第87話「サビ落とし」

 クエストをこなしつつ、鍋に魂を貯めていく。


 鍋の魂を貯める行為事態が危険であると分かったわけだが、それを教えてくれたウドさんがリッチーだったという笑えない事態。何も知らずにリッチーの身体に転生してしまったカエサルさんと違い、自ら望んで――――クルトの知識で――――リッチーになったウドさんは最初から交渉でどうこうしようという段階に無い。


 現在悪さをする様子はないが、それでもその存在事態が僕とイリスの立場にとって脅威だ。隙があれば始末してしまいたい。……リッチーとなる根本的な原因はこの身体のなのだからウドさんにとっては身勝手も良い所だろうが。


 ともあれ、暗殺のために講じる手段の1つが、新たな外法の魔法の取得だ。あの女神――――僕からそう見えてるだけなのだろうが――――に捧げるために危険を承知で鍋に魂を蓄えねばならないとは何とも皮肉だ。


「ふーっ……」


 順調に魂は溜まりつつある。なるべくゴブリンなど数の多いものを選んで討伐しているからだ。だが僕は、戦闘という行為それ自体が嫌になりつつあった。別に心的外傷後ストレス障害PTSDという訳ではない。


「サビが!落ちない!」


 そう、サビである。


 プレートアーマーは素晴らしい防御力を誇る。しかし材質は鉄である。そして全身で25kg程度の重量。加えて、季節は夏である。あごからしたたった汗が胸甲に垂れるとそこからサビる。同様に返り血を浴びればやっぱりそこもサビる。つまり戦闘するとサビるのだ。ちなみに何もしなくともサビる、特に鎖帷子の部分は動かさないとサビる。つまりはいずれにせよサビるのだ。ヴィムは「そういうもの」と言っていたが。


「落ちないですねー」


 そう言って一緒にサビ落としをしているルルの甲冑は、僕のものに比べてサビが少ない。槍のおかげで返り血を浴びる事が少ないからだ。鍋でゴブリンの頭を割るとほぼ確実に何かしら液体をかぶる事になる僕とは大違いである。


 オリーブオイルを染み込ませた布でサビを擦る。これで落ちるサビは概ね落とした。パーツの継ぎ目にあるサビは1つ1つ丁寧に、泣きながら拭き取った。だが問題は、これでどうにもならないうっすら残るサビだ。ヴィム曰く、早めに手を打たないとどんどん深くなり、最終的に素人には手に負えず甲冑師にカネを払って対処してもらう事態になるとの事なので、今のうちにどうにかするしかない。


「貰ってきたアレ使うか……」

「はーい」


 ルルが小さな升を持ってくる。そこには泥のような物が入っている。砥糞とくそと呼ばれる、砥石の粉だ。2人で雑巾にこの泥を塗りつけ、落ちないサビの部分に水をたらして擦ってゆく。


「電動工具が欲しいねぇ」

「なんですそれ?」

「いや何でもない」


 雑巾が熱を持つほどに擦っていくと(めちゃくちゃ疲れる)サビは綺麗に落ちた。砥糞とくそを綺麗に拭き取り(粉が残ってるとそこからサビるらしい)、ついでにタオルで自分の汗も拭う。ルルも終わったようで、座ったまま伸びをしている。豊満なバストに汗がにじんで服が透け、目のやり場に困る。

 イリスは自室で魔法書を読んでいるが、邪な目でルルを見ているととがめられかねない(そういうのに異様に鋭いのだ)。僕は欲望を振り切るようにして油と新しい雑巾を手に取る。


 「さて、仕上げしようか……」

 「はーい」


 雑巾に染み込ませた油を、甲冑全体に塗りつけて伸ばしてゆく。油は高いのでなるべく薄く広く伸ばすように。そしてこの雑巾も、古くなったシャツを破いて作ったものなので粗末には出来ない。この作業が終わったら洗って再利用だ。……甲冑というのは維持費がかかるんだなぁ。革の胸当ては、カビ対策に汗を拭き取って乾かしておくだけで良かったが鉄は扱いが難しい。


 「よし」


 僕は全てのパーツに油を塗り終わると、桶に雑巾を突っ込んだ。ルルは兜の構造が複雑なぶん時間がかかっているようだ。


 「もう使わない雑巾こっちに寄越して。洗っておくよ」

 「ありがとうございますー!」


 ルルから雑巾を受け取って洗濯板とまとめて桶に突っ込むと、頭陀袋の中に暖炉から取った灰を入れて家を出る。軒先に僕とルルのギャンベゾン、それに綿頭巾コイフが干してある。乾くのに時間がかかるため予め洗っておいたのだ。


 川にやって来ると、灰を入れた頭陀袋を口を上流に向けて川に浸す。そうして水で満たされた頭陀袋を引き上げ、桶の上に持ってくる。こうすると濾過ろかの要領で灰の上澄み汁が簡単に取り出せる。今までは桶に汲んだ水に灰を混ぜ、灰が底に落ちたのを待ってその上澄みを汲んでいたがこれは時間がかかる。ちょっとした改良だ。


 洗濯婦達を見ると、穴あきの升に布のフィルターを取り付けて同じようにしているので方向性は間違ってないだろう。僕のやり方の欠点は、この頭陀袋は日用品なので使い終わったら綺麗に洗う必要がある点だろうか。あと手で持ってるので重い。


「こんなもんかな。よし」


 桶に水が貯まったのを確認し、洗濯板でごしごしと雑巾を擦ってゆく。鉄サビがどんどん落ちてゆくが……


「あれ、油汚れが落ちない……」


 灰の上澄み……アルカリ水じゃ油が落ちない?うーん、じゃあ油汚れってどうやって落とせば良いんだ。くそう、日本じゃ油汚れ用の洗剤一本買ってくれば終わるのに。


「クルトさーん」


 ルルが追いついてきた。手には何故かまき束を持っている。


「その薪は?」

「油汚れを落とすのに必要かと思って。煮洗いしましょー」


 なるほど、油は温めてやれば溶け出すから煮れば良いのか。ルルはてきぱきと薪を組んでゆく。僕は鍋を取り出す。


「よし。着火具は?」

「あっ……」

「大丈夫、魔法があるから。……って、今さらだけど街の中で魔法って使って良いんだよね?いつかイリスにダメって言われた気がするんだけど」

「戦闘用の魔法の話じゃないです?日用魔法なら皆使ってますよ」

「そっか、そうだよね。風呂屋の人もかまにがんがん魔法撃ち込んでるし」


 僕は素早く着火の魔法を唱え、小さな火種を生成して薪に当てる。程なくして全体に火が回ってくる。鍋に水をみ、火にかける。


「しかしあっついね……」

「夏ですからねー」


 炎天下、手で火に鍋をかけ続けるのは中々に暑い。見ているだけのルルも汗を流し、豊満なバストにぽたぽたと汗が垂れ大変扇情的だ。股間が主張を始める前に雑談で気を紛らわせる。


「農村だと夏はどうしてるの?」

「んー、今頃は麦の刈り入れも終わってカブ栽培の時期ですかねー。雑草も旺盛ですから農家は大変ですよ」

「あー……雑草」

「あたしみたいな森番や狩人も、下草が伸びてきて動きづらいし虫も多いし嫌な季節ですねー」

「自然の中で生きていくって大変なんだねぇ」

「私からすれば都市の方が大変そうですけどねー」

「どういう事?」


 ルルは鍋が煮立ったのを見て、雑巾を鍋に放り込みながら話を続ける。


「だって基本的に食べ物、買わなきゃ無いじゃないですか。農村なら隠し畑とか森のウサギをこっそり狩るとか、ある程度融通が効きますけど」

「それ融通って言っていいのかな……」

「えへへ。ともかく、都市だと食べ物は輸入品なのでお金を出さないと買えないですよね。働かないと餓死直行ですよ。教会の炊き出しだって毎日ではないですし」

「なるほどなぁ」


 結局、都市も農村も生きていくのは楽ではないという事か。


「楽してお金が稼げたらなぁ」

「ですねー。そういえばクルトさん、洗濯機とかトイレとかで稼いでたじゃないですか。他にアイデアないんです?」

「あるにはあるんだけどねー、技術が足りなくて」


 特に銃は作ってみたいんだけど、火薬が発明されていないのでどうしようもない。そもそも僕の世界だと、火薬を発明したのはどの地域だったんだろう?ちゃんと歴史を勉強しておけば良かったとつくづく思うが、異世界転生するだなんて夢にも思わないのだから仕方ない。


「ん、こんなもんかな」


 ぐらぐらと煮込んだ雑巾を桶にぶちまけ、冷水を注ぎ込んで冷やす。だいぶ綺麗になった。2人で絞って持ち帰り、ギャンベゾンとコイフの隣に引っ掛けて乾かす。日差しは強いので、夕方には乾いてくれるだろう。


「いやそれにしても暑いね!丁度お昼時だしビールでも飲みに行く?」

「賛成ですー!」


 そういう訳でイリスにも声をかけ、3人で飲みに行く事にした。リッチー問題を抱えているのに呑気な事だが、急いでも魂が貯まる訳でもないのでどっしり構えてるしかない。冷えたビールの美味しさを噛みしめるように味わっていると、外が騒がしくなってきた。


「東方からの商人が来たぞー!」


 そんな声が聞こえた。


「東方?」

「ノルデン辺境伯領はその名の通り辺境だから、東部国境でポレン共和国と接しているのよ。あんまり交流は無いから商人が来るのは珍しいわね」

「へえ、どんな国なの?」

「この国も大概人種の垣根が低いけど、共和国はもっと凄いわ。只の人間、エルフ、ハイエルフ、ドワーフ、オーク、魚人にチョー・チョー人、ハイパーボリア人……とにかく思いつく限りの人種が混在してるわ」

「国として成り立つの、それ?」

「成り立たざるを得ないのよ。共和国のほぼ全周囲はモンスターの支配領域だからね、協力しあわないと死ぬ。そういう土地よ」

「うへぇ……」

「ともあれ、何か珍しいものがありそうだし見に行きましょ?」


 そういう事になり、東方からの商人が展開している城壁の外まで出る事になった。

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