第53話「知識チート(未遂)」

 朝、村の湧泉で水を汲むための長蛇の列に並んでから、僕は鍋にんでおいた水にタオルを浸して身体を拭いた。


「……便利ねそれ。もう一度汲みに行くの面倒だから、私も使っても良い?」

「どうぞ」

「あ、じゃああたしも……」

「どうぞどうぞ」

「っていうかあんた、結構綺麗好きよね」

「そうかな?」

「普通、平民は週に2回か3回しか風呂に入らないわよ。なのにあんた、毎日のように風呂屋に通ってたじゃない」

「そういうもんかな。そういうイリスも毎日風呂屋に行ってなかった?」

「そりゃあ……その……同居人に迷惑かけたくないし」


 ……僕の事、気にかけてくれてる?? それは、ちょっと嬉しい。


「とにかく、こっち見ないでよね」

「はいはい」


 返事をしながら後ろを向き、自分の身体を拭き上げる―――――ついでにちらっと後ろを見てみたが、しっかりルルがマントでイリスの背中を覆い隠していた。イリスはマントを前にして、中で身体を拭いているのだろう。


 一抹の残念さを覚えながら、ルルが居て良かったと思った。男世帯だとこういう風に協力して身体を清める事も出来なかっただろうし。


 2人が身体を拭き終えるのを待ってから、僕はある事に気づいた。


「……このタオルどうしよっか」

「あー……」


 鍋に汲める水は少ないので、タオルを洗う分の水は残っていなかった。ちらと川の方を見てみるが、騎士隊の馬や馬車馬達ががぶがぶと水を飲んでいた。それに。


「……川はやめておきなさいよ、上流から流された汚物が入ってるから」


 結局、3人で水汲みの列に並び直す事になった。



 その後、食料の配給が行われてから行軍が開始された。ちなみに食料は1日分をまるごと支給され、1人あたり1kgはありそうだ。中々の量だが、副食類が一切ないのでそれらを持ってきていないと一日中パンだけで過ごす事になる。弁当は白米だけ、おやつもなしの遠足を想像するとげっそりするが、幸いまだ野菜もベーコンもあるし、お金があるうちは商人達から買う事が出来るが、そういった蓄えのない兵は中々に悲惨な思いをする事になるだろう。


 行軍というのは冗長じょうちょうなもので、まず騎士隊が先発するが道幅の問題で隊列は縦長になり、彼らの列がはけてからブラウブルク市民兵隊が続く。時計がないので正確な時間はわからないが、騎士隊が出発してから10分か20分経ったあたりで、やっと僕たちは歩き始めた。


「……道が!悪い!」


 歩き始めてすぐに僕は文句を垂れてしまう。というのも、道は村の近辺は砂利が敷かれていたが、すぐに土がむき出しに変わってしまったからだ。おまけにそれを騎士隊の馬達がいく上に馬糞をぼとぼとと落としていくのだからたまらない。ハイデ村の時も大概だったが、今回は規模が大きいので道の状況は悪化していた。


「まだまだマシな方ですよー。あたしの村が襲われた時は雨上がりでしたからね、敵軍の馬に耕されちゃって道が殆ど泥になってました」

「おおう……」

「おかげで避難が大変で」

「ルルも大概苦労してるよね……」

「まあ、何だかんだ生き残ったから良いんですけどね!」


 ルルはからからと笑う。この世界の人たちはたくましいが、彼女は一際逞しいように思える。……いや、あまり深く考えない性格なのかもしれないけど。


 そこで、行軍の列が端の方に避け始めたので何だと思って見てみると、下流から船が馬にかれて遡上そじょうしてきていた。当然ながら馬は陸地、それも道路上を歩くので、彼らのために道を空けねばならない。列が避けたのはそういう事か。そして、避けた事で行軍が滞り渋滞が起きる。先頭の方は進んでいるようだが、僕たちはいくらか足止めを食らう事になった。


「……なんというか、冗長だねぇ」

「同感ね、私も本格的な行軍は始めてだからびっくりよ」

「普段の交通だとこういう渋滞って起こらないの?」

「道のど真ん中で馬車が壊れたりするとこういう事になる、くらいかしらね。基本的に往来はそこまで激しくないから。多分船の方が頻繁に渋滞してるんじゃない?ほら」


 イリスが指差したのは川。丁度、上る船と下る船が鉢合わせていた。上る船はロープで牽引するわけで、それが邪魔で下る船が通れないのだ。


「おおう……やっぱり不便だなぁ。船に動力付ければこんな事起こらないのに」

「海くらい広ければ手漕ぎのガレー船とか、帆船が使えるんだけどね。もちろん、川でも流れが緩やかなら帆船も使えるんでしょうけど」

「そうじゃなくて、うーん。風車みたいなのを水の中に入れてさ、それを回せば動力になるんじゃない?」

「技師じゃないからわからないけど、水の上を進めるくらい高速で風車を回すのは難しいんじゃないかしら」

「ダメかー」


 確かに人力や馬力じゃ高速でスクリューを回すのは難しそうだ。ならばやはり蒸気機関あたりから始めるしかなさそうだ。知識チートを諦めきれない僕は、昼の休憩中に行軍についてきていた鍛冶屋に話を聞いてみた。蒸気機関に必要なのは多分、蒸気の圧力に耐える強靭な鉄の筒だ。


「鉄の筒って作れます?こう、細長くて密閉されてて、強度が高いのを」

「出来なくはないが、多分クソ重くなるぞ?」

「えっ、どうしてです?」

「鉛とか銅なら鋳造ちゅうぞうで良いがよ、強度はお察しだ。鉄鋳物いものもすぐ曲がるし割れるから太くするしかねぇ」

「鋼鉄はダメなんです?」

「鋼は溶かせねえよ……」

「じゃ、じゃあ鍛造たんぞうなら」

「ハンマーで曲げられる薄さの鋼板を棒鉄に沿って曲げるとしよう、それで筒にはなるが……巻き終わりの部分がどうしても隙間が出来るから密閉はされてねぇわな。そうなると何重にも鋼板を巻きつけて無理やり隙間を塞ぐしかないんじゃねぇか?結局重くなる」

「ならドリルで鋼の棒に穴を空けるのは!」

「風車か水車に接続したドリルなら出来るかもしれんが、聞いたこともねぇよ。動力付き工具なんてハンマーくらいのもんだ。第一そんな大規模な設備で筒なんざ作ってどうするんだ」


 鍛冶屋に怪訝けげんな顔をされてしまった。……そういえばこの世界で銃を見たことがない。そうか、だから鉄の筒を作る技術が発達してないのか……。


 こりゃ僕の知識で技術革新を起こすのはムリだ、とトボトボとパーティーに戻った。アイデアだけ伝えてヴィムに何とかしてもらおうにも、前提技術が発達してないのだから無理だろう。まずは銃を作って鉄の筒を作る技術を発展させなければならないが、そもそも火薬の作り方がわからない。異世界転生して銃を作る小説や漫画は良くあるが、あいつらどこで火薬の作り方なんて覚えたんだろう。



 午後も雑談しながらゆるゆると行軍していると、川の流れが北向きになったのでそれに沿って隊列も北へと向かう事になった。


「ねえ、そういえばザルツフェルト伯領ってどの辺なの?」

「ここからまっすぐ西に向かえば2日くらいの距離よ」

「でも僕たち北に向かってない?どこかで川の流れが西向きに戻るの?」

「ならないわよ」

「……じゃあなんで北に向かってるの?」

「この先にノルマルクって街があって、そこの近くに別の川があるの。それはザルツフェルト伯領を通ってるから、まずはノルマルクを目指してるんでしょ」

「そんな遠回りせずに普通にザルツフェルト伯領に直行すれば良くない?」

「陸路で突っ切るってこと?船が使えなくなるから馬車で食料と飼葉を運ぶ事になるけど、たぶん積載量的に馬車馬の飼葉しか運べないわよ。私達の食料が運べなくなる」

「ええ……」

「馬車と船じゃ効率が段違いなのよ……」

「でも僭称せんしょう皇帝軍はさ、メーアグナーデ川沿いじゃなくて南からやって来なかった?皇帝軍もそれを追っていったし……」

「あれだって別の川からの最短経路よ。で、運べなくて足りない食料は徴発か略奪で手に入れるってわけ」

「それは、ダメだ」

「でしょ」

「……じゃあ各地にガソリ……飼葉スタンドみたいなのを作るっていうのは」

「面白いわねそれ。団長に進言してみたら?」


 そういう事になり、休憩中に団長(摂政になったというのに冒険者ギルドには団長と呼ぶように指示してるし、割と気軽に陣営を歩き回っているのですぐ捕まえられた)に飼葉スタンドのアイデアを伝えてみたのだが。


「維持費誰が払うンだ」


 ダメでした。

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