第36話「訓練と風呂 その2」

「私が教官を務めるガーイウス・ユーリウス・カエサルである!」


 団長の屋敷の庭で、カエサルさんが声を張り上げる。【鍋と炎】は監視任務という事で完全装備でそれを見守っている。庭に机と書類を運び込んだ団長と、訓練に異議を唱えたマルティナさんも居る。


 庭には10人の新人(男8、女2、年齢層は殆ど10代だ)が座り、カエサルさんの話を聞いている。彼らは皆、ギルドが貸し出した木剣と盾を持ち、その前には木で出来たマンターゲットが置かれている(これもギルドの備品だ)。だが彼らは明らかに不真面目な様子だった。無理からぬことだ、カエサルさんの見た目は60代で、殆ど老人と言っても良いのだから。「こんなじいさんに教わる事なんてあるのかよ」とヒソヒソ話してる声も聞こえる。どうせならすぐそこで見守ってる団長に教わりたいというのが本音だろう。


「私が諸君らを立派なローマ軍だ……冒険者に仕立て上げてやろう!最初に問うておこう、この中に近接武器を扱える者は居るか?」


 1人が手を挙げた。昨日槍を持っていた者だろう。


「では腕っぷしに自信がある者は?」


 さらに1人が手を挙げた。体格のよい少年だ。


「……よろしい、では手を挙げた2人は前に出よ。諸君、今から訓練がどれだけ重要か教えてやる。かかって来い」


 そう言うとカエサルさんは自身も木剣と盾を構えた。手を挙げた新人2人は顔を見合わせ、「本当に良いのか?」という顔をしている。僕だって老人相手に「かかって来い」と言われたら同じような反応をするだろう。


「どうした、怖じ気づいたか?」


 そう言うと、そのセリフが不服だったのか体格の良い少年が前に出た。木剣と盾を構えるが、団長と【たかの目】にちょっと戦い方を教わっただけの僕から見ても、その構えは隙だらけだった。まず盾が下がっていて顔面ががら空きだ。


 ちなみに、彼らが使っている盾はセンターボス式――――盾の中心に取っ手がつき、対面となる盾の表面に金属製の半球(ボス)がついたタイプだ。僕が使っている、肘と手の2点で保持するものとは違う。その持ち方では腕の負担が大きいのではないかと思うが、カエサルさんは慣れた様子で扱っている。


「……本当に良いんスね?」

「構わん、とっとと来い」

「骨折しても恨まないでくれよ、!」


 少年が完全にめ腐った様子で突進する。彼の体格はカエサルさんよりも一回り大きく、殆ど老人が悪漢に暴行されようとしている様にしか見えない。しかしカエサルさんは臆した様子もなく、盾を少し上げた。


 次の瞬間、カエサルさんの盾が少年の顔面に突き刺さった。


 素早く盾を掲げ、盾の下辺をがら空きの顔面に叩き込んだのだ。少年は自身の突進の勢いも加わりしたたかに顔面を打たれ、鼻血を噴きながら昏倒こんとうした。マルティナさんが駆け寄り、回復魔法をかけると直ぐに意識を取り戻したが、少年は何が起こったのかわからないと言った様子だ。カエサルさんはそれを無視しもう1人の少年に「次は君だ」と言い放つ。


 この少年は先程の少年と同じてつは踏まず、緊張した面持ちで盾を構えながら慎重に距離を詰めていった。彼もカエサルさんより頭半分ほど背が高いので、やはりカエサルさん不利に見える。しかしカエサルさんは盾の下辺で少年の盾をガンガンと突き、その動きを封じる。


「来ないのか?ならば私から行くぞ」


 そう言うと、先程と同じ様に盾で顔を殴りつけた。少年は盾を掲げて守るが、これは自身の視界を塞いだ形になる。その隙にカエサルさんは踏み込みながら身体を沈め、木剣で少年の膝の裏を斬りつけた。


「いってぇ!?」


 斬りつけられた片足を上げてぴょんぴょんと片足で跳ねる彼の足を、カエサルさんは無慈悲に蹴り払って転ばせ、顔面に木剣を突きつけた。圧勝である。


「わかったか諸君、これが訓練の差だ。素人では訓練された人間は絶対に勝てず、一方的に殺されるだけだ。今から私は、諸君らを殺される側から殺す側にきたえ上げる。死にたくなかったら私の話をよく聞け!」


 新入り達は真面目な顔で頷いた。すっかりカエサルさんを軽視する雰囲気は無くなっていた。


「……見事なもんだな」

「ですね」


 団長が唸った。カエサルさんの新人達を取り込む話術と実演もそうだが、僕は盾の使い方に感心していた。2点支持の僕の盾ではあの使い方は出来ない。カエサルさんの――――ローマ式の盾の使い方はより攻撃的で、魅力的に思えた。


「ああいう盾の使い方もあるんですね」

「古い使い方だがな。俺やお前の盾みたいな2点支持タイプはな、元々騎兵用なンだよ。馬の手綱を握ったままでも構えやすいだろ?それに保持するのも楽だ。……扱いが楽なのと慣例的に2点支持の盾を推奨してたが、どうせ冒険者は純粋な歩兵だ。教えられるヤツが居るならこっちの方が良いのかもなァ……」

「……僕も一緒に習ってきて良いですか?」

「あ、あたしも!」


 僕とルルが訓練への参加を申し出ると、団長は少し考えた後「まァこの様子なら良いか」と許可を出してくれた。急いでギルドに戻って木剣と盾を借り、2人で訓練に参加した。


 剣の振り方、突き方。次に盾の使い方。そして最後にマンターゲット相手にコンボの練習といった感じで訓練は進んだ。


「盾をただの壁にするな、積極的に武器として使え!ただし盾の下に敵を潜り込ませるなよ!」


 盾で突く時も下辺は極力下に向け、敵を潜り込ませないようにする。


「盾、剣、盾!絶え間なく攻撃して敵の盾を上下に動かせ!」


 盾で下段を突き、剣で顔を突き、また盾で下段を突く。相手を振り回し疲弊ひへいさせる。


「剣、盾、盾!相手が盾を高く上げたらチャンスだ、つま先なり脛なりを打ち砕け!」


 剣で顔を突いて盾を上げさせ、さらに盾で抑え込み、そのまま盾を下に滑らせて相手のつま先を砕く。


 …………こういった感じでみっちり仕込まれ、午後3時頃に全員がへとへとになると訓練は終わった。


「大変結構!諸君らは恵まれた体格と才覚がある!このまま訓練を続ければ、すぐに立派な軍団へ……冒険者になるだろう!私の訓練がない日も各自素振りに励むように。解散!」

「「「ありがとうございました!!」」」


 カエサルさんの訓練は厳しかったが、新人達にも概ね好評だった。朝まで素人だった新人達にも「戦える・戦えるようになる」という自信がついたのだ。団長も「こりゃ毎日やっても良いかもなァ」と言っていた(マルティナさんが猛抗議していたが)。訓練頻度がどうなるかはわからないが、一先ずカエサルさんの有用性は示せたし、僕も訓練で得るものがあったので満足だ。



 【鍋と炎】は汗を流しに風呂屋に向かう事にした。新人達は風呂代すら惜しいのだろう、すごすごとギルドへと戻っていった。この点、銀貨3枚の週給と連日のクエストで潤っていた僕たちはちょっとだけ優越感に浸れた。やはり生活の質を上げるためにお金は必須だ。


 風呂屋は朝から営業し、これはパン焼かまの熱で湯を沸かすが、この世界には火炎魔法があるので午後3時を回ってパン焼窯の火が落ちても温かい湯に浸かる事が出来る。湯も1日に何度か換えているそうなので衛生面も問題ない。因みに蒸し風呂と呼ばれるサウナは、鍛冶屋の窯の火から熱を引いているので日中いつでも入れるらしい。女神の言葉とは違い色々と不便のある世界だが、いつでも清潔な風呂に入れる点だけは素晴らしい。ずっと盾を掲げてパンパンになった左腕の筋肉も、湯でほぐれてゆくのを感じる。


 一通り湯を楽しんだ後、洗い場でかけ湯をして汗を流していると、後ろから声をかけられた。


「お背中流しましょうか?」

「ひょおう!?」


 その声が女性のものだったので、僕は驚いて変な声を出してしまう。……そういえばこの世界には背中流しという職業があったんだった。大抵は女性で、彼女らはその名の通り客の背中を流して洗うのが仕事だ。値段も銅貨2枚とお安い。比較的財布の潤っていた僕は、せっかくだから頼んでみる事にした。


「じゃ、じゃあお願いします」

「まいど……」


 女性の細い指が僕の背中を撫ぜ、湯をかけながらこすってゆく。人に背中を流してもらうなんて幼少の頃に母にしてもらって以来だろうか。その心地良さに僕は嘆息する。


「坊や、随分と背中が張ってるわね……」

「え、ええ。冒険者ギルドの訓練で」

「あら、新人さんかしら」

「ええ、1ヶ月前に入りまして。戦争やら何やらで訓練すっ飛ばしてあっという間に正式団員になっちゃいましたけど、今日は新人の訓練に混ざることになりまして」

「それは大変だったわねぇ。……どうかしら、私マッサージも出来るんだけど。その様子じゃ全身パンパンでしょう?」


 女性は僕の首筋を軽く揉んだ。予想外の快感に「おおぅ……」という声が出る。だがそれっきり、彼女は揉むのをやめてしまった。これでは生殺しである。商売上手だなと思いつつも、僕はその誘惑に負けてしまった。


「……お願いします」

「まいど……。じゃ、外で待ってるわね」


 と言うとその女性は僕の背中から離れ、脱衣所へと歩いていった。振り向いてその後姿を見ると、彼女は裸だった。肉付きのよい尻が歩くたびに官能的に揺れる。


「ワーオ」


 下半身の血が全身に戻るのを待ってから、僕は脱衣所に向かった。



 脱衣所を出て広間に行くと、その一画に寝台をいくつか設置した場所があった。先程背中を流してくれた女性もそこに居る。色素の薄い金髪の美女で、そのバストは豊満であった。


「ワーオ」


 嘆息を漏らしながら彼女の所に行くと、寝台に寝かされマッサージが始まった。……彼女のマッサージが非常に上手だった。細い指が凝り固まった筋肉を的確に捉え、揉みほぐしてゆく。


「力加減はどう?」

「最高ですお姉さん……おおう……あっそうだ、お名前聞いてませんでしたね……僕は……おおう……クルトです」

「良かった。私はエルゼ」


 エルゼさんはハーフエルフで、もう数十年もこの仕事をしているとの事だ。どうりで上手いワケだ。そのくせ見た目は20代半ばといった感じなのだから、エルフの血というのはずるい。


 概ね全身のマッサージが終わり、あと触っていないのは内ももだけとなった時。エルゼさんは内ももを下から上へと揉み上げていくが、その手が股間に近づいてくるとくすぐったくなってきた。


「あっ、ちょっとくすぐったいです」

「あら失礼……」


 そう言いながらもエルゼさんは手を止めず、とうとう股間に手が触れてしまう。


「ちょっ……」

「ねえ坊や、私ね、こっちの扱いも得意なのよ……」

「なっ……」


 そうだ、この世界の背中流し女は売春婦も兼ねてるって【たかの目】の人たちが言ってた!背中流しからマッサージ、そして売春に繋げる……これは仕組まれた流れだったのだ。日本の倫理観に照らし合わせれば色々とアウトだぞ、と頭の中の理性くんが警告する。しかし欲望君が「まあ待て、冷静に考えろ。お前はこの世界に来てからずっとごだろ?自慢の右手だって鍋と木剣以外握る事もない始末だ。そして今はカネがある。YOU、やっちまいなよ」と言う。……一体どうすれば良いのだ!?


「……おいくらですか。今までの合計も教えて下さい」

「背中流しが銅貨2枚、マッサージが銅貨14枚、この後のが銀貨2枚よ……」


 合計で銀貨2枚と銅貨16枚。昨日のゴブリン退治の儲けが銀貨3枚であるから、支払いには全く問題がない。いやしかし、僕は甲冑を揃えたり生活の質を向上させるためにお金が必要なのだ。こんな所で無駄遣いするワケにはいかない。


 迷っていると、エルゼさんは自らの上着のえり首を摘んで引き下げ、豊満なバストの谷間をチラリと見せた。


「ワーオ」

「一晩限りの夢、見せてあげるわよ……」


 さらに股間を握る!


「ワーオ!」

「……で、買うの?」

「いや大変悩ましい……」

「へーえ、悩ましいのね」

「そりゃもう大変悩ましいボディで……」


 うん?今の声はエルゼさんのものではなかったな。彼女も横を向いている。そちらを見てみると、額に青筋を立てたイリスが居た。後ろにはルルが口に手を当てて立っている。


「ワーオ」

「ワーオ、じゃないのよ。……で、買うの?一晩限りの夢、見ちゃう?」

「…………見ません」


 僕はエルゼさんに銅貨16枚を支払い、寝台から降りた。


「今度は彼女に内緒で来なさいな、坊や」


 とエルゼさんがクスクス笑っていた。




 数日間、イリスは口をきいてくれなかった。

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