第52話「行軍開始」

 6月の暖かな日差しの中、ゲッツ派軍は行軍を開始した。といっても今ここに居るのは全軍の1/3程度だそうで、現在はアデーレ派の領地――――ザルツフェルト伯領――――に向かいつつ、合流地点を目指している段階だ。


 ブラウブルク市の東西を貫通する中川ツェンターフルスは市を出ると、幾つかの支流と合流してメーアグナーデ川と呼ばれるようになる。「恵み多き」という意味らしいが、その名の通り川沿いに村が点在していた。軍は川沿いに進むためそうした村々を通過していく事になるが、摂政となった団長から乱暴狼藉ろうぜき・略奪は厳しく禁止されている(即刻死刑)ため穏便に通過していく。それどころか、村民達は僕たちに笑顔でエールを送ってくれる始末なので揉め事は起きそうもない。この地域は団長への支持が厚いようだ。


 だが、大規模な軍隊が行軍する時は――――僭称せんしょう皇帝軍がハイデ村に来た時のように――――軍を養うために村々から食料を徴発するのが常と聞く。今回食料は配給されるらしいが、一体どこから食料を手に入れるのだろう?行軍の歩調は緩やかなものだったので、雑談が弾む。その点を話題に上げてみた。


「村から買い上げるんじゃないです?今6月ですし、丁度麦の収穫期なのでもう少し待てば快く売ってくれると思いますよ」

「あ、麦って6月収穫なんだ」


 日本だと9月頃、早いと8月頃から新米が出始めるのですっかり秋が収穫期だと思っていたが、麦はそうではないらしい。


「そうですよー。秋頃に植えて、6月収穫です。……農村では一番人手が必要な時期ですから、今募兵されると困る農村も多いんじゃないですかね」

「やっぱり収穫って大変なんだ?確かに鎌でざくざくやるのは……」

「いや刈り取りもそうですけど、食べたり売ったり出来る状態にするには結構作業が必要なんですよ」

「へえ?」

「刈り取って乾燥して脱穀してふるって精選して乾燥して、最低限ここまでですね」

「意外と工程が多い!そりゃ人手が必要なわけだ」

「ですねー。で、食べるためには石臼でかないといけないので結構面倒です。まあこれは各村・各街での作業ですけど」


「……じゃあ、この時期の戦争って……」

「農村出身からするとまあ、ありがたくはないですね!」


 それでも農村の人たちが僕たちを笑顔で送り出してくれるのは、ゲッツ派軍にそれだけの大義があるからだろうか。


「……でも出荷状態になるにはさっき言ってたみたいに時間がかかるんでしょ?それまでの間は僕たちの食料どうするんだろうね」

「そういえば、即位式の前に食料価格が跳ね上がってたわよね。あれ、団長の息のかかった商人に麦買い占めさせてたんじゃないかしら」

「なるほど?」


 そんな話をしていると、メーアグナーデ川を船団が下ってゆくのが見えた。積荷はパンと飼葉だった。そしてこの川の上流は、ブラウブルク市だ。


「……そうみたいだね」

「でしょ」


 団長も事前準備していたんだなぁ。それにしても、食料価格の高騰こうとうに加えて農村への迷惑と、やはり戦争は平民に迷惑がかかる。今回は僕たちの生活と権利を守るための戦いとはいえ、一抹の申し訳無さを感じてしまう。……早く終わらせないとな。僕に何が出来るのかはわからないけど。


 すいすいと川を下っていく船団を眺めながら決意を固めるが、ふと疑問が浮かんだ。


「ねえ、あの船って上りはどうするの?手漕ぎ?」


 船には帆が無く、当然ではあるがエンジンも付いていない。下りは流れに任せていれば良いが、上りの動力はどうするのだろうか。


「馬に岸からロープでかせるのよ。もう輓馬ばんば隊は先発して下流で待ってるんじゃないかしら、そうすればすぐに引き返してまた食料運べるし」

「じ、人力だぁ」

「馬力でしょ」

「それもそうか」


 この世界の主要な動力は馬だ。バイクの代わりに馬、トラックの代わりに馬、ルルによれば畑を耕すのにも馬を使うらしいので耕運機の代わりにもなる。とにかく現代日本でエンジンがついた機械の代わりに馬が使われる。いや、歴史的には馬の代わりにエンジンが使われるようになったと言った方が正しいのだろうか。


 そんな取り留めもない話をしながら行軍し、西の空が赤くなってきた頃には大きな村の郊外で野営する事になった。騎士隊、ブラウブルク市民兵隊(僕たちもここだ)、ロートヴァルト伯軍がそれぞれ野営地を設営し始める。ちなみに構成は騎士隊が400(先発隊として100騎が先行しており、ここには居ない)、民兵隊が200(クロスボウ兵だけで、残りは市で留守番だ。団長は彼らの損害を嫌ったのだろうか)、ロートヴァルト伯軍が200だ。最も規模が大きいのは騎士隊だが、彼らは従者やら馬の世話係やらがつくので実際の人数は2倍から3倍に見える。


 しばらくすると、僕たちの野営地から少し離れた所に大規模な野営地がもう1つ設営され始めるのが見えた。


「あれは?」

「商人とか娼婦しょうふじゃない?」

「あー……」


 エルゼさんが言ってたのはあれか、と言いかけて口をつぐむ。


「他にも刀剣鍛冶とか甲冑師、靴屋とかも来てるはずだから、困ったらあっちの野営地に行くと良いわよ。商売熱心な奴らは呼ばなくてもこっちに売り込みに来るでしょうけどね」

「へぇー……ああいうのって、団長が雇ってるの?」

「まさか!勝手に着いてくるのよ」

たくましいなぁ」

「戦闘があれば剣も鎧も傷つくし、行軍すれば靴もすり減るからね。大きな商機なんでしょ。逞しいなっていうのは同意するけどね。もしこっちが負けたらついでに略奪されるのは彼らなんだから」

「おおう……負けられないね」


 イリスとルルは頷いた。勝手に着いてきたとはいえ、民間人が傷つくのは気が引ける。数ヶ月前までは日本で民間人やっていたはずだが、不思議とそんな思いが芽生えていた。


「……ちなみに、娼婦も着いてきてると思うけど」


 イリスのその言葉にびくりとする。


「一夜限りの夢、買ったりしないわよね?」

「か、買わないよ」

「……行軍中はまともに身体も洗えないのは娼婦たちも同じだからね、病気とか怖いからね」

「わ、わかってるよ」

「女の匂いさせてたらすぐにわかるんだからね」

「わかってるって!」


 そう言うとイリスはふんと鼻を鳴らして食事の準備を始めた。……昨日の事、バレてないよな?あの後もう一度身体を洗ってから帰ったし。


 ……というか彼女は何故そんなに娼婦を買う事を気にかけているのだろうか。やはり病気を気にかけているのか、それとも。


 結局、やぶ蛇を突く事になりそうなのでその点は聞くことが出来なかった。船団から積み下ろされたパンが配られ、そこに自分たちで持ってきた野菜やベーコンでスープを作って夕食にした。パーティーで野営キャンプするのはもう何度目かになるが、やはり気分で楽しい。やがてワインも配られ(なんと配給に含まれているらしい)、それを飲みながら3人でわいわいと雑談して過ごした。


 すっかり日が落ちた頃に寝る事になり、マントに包まって身を横たえた。見張りを命じられた部隊が散っていくのが暗闇の中に薄っすらと見える。


「じゃ、おやすみイリス、ルル」

「おやすみ」

「おやすみなさーい」


 行軍1日目はこうして終わった。これから毎日、こんな感じで平和なら良いのになぁ。

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