第54話「宿屋」

 川沿いに北上すること1日、ノルマルク市に着いた。ブラウブルク市と同じくらいの大きさで、城壁も同じくらいに見える。川が南北に街を貫通し、そこを通って次々と物資が街の中に運び込まれている。


 現在ゲッツ派軍の規模は1000人を超えない程度だが、それでも全員分の宿は無いとの事で城壁の近くに野営地が設営された。……が、僕たち冒険者ギルドは「摂政の護衛隊」という位置づけのためか団長もろとも市内の宿に泊まる事が許された。役得である。


「市長に頼んで宿は押さえて貰ってるからな、後でドーリスから割り振りを聞いておくように。……で、今後の予定だが。当分はノルマルク市で待機だ。ここで軍が集結するのを待つ」


 僕は少しホッとした。3日程度の行軍だったが、道が悪いせいで大分疲労していたので(ひどいと数カ月間行軍しっぱなしという事もあると聞いてぞっとした)、骨休め出来るのはありがたい。


「待機中は昼間は訓練に充てるつもりなンでそのつもりでな」


 ……休まりそうにはなかった。


「それと、これから今晩は貴族と市の幹部とで祝宴しゅくえんが開かれる。俺も出るンだが、権威付けとして護衛兵が必要だ。お前らの中から選ぶ事になるが……」


 団長は冒険者ギルドの面々を見渡す。


「【鍋と炎】でいいか。お前ら、午後5時に城に集合な」

「ええっ団長、新人パーティーで良いんですか?俺たちを、いや俺だけでも連れてって下さいよぉ!」


 抗議の声をあげたのは【たかの目】のリーダーであるヴィルヘルムさんだ。僕としても、何かあった時に団長を守り切る自信はない……というか【鍋と炎】3人かかりでも恐らく団長の方が強いので、【鷹の目】に行ってもらった方が良いと思ったのだが。


「ノルマルク市はこちらに友好的だ、暗殺の心配もェから戦闘能力はいらん。問題は見た目だ、見目麗しい方がウケが良い」


 団長はイリスとルルを見た。


「そりゃあそうでしょうが、俺だって容姿にゃ自信がありますよ。それに話術だって」


 ヴィルヘルムさんはイリスとルルを見た。……ねえ僕は?


「そこが問題なんだよ、お前放っておいたら手当り次第に女に手ェ出すだろうが!市長の娘っ子に傷でもつけてみろ、関係悪化じゃすまねンだぞ!」

「いやいや傷だなんてそんな、花を愛でるように扱いますとも」

「うるせェー、大人しく娼婦しょうふでも買ってろ!」


 ヴィルヘルムさんは肩をすくめて引き下がった。祝宴に参加する女性をひっかけるのは口実で、確認したかったのは団長の安全だけだったのだろう。……と思ったら「じゃあ酒場で女ひっかけて来るかぁ!」と足早に去ってしまった。この人は……。


 団長からの連絡はそれだけで、ドーリスさんから宿を教えてもらって今日は自由解散となった。まだ昼前なので、集合時間の午後5時にはまだ猶予がある。【鍋と炎】は宿に荷物を置いて昼食でも摂ろうという事になった。



「はいはい、お待ちしておりましたよ。こちらにどうぞ」


 老年の宿屋の店主に案内され、2階に通される。レンガと木材の複合建築で、古さは感じさせるが良く手入れされているのがわかる。この世界に来て始めての宿屋なので、僕は少しワクワクしていた。RPGっぽくて良いな、こういうの。


「こちらの部屋です」


 老店主が扉を開いた先には、広いベッドが置かれた6畳ほどの部屋が広がっていた。調度品はシンプルだが、タンスにランプ、水盆など必要最低限なものは揃っている。


「おおー……じゃあ、ここどっちの部屋にしようか」


 と僕が言うと、全員が頭上に疑問符を浮かべた。……うん?


「どっちのって……全員の部屋でしょ」

「えっ」


 えっ?


「……そのう、男女別では?」

「そんな訳ないでしょ。団長もちとは言えお金は有限なんだし、私達パーティーでしょ?」

「でもベッド1つだよ!?」

「そりゃ出来るなら別けた方が良いけど……」

「生憎、他の部屋は全て埋まっておりまして。他の宿屋も同じような状況ではないですかな、貴族がたの護衛隊やら何やらが押しかけておりますので」


 なんという事だろう。修学旅行中の宿泊では当然ながら男女の部屋(それどころか階まで)が別けられていたのでそういうものだと思っていたのだが。……だがこれは大変な役得では?イリスとルルと……同じベッドで……?


「大体理解した」

「スケベな事考えてるんでしょうけど、私達さんざん野営で同じ場所で寝てるでしょうが。今更何気にしてるのよ……」

「カンガエテナイヨ。……そういえばそうだったわ」


 そういう問題だろうか。野営と屋内では大違いではないだろうか。僕が気にしすぎなのだろうか? ……「おやおや」と口に手を当ててニヤニヤしている老店主が憎らしい。


「……さて、各種サービスのご説明ですが。お嬢さんが仰った通り宿代は摂政殿下にお支払い頂きますが、ランプの油は有料です。水は公共井戸からご自身でんで下さい、まき代を頂ければ沸かす事も可能です。あとは食事ですが、事前にご用命頂ければ用意出来ますよ。妻の作るシチューは大層評判でしてな、是非ご賞味下さればと」

「へぇ、良さそうね。明日の朝は頼んでみる?今はその辺でさっさと済ませましょう」

「そうしようか」

「じゃあ明日の朝はお願いします」

「畏まりました」


 他に確認すべき事はあるだろうか、と頭を巡らせてみる。そうだ。


「近くに風呂屋ってあります?」

「ございますが、今日はもう閉まっておりますよ」

「えっ、夜まで営業してないんですか」

「ああ、あなた方はブラウブルク市からいらしたのですね?この辺りは下流域ですからなぁ、綺麗な水を汲むのはブラウブルク市よりは骨なのです。それに火炎魔法使いも然程おりませんから」

「そ、そうなんですか。……どうしよう、祝宴に行くなら身綺麗にしておいた方が良いよね?」

「それもそうね……」

「蒸し風呂ならうちで用意出来ますが。厨房のかまの熱を使うので、薪代を頂く事になりますが……」

「他に手段が無さそうだし、そうしようか」

「で、どうせ窯に火を入れるのですから食事も一緒に如何です?多少お安くしますよ」


 老店主はニコニコしている。商売上手だなぁ……。


 結局、蒸し風呂のついでに昼食も頼む事になった。シチューは時間がかかるとの事なのである意味都合が良かったかもしれない。



 たっぷり2時間ほど使って順番に蒸し風呂に入ってさっぱりした後(女子が長い)、老店主の奥さんが作ったシチューで昼食にした。バターを熱しながら小麦粉を溶き、それを野菜とベーコンのスープに混ぜ込んで煮込んだのだというシチューは、老店主の前評判通り絶品だった。小麦粉でとろみのついたスープが舌を包み込み、野菜のダシとベーコンからみ出した塩気をじっくりと味あわせてくれる。それを飲み干せばバターとベーコンの香り、さらにハーブの爽やかな香りが鼻から抜けてゆく。


「美味しい……」

「の、農村で使ってるのと同じ食材なのに都市の味がしますー!」


 イリスとルルもそれぞれ満足しているようだった(都市の味って何だ?)。


「妻は昔、貴族に仕える侍女でしてな、料理を担当していたのですよ」

「このシチューは奥様に教えて頂いたのですよ。ですからこれは都市というよりは貴族の味ですかねぇ」


 ニコニコ顔の奥さんが言う。貴族的なのかはわからないが、確かに普段僕がブラウブルク市の居酒屋や食堂で食べるスープより遥かに上品……というか手が込んでいる味がする。


「本当はニンニクも入れるんですけどね、この後祝宴に向かわれると伺っていたので抜いておきました。"本当の味"にご興味があれば、是非夜にでも」


 本当に商売上手だなぁ。僕は苦笑しながらも、明日にでも頼んでみようという気になっていた。

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