第71話「婚姻と魚」
君主ある所こそ宮廷。それが移動宮廷である。ザルツフェルト市の城で執務を行うゲッツは、遠路はるばる各地に派遣されては移動する彼を探し出し追いついてくる部下達から報告を聞き、新たな指示を出す。
「不便極まりないな、これは。情報の伝達が遅すぎるし旅費もバカにならんだろう」
そう漏らすのはカエサルだ。
「早く文官を増やして首都にどっしり構えたまえ」
「その文官をどっから捻り出してたンだったか、ローマは」
「教養のある奴隷を買う」
「相変わらず参考になんねェー……」
◆
クーデターの前、ゲッツとカエサルで以下のようなやり取りが交わされた。
「この国では奴隷制は廃れているのだったな。ならば教養人を雇う他あるまい」
「教養人たる貴族の人的資源は有限だ。ウチの貴族資源は直轄領の代官に充てるのと封土を与える在地騎士にしたらほぼ使い切っちまうぞ」
「平民を使えばよいではないか」
「平民に貴族が従うワケ
「然り」
数百年前の貴族と平民の垣根が曖昧な時期なら、戦功ある平民を騎士に列する事で統治と有事の軍事を任せる事が出来た。しかし貴族が支配者として体制を確立する中で、貴族と平民を明確に別ける必要が出てきた。「俺は貴族、お前は平民。だから従え」が成り立った方が都合が良いからだ。それに従って平民を貴族に仕立て上げる行為はその頻度を下げていたのだが。
「いずれにせよ、そういう成り上がり貴族は伝統貴族に睨まれるだろうなァ……内乱のタネだ」
「故に新たに貴族にする者は騎士階級に制限を付けたものに留めておくのだ。それで溜飲を下げさせ、貴族階級を大貴族と下層貴族に2分せよ。大貴族の安寧を保証しておけば下層貴族が反乱を起こしてもまとまりを欠くだろう」
今回の内乱で騎士の多くがゲッツについたのは封土が小さいにも関わらず、度重なる戦争で
「騎士どもには封土は元の領地から極力遠く、交通の要衝から外れた場所を与えよ。経済の流れから弾き出された彼らはすぐに没落するだろうよ」
「ンな事したら選定候領は騎士戦力を失うだろうが。馬も買えなくなって騎士を辞めるヤツが続出して数が減ってるンだぞ。国防上看過出来
「力をつけた貴卿ら大貴族が騎士を養うのだ。封土に養われた騎士を大貴族が使うのではなく、封土に養われた大貴族が騎士を養えば良かろう。ま、段階的にだがね」
◆
……その時点では
「カネが、無い」
ゲッツは真顔で言った。内乱には勝った。しかし軍の食料を略奪ではなく商人から買付けて供給し、挙げ句ザルツフェルト伯の火計で余計なカネを使ったゲッツの財布は綺麗にカラになっていた。今は商人からの借金(勝利が確定した事で利子は我慢出来る程度に収まった)と冒険者ギルドの略奪の上前で何とか移動宮廷を執り行っている。これでは騎士を養うどころか文官の新規雇用など夢のまた夢である。城は未だ地平線に
「お前、独裁官になる前は一人で公共事業やりまくってたンだろ。カネはどうしたんだカネは。どっから捻出した」
「市民や貴族から借りた。回収出来なかったら相手にとって痛手になる程借りるのがポイントだぞ、そうすれば貴卿を没落させまいとさらに貸してくれるようになる」
「返済は」
「属州からまきあげてどうにかした」
「全く参考にならん!」
「で、あろうな。この国は簡単に収奪出来るシステムは無い。だが私から学ぶべき点はあるだろう、貴卿に協力せざるを得ないパトロンを作れ」
「ンなもん都合良く居るワケ
「どうかな……紋章官殿、今回不干渉を貫いたタオベ伯の家に年頃の娘は居るかね?」
数少ない文官として付き従っている紋章官が
「ああ、長子に21歳の娘が居たかと」
「では決まりだな」
「何がだ?」
「貴卿、良い歳して未婚であったな。結婚せよ」
「は?」
「タオベ伯の孫娘と結婚すれば貴卿の没落はタオベ伯の没落に繋がるようになる。それをダシに彼のカネを引っ張り出せ」
「ちょっと待て」
「今回の内乱を不干渉で終えた彼の財布は比較的潤っているだろう。しかも子が生まれればその子はタオベ伯爵領の継承権を持つ事になる。紋章官殿、タオベ伯とその長子の年齢は。ついでに他の孫は居るかね」
「伯爵は74歳、長子は43歳、今年7歳になる孫が居たかと」
「ではゲッツ殿、貴卿に子が生まれればその孫と婚姻を結ばせてタオベ伯爵家を乗っ取れるぞ。やや血が濃いから可能ならその次代の方が良いが」
「待てと言っている」
「決まりだな」
最終的にゲッツはカエサルに説き伏せられ、そういう事に決まった。婚姻の使者がタオベ伯領に向けて放たれた。
◆
ザルツフェルト市での処断が終わると、一行は再び移動を開始した。次の目的地は港町「バウ」だそうだ。ザルツフェルト伯の家系(彼の名乗り、エトヴィン・フォン・バウがその証拠だ)の出身地だ。この移動宮廷は重要な村や街に対象を絞って行っているらしいが、バウ市はその由来から
「港町とあらば新鮮な海魚が食えるな!」
「カエサルさん魚好きなんです?」
「私が、というかローマ人がな。肉食はその……蛮族寄りの文化であった」
「へえ……」
「川魚も悪くないが、やはり海魚を始めイカやタコ、貝類も捨てがたい……」
そういうワケでカエサルさんだけはウキウキだった。まあ僕も魚は嫌いではない。普段食堂で出てくるのは海魚の塩漬けなので(川魚は高級品だ)、新鮮な海魚を食べられるのはちょっと楽しみだ。それに。
「ねえ、もうそろそろ7月に入るけど」
「そうね」
「海水浴行かない?」
「は?」
「ビーチでのんびりしたり海で泳いで遊ぶやつ」
「……?……???? えっと、悪いけどパスよ。海で遊ぶなんて子供だけじゃないかしら」
「ええ……」
「それに私、泳げないし……っていうか水泳は禁止されてる領地もあるくらいよ。漁師か騎士でも無い限りまずやらないわよ」
「何で!?」
「
「ええ……」
これほどこの世界を呪った事はない。可愛い女の子と海で遊ぶという青春の1ページが無残にも絵に描いた餅になってしまい、僕のやる気がダダ下がりになった。
◆
じりじりと照りつける太陽の中、数日行軍するとバウ市に着いた。今までは割と湿気が少ないおかげであまり暑さは感じなかったのだが、湿気を含んだ潮風が吹き付けるこの地方は暑かった。皆うだっている。僕は日本で慣れているのでそこまでキツくはないが、それでも汗はかく。早く風呂に入りたい。
しかしバウ市とは団長との軋轢が心配されている。まずはすんなりと駐屯を許してくれるかだったのだが……。
「ようこそいらっしゃいました摂政殿下!」
「ご苦労」
「早速祝宴を準備してあります、どうぞこのまま私の屋敷にいらしてください。勿論風呂も準備してありますので!」
「そ、そうか……」
市長からは大歓迎されていた。そういう訳で団長の護衛として冒険者ギルドもすんなりと市内に入れたのだが、他の市民からの目は厳しいものがあった。この対比は一体何なんだろう?
【鍋と炎】は市長の家に向かう護衛には指定されなかったので、とりあえず宿を取って近くの食堂で昼食を摂る事にした。オススメを頼んだところ、タラのムニエルが出てきた。飲み物は
「じゃ、かんぱーい」
「「乾杯!」」
イリスの適当な乾杯の音頭に合わせジョッキをかち合わせ、一口ビールを呷る。うん、やっぱりゴーゼビールよりこっちの方が良いな。小麦とフルーツっぽい香りに混じりけが無い事に安心する。
そしてタラのムニエルだが……
「ホクホクだぁ」
小麦をまぶしてオリーブオイルで焼いたタラの表面はカリカリで、それを噛み砕くと口の中でホクホクふわふわになった白身がほどける。小麦粉と一緒にまぶしたのであろう塩がタラの旨味と混ざり舌を幸せにする。……うん、美味しい。だが何かが違う気がする。香りが足りないというか。
「……そもそもムニエルってバター使うんじゃなかったっけ?」
「夏場にバターなんて保存出来ないでしょ。作ってその場で使うなら別でしょうけど」
「あ、ああー……」
冷蔵庫が無いからバターは夏場、食卓に上り辛いのかぁ。しょんぼりしながらパンを
「摂政殿下が到着したらしいぜ。どんな統治になるやら」
「伯爵様、良い君主だったのになぁ……」
「まぁ仕方ねえよ、乗る馬を間違えたのさ。問題は摂政殿下だ……どれくらい度量があるか」
「せっかく軍隊引き連れてるんだ、魚人退治くらいしてくれにゃ君主失格だろ」
……魚人退治?
「ねえ、魚人って何?ギルドのクエストボードでも見た覚えがあるけど」
「蛮族よ、海のね。意思疎通は出来るけど邪教を信奉してるから討伐対象ね。……そいつらが出没してるのようね、話を聞く限り」
「ば、蛮族……そういうの居るんだねぇ」
「そりゃ選定候領であると同時に辺境伯領だからね」
「……?辺境って田舎って意味じゃないの?あ、田舎だから野生動物とかモンスターが一杯いるのか」
「違うわよ、辺境っていうのは"敵国や蛮族の領地と隣接してる" って意味よ。文化と文明の辺縁にして境界、それが辺境。そしてその境を越えてくる蛮族や敵に対処するため巨大な領地と軍事力、権利を持つ事が許されてる、それが辺境伯」
「道理で軍隊は大きいし街が立派なわけだ。正直、田舎なのに良く1万人近い軍隊集まるなぁなんてびっくりしてたよ」
「団長に聞かれなくて良かったわね?」
「聞かれてたらぶっ飛ばされてる予感しかしないね……」
「ともあれ、団長次第で魚人退治に駆り出されるかもね……」
果たしてイリスの予測は当たった。市長から「内戦による軍事的空白の間に拠点を築きつつある魚人を退治して欲しい」と要請された団長はこれを受け、僕たちは魚人退治に
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