第2章 鍋で殴る生活改善編
第70話「ザルツフェルト」
その日の行軍中、イリスは口を利いてくれなかった。……悪いのは僕じゃないと思うんだけどなあ。おまけに他の団員達が
やがて一行は小さな村に辿り着いた。怯える村長が出てきて団長を出迎える。
「これはこれは摂政殿下、本日はどういったご用向で……」
「端的に言えば、新領主の着任を知らせに来た。前領主ザルツフェルト伯は戦死し、その代官としてこの村に派遣されていたフリートマルク卿も戦死が確認された」
隣に立っていた紋章官が頷く。
「ザルツフェルト伯の
「はっ」
名前を呼ばれた騎士が前に出た。
「彼が新たな領主だ。良いな?」
「は、はい。文句など御座いませんで……」
「よろしい」
このような感じで、僕たちは村々を回って新領主の下知を行っていった。拒否すれば即座に武力でわからせるとの事で村に入る前には必ず武器を抜いていたのだが、抵抗する村は皆無だった。戦闘になったらまた略奪は必至だろうし僕はヒヤヒヤしていたのだが、平民はもう戦争はこりごりなのだろう。スムーズに事が運んで安心した(あからさまに嫌な顔をする村はあったが)。
今回は下知と顔合わせだけで、任命された騎士達が実際に領地経営に赴くのはこの遍歴が終わってからだそうだ。実際彼らも家族や家具の移動など準備が必要だろうし当然と言えば当然か。
そうして村々を巡りながら3日後、ザルツフェルト伯爵領の中心地であり領地と同じ名前を持つ街、ザルツフェルト市に辿り着いた。団長は市参事会に降伏と領主の交代を確認させ、数日滞在する事になった。何でもこの街はザルツフェルト伯の家族が住んでおり、権力の移行に様々な手続きが必要らしい。
結局、ザルツフェルト伯の家族はノルデン選定候領からの追放処分となった。賠償金の支払いは市参事会に課され、その取り立てと統治は代官が行う事になった。その代官に任命されたのは、騎士から男爵に出世を果たしたアルバンさんだった。
「
「いえいえ、男爵に出世とあらば祖先も喜びましょう。文句を言うどころか感謝の気持ちしか御座いません。見事治めてみせましょうとも」
「頼んだぞ。ここは選定候領にとって重要な直轄地となる。困ったことがあればすぐ使いを寄越せ」
「お心遣い感謝致します」
このように、選定候の直轄地となった領地には団長知己の貴族が代官として派遣される事になった。戦争中にも関わらず街で貴族が祝宴をやっていたのはこのためかと納得がいった。そこで君主やその摂政の信頼を勝ち取っておけばこういう時に得をするし、君主側は腹心予備軍を作れてこういう時にスムーズに統治出来るようになるのだ。本当に無駄じゃなかったんだなぁ、あれ……。
カエサルさんから教えて貰ったが、ザルツフェルト伯爵領は大雑把に3分割され、1つが選定侯の直轄地に編入、1つがロートヴァルト伯爵領に編入、残り1つは各地に分散した村々や小さな町で、騎士達に与えられるらしい。
なおカエサルさんの入れ知恵で経済や交通の要衝は殆ど直轄領に編入され、その付近の領地も忠誠心の高い騎士で固めたらしい。良くわからないが、「中央集権化を進める」らしい。
そうして団長がゴタゴタを済ませている間、護衛に任命されたパーティー以外は暇なので僕たちはザルツフェルト市を観光する事にした。街を歩いていると、食堂の看板に見慣れない単語が書いてあった。
「ねえ、あれ何だろう?ゴーゼビール……?」
「あー、確かこの街の特産品ね。私も飲んだことないし、試してみる?」
「いいね、じゃあここで昼食にしようか」
「はーい」
そういう訳で僕たちはその食堂に入っておすすめの料理と「ゴーゼビール」とやらを頼んで見る事にした。
「はいお待ちどうさん」
給仕の女性がすぐにビールを運んできた。木のジョッキに入ったその液体は、濁った小麦色をしていた。ヘーフェという酵母を
「じゃ、とりあえず乾杯」
「「乾杯!」」
イリスの適当な乾杯の音頭に合わせビールを呷ってみたのだが。
「んぐふっ」
吹き出しそうになってしまった。まず最初に感じるのは白ビール特有の小麦とフルーツ系の香り。しかしその後にコリアンダー(パクチー)の匂いと柑橘系の酸味が襲ってきた。後味にほんのり塩味。飲み下しても炭酸でコリアンダーの香りが胃から湧き上がってくるかのようだ。イリスとルルの反応も同じようなものだった。
「本当にビールなんですかこれ!?」
「すっごい味ね……」
「あらお客さん達、ゴーゼは初めて?」
「ええ。なんというか……独特ですねこれ」
「塩とコリアンダーをしこたま入れて作るからねぇ、そういう味になるのよ。最初はびっくりするけどだんだんクセになってくるわよ。塩の効いたソーセージと良く合うわよ」
そう言って給仕はおすすめの品なのだろう、ソーセージの山盛りをどんとテーブルに置いた。付け合せはザウアークラウトだ。なるほどザルツフェルトは岩塩の産地だ、塩を使った料理が発展しているのか。それにしてもビールに塩を入れる事は無いんじゃないかと思うのだが。とりあえずソーセージを食べてみる。
「おお、しょっぱい……」
だが不快では無い塩加減だった。行軍で汗を流した身体が塩気を求めているのだ。肉の旨味と塩が溶け込んだ油が口の中に残り、それをビールで流してみる。……なるほど?炭酸が油を流し去り、酸味とコリアンダーの香りが油の不快な余韻を残さずさっぱりする。奇妙に感じられた塩の後味はソーセージの塩で舌が麻痺したのか感じない。
「あー、確かに合うねこれは」
「ザウアークラウトの酸味も心無しかビールの酸味で小さく感じるわねこれ」
「あたしはちょっとコリアンダーの香りがきつすぎて……すみませーん、普通の白ビール下さーい」
そう言いながらもルルはゴーゼビールを一息に飲み干し、運ばれてきた白ビールでがつがつとソーセージの山盛りを片付け始めた。僕もパンを注文して食事を進める。パン、ザウアークラウト、ソーセージの三角食べを展開しアクセントとしてゴーゼビールを
そうして食事を済ませ、再び街を歩いていると市民達の会話が聞こえてくる。
「伯爵様が戦死なされるとはなぁ……賠償金はどうなるんだか」
「さぁな、ただ摂政殿下はお優しい方と聞く。穏当な措置になると良いんだが」
「だがナッソー市は7日間も略奪されたんだろ?どこまで本当だか」
「それもそうか……あーあ、伯爵様が戻ってこないもんかね。税が上がるのは勘弁だ……」
……ナッソー市略奪は市民に不安を与えているようだった。あれは不可避だったと団長の近くで見ていた僕達ならわかるが、市民達にそこまで伝わってはいないようだった。何より驚いたのは、ザルツフェルト伯が存外市民に嫌われていない事だった。自分の領地に火を放つような人なのに。
「意外と人望あったんだね、伯爵。市民は自分の資産とか言ってたのに」
「うーん、だからじゃないですか?」
そう理解を示したのはルルだった。どういう事か聞いてみると。
「これは森番と狩人の感覚ですけど、木を大きく育てるためには間伐だってするし、来年お肉をいっぱい食べるために子鹿は逃がして育つのを待つんですよ。それと同じなんじゃないかなって」
「ああー……」
つまり自分の資産であるがゆえに、善政を
「…………」
僕は考え込んでしまう。今回は収穫する必要があったから市民に牙を
もし前選定候が戦死していなければ。もしマクシミリアン陛下が既に成人していれば。もし伯爵がアデーレではなく団長に与した方が得な領地の君主として生まれていれば。
全て、彼がどうにも出来ない所で運命が決まってしまっていたように思える。火計だけは彼が自分の意志で為した悪のように思えるが、僕にはわからないが軍事的な合理性があったのかもしれない。
「……何考えてるの?」
イリスが心配そうに僕を見上げてくる。僕だって彼女が居なければどこかの時点で死んでいただろうし、ルルが居なくてもパーティーに戦力が足りずやっぱりどこかで死んでいたような気がする。……そもそも団長だって、僕が転生して来てなかったらブラウブルクの戦いで死んでいたかもしれないのだ。全ては運だ。この世界は過酷で、運が悪いとすぐに死ぬ。だが。
「いや。運が悪くても生き残れるように頑張らないとなって」
「そうね。私達冒険者は"死に近い"。だから運命の馬の尻尾を掴めるように鍛えていないとね」
3人は頷き合った。
その後はイグナーツの鎧を売りさばいてしまおう(サイズが合わなかったので僕もルルも拝借しなかった)と商店街にやって来たのだが。
「見事な甲冑だが、あんまり出せねえよ。おたくらが大量に売りに来たから……」
そう言われてしまった。冒険者ギルド、ブラウブルク市民兵隊、さらに騎士隊がこぞって戦利品を売りに来たのだろう。売却価格はかなり下がるとの事なので、ザルツフェルト市で鎧を売るのは諦める事にした。……つまるところ僕はこれからも自分の甲冑に加えてイグナーツの甲冑を抱えて移動しなければならないのだ(流石に行軍中はギルドの荷馬車に積むが)。こういう頑張りは違うんじゃないかなぁ??
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