第59話「宣戦布告」

 両軍は川を北に見て対峙している。


 ゲッツの指示で次々と軍が着陣していく。しかしこの「着陣させる」という行為がとてつもなく煩雑はんざつだ。というのも「精鋭兵は右側に位置する」という伝統がある為だ。太古の昔に盾と槍で武装していた兵が戦っていた時代、盾は自分の左半身と左隣りの兵の右半身を覆うように構えていた。……すると最右翼の兵は味方の盾の防護を受けられないため、ここに精鋭兵を置いてもろさを補った。


 その戦い方自体は廃れたが、そういった伝統だけは残った。故に、揉める。


「是非我々騎士隊を丘に!」

「いやこのロートヴァルト伯軍だ!」

「民兵を置くべきでは?最も脆いのですから」


 各隊の指揮官が位置取りについて請願に来るのを、ゲッツは眉間を揉みたくなるのを堪えて説き伏せる。


「丘にはロートヴァルト伯軍が構えてもらう。爵位や最も多くの兵を集めた貢献からも文句は無かろう。中央は民兵隊、林の前に騎士隊だ。予備として100騎の騎士と傭兵が残置だ」

「最左翼が騎士隊ですと!?ゲッツ殿、それは侮辱ぶじょくにも等しいですぞ!」

「恐らく敵の右翼は騎士隊だろ、それに対処して貰う。……まさか騎士とやりあうのが怖いと?」

「神に誓って、ありえませぬ!」

「であればその位置は最もほまれれある位置となろう……貴卿らの働き次第でな」

「……承知致しました」

「平地に民兵隊を置いてはすぐに崩れるのでは?」

「他の隊からも馬車を送る、馬車要塞ヴァーゲンブルクを築け」

「はっ……」


 指揮官達が納得し、自隊に指示を飛ばすために散ってゆくのを見ながらゲッツは大きなため息をつく。


「ままならん」

「ハハハ、こちらの世界でも右翼側に精鋭を配置する習わしとはな!存外歴史が似通ってるのやもしれんな」

「それは追々調べたら楽しいかもな。だが実際にそれに従って軍を動かすのは全く楽しくェな」

「そんなものだ。伝統をないがしろにしては動くものも動かん」

「伝統をないがしろにして暗殺されたヤツが言うと説得力があるな?」


 ふん、とカエサルはつまらなそうに鼻を鳴らす。


「……ま、最適解では無いにせよ勝ち目は十分にあるだろう」


 カエサルが指差す向こうでは、敵軍が布陣を開始していた。


 北翼の平原に傭歩兵。中央の丘に民兵隊と傭騎兵、南の丘に騎士隊(槍組)。後方に予備が控えているはずだがこれは丘で遮蔽しゃへいされている。だが恐らく決戦用に騎士隊の残りが居るはずだ。恐らく敵の総兵力は5000を上回るが6000には届かない位か。妨害工作をしていなければ確実に数的優位を取られていたであろう。仕込みが効いているのを実感し、ゲッツは自信をつけた。


「最も脆いのは中央の民兵どもだが、彼らに築かせる馬車要塞ヴァーゲンブルクの効果は実証済みなのだったな?」

「ああ、もう100年は使われている。接近されて歩兵に崩されるなり火炎魔法でもぶちこまれなきゃ抜かれェが、クロスボウ戦力ではこちらが優位だ。簡単には接近させん」

「重畳。……であれば、問題は騎士隊……下馬騎士隊か」

「ああ」

「要するに馬車要塞ヴァーゲンブルク槍衾やりぶすまと騎士の鎧で代用しようというワケだが、弱点も馬車要塞ヴァーゲンブルクと同じだ。槍組に含まれるクロスボウ兵や魔法兵を近づけない事が作戦の要だな」

「そういう事だ。……あとはそれらを排除した上で、騎士どもがどれだけ突撃に耐えられるかだな。パイク自体はそれなりに扱えるようになってるし射撃隊の動きもまあまあだ。耐えると信じる他ェな」

「貴公も土壇場どたんばで新戦術を試そうとは中々の度胸よな」

「お前が吹き込んだンだろうが!」


 クーデター当日の軍議でカエサルは言った。


「マニプルス戦術と言ってな、中隊単位で兵科を別けて運用・訓練するのだ。正直な所、私には槍組というものの利点が理解しかねる。騎士が護衛兵を連れてきて、戦闘の直前に兵科ごとに編成し直して運用するのだったか?統率が取れぬだろう」

「それでも騎士が突っ込む道を護衛兵どもがひらくんだ、強力だぞ?」

「その護衛兵を最初から分離して育成しておけという話だ。騎士もそうだ……統率が取れねば衝力とでも言おうか、それが削がれるのではないかね?騎士は騎士でまとめて訓練し突っ込ませた方が威力はあろうよ」

「そりゃわかるが……」

「そこでマニプルス戦術よ。事前に分離し訓練した部隊を有機的に動かし、相互に支援させるのだ。諸兵科連合とでも言おうか」


 ……結局ゲッツが説き伏せられたが(本当にカエサルは弁が立つ事忌々いまいましい)、実際槍組を用立てられない以上、既に手元にある部隊を個別に訓練する事は理に適っていた。


 さらに、騎士の護衛たる射撃隊を騎士の機動についていかせるのは不可能(全員分の馬など用意出来ないし乗馬訓練する時間もない)な上、そもそも騎兵戦力で劣っているのでいっその事騎士は防御的に使おうという事になった。そこで出てきたのがパイクである。カエサルがサリッサと呼んで説明したそれは、この世界でもかつて一揆いっき農兵が使ったが扱いきれなかった代物だが、武術の素地がある騎士ならば使えるだろうという結論になった。


 正直、2つも新戦術を投入するとは不安要素しか無いが、まともにやりあっては勝てないと踏んで導入した。なりふり構っていられなかったのだ。


 カエサルと言い合っている内に、両軍が布陣を完了した。


 北翼ではロートヴァルト伯の歩兵と敵の傭歩兵が対峙。

 中央では民兵隊が馬車要塞ヴァーゲンブルクを築き、敵の民兵もまたそうし、さらに傭騎兵が睨みを効かせている。

 南翼では下馬騎士隊がパイクを剣山のように掲げ(後ろの林に従者と馬を隠してある)、その前面に射撃隊。対峙するは敵の槍組を組んだ騎士隊。


 さらに両軍の間にクロスボウ兵や弓兵が前進している。


「……頃合いかな。紋章官!」

「はっ!」


 呼ばれた紋章官がやってくる。紋章官は軍使も兼ねる。戦闘が始まる前に敵に少し嫌がらせをしてやろう。ゲッツが要件を伝えると、それを羊皮紙に書き留めた紋章官は敵陣に向かって行った。



 ザルツフェルト伯は唸っていた。


 敵の布陣が妙だ。騎兵が少なすぎる。予備と思しき騎士隊が100騎ほど後方に見えるが、それだけだ。南翼の林の前に下馬騎士がいるが、長大な槍を構えてどっしりと布陣している。まさか騎兵戦力をまるまる捨てるとは思えない。絶対に隠しているはずだ。後方の林の中か……或いはあの丘の向こうか?ロートヴァルト伯軍が布陣する丘、その奥に騎士隊を隠しているのか。だとすれば、あの丘を叩くのはやぶ蛇を突く事になりかねない。


「傭歩兵隊に馬車要塞ヴァーゲンブルクを築かせろ、大急ぎでだ!」

「はっ!」


 これで北翼は動かせなくなり、必然的に戦闘は中央と南翼で決する事になる。中央は敵の馬車要塞ヴァーゲンブルクがあるため、まずは民兵で崩す必要がある。南翼はあの妙な下馬騎士隊。槍こそ騎士のランスと同程度に長いが、縦深が4列しか無い。前面に展開しているクロスボウ兵どもが邪魔だが、槍組が近づけば退くだろう。あとは射撃と歩兵突撃で削った薄い縦深を突撃で抜くだけだ。


 ザルツフェルト伯が頭の中で戦況図を描き勝利の方程式を導き出した時、敵方から紋章官がやってきた。しまった、思案している間にを打たれたか。ザルツフェルト伯は顔をしかめるが、即座に部下に金品を用意させつつ紋章官を招き入れた。


「ノルデン選定侯が、ゴッドフリート・フォン・ブラウブルク殿下より親書を預かって参りました!」


 袖なしの長衣を着て象牙製の白い杖を持った紋章官がそう告げる。隣に居るアデーレ――――観戦すると言って聞かなかった――――があからさまに顔をしかめる。


「ご苦労!危険な任務に敬意を表し、褒美ほうびを取らせる」

「ご厚意に感謝致します」


 紋章官に金品を手渡す。紋章官をもてなす事は貴族の威厳を保つために必要な事だ。寛大に扱う事で自信と度量を示せる。戦闘に勝った後にこの会戦を歌った詩を書き上げるのは彼らなのだ。機嫌を損ねて下手な詩でも書かれては末代までの恥だ。……紋章官の頬が緩んだのを確認し、ザルツフェルト伯は頷いた。


「さて、君の任務を果たし給え」

「はっ、親書を読み上げます。"――――狂気に陥ったアデーレ婦人をたぶらかし、卑しくもマクシミリアン陛下に対し挙兵したザルツフェルト伯エトヴィン・フォン・バウに告ぐ。直ちに矛を収め降伏すべし。さすればマクシミリアン陛下は寛大な御心を以て貴卿とその郎党を扱われる事であろう。また私もそのように口添えする準備がある"」


 ――――紋章官が大声で読み上げたそれは典型的な降伏勧告である。この程度なら簡単に反論する事が出来る。このやり取りは全軍に伝わり、その士気を左右するため重要だ。慎重に言葉を選んで自軍の大義を説き、敵の士気を挫くように返答せねばならない。……しかし親書には続きがあった。


「"なお、本件は既に皇帝陛下に報告済みであり、とご返答を賜っている"」

「バカな!」


 思わず叫んでしまった。皇帝陛下がゲッツのクーデターを承認しただと?あり得ない事だ、これはブラウブルク家内部の問題である。マクシミリアンに代わってゲッツが選定候位に就くならばまだしも、摂政である。いかに皇帝といえど口を挟むべき事ではない。常識はずれも良いところだ。一体どういう事か。


「……詳しく説明出来るか」

「はっ。ゴッドフリート殿下は皇帝陛下にこのように親書を送られました。"前選定候妃アデーレ乱心のため臨時で前選定候が弟、私ゴッドフリートが摂政に就きたく思いますが、皇帝陛下のご意見を頂戴したく思います"」

「……陛下のご返答は」

「"これは明らかに貴家の問題であり、私が口出しすべき事ではないように思える。によって解決すべきと考える" ――――以上です。ゲッツ殿下はこれを、"これはアデーレ婦人と自分が協議によって解決すべき問題であり、たぶらザルツフェルト伯は不埒ふらちな賊軍である" と解釈されたようです」


 拡大解釈も良いところである。しかし、アデーレと自分を分離して叩くとは中々痛い所を突いてくる。恐らくこのためだけに皇帝に親書を送ったのであろうが、「母親と子を引き離すべからず」と回答されるリスクもあったはずだ。にも関わらず送ったのは、相当切羽詰まっていたからだろう。その辺りをとつついてやろうか。


 しかしこれに対して怒ったのはアデーレである。


「どこまでも私を馬鹿にするのね、ゲッツ……!伯、私は正気であり、貴方は騎士道に則り私の求めに応じて軍を招集した。そう伝えなさい!」


 余計な事を、と思ったが口には出さない。それに自分に大義を与える内容であるから実際悪くはない。


「……返答する、こう伝えよ。"アデーレ婦人は神に誓って正気であり、私は騎士道に則りお助け申し上げたに過ぎない。むしろ摂政の地位欲しさに挙兵し不当にマクシミリアン陛下を拘束した、貴卿の正気をこそ疑う。理性的な協議の道を最初に断ったのは貴卿であり、獣のごとき欲望にまみれた貴卿を協議の場に引きずり出すには明らかに軍の力が必要であると考える。前述の通りこちらには協議の用意があり――――" ……婦人、条件は如何されますか」

「ゲッツが即刻僭称せんしょう摂政位を降り、ノルデン選定候領を去る事」

「協議の条件ですぞ?講和の条件ではありませぬ。それに多少寛大な措置にせねば権威に傷がつきます」

「……では辺境に騎士領を与えるのでそこで静かに暮らせと」

「伝えよ、"慈悲深きアデーレ婦人は貴卿に領土を与えると仰っている。母親として最大限の譲歩であるように思える。貴卿に少しでも騎士道を奉じる心が残っているのであれば、この条件を土台に協議に移るべきと考える" ……以上だ」


 紋章官が去っていった。反論しつつこちらに協議の用意がある事は示せた。母子の情を盛り込んだのも良策だろう。十中八九突っぱねられるだろうが、社会的に見ても寛大な協議の条件だ。これを突っぱねるにはそれなりの論理を持ってこなければ向こうの大義に傷がつく。


 程なくして紋章官が戻ってきた。


「返答をお伝えします。"暗殺者を送り込んだ挙げ句、失敗した腹いせに無辜むこの市民を手にかけておいて協議の用意があるとは、厚顔無恥も良い所である。その協議の場に暗殺者を忍ばせないと誓ったとして、誰が信じようか?"」


 ザルツフェルト伯は額に手をやった。数週間前にアデーレが金をせびってきたので何かと思えば、これだ。暗殺に失敗した挙げ句、敵に大義を与えるとは。実際暗殺というのは手っ取り早く、内戦を続けるよりは安上がりなので承認したのだが、相当な腕利きを雇ったにも関わらずこの結果である。最早神を呪いたくなってくる。


「ええと、続きがあるのですが」

「……読み上げろ」

「"――――暗殺という騎士道精神の欠片も無い女々しい手段に訴えたであるザルツフェルト伯、貴卿はおよそこの場でも会戦に及ぶ度胸は無いと察する次第である。その女々しさに免じて見逃して差し上げるので、早々に軍を引き上げてヴェストヒューゲル(ザルツフェルト伯領の最西端の寒村)に引っ込むべし。さすればその地だけは攻撃は免れ、貴卿をヴェストヒューゲルとして転封てんぷうしその身の安全を保証しよう"」

「……ふーっ」


 ザルツフェルト伯は大きく息を吐いた。これは、どうしようもない。女々しいだのだのというのは宣戦布告の常套句だ。暗殺云々について弁明したい所であるが、この文句を出されてから弁明するのはそれこそ女々しいと取られる。この舌戦のイニシアチブは最初から相手にあったのだ。もっと早くこちらから宣戦布告すべきであった。


 ザルツフェルト伯は目を見開き憤怒の表情を作ると、紋章官どころか全軍に聞こえるように叫んだ。


「調子に乗った若造が!……紋章官、伝えろ! "私はもやし野郎ではないので退かず、その挑発を買おう。貴卿とその郎党をこの地で殺し尽くし、その死体をヴェストヒューゲルに運び込み肥やしにしてくれる。来年彼の地で栽培されるはさぞ美味かろうよ!"」


 紋章官が去っていった。舌戦では劣勢だったが、幸いにしてこちらの最後の返答を聞いた我が軍からは歓声が上がっていた。終わりよければ全て良しだ。やれる、十分にやれる。何より、結局は軍で叩き潰せば良いのだ。


「クロスボウ兵を前に出せ!敵の騎兵は劣勢だぞ、存分に撃て!」


 かくして、後世に「ナッソーの戦い」と呼ばれる会戦が始まった。

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