第85話「付呪師訪問」
日曜は礼拝に出かけてマルティナさんの説教を聞いて、その後は3人で家でのんびりして過ごした。
月曜日はミーティング後に目ぼしいクエストが無かったため、僕とイリスはついにウドさんの家を訪ねてみる事にした。
「あー、でも治安の悪い地域なんだよね。ルルは女の子だし……ヨハンさん、護衛に」
「悪いが用事があるんでね、お先!」
……さっさとどこかに行ってしまった。何だろう、避けられるような事したかな。まあいい、それならルルに帯剣して着いてきて貰おうか。
「ルル、護衛お願い出来ない?ちょっとお駄賃出すからさ」
「良いですよ―」
快諾してくれたので、結局いつもの【鍋と炎】の3人で行く事になった。僕は冒険者ギルドの認識票を首から下げ、服の上に出しておく。こうしておけば盗賊ギルドは襲いかかって来ないだろう。盗賊ギルドに所属しない追い剥ぎの類はルルの剣を見て逃げてくれると思いたい。
……結局何事もなくウドさんの家に着いた。チラチラと見てくる者は居たが、大抵はルルの剣と僕の認識票を見ると道を譲ってくれた。うん、やっぱり身分証と武器は偉大だ。
「すみませーん、お手紙出したクルトです」
扉をノックする。中から早足の足音が聞こえ、扉の前で止まった。
「……待て、君だけでは無いな?残りの者は誰だね」
そんな声が聞こえてきた。
「ええと、パーティーメンバーです。この辺は治安が悪いので護衛と、あと魔法使いのこの子はウドさんのお話に興味があるって」
「……信用の置ける者達なのだな?」
「ええ」
僕は即答した。イリスとルルはこの世界で最も信用、いや信頼出来る仲間だ。
「……良かろう」
ガチャリと音がして、鍵が開いた事がわかる。そして扉が開き、ローブに身を包んだ男性が部屋の中に手招きした。3人は中に入る。……暗い部屋だ。窓は全て締め切られ、その窓や扉の隙間から漏れる光だけが部屋の中をおぼろに照らしている。
テーブルの上にカビだらけのパンが見える。壁にかけられた玉ねぎには良くわからない羽虫がまとわりついており、部屋全体に悪臭が満ちている。イリスとルルが顔をしかめた。
「ここは壁が薄い、地下で話そう」
「地下?」
ウドさんは答えず、小さく呪文を唱え床に手を置いた。すると床のむき出しの土が脇に移動し、地下へと続く階段が口を開けた。
「ワオ……隠し部屋!?」
「静かに」
訝しむ顔をするウドさんに
やがて階段を降りきると、広い……しかし雑多な器具がそこかしこに置かれ、一見すると狭く見える奇妙な空間になった。
「もうここなら音も届くまい、話して良いぞ。どうしたんだクルト、随分と不用心ではないか」
「えっ……そ、そうですかね?」
「……?」
訝しまれる。そこで僕は気づいた、ウドさんは僕の事をクソ野郎時代のクルトだと思っているんだ。(表向き)記憶喪失になった事を知らないはず。そこから話さないといけないか。
「実は……」
記憶喪失になった事。ブラウブルクの戦い以前の事を何も覚えていない事。クルトが遺したメモとヴィムを頼りにウドさんにたどり着いた事――――を話した。正直に転生者である事を話そうか一瞬迷ったが、今の僕にとってはウドさんは初対面だ。一旦警戒してワンクッション置いておく事にした。
「……なんという事だ」
ウドさんは額に手を当てた。
「私も君に……以前の君に、聞きたい事があったというのに。記憶喪失とは」
「ええ、そこでウドさんにお話を伺って、何か思い出せないかなぁと」
「なるほどな。……良かろう、研究にどうしても1ピース足りなくてね、そこで詰まっていたのだ。君ならわかるかと思ったのだが……そういう事なら協力しよう」
内心でウドさんに謝る。僕がクルトの記憶を取り戻す事は無いからだ。だが付呪師のウドさんにアドバイス出来るとは、本当にクルトは何者だったんだ。……聞きたいことは山程あるが、まずはここに辿り着いた発端となった鍋の事から聞いてみようか。
「ありがとうございます。この鍋の事なんですけど、これに付呪を施したのはウドさんで間違い無いですか?」
「ああ、私だ……いや正確には私とディーターだ。彼はどうしている?」
ディーターとはヴィムの父親で、ブラウブルクの戦いで戦死した熟練甲冑師だ。戦死した事を知らない?
「ブラウブルクの戦いで戦死しました。今は息子のヴィムが工房で頑張ってますよ、彼がディーターさんの遺品を整理して貴方の情報に辿り着いたんです」
「何たる事か!私が研究に没頭している間に……それでは、それでは……待て、ディーターはその息子に技術を継承したか?」
「いえ、恐らくは何も。今ヴィムはディーターさんの遺品から技術を……鉄の温度と魔力の反発力の相関を調べている所みたいです」
「…………フーッ」
ウドさんは大きくため息をついた。落胆しているようだ。
「……ああ、その鍋に多層付呪を施したのは私だ。だがそれを可能にしたのはディーターの技術……正確には以前の君の知識があったからだ。それが無ければ今の私でもせいぜい5層の付呪が限界だろうよ」
「えっ、クルトが教えたんですか!?」
鍛冶の知識もあったのかクルト。
「そうだとも。君が思い出すか、そのヴィムとかいう子が無事にサルベージ……もしくは再発見してくれるのを待つ他無いな。まあ良い、時間はある」
「……? あっそうだ、その付呪の事なんですけど。この内側に施された付呪って何なんです?」
僕は鍋の内側をなぞって見せる。当初のイリスの見立てでは、これが魂を吸い取るための付呪だろうと思っていた。答え合わせの時間だ。
「吸魂を中心に、任意に魂を取り出せるように条件文を連ねたものだ」
「任意に?」
「君が念じれば自由に取り出せるはずだぞ」
「そ、そうなんですか……。あの、この鍋で料理したら傷の治りが早くなったりしたんですけど」
「……その挙動は想定外だ」
想定外かー。じゃあ鍋で料理すると具材に(恐らく)魂が溶け込んで傷の治りが早くなるのは、バグみたいなものか。なんてこったい。
「えっと、じゃあ本来の使い方って何なんです?魂を蓄えて、任意に取り出せるって何に使うんです?」
「知らんよ」
「えっ」
「私はその付呪を施すまでが仕事だ、余計な詮索はしないよ。以前の君も余計な事を話す男ではなかったからな」
「……ちょっと待って」
遮ったのはイリスだ。
「吸魂って……外法でしょう?そんなものの付呪を引き受けたの?」
「……クルトが提供する知識と引き換えに、な。付呪の発展にどうしても必要な知識だったのだ……というか吸魂の魔法もクルトから伝授されたものだ、本当に君は……いや、以前の君は何者だったのだろうね」
イリスが僕を睨む。いや知らないよ、わかってるでしょ。イリスはやり場のない怒りと恐怖を僕にぶつけて紛らわそうとしているようだ。まあ、させておこう。
「何か予測つかないですか。クルトが遺したメモはあったんですけど、他の言語で書かれてて読めなくて」
「予測か……。正直な所、魂を蓄え、取り出して何に使うかは見当もつかん。外法の領域だしな」
「そうですか……」
「だが蓄える事には意味を見いだせるかもしれない」
「どういう事です?」
「そもそもだ、その鍋は表から見えるだけで64層の付呪が施されているが、ディーターによる折り返し処理で内層にさらに128層の付呪が隠されているのだ」
「そんなに!?」
「それらは全て魂を蓄えるための付呪だ。人間換算なら128人分の魂を蓄えられる」
「そういえばクルトのメモに、100人分の魂が必要とか書いてあったな……」
「多少余裕を持たせたようだな、意図はわからんが。……ともあれ、根本的な話をしよう」
そう言ってウドさんは薄い銅板と鉄のノミ、それに金槌を取り出して作業台に置いた。
「付呪とはどういう物かは習ったかね?」
「ええと、呪文を物体に刻み込んで、魔法を物体に固定する技術?」
だいぶ前にイリスから習った事だ。
「そうだ。少し実演してみよう」
そう言うとウドさんは銅板に魔力を注ぎ込みながらノミと金槌で呪文を刻んでいった。ルルと、特にイリスが興味津々で見ている。
「……こうだ」
「すごい……理屈ではわかってたけど、やっぱり間近で見るととてつもない技術ね。銅からの反発力を抑え込みながら魔力を流し込んだんでしょう?」
「そうだ、少女よ。そして呪文をマチ針のようにして
そう言ってウドさんは、今まさに付呪した呪文の上にノミを押し当てた。
「……魔力が抜ける?」
「半分正解だ、正確には抑え込まれていた反発力が一息に解放され、こう抜ける」
ウドさんは金槌をノミの尻に叩きつけた。呪文は文字を崩され意味をなさなくなった。瞬間、パチンと銅板が裂けて弾け飛んだ。
「結局付呪とは物体と魔力の反発力を無理やり抑え込んでいるに過ぎない。抑え込んでいるだけで、反発力は常に存在し続けているのだ。故に解放すると破裂する。……では次の問題だ、内層に128層の付呪、表層に64層の付呪を施したその鍋はどういう状態だ?」
「ば、爆弾じゃないですか!」
「……爆弾とは何だ?」
訝しまれてしまった。そうだ、この世界まだ火薬が無いんだ。うーん。
「ええと、肉汁たっぷりのソーセージみたいな……」
「まあそういう事だ。いつ破裂するかわからんソーセージのようなものだ。通常であれば外から
「……あの、この鍋でめちゃくちゃモンスター殴っちゃったし攻撃も受け止めちゃったんですけど」
「だが傷は付かなかっただろう?多重の
「良かったぁ」
「だが内側からならどうだ?」
「へ?」
「外力に対してはほぼ無敵だ。だがソーセージに肉を詰めるように、内側からエネルギーを注入したらどうなる。確かに付呪は外からの攻撃に耐えるように施してある、だが内側からとなれば話は別だ」
内側からエネルギーを注入、つまりは魂を蓄え続けるとどうなると問われているのだ。……やっぱり破裂する?
「もしかして、それが100人分?」
「さぁてな、実験した事が無いのでわからん。私は言われた通りに付呪を施したまでよ。だがその意味くらいは考えた、その結果が今の君の答えと同じものだ」
たった1層の付呪でも、呪文を破壊されると銅板は裂けて弾けた。では合計192層の付呪が、100人分の魂を蓄えた状態で破裂すると何が起きる?
想像もつかない。だが部屋の温度にも増して背筋が寒くなり、身震いする。イリスも顔を青くしていた。ルルは壁にもたれかかって気持ちよさそうに居眠りしていた。
「ま、予測に過ぎんよ。さて他に聞きたい事は?」
「……クルト……以前の僕が何者だったか知りませんか」
「知らない。さっきも言ったが私は余計な詮索はしなかったし、以前の君も余計な事は喋らなかった。私は知識と幾らかのカネを受け取り、指示通りに付呪を施した。それだけだ」
「そう、ですか……。ちなみに、以前の僕から受け取った知識っていうのは?」
「クルト、クルト!」
イリスが痛いくらいに僕の腕を掴み、反対の手で寝ぼけているルルも引っ張って階段を登ろうとしている。
「な、何さ。今いい所なんだけど……」
「良いから!逃げるわよ!」
そう言うイリスの顔は必死なものだった。冗談を言っている顔ではない。わけがわからないが、とりあえず階段を登りながら困惑していると、後ろからウドさんの声が響いた。
「少女は気づいたようだな?まあ良い、自由にしたまえ。だがクルト、私はいつでも君の来訪を待っているぞ。どうか次は記憶を取り戻した状態でな……」
階段を登りきった瞬間、土が動いて階段の入り口が閉じてしまった。ウドさんが岩石魔法を使ったのだろうか。だがそんな事より、どういう事か説明して貰わねば。
「イリス、どういう事?せっかく重要な情報が出てきそうな所だったのに」
「……彼がなんて言おうとしてたか、私にはわかるわ」
イリスは真っ青な顔で周囲を見渡し、辺りを
「地下室、異様に寒かったでしょ。あれ霊気よ。久々だから忘れてたわ」
「……あっ!?」
霊気。リッチーであるカエサルさんが放出しているもの。物理的な寒さに紛れて気づかなかったのか。という事は、つまり……
「おそらく、以前のあんたがウドさんに教えたのは、リッチーの成り方よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます