第84話「寝具と度量衡」

 【鍋と炎】の歓待を受けながら、ヨハンは内心落ち着かなかった。プロとしてポーカーフェイスを保つよう努力はしているが、どことなくぎこちなくなってしまう。というのも、顔の傷がひきれて未だに上手く動かせないのだ。そこに内心の動揺が加わり、歪みは伝わる程度に――――少なくともクルトは感づいているようだ――――大きくなってしまう。


 顔を変え名前を変えブラウブルク市に逃げ込んだ暗殺者、バルドゥイーンがここに至るまでの道程は平坦ではなかった。


 暗殺者ギルドの追手をくべくレムニアへと亡命を企てたバルドゥイーンだったが、そもそもノルデン辺境伯領を出る事すら叶わなかった。カネに物を言わせて早馬を買って南に駆けたは良いが、追手は必ず先回りして立ち塞がっていた。外法の伝令手段でもあるのかと疑いたかった。狭まる包囲網の中、ある街で人相を変えられるという医者を見つけ手術を頼んだ。


 ……無麻酔で行われたそれは大変な激痛を伴ったが胆力が災い、あるいは幸いして気絶出来ず、結果的に手術の終わり際に乱入してきた暗殺者に対応する事が出来た。


 暗殺者はその場で殺したが、追手がこれで終わりとは思えず手術を終えずに逃亡を再開、おかげで縫合ほうごうしきれなかった部分(自分で焼いて固めた)が変にひきれてしまった。


 顔を不完全ながら変えたおかげで追手はかからなくなったが、路銀が尽きた。そこでちょうど近くにあったブラウブルク市で冒険者として日銭を稼ぐ事にした。


 仮に再び追手が迫ったとしても、自分が暗殺しようとしたゲッツのお膝元、しかもその親衛隊的な側面も持つ冒険者ギルドに逃げ込むとは思うまい。そういう意図もあった。


 無論、この少年らと鉢合わせるのは想定済みであった。


 だが同じパーティーに編入されるとは思わないだろ。


 しかも事務長をやり込めてまで。


 バレているのか?カマかけ、そして警告のつもりで投げナイフの業前を披露した。


『これで証明にならないかい?』


 お前達が俺の正体を知っている事の。あるいはバラしたら俺はお前たち以外の仲間に被害が出せる事の。


 ――――返ってきた反応は、気づいていない者のそれ。ほっとしたが、クエストが終わってみればこの歓迎会である。接触する時間が長ければ感づく者も出るやもしれぬ、可及的速やかに【鍋と炎】を離脱したかったが、3人は獲物を逃さない獣の目をしていた。……逃亡生活で疲弊していたバルドゥイーンの胃が痛んだ。



 連日クエストに繰り出してはヨハンさんを歓待する事3日、【鍋と炎】の戦闘効率はかなり上昇していた。彼が適切に援護してくれるので、僕はルルに攻撃の機会を作る以外にも、自分で突っ込んで敵を仕留める余裕も増えていた。おかげで"幽体の剃刀" が撃てるだけの魂もストック出来た。


 しかし経験豊富とはいえ流石に慣れない仕事の連続で疲れたのか、ヨハンさんがやつれ出したため土日は休日とした。


 土曜日は風呂屋併設の理容室で散髪し(この世界に来てから一度も切ってなかったので3ヶ月ぶりだ)、日用品の買い物に出かけた。


「おおー……」

「そんなに珍しいかね?」

「いえ、懐かしくて」


 雑貨屋の店主にいぶかしまれながら、「歯ブラシ」を買った。馬毛を束ねたものを先を割った木の棒に挟んでくくり付けただけの簡素なものだが、麻のタオルを指に巻きつけて歯を磨くよりは大幅に快適になるだろう。


 次に向かったのは寝具屋……という専門店は無かったので、服屋へ。布を扱ってるなら何とかなるだろうという目論見だ。


「マットレスって作れません?」

「作れるよ、じゃあ今度ベッドの寸法測ろうか。あと布はどうする?こっちで買ってきても良いし君が用意してきても良い」

「わかりました」


 僕は自分で布を買う事に決め、ついでに家に戻ってベッドの寸法を自分で測ってしまおうとしたのだが。


「ねえイリス、定規とかメジャー持ってない?」

「あるわよー」


 ぽいと投げて寄越されたのは、紐状のメジャー。ありがたく受け取ってベッドの寸法を測ってはメモしていたのだが、何となく違和感を感じた。


 単位はメートルとセンチ、それにミリが使われている。……だがヴィムが使ってるメジャーより目盛りの幅が狭い気がする。


「ねえねえ、凄く嫌な予感がするんだけど」

「何よ」

「メートル原器ってある?」

「何それ?」

「1mを標準化するための……うーん、原初のものさし、みたいな?その原器を複製していけば正確なものさしが量産出来るじゃない」

「どうでしょうね、あるのかもしれないけど……出回ってるメジャーを見るにそれに沿って無いんじゃないかしら。結構個体差大きいわよ」

「ええ……それ困らないの?」

「別に?だって基本的に、同じものを作る人、その団体の中だけで統一されてれば不便は起きないでしょ?」


 僕は額に手を当てた。なるほど、現代日本みたいに分業で部品を作り、あるいは外注して送られてきた部品を組み立てる、というような工業じゃないんだ。全部自分の工房で職人が作る。だからその職人の間でだけ度量衡が統一されていれば十分。そういう事か……。


「ってちょっと待って、それだと距離とか面積の問題が大きくならない?土地の広さが正確に測れなかったら税金取る時困るでしょ」

「そこは流石に、各領邦レベルで統一されてるわよ」

「良かった……」

「測量士ギルドによってね。縄で測るんだけど、湿気や張り具合で伸び縮みするから認定測量士が勘で修正するのよ」

「……人間が介入しちゃダメでしょ!金属使えば良いじゃん!」

「鎖尺もあるわよ。でも鉄だって温度で伸び縮みするしサビるし、何より高いじゃない。コストかけて正確性を求める意味が無いっていうか……」

「おおう…………」


 技術的な問題もあるけど、イリスの様子を見るに「度量衡を統一する動機が無い」という問題が一番大きい気がする。統一されてなくても生活や社会が成り立っちゃってるから、統一にコストをかける理由がない。そういう事だ。


 僕は肩を落としながら服屋に戻り、素直に彼らに測量を頼む事にした。今は手が離せないので後日、という事になった。仕方ないので枕だけでも先に注文してしまおうかと声をかけてみる。


「枕もお願いしたいんですけど」

「あいよ、中身は何にする?」

「綿か羽毛で」

「……金貨吹っ飛ぶぞ?本気か?」

「えっ。そんなに高いんですか」

「そりゃ綿は遥か東方からの輸入品だし、羽毛はまあマシだが……貴族趣味かと疑われるぞ」

「マジですか……じゃあ他の選択肢は?」

わら麻屑あさくずとか豆殻、あとは羊毛かねぇ」

「んー。じゃあ羊毛で」

「あいよ、んじゃ表布と縫製ほうせい代含めて銀貨5枚ね」

「はーい……ってちょっと待って下さい、その値段感だとマットレスっていくらになるんです。中身は羊毛として」

「布の質と中身の厚さを極限まで削ったとしよう、それでも金貨2枚は下らん」

「寝心地は」

「藁の方がマシなんじゃねぇかなぁ。中途半端なマットレス作るくらいなら厚手のシーツ買って藁の上に敷いた方がマシだと思うぞ。シーツが厚けりゃチクチクしないし、藁が嫌なら豆殻とか混ぜとけば多少マシになる」

「……マットレスは一旦保留で」

「あいあい」


 職人に苦笑されながら、僕はとぼとぼと帰宅した。生活の質QOLの向上はやはりお金がかかる。もっと稼がないとなぁ……。


 夕飯を食べて早速歯ブラシを使ってみたが、これはまあまあ快適だった。奥歯を磨くために指を深く口に突っ込むの、結構不快だったんだよね。まあ今日の買い物はこれで満足するとしよう。

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