判官が駆け寄り、フーゴさんが完全に気を失っている事を確認した。……死んでないよね?死なないでくれよ。
全員が息を呑む中、裁判官が僕の右手を取って挙げる。
「勝者、"鍋の" クルト!回復魔法使い、直ちに敗者に手当を!」
冒険者ギルドから大歓声が上がる中、マルティナさんがフーゴさんに回復魔法を連続でかけ始めた。そこにイリスも駆けてくる。
「お父さん!」
「大丈夫です、生きてます!ほら起きて!起きなさい!」
マルティナさんが連続ビンタを食らわせると、フーゴさんが頭を振って起き上がる。折れた鼻はちょっと曲がってくっついてる気がするが、血まみれの顔を拭うと周囲を見渡した。イリスが僕の傍に駆け寄り、腕の中に収まった。
「俺は負けたか」
「はい。取り決め通り、イリスは嫁に貰います」
「……キレた俺を負けさせたのは君が初めてだ。その実力を認め……うう……」
フーゴさんは涙を流し、しかし立ち上がって精一杯の真顔を作る。
「イリスを君にくれてやる。絶対にイリスを死なせるな、守りきれ」
「はい」
「そして君が死ぬなら絶対にイリスより先に死ね」
「はい」
「だが君が死んでイリスを悲しませたら永遠にクソ野郎と呪ってやる」
「はい……うん?」
「とっとと死ねクソ野郎、この娘泥棒め痛い痛い痛い痛い!」
ひいお婆さんが弓を連射しながら近づいてきた。
「公衆の面前での正式な決闘、その勝者への態度がそれか、ええっ!?未練がましいわこのダメ男が!」
「ごめんなさいね。この人ね、根がチンピラだから名誉もクソも無いのよ……」
フーゴさんはひいお婆さんとお母さんに引っ張られて帰っていった。
「……家族公認チンピラなんだ?」
「お母さんに惚れ込んで更生を誓って婿入りしたんだって。でも結果があれよ」
「愉快な家庭だね……」
「あそこに戻りたくないから、結婚しても家は私達だけで住みましょ」
「そうだね……」
やがて、冒険者ギルドの面々がやってきて祝福の言葉をかけてくれた。だが皆、にやつきながら何かをねだる目つきをしていた。僕とイリスは顔を見合わせて苦笑し、高らかに宣言した。
「ご協力頂いた皆さん、ありがとうございました!本日は僕たちの奢りです、飲みに行きましょう!」
「「「Fooooooooooooooooooooooo!」」」
冒険者ギルドの歓声がブラウブルク市に響き渡った。
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