第38話「安全確認」

 大巣穴に突入して数分間、特に何事もなく前進出来た。隊形はいつもの単縦陣だが、その動きは平原を進むのとは全く違う。ゴブリンマザーの時にベテランパーティーがやっていたように、敵が隠れられそうな所を警戒しながら進む。岩や土で後方が見づらくなっている所は最も重装備の僕が前方を警戒しながら進み、すかさずルルが陰になっている所に横から槍を突き込む。その間にイリスは上方と後方を警戒。「敵が居るかも」という緊張感は精神をすり減らすが、その緊張感を欠いて死ぬのは御免なので油断なく安全確認を行う。


 そうして進んでいるうちに、落石罠があった地点までやって来た。死体掃除の時に石をどかしたので、中央に道が出来ている。


「こういうの、完全にどかした方が良いかもね。警戒が手間だよ」


 このように中央に道があり左右に障害物があると、パーティーの人数的に左右を同時に確認するのが難しい。


「うーん、でもこれを入り口まで運ぶのも手間よね。片側に寄せちゃう?」

「あ、それ良いかも」


 石を片側に寄せておけば、前衛が警戒するのはそちら側だけで済む。1回限りのクエストなら踏み越えていく所を態々整地する意味など無いが、週1で訪れる必要があるのだから自分たちに都合の良いように整地しておくのは合理的だ。そういう事になり、イリスが警戒を担当している間に僕とルルで石を移動させた。イリスの提案で、石は左側に寄せる事になった。【鍋と炎】は全員右利きなので、右側に通路があった方が万一の際に迎撃しやすいからだ。


 石を積み終えて、さらに奥に進む。とうとうゴブリンマザーが居た広間の前までやってきた。


「ここから先は松明たいまつの火じゃ全体は照らせないかな?」

「そうね……壁際に沿って移動しましょう、万一にでも全方位囲まれたくはないし」

「ファイアボール打ち込んで全体を照らすのはどう?モンスターが居るかどうか確認するまでが仕事だし、そうすれば目視確認で終わるよ」

「モンスターが居たら刺激しちゃうじゃない……いやでも、松明の火は向こうからも見えるだろうし、危険を冒しながら歩いて確認するよりはファイアボールで照らしてここから目視確認する方が安全かしら……?よし、そうしましょうか」


 そういう事になり、イリスが呪文を唱え始める。


「ゆっくり燃え尽きるように撃つわよ。でも10秒くらいしか保たないから素早く確認してよね。ファイアボール!」


 イリスが杖の先から火球を射出し、それは広間の中央、天井近くで膨れ上がり広間全体を照らし出した。……何も居ない。目を引くのはゴブリンマザーの巨大な骨(頭部は持ち帰られたので無い)くらいのものだ。


「うん、何も居ないっぽいね。鹿も食事に出かけてるのかな」

「……?いや、何か居ますよ。あのでっかい骨の骨盤あたり」

「うん……?」


 目を凝らしてみると、確かに骨盤のあたりに何か木の枝状のものが見えた。鹿の角だろうか?それは身をかがめていたのか、すっと立ち上がった。同時にファイアボールが燃え尽き、広間に闇が落ちる。


「逃げるわよ!!」


 イリスが叫び、出口に向かって駆け出した。


「え?え?」


 戸惑いながら僕とルルもそれに続く。骨盤の骨の近くに鹿っぽい何かが居たのは見えたが、それが何なのかまでは確認出来なかった。モンスターだったのだろうか。イリスに尋ねてみる。


「何が見えたの!?」

「ウーラン!人と鹿を組み合わせたようなバケモノ!」

「強いの!?」

「騎兵と真正面から殴り合うようなもの!」


 そう言われてもピンと来ない。というのも、ハイデ村の戦いで対面した騎兵は奇襲によってその足を止めた状態で戦ったからだ。……いや、その脅威は一瞬だけど見た覚えがあるな。辺境伯様の騎兵隊が槍を構えて突撃する姿を。馬の速度で突進しながら槍で敵兵を貫き、踏み砕いていく姿を。


 危険性を理解した所で、後方から蹄が地面を蹴る音が聞こえてきた。


「追って来てる!」

「さっき積み替えた石の所まで逃げるわよ!」


 間に合うだろうか?僕は一瞬後ろを振り向く。


 は、松明の明かりが届く範囲まで既に迫っていた。


 たくましい鹿の身体に、本来首があるべき場所から人間の身体が生えている。その人間体も筋骨隆々で、丸太のような腕――――右腕には槍を装備している。そしてこちらを見据える双眸そうぼうは白目が無く、松明の炎と憤怒の鈍い光が宿っている。視線から目を逸らすように上に目を向ければ、頭からは木の枝のような鹿の角が生えている。その枝葉の先は槍のように尖っており、絡め取られればズタズタになる事を想像させた。


「目視距離ーッ!」

「全力で走って!!」


 そう叫ぶイリスだが、一番小柄で足が遅いのは彼女なので前衛はその速度を超えて走る事は出来ず焦れったい。いや人のせいにするべきではないだろう、重装備がたたって僕も体力の消費が激しい。追いつかれた後は前線に立って戦うのは僕なのだから、ここで体力を消費しきってはいけないのだ。むしろここはペースを保って体力を温存しなければ。やがて、先程積み替えた石のバリケードが見えてきた。鹿の足の長さではひとっ飛びだろうが、無いよりはマシだ。


「作った道は無視!あれを飛び越えてすぐ迎撃体勢!」

「「了解!」」


 もう一度後方を振り返る。彼我の距離がもう5mまで縮まっている。前を向けば、イリスがバリケードを飛び越えている所だ。続いてルル。ひづめの音がいやに近く聞こえるのを無視しながら、僕もバリケードを飛び越え、即座に振り向いて盾を掲げる。


 次の瞬間、盾に凄まじい衝撃が走った。体勢が整っていなかったせいでよろけるが、なんとか踏みとどまった。盾を少し下げて前方を確認すると――――何も居なかった。


「後ろに抜けたわ!」


 イリスの叫びで振り返ると、10mほど離れゆっくりと振り返るウーランの姿が見えた。バリケードごと僕たちを飛び越えながら槍で突いてきたのか?想像以上の身体能力に身震いする。


「正面衝突はマズい!もう一度バリケードの後ろに行こう!」


 今のは、バリケードを飛び越えるという動作があったからあの程度の衝撃で済んだのだろう。平地で、真正面から突撃を受けたらどうなるか想像もつかない。イリスとルルが再びバリケードを乗り越えるのを待ってから自分も乗り越える。ウーランは悠然と槍を構え、こちらの出方を伺っている。慢心ではないのだろう、こちらをどう料理するか考えている。ウーランの真っ黒な相貌そうぼうからそういった悪意を感じ取る。


「ルル、あの突撃止める自信ある?」

「いやー、無理ですね!槍のリーチの時点で負けてるので」


 ルルの身長は155cm程度で、彼女の槍はそれを少し上回る程度だ。対するウーランの体高は角を除いても2mはある。そして槍の長さも同じくらいだ。正面衝突すればどう頑張っても先にあいつの槍がルルを貫くだろう。


「ファイアボールは効きそう?」

「ホブゴブリン並の耐久力があるとしたら、顔面に当てるしか無いわね。でも突撃中に当てるのは難しいかも。とにかく動きを止めないと」

「結局僕が受け止めないと話にならないか……!」


 そうこうしている内に、ウーランが突撃を開始した。僕が盾で槍を受け止め、ルルが槍を抑え、イリスが仕留める。それしかない。


ウーランが駆けるが、その速度は先程よりもかなり遅い。10mの助走ではトップスピードに乗せるには至らないか。――――いや、乗せる気が無いのでは?ウーランの突撃軌道は僕との正面衝突を避けるコースだ。彼はゆるゆると走りながらバリケードを飛び越え、その間に槍を突き出してきた。盾を掲げて受ける。ルルが槍を突き出すが届かない。ウーランはそのまま走り、再び10mの距離で旋回する。


「……こいつ、なぶり殺しにするつもりだな!?」


 盾を掲げ続ければ僕はやがて疲弊し、盾を掲げる事が難しくなる。そうなれば後は楽に料理出来るという算段か。知能が高い……!


 一先ず再びバリケードの裏に隠れるが、これでは手詰まりだ。バリケードの裏で正面衝突を避ければ嬲り殺し。かといって前に出れば想像もつかない威力の突撃を食らう。


「あの速度ならファイアボール当てられない?」

「やってみるわ……!」


 そして再びウーランが突撃を開始する。やはりゆるりとした速度で、正面衝突を避けるコース。彼が飛び、突き出された槍を僕が受け止めた瞬間。


「燃えろッ!」


 火球がウーランの顔面に飛ぶ――――しかし彼は頭を大きくぐるりと回し、角で火球を絡め取ってしまった。爆発的に角が燃え上がるが、彼が頭を振るとあっという間に火がかき消える。


「そんなのアリ!?」

「マジか……」


 打つ手無しだ。あとは危険を承知で正面衝突を受け止める案があるが、そこからダメージを与えるヴィジョンが見えない上に危険過ぎる。絶望的な雰囲気が漂い、薄ら寒い感覚が臓腑を冷やす。


 すくみかかる脚を叱咤しったしバリケードの後ろに移動するが、打開策が全く思い浮かばない。『幽体の剃刀かみそり』を使うには燃料が足りない。団長に教わった鈍器での戦い方もリーチの差で届かない。ヴィルヘルムさんに習った身のこなしも相手に正面衝突する気が無ければ反撃に繋がらない。カエサルさんの攻撃的な盾の使い方も、盾の規格が違うので使えない。活かせる経験が、無い。


 ……本当にそうだろうか?何かがひっかかる。訓練の経験を何もそのまま適用する必要はないのだ。アレンジすれば使えるものがあるのではないか?もう一度、走馬灯のように経験を反芻はんすうする。


「……前に、出よう」

「正気?突撃を受け止める事になるのよ」

「あ、あたしは無理ですよぅ」


 イリスとルルが異議を唱えるが、短く作戦を伝える。


「1人でもしくじったら失敗するじゃない!」

「どの作戦だってそうでしょ!それに、この作戦は疲弊してからじゃ絶対出来ない」

「……結局、じわじわ嬲り殺されるか、突撃で死ぬかの違いか。ならあんたの案に賭けて死んだ方がマシね」


 ウーランのゆるりとした突撃をもう1度かわし、3人は覚悟を決めた。今度はバリケードの後ろに移動せず、そのままの位置に布陣する。正面から突撃を受け止める構えだ。ウーランの目に喜色が浮かんだ気がした。彼はくるりと槍を回すと、器用に後退を始めた。突撃の助走距離を稼いでいるのだろう。それをどっしりと盾を構えて待つ。巣穴に響く蹄の音がやけにゆっくりと聞こえ、焦れったい。飛び出したくなるのをこらえ、自分を叱咤するように僕はウーランに向かって叫ぶ。


「来いよ……誰がお前なんか……お前なんか怖くないッ!ぶっ殺してやるッ!!」


 その言葉を理解したのかウーランは咆哮ほうこう1つ、猛然と突撃を開始した。

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