第46話「動乱」

 葬儀が終わり、短い休憩を挟んで即位式に移行した。さっきまで号泣していた選定候妃――――アデーレはそそくさと退出し、すぐに化粧を直して戻ってきた。全く変わり身の早い事だとゲッツは感心しながら、参列者達を見渡す。休憩の間に青い布を腕や兜に括り付けた者が何箇所かに固まって見える。参列者全体からすれば5割程度だが、2週間足らずで呼応させられた諸侯や騎士はこれがほぼ全てだ。ここに集まっているのは諸侯らの精鋭兵達と騎士だけで、そこにブラウブルク市民兵隊がかさ増ししているためこの場では5割近い戦力比だが、諸侯らの全力動員数ではこちらの戦力は3割にまで落ち込む。どうにかして各領地の平民を抱き込まねば内戦には勝てない計算だ。


 だが嬉しい誤算として、騎士の多くがゲッツに呼応してくれた。税収の少ない小さな領地しか貰えぬにも関わらず真っ先に戦争に駆り出される彼らは、ここ数十年でみるみる内に貧困に陥っていたのだ。彼らは新たな領地を欲している。代官として選帝侯領の各地に派遣される者達もそうだ。


 自分の領地が欲しい。彼らは皆、アデーレを君主と仰ぐのが嫌でゲッツについたわけではない。単純に、内戦が起きればアデーレ側についた諸侯の領地を切り取れる、だから内戦を起こしてくれる方につく。そういう考えだろう。


 参列者の中に、青い布を腕に巻きつけたアルバン――――ハイデ村の代官の姿がある事を確認し、ゲッツの頬が緩む。もちろん彼とて領地は欲しかろうが、自分が顔を繋いだ者の姿があるのはゲッツにとって慰めになった。


 他にも教会の牧師達や市参事会のメンバー、ブラウブルク市民兵隊も呼応してくれた。仕込みはまだまだあるが、勝算は十分にあると頷ける程度の戦力は集まっている。後はせいぜい上手くやるしかない。


 やがて即位式が始まった。式の司会進行は教会の長老――――ノルデン選定候領の教会のトップが執り行う。聖句を織り交ぜながら長々と祝福の言葉が述べられ、ついにマクシミリアンの名が呼ばれる。


「偉大なる前選定侯フリードリヒ陛下が第1子、マクシミリアン・フォン・ブラウブルク殿。貴卿は神の教え、諸侯の権利、平民の生命と安寧。それらを守り、このノルデン選定候領の守護者として振る舞う事を誓いますか?」

「誓います」


 若干8歳の少年であるマクシミリアンは背筋を伸ばし、頷く。大急ぎで仕立てた豪奢ごうしゃな礼服で着飾った彼の表情は固い。この歳で2千弱の諸侯とその兵、さらにはその数倍の市民に見守られているのだから並大抵の緊張ではないだろう。長老の計らいでマクシミリアンが述べるべき言葉は極限まで減らしてあるとはいえ、子供にはあまりにも重い重圧の中、彼はそれをよどみなく述べきった。そして長老が、ブラウブルク家に代々伝わる宝剣をマクシミリアンに手渡す。その重さによろけながらマクシミリアンが宝剣を抜き放ち天高く掲げると、割れんばかりの歓声が上がった。


「「「ノルデン選定候陛下、マクシミリアン様万歳!」」」


 ゲッツも拍手を送る。後ろめたさが鎌首をもたげるが、それを必死にかき消す。……マクシミリアンが宝剣をさやに納め席に戻ると、次は摂政就任の挨拶だ。


「続いて摂政就任の挨拶です。アデーレ様」

「はい」


 アデーレが前に出る。摂政就任は完全にブラウブルク家内部の問題なので教会が絡む事ではなく、このままアデーレが挨拶して終わりだ。そのはずだった。しかし彼女が口を開く前に長老が言葉を紡ぐ。


「皆様、摂政就任の挨拶の前に少々お時間を頂きたく思います」

「長老殿、一体何を……」


 頬を引きつらせたアデーレが長老をにらむ。こんなものは式次第に無いぞととがめているのだろう。しかし長老はその視線を鼻で笑う。


「教会としてはどうしても確認しておかねばならぬ事があります。貴女は新教を奉じるノルデン選定候領の摂政たらんと欲しておられるようですが、当然ながら貴女も新教の教えに帰依するのでしょうな?」

「ッ……!」


 アデーレが南方出身の貴族で、旧教徒だというのは周知の事実だ。万一にでも領内を旧教に回帰されては困るので掣肘せいちゅうしに来たか。アデーレはそう解釈した。信仰を捨てるというのは自分の価値観、人生を捨てるのに等しい。だがここでゴネて教会と揉める――――そしてここに参列している新教諸侯との関係を悪化させるのも得策とは思えない。全ては息子のためだ。彼女は確かに頑固であったが、馬鹿では無かった。煮えくり返るはらわたの熱をどうにか理性で冷まそうとするが。


「そいつの信仰告白なんざ信じられるか!ザルツフェルト伯のくわえた口から吐き出された信仰告白なんざなぁ!」

「――――は?」


 アデーレの思考が停止した。


 今聞こえてきた音は何だ?蝶よ花よと育てられてきたアデーレにとって、今投げかけられた音はあまりにも下品で聞き慣れず、それが言葉だと理解するのに数瞬の時間を要した。どうやら今の言葉を吐いたのは見物の平民だ。平民が私を罵倒ばとうしたらしい。そしてその罵倒の意味を理解した時、停止していた思考は怒りを帯びて爆発的に再始動した。


「げ、下賤げせんのクズがッ!この私に、私になんたる……ッ!衛兵隊!そやつを捕らえ即座に縛り首にせよッ!」


 しかし命令された衛兵隊の動きは鈍かった。それがさらにアデーレの怒りを加速させる。そしてそこに、にんまりと笑った長老が追撃をかける。


「アデーレ様、あの噂は……ザルツフェルト伯と姦通かんつうしていらしたという噂は本当なので?」


 全くこの場に相応しくない態度に質問であったが、激昂げっこうしたアデーレは気づかないどころかさらに怒りの炎を燃え上がらせた。


「そんな訳ないでしょう、根も葉もない噂です!誰ですかそのような噂を流布したのはッ!?口にした者全員、捕らえて縛り首にしてやります!」

「ええい何をしている衛兵隊、早く捕らえんか!そやつは私の名誉をも傷つけたのだぞ!」


 アデーレと同じくらい顔を怒りに歪ませ叫ぶのは噂のもう1人の主、ザルツフェルト伯その人だ。彼は親アデーレ派と目されていた。2人が姦通していたなどという事実は無い。しかしゲッツが欲したのは今このように2人が声を揃えてがなりたてる姿であった。2人がそうすればそうするほど、噂をもみ消そうとしているように見える。冷静に考えれば単純に根も葉もない噂に対して怒っているだけなのだが、今この瞬間だけは「姦通していた2人が妙に息の合った否定をしている」というショーの演者になってくれれば良い。民衆の中に紛れ込んでいる盗賊ギルドの構成員達が「おいおい、あんなに仲良く怒ってるぜ。噂は本当なんじゃないか?」と近くの市民にささやくき、市民達の思考を誘導する。


「アデーレ殿、落ち着きなされ!平民の暴言など後でゆっくり裁判にかければ良いではないですか!」


 長老がアデーレをたしなめるが。


「平民に裁判など不要!この場で処断せねば示しがつきません!」

「まかり通りませんアデーレ様!平民といえど貴族と同じ様に正式な裁判を受ける権利があります!新教の教えですぞ!」


 一応そういう事になっているが、貴族の権利の強さ故に大抵は無視される教えだ。当然アデーレもそのような認識であった。


この高貴なる青い血と汚らしい赤い血が等価などと認めてなるものですか!」


 アデーレがその言葉を吐き出した瞬間、寸劇をニヤニヤと眺めていた平民達の顔から笑みが消えた。そして彼らの顔に浮かんできたのは怒り。有名無実化した教えであっても、公然と否定して良いかは別問題だ。


「あっ――――」


 雰囲気の急変に、アデーレは冷静さを取り戻した。まずい。失言をどうにかして撤回せねば。急速に冷めた頭で必死に思考しようとするが、長老はその隙を与えなかった。


「皆様、お聞きになられましたな!?アデーレ様は新教の信仰を真っ向から否定なされた!先の戦争でまことの信仰のために散った彼女の夫、フリードリヒ陛下の御心みこころを踏みにじられたのです!なんたる不義理か!」

「違っ―――今のは言葉のあやです!私は冷静さを欠いて――――」

「ご乱心であらせられたと!?そのような御方にマクシミリアン陛下の摂政など務まるとは到底思えませんなぁ!――――そうでしょう、ゲッツ殿!」


 やっと出番か、とゲッツは重い腰を上げた。にんまりと笑う長老が憎らしい。だが強引にせよ上手いことこの場を作り上げてくれたのだから称賛する他ない。ゲッツは戦場でよく響く声を、今この瞬間最大の武器として使用した。彼は大音声だいおんじょうで告げる。


「アデーレは我らのまことの信仰を否定された挙げ句、ご乱心遊ばされた!よって摂政の資格なしと判断し、前選定候陛下の弟であるこのゴットフリート・フォン・ブラウブルク、人呼んでゲッツが臨時で摂政に就く!賛同される者は是非拍手を!」


 割れんばかりの拍手と歓声が見物に押し寄せていた市民から沸き起こり、続いて青い布を巻きつけた諸侯や騎士達もがちがちと手甲を打ち合わせ賛同した。本来誰が摂政に就くかはブラウブルク家の問題であり、諸侯や市民の賛同は必要ない。しかしブラウブルク家の人間であるゲッツが彼らを巻き込んだ事により、今この瞬間に諸侯と市民の意志に権威が生まれてしまった。


 そうして生み出された権威――――正確にはブラウブルク家から切り売りした――――を利用し、ゲッツは畳み掛ける。


「衛兵隊、婦人には療養が必要だ!丁重にせよ!」

「はっ!」


 予め調略しておいた衛兵隊がアデーレを取り囲もうとするが、彼女のお付きの騎士がそれを阻む。


「ゲッツゥゥゥゥゥゥッ!」


 アデーレは激昂しながらも使える手駒を探した。あの青い布を巻いた者達はおそらくゲッツの賛同者だろう。だがその数は参列者の4割にも満たない。力づくで捻り潰せる。そう判断した彼女は叫ぶ。


「ザルツフェルト伯、それにブラウブルク家のを認める諸侯よ!あの者を殺しなさい!それにマクシミリアンの保護を!」


 アデーレはお付きの騎士とともにザルツフェルト伯の兵の中に収容され、それと同時にザルツフェルト伯が動き出す。


「アデーレ様は保護した!皆のもの、ゲッツを殺せ!秩序を取り戻せ!」


 彼らに続いてアデーレ派の者達がゲッツの元に押し寄せるが。


「撃ち方ァ!」

「ぐわっ!?」


 横合いから魔法や矢が雨あられと降り注ぎ、親アデーレ派の軍勢の先鋒を吹き飛ばした。続いて飛び出してきたのは冒険者ギルドだ。盗賊ギルドの手引きで路地裏を移動し、式場の近くに潜んでいたのだ。


「【たかの目】、マクシミリアン陛下をお守りせよ!【ゲルマニカ】と【ガッリカ】はゲッツ殿の前に展開!」


 カエサルに指揮された冒険者ギルドが式場に乱入し、瞬く間にマクシミリアンを収容しゲッツの前面に戦列を形成する。中心に据えられた【ゲルマニカ】と【ガッリカ】の盾には青地に黄色のわしが描かれ、それが盾の壁シールドウォールを形成し後続のアデーレ派の軍勢を押し止める。この急造ローマ軍団兵達は親アデーレ派の精兵達の初撃を見事に受け止めた。流石に圧倒的な数的不利により圧され始めるが、カエサルの指揮で柔軟に機動しアデーレ派の勢いを受け流してゆく。


「ゲッツ殿!」

「ご苦労!カエサル、あんたはそのまま【ゲルマニカ】と【ガッリカ】の戦闘を指揮しろ。他のパーティーは俺が指揮する!」

「承知!」


 アデーレ派の軍勢は正面突破は時間がかかると判断し、側面に回り込もうとその隊列を薄くし始める。その瞬間にゲッツは声を上げた。


「諸君、我らが選定侯をお守りせよ!」

「「「おおッ!」」」


 ゲッツに呼応し身体に青い布を巻きつけた諸侯らが動き出した。隊列が薄く伸び始めていた親アデーレ派の軍勢の側面や背面に襲いかかった彼らの攻撃は、完全な奇襲となった。最初の一撃で、外周に居た兵の殆どを刈り取り戦力差を一気に縮める。嬉しい事に外周に居たのは魔法使いや射撃兵が多く、彼らが戦闘力を発揮する前に始末出来たのは大きい。さらに怒った市民達が石や雑貨を投げつけ、兵の機動を妨げる。


「これは……!」


 すっかり顔を青くしたのはザルツフェルト伯であった。急襲でゲッツとマクシミリアンを捕らえる目論見は失敗し、挙げ句に自隊を半包囲される形になっていた。


 活路はどこだ。


 彼は戦場と化した式場を見渡す。自隊は3つの戦線を抱えている。正面は冒険者ギルド40人前後、右側面と背面にゲッツ派諸侯と騎士、さらにブラウブルク市民兵隊が700かそこら。左側面は空いており、そこから東門に抜ける事が出来そうだ。ゲッツ派軍の背後にタオベ伯軍が居るが、彼らは様子見を決め込んでいる。あれを味方につければこの場は勝てるが、そのためには材料――――ゲッツの殺害かマクシミリアンの身柄が必要だ。


 前進か、撤退か。


 奇襲を受け半包囲され、かつ数の上では不利だがこちらは未だ500人程度の兵を保持している。冒険者ギルド40人を押し潰すには十分。マクシミリアンさえ捕らえて人質にすれば、親ゲッツ派諸侯は手出し出来なくなる。


「総員、正面を突破せよ!奴らの隊列は薄いぞ!賊から陛下の御身を取り戻すのだ!」

「へへへ、そう来なくっちゃなァ……!」


 ゲッツは不敵な笑みを浮かべ、剣を抜いた。親ゲッツ派諸侯軍と民兵隊が敵をすり潰すのが先か、こちらがすり潰されマクシミリアンの身柄を奪われるのが先か。はもう1つだけ残っているが、それが動くまで戦線を保たせる事が出来るか。


 こうして血みどろの消耗戦が始まった。

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