第45話「葬儀」

 選定候様の葬儀と即位式の当日。


 僕は早朝から風呂屋に向かっていた。昨日は風呂に入らず寝てしまい汗臭かったといのもあるし、何より今日でブラウブルク市の風呂は入り納めなのだ。しんみりした気持ちで風呂屋に来たのだが。


「おい、まだ空かないのかよ!」「長々蒸し風呂に入ってるヤツがいるぞ!」「早くしろ、式に間に合わんだろうが!」


 風呂屋は客でごった返していた。式に参列する者達が身支度を整えに来たのだろう。この世界の風呂は疲れを癒やすためというよりは身支度を整えるために使用される、という事をすっかり失念していた。これでは湯も大分汚くなっているのではないかと思ったが、火炎魔法を使える市民が大量動員されてせっせと湯を沸かしては補給していたので、30分ほど並んで入った僕も清潔な湯に浸かる事が出来た。日常魔法覚えるとこういうバイトも出来るのかと感心するとともに、こんな日でもたくましく日銭を稼ぐ市民の姿に自然と笑顔になってしまう。これから先どうなるかわからないが、僕も見習って逞しく生きていかないとな。


 風呂から出ると、背中流し女兼マッサージ屋兼娼婦しょうふのエルゼさんと会った。


「あら坊や。冒険者ギルドも今日の式に出るんでしょ?かたっ苦しい式は肩が凝るわよ……今夜こそ全身ほぐしていかない?」

「ワーオ……じゃない。すみませんエルゼさん、冒険者ギルド廃止になっちゃって。式が終わったらすぐ市を出ないといけないんです。だからもうここには……」

「あの噂は本当だったのね。残念だわ……じゃあ、いつかまた市に遊びに来たら是非、ね」


 そう言いながらエルゼさんは僕の股間をひとでし、肉付きの良い尻をくねらせながら去っていった。……むむむ、今更一晩限りの夢を見なかった事が悔やまれてきたぞ。イリスの目を盗んでこっそり来ればよかった。


 悶々もんもんとした気持ちで家に戻ると、同じ様に身支度を終えたイリスが荷造りをしていた。この家とももうお別れだ。僕も荷造りを始めたが、極端に荷物が少ないのですぐに済んだ。水盆などのかさばる物は置いていく事にした。


 荷造りが終わり、2人で不動産屋に鍵を返しに行く事にした。不動産屋は人の出入りが激しく、目つきの悪い人達がひっきりなしに訪れては去っていった。……こういう式典があると盗賊ギルドも忙しくなるのだろうか。そういえば日本では、祭りの屋台を経営しているのは反社会勢力だと聞いたな。そんな事を思いながら店主と話す。


「すみません、借りて1ヶ月ちょいで申し訳ないんですけど、冒険者ギルドが廃止になるので市を出ていかないといけなくなって。賃貸の契約を解除したいのですけど」

「ああ、お聞きしてますよ。災難でしたねぇ」

「こんなに領主の力が強いなんて知りませんでしたよ。数十人の生活を一度に宙ぶらりんに出来るなんて」

「その気になれば数万人だってそう出来ますよ、領主や貴族というのはね。……故に抵抗する意味がある」

「えっ?」

「いえ、何でもありません。ではこちらにサインを」


 店主が差し出した書類にイリスがサインし、鍵を返した。これで賃貸契約は解除。僕たちはブラウブルク市の住処を失い……無宿者になった。


「はい、これで以上です。またのご利用、お待ちしております」

「ありがとうございます。でももう……」

「さて、人生というのは何があるかわかりませんよ。上手く行けばまた……」


 店主が意味深な事を言う。どういう意味か問おうとしたが、身なりの悪い男が割り込んできて話を始めてしまったので、仕方なく僕とイリスは1礼して店を後にした。


 式にはまだ時間があったので、僕はヴィムに挨拶に行く事にした。イリスも着いてくると言うが。


「家族とお別れしなくて良いの?もう会えないかも……」

「昨日済ませたわ。……あんたに言うのはちょっと気が引けるけど、あたしブラウブルク市生まれだから市民権持ってるのよ。だからいつでも会いに来れるし定住だって出来る。ちょっとの間のお別れだからそんなに気にかけてくれなくて良いのよ」

「そっか。良かった」


 僕は心の底からそう思った。彼女に今生こんじょうの別れを経験して欲しくないと、何故かそう思ったからだ。僕はもう家族とは二度と会えない。その辛さを身近な人が味わうというのは、想像しただけでどうも心が痛む。


 やがてヴィムの工房に着いた。彼は軒先で図面とにらめっこしていた。


「おはよう、ヴィム」

「おはよう。……聞いたよ、市を出ていくんでしょ」

「うん。ごめんね、トイレの件丸投げで」


 僕はヴィムに代替水洗トイレのアイデアを伝え、それが作れないか商談を持ちかけていたのだ。


「まさにそれの図面を書いていた所。実用化出来そうだよ。次の拠点が決まったら手紙をよこして。売上を届ける」

「いやいや悪いよ。それに手間でしょ、そのお金は君が取っておいてよ」

「友達に貸し借りは作りたくないんだけど」


 友達。そうか、僕とヴィムは友達になっていたのかと今更認識した。ほとんど商談しかしてなかったが、彼がそう認識してくれているというのは嬉しかった。


「……じゃあさ、鍋の件も結局ほったらかしじゃん。あれについて何か分かったら手紙をよこしてよ。それで貸し借りなしにしよう」

「値段が釣り合わない。じゃあこうしよう、君がクエストか何かで市に寄る事があったら。腕鎧と胴鎧、ついでに脇当作ってあげる」

「良いの?」

「このトイレが売れればそれでもお釣りが来る。……だから、クルト。他所に行っても生き残ってね」

「……ありがとう」


 僕とヴィムは固く握手し、別れた。


「……男の友情ってやつ?」


 集合場所である冒険者ギルドに向かいながら、イリスが茶化して来た。


「かもね。あーあ、せっかく友達も出来たのにこの街ともお別れかぁ」

「たまったもんじゃないわよね。なのに、私達をこんな境遇にする新選定候様の即位式に出ないといけないなんて」

「団長曰く、最後の直訴をするためでしょ。……上手く行くとも思えないけどねぇ」

「そうね……」


 雑談している内にギルドに着いた。もう全員が揃っており、指示通り完全武装だ。ドーリスさんまで大きな両手斧を抱えている。


「よし【鍋と炎】も来たな。んじゃ今日の流れを説明するぞ。まず最初に葬儀が行われるが、お前達は南北通り、列の最後尾で待機だ。まァ式はほとんど見えないわな、賑やかしだ。大人しく突っ立ってろ。んで賛美歌が聞こえてきたら合わせて歌え。そンだけだ」

「「「了解ウィース」」」

「で、続いて即位式が行われるが……これもお前らに出番はェ、突っ立ってろ」

「団長、じゃあ一昨日の演習の意味は!?俺たちの練度を見せつけるって……」

「ああ、それについては……ま、あったら良いなくらいに思っておけ」

「ええ……」


 全員が落胆するが、何故か団長は不敵に笑っていた。


「ちなみにだが、俺は一応親類ッて事で終始式の中心に居る。そンなわけで、お前らの指揮はドーリスに任せる。ドーリスの指示に従って動け。以上、よろしくやれよ!」

「はい、というわけで私が指揮を引き継ぎます。皆さん、家財道具をお持ちの方はギルドに放り込んでおいて下さい。それが終わったら施錠して出発します」


 そういう事になり、僕は数少ない家財道具をギルドに放り込んだ。……拍子抜けだな。もしかしたら式で諸侯に僕たちの勇姿を見せ、ギルドの存続が決まるかもしれなかったのに。冒険者ギルド団員達は、皆落胆しながら葬列に並んだ。


 直前に立派な身なりの諸侯や兵士達がぞろぞろと前の方に行ったのは見えたが、式は城の前で行われているようで、どんなに背伸びしても最前列は豆粒ようにしか見えないし、声も聞こえてこない。見物の市民達も皆前の方に行っているようで、僕たちの周囲にはまばらに見物人が居るだけだ。


 式は始まっているようだが全く状況がわからないので、僕たちは本当にただ突っ立っているだけだ。ヒソヒソと雑談を始める者もいるが、ドーリスさんは特に咎めなかった。あまりにも退屈なので空を見上げてみる。葬儀という悲しい場だというのに、空は気持ちよく晴れ渡っていた。……いや、空もこの後の即位式を祝っているのかな。そんな似合わぬ詩的な考えがよぎった時。1つの家の屋根の上に人影が現れた。黒尽くめの男で、青い布を振っている。何だ、あれは?そういぶかしんだ時。


「さて皆さん、移動しますよ。静かに着いてきて下さい」


 ドーリスさんが小さな声でそう言った。全員が困惑したが、すたすたと歩いてゆく彼女について行くしかなかった。団長が彼女に指揮権を渡しているからだ。


 ドーリスさんは葬儀が行われている南北通りを外れ、裏路地に入っていった。冒険者ギルドはそれにぞろぞろと続く。やがて40人がなんとか収まるだけの広場……公共井戸のある広場で止まると、彼女は口を開いた。


「さて皆さん、これをお渡ししますので腕など見えやすい場所に巻いて下さい」


 そう言って彼女が配りだしたのは、青い布。困惑しながらも僕はそれを腕に巻いた。我慢しきれなくなったのか、1人の団員が疑問をぶつけた。


「おいおいドーリスさんよ、何が何だかわからねぇぞ?式は良いのかよ」

「葬儀はもう結構です、重要なのはこの後の即位式です」

「おっ、じゃあ俺たちの練度を見せつけるってのか!?選定候妃様と新選定候陛下の前でパレードでも……」

「ええ、その通りです。両陛下に我々の勇姿をご覧に入れます」


 そう言うドーリスさんは薄く笑みを浮かべた。だが目は笑っていない。僕は寒いものが背筋を駆け抜けてゆくのを感じる。これは。


「その青い布は認識票です。ですので、決して攻撃しないように」

「……味方?」

「ええ、どうやらこの式典には不埒ふらち者が紛れ込んでいるようですので、我々と有志の諸侯でそれを討伐します」

「それは……」

「我々の任務は、新選定候陛下の御身おんみをお守りする事です。賊の攻撃が予測されます、決して陛下のお身体に傷をつける事のないように」

「お、おい!ドーリスさんよ。そりゃあ……」


 僕も感づいた。これは。


「はい、ここまでが建前。最早もはや冒険者ギルドを存続させるためにはこれしかありません。実力で以て選定候妃様……そろそろ選定候妃様になられますかね、彼女に我々の権利を認めさせます。ご安心下さい、教会と市参事会は承認しております。そうですよね、マルティナさん」

「はい、教会は冒険者ギルドが市に駐屯し続ける事を望んでいます。我々が去った後、誰が山や荒野に現れるモンスターから市民を守るのです?アデーレ様にはそのヴィジョンがありません。加えて彼女は、旧教への回帰を望んでいます。……決して許せる事ではありません」


 マルティナさんの言葉で、団員達の目に浮かんでいたものが困惑から戦意に変わった。宗教的熱意。僕にはそれ自体は理解しかねるが、ブラウブルク市民は新教の教えを守るために戦争に身を投じ、血を流したのだ。それを無に帰すと言われて怒ることは理解出来た。だが……。


 そこに、黒尽くめの男に先導されながら1人の男がやってきた。新人達と同じ甲冑に身を包んだカエサルさんだった。


「……まだ迷いがある者も居るな。無理もない、襲い来る敵と戦うならまだしも、まだ何も仕掛けてこない者に剣を振るうのは抵抗があろう。だがはっきりと言おう、ここで事を起こさねば君たちは惨めな半傭半賊の身に逆戻りだ。戦場やモンスターを求めて任地から任地へと彷徨さまよい歩く。生き残っても帰るべき家はなく、死ねば人里に墓は作られず野に埋められ朽ちるだけ……そうだな、ドーリス殿?」

「ええ、かつての冒険者ギルドは……冒険者はそうでした。私はもう、あれに戻りたくはありません」

「君たちも家を引き払って来ただろう?全くご苦労な事だが、これは家を取り戻すチャンスだ。帰るべき場所を。友や恋人、家族が待つ家を、この市を!」


 この世界に来て初めて自分の稼ぎで借りた家。友達と言ってくれたヴィム。未遂に終わったエルゼさんとの一夜限りの夢……は良いとして、快適な風呂屋。宴会を楽しんだ居酒屋……僕がこの世界に来てからの楽しい思い出の殆どは、このブラウブルク市で生まれたものだ。……離れたくない。僕はそう思った。戦う事がそれを回避する唯一の手段だと言うのなら、僕は。


 見渡せば、ギルド団員は全員深く頷いていた。戦意は固まっている。


「私はゲッツ殿と合流するまで全体の指揮を執る。それで良いな、ドーリス殿」

「はい、指揮権を委譲します。皆さん、以後彼の指揮に従って下さい」

「何、ゲッツ殿とはすぐに合流出来る。気に食わぬ者も居るだろうが、少しの辛抱だ。……諸君」


 カエサルさんは全員を見渡し、剣を抜いた。


「進もうではないか、諸君らの神と敵が呼ぶ方へ。さいは投げられた!」

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