第61話「勝利と追撃」

「ふむ、どうしたものかね」


 ゲッツを見送ったカエサルは、どう軍を動かすか考えていた。北翼はロートヴァルト伯軍と馬車要塞ヴァーゲンブルクを築いた傭歩兵隊がにらみ合っている。中央はこちらの馬車要塞ヴァーゲンブルクが民兵隊の攻撃を受けているが、これは当分保つだろう。その後方に傭騎兵が居るがまだ手出ししてくる様子はない。


 南翼はゲッツに任せる他ない。問題は、彼が勝とうが負けようが中央の傭騎兵隊と未だ姿の見えない予備隊が邪魔だという事だった。それらが自由に動けるのは旨くない。


「どれ、少し嫌がらせをしてやろう。ロートヴァルト伯に伝えよ、戦闘正面を中央に向けるべしと」

「はっ」


 即座に伝令に走ろうとする兵を引き止める。


「ああ待て、言葉尻を直そう。意図も伝える。つまりは――――」


 カエサルは伝令にその操兵の意図を話しながら、丁寧な言い回しに変える。いくらゲッツから一時的に指揮権を委譲されているとはいえ、自分はこの国の貴族位は持っていないのだ。つまるところ権威がない。それで貴族が従うとは思えなかった。ローマであれば正式に選ばれた執政官コンスルが平民でも貴族は付き従うが、この国ではそのような制度はなく、貴族と平民の隔絶は大きい。


 伝統をないがしろにすべからず。彼が死んで学んだ事であった。結局、ロートヴァルト伯に伝えられた言葉はこのようになった。


『敵の傭歩兵は馬車要塞ヴァーゲンブルクに籠もっており、出撃には時間がかかるものと思われます。そのため一時的にこれを無視し、貴隊で以て中央の傭騎兵を引きつけておくべきと考えます。さすれば敵は南翼が壊滅した後、傭騎兵による救援が遅れる事となりましょう』


 さて理解してくれるだろうか、とカエサルは腕を組んでロートヴァルト伯軍を見守った。プライドを刺激しないようにあえて具体的な指示は出さないようにした。……数分後、ロートヴァルト伯軍が動き出した。丘の上に陣取るのはそのままに、部隊の正面を中央へと向けたのだ。これで、馬車要塞ヴァーゲンブルクを攻撃している敵民兵隊の側面を脅かす事になる。


 遅れる事数分、敵の傭騎兵隊がその正面をロートヴァルト伯軍に向けた。彼らが民兵隊に攻撃を仕掛ければ即座に逆襲する算段であろう。自らが拘束され、遊兵となった事も知らずに。


「上々」


 カエサルは口角を釣り上げる。これであの傭騎兵隊は南翼側に移動しようとしても方向転換に時間がかかる。些細ささいな嫌がらせであるが、今の自分に出来るのはこれが精一杯だ。


「国の第二位である位なら寒村の第一位でありたい、か。全く皮肉な事だ」


 かつてローマを獲る以前に志した事。それに反する立場に置かれるとは、運命とは残酷である。


「戦争が終わったら街の1つでもねだってみるか。ローマを再建するのは楽しそうだ……おっと、動いたな」


 建設的だが不穏な事を口走りながら、南翼で敵騎士隊と下馬騎士隊が衝突したのを眺める。


「……上々。伝令、予備の騎士隊と傭歩兵隊を南翼に移動させよ」



「き、騎士隊、壊滅……」


 部下が唖然あぜんとしながらそう言うのを、ザルツフェルト伯も口をぽかんと開けながら聞いていた。


「騎士隊、壊滅しました!」

「見ればわかるわ、バカめ!」


 繰り返す部下を殴りつけて黙らせる。見ればわかる。しかし信じられなかった。


 下馬騎士は騎士といえど歩兵だ。歩兵が騎士の突撃を受けて崩れないなどあり得ない事だ。しかも槍組に支援させた上で、だ。


 歩兵による対騎兵戦闘とは度胸比べである。鋼鉄をまとった人馬が高速で突っ込んでくる。長大なランスによって最前列の兵は必ず死ぬ。二列目以降も馬に踏み殺される。よしんば受け止めたとしても、戦闘に長けた騎士が馬上から剣を振り下ろしてくる。それらの恐怖を克服して初めて成り立つのである。民兵には殆ど不可能な事だ。


 しかし長大な長槍はランスの恐怖を和らげ、列を重ねて突き出されるそれは人馬が突っ込んできても「受け止めきれる」という自信を与えた。そして戦闘に長けた騎士の恐怖は、下馬騎士自身もまた騎士である事から完全に中和されていた。――――そもそも騎士が突撃してくるなど騎士にとっては慣れっこだったのだ。故に、成り立ってしまった。


「これは……」


 騎士隊が負けるのは必至であったかのように思えてくる。勿論ザルツフェルト伯自身の判断ミスもあったが、それ以上に大きな要因があるように感じた。


 新戦術。時代を先取りした事による優位。騎士の時代の終わり。


 ザルツフェルト伯は預かり知らぬ事ではあるが、実際それはカエサルがもたらしゲッツが手を加えたであった。古典を現代に復活させる。後世の人々はそれを復活ルネサンスと呼んだ。本人たちは預かり知らぬ事だが、彼らは時代を動かしていた。


 しかしザルツフェルト伯はその時代変動の被害者になってやるつもりは毛頭無かった。


「予備隊を投入せよ!丘に陣取り防御するのだ!耐えきればまだ勝てるぞ!」



 下馬騎士隊は突撃を仕掛け、逃げ遅れた騎士や軽装歩兵、騎馬クロスボウ兵を散らした。敵は這々ほうほうの体で丘に向かって退却してゆく。


「停止!停止ーッ!」


 団長は未だ敵を追おうとする下馬騎士を止め、隊列を整えさせる。


「馬を呼び寄せろ!騎馬突撃でケリをつける!」

「「「おおーッ!」」」


 騎士達にとって待ちに待った騎馬突撃である。下馬し歩兵として戦い、敵騎士隊を壊滅させた事は彼らの自信を深めさせる事になったが、それでも不満は残っていた。やはり騎士は騎馬突撃こそ本分、そう刷り込まれているからだ。


 しかし馬を呼び寄せ乗馬し、攻撃準備を整えるには時間がかかる。その間に敵が体勢を整える可能性は多いにあるが――――


「最高のタイミングだ、流石にやってくれるな」


 予備の騎士100騎と500名の傭歩兵隊が南翼に到着した。カエサルの指示だろう。


「予備隊、騎士隊の横をすり抜けて前進せよ!敵に体勢を整える隙を与えるな!」


 かくして予備隊による攻撃が始まった。予備騎士隊が果敢に丘を駆け上がり、敵のクロスボウ兵の残余がそれに射撃を加えようとするが敗残兵が邪魔でままならない。結果、丘を駆け上がるという不利は帳消しになりクロスボウ兵は蹴散らされた。予備騎士隊はその勢いのまま、体勢を整えようとしていた敵騎士隊に襲いかかった。士気は地に落ち、足を止めてしまっていた彼らはもろくも再び敗走した。その背後で予備傭歩兵隊が隊列を整え、やってくる敵予備隊に向けて攻撃前進を始めた。



 今や南翼は崩壊の危機にあり、それを救えるのは中央の傭騎兵隊だけであった。しかし彼らはロートヴァルト伯軍に睨みを効かせるためそちらを向いていたため、方向転換に時間がかかった。その間に着々と下馬騎士隊が馬を受け取り、隊列を整えていた。


 そして彼らを動かせば、ロートヴァルト伯軍は無防備な中央の民兵隊の側面に襲いかかるだろう。やらせはしない。


「北翼の傭歩兵隊に通達、馬車要塞ヴァーゲンブルクを出てロートヴァルト伯軍を攻撃せよ!」


 馬車要塞ヴァーゲンブルクから出て攻撃体勢を整えるには時間がかかる。しかし彼らが出てくるのを見れば、ロートヴァルト伯軍とて迂闊うかつには動けまい。


「まだだ、まだやれるぞ」


 勝利は最早難しかろう。しかし防御に回って引き分けに持ち込む事は出来る。そうザルツフェルト伯は信じたのだが。


「傭歩兵隊が撤退してゆきます!」

「バカな!」


 傭歩兵隊が馬車要塞ヴァーゲンブルクを出た――――但し後ろに向かって。ずっと暇させていたのが悪かったのだろう、彼らはじっくりと戦場を眺め、騎士隊が壊滅するのをしっかりと見ていた。


 勝ち目なし。彼らはそう判断したのだ。傭兵の士気は低い。ここで退いても蹂躙じゅうりんされるのは自分の故郷ではない。であれば、勝機の無い攻撃に付き合ってやる必要は全く無い。退けば自隊の名声こそ下がろうが、命あっての物種だ。そういう理屈であった。


「これだから傭兵はぁぁぁああああああッ!」


 だが幸いにして、傭騎兵隊は未だ士気を保っていた。彼らはレムニア出身の貴族とその郎党で構成され、「貴族が一度も矛を交えずして退くなど末代までの恥」と考えていた。1度限りであればまだ攻撃命令には従ってくれるだろう。彼らを南翼に送り込み、その間に中央の民兵隊を退かせよう。最早この会戦は負けである。後は如何に損害を抑えつつ退くかだ。ザルツフェルト伯はそう頭を切り替え、傭騎兵隊に命令を下そうとした時。


「中央、民兵隊崩壊!敗走してゆきます!」


 民兵が崩れた。元々、ゲッツ派のプロパガンダのせいで士気は然程高くなかった。そこに騎士隊の壊滅と傭歩兵隊の退却を見てしまった彼らの士気はついに挫けた。悪いことに、彼らの敗走の波が傭騎兵隊を飲み込んでしまった。これでは動かせぬ。


 何もかもが上手くいかない、歯車が致命的に狂ってしまったような感覚。


「終わりだ……」

「何が終わりなのですか!何故奴らは退くのです!?伯、早く奴らを叱咤しったして立て直しなさい!大義はこちらにあるのですよ、負ける訳には、いえ負けるはずがないのです!」

「お黙りなさい!……現実を見るのです。この会戦は、負けです」

「そんな……それでは私達は一体どうなるのです!?」

「ナッソーの街に退きます。そこで籠城しましょう。敵には資金的余裕はないはずです、奴らが干上がるまで耐える他ありますまい。……者共、退くぞ!」


 そう言うが早いか、ザルツフェルト伯はさっさと護衛兵を引き連れて退却してしまった。アデーレも護衛の騎士に促されそれに続いた。


 彼らの背後で、馬に乗り終えたゲッツ派騎士隊が追撃を開始していた。最早一刻の猶予も無かった。



 追撃は凄惨せいさんなものになった。アデーレ派軍はナッソーの街に逃げ込もうとしたが、混乱していたため大渋滞が起きてしまった。そこに勝ち誇る騎士隊が襲いかかった。さらに会戦中一度も戦闘に至らなかったロートヴァルト伯軍はその鬱憤うっぷんを晴らすかのように苛烈な追撃を行った。それから逃げるように川に飛び込む敵兵も居たが、殆どがおぼれ死んだ。


 僕たち冒険者ギルドはまだ息のある敵騎士を捕虜にする作業に従事する事になったのだが、殆どが致命傷を負っていたので慈悲を与えるトドメをさす作業になってしまった。


 流石に無抵抗の人を殺すのは気が引けたが、傷を診たマルティナさんが「苦しみを長引かせるべきではありません」と沈痛な表情で言うので、僕は意を決してトドメを刺した。ナイフを首筋に当て柄を鍋で叩いて突き込むという独特のものになったが、こうすると鍋に魂が蓄えられる事はホブゴブリンで実証済みだ。


 申し訳ないが、慈悲の対価に燃料になって貰おう。いつ幽体の剃刀かみそりが必要になるかわからないのだから。……数人殺した所で、幽体の剃刀が撃てるだけ魂がストックされた事を感じた。


 それから死体集め、即ち戦利品集めになったのだが……騎士隊の従者達がせっせと主人らのために死体を集めてしまったので、実に寂しい収穫になってしまった。1人1つの戦利品しか獲得出来なかった。


 結局僕は、新しい盾を選んだ。今使ってる盾がクロスボウで貫かれてしまい、そこから割れかけていたからだ。本当は腕鎧が欲しい所であったが、盾が無いと本当に死ぬという事を実感したのでこちらを優先した形だ。新しい盾は丸い鋼鉄製で、サイズも鼻を隠すように構えると股間のあたりまでしか覆わない。だが既に下半身は脚鎧と脛当てがあるので、これで良いだろうと判断した。


 イリスは騎馬魔法兵が着用していたと思しき鉱石を織り込んだ装束(サイズが合わないが縫い直すらしい)を、ルルは剣を手に入れた。彼女は脚鎧を欲しがっていたが、合うサイズが無かった上に騎兵用は内腿の防御が甘い(くらに当たるからだ)ので断念したようだ。ともあれ、これで槍を失っても近接戦闘が出来るようになったので良しとしよう。


 ナッソーの街は僕らから見て西側にあり、そこに向かって太陽が沈んでゆく。敵はナッソーの街に閉じこもり、追撃は中止された。やがて紋章官と団長が勝利を宣言し、大歓声と勝利万歳の声が高らかに響き渡った。

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