第33話「尻拭き紙」

 カエサルさんの監視任務の翌日、水曜日。「通常業務」に戻った僕たちは、冒険者ギルドの広間にやって来た。挨拶する間もなく、泣きながらルルが飛びついてきた。


「お二人とも無事で何よりでずぅ!」

「い、いやそんな危険な任務じゃなかったよ、カエサルさん良い人だったし」


 押し付けられる豊満なバストの感触にどぎまぎしながら、改めてこの世界の人々のリッチーへの恐怖を認識する。辺境伯様が帰ってくる前に、なんとかして討伐よりリクルートの方が有益だと認識させねば。


 ルルは今度はイリスに抱きつきその豊満なバストで彼女を窒息させているのを尻目に、僕はとりあえずクエストボードを見に行く。広間には【鍋と炎】の他にパーティーの姿はなく、訓練を頼むという選択肢が無かったからだ。戦争によるモンスターの増加、それにカエサルさんの監視に1日2パーティーを割かれた冒険者ギルドは団長の予測通り、人手不足に陥っているようだ。クエストボードには数枚のクエスト用紙が貼られていた。


「何々、ゾンビ退治……総定数20、無理。魚人退治……銀貨20枚!けど強そうだな。あとは……ウールマジロ退治銀貨6枚?なんだこれ」

「ウールマジロですって!?」


 ルルの胸から顔をがしたイリスが声を上げる。その目は喜色に輝いていた。


「どんなモンスターなの?」

「新大陸原産のモンスターなんだけど、薄いフェルトを重ねたような甲羅を持ってるの。その甲羅から剥がしたフェルトもどきは……尻拭き紙になるわ」

「尻拭き紙……!」


 この世界には未だトイレットペーパーというものはない。木の葉(尻が痛くなる)、海綿(洗って再利用)、布(洗って再利用)あるいは苔(苔!?)という微妙なアイテムで尻を拭くしかないのだ。僕は新大陸というワードよりもそちらに興味を惹かれてしまう。


「それは……使い捨てなんだよね?」

「もちろん洗って再利用も出来るけど、沢山とれるから使い捨てて問題ないわ。しかも拭き心地は最高よ……!」

「やろう!!」


 尻の保全と衛生環境の向上は大事である。そういう訳で、【鍋と炎】はウールマジロ退治に行く事になった。



 依頼を出した村はブラウブルク市から3時間ほどの距離にあり、昼前には着いた。なんでもウールマジロは基本的に地中の虫などを食べるが、麦などの穀物も食べるので、未然に被害を防ぐために依頼を出したそうだ。


「……で、尻の快楽に釣られてホイホイ来たわけだけど、ウールマジロの危険度ってどんなもんなの?」

「尻の快楽はやめてくれる?……ウールマジロは舌による刺突、ひっかき、突進あたりが主な攻撃方法。でもそんなに強力じゃないわ、問題は防御力の方。全身がフェルトを重ねたような甲羅で守られてるから、打撃には滅法強いわ」

「……ねえ、僕の武器鍋なんだけど?」

「……ルルがなんとかしてくれるでしょ」


 イリス、尻の快楽に釣られて討伐方法深く考えてなかったな??


「抑えて下されば頑張って突き殺しますよー」


 とルルものん気だ。まあ、そういう事なら僕は今回盾役タンクに徹していよう。


 話しながら目撃地点の荒れ地に向かっていると、早速見えてきた。薄茶色の体色の、体長1mほどのアルマジロ。しかしその甲羅は事前情報どおりにフェルトのようにふわふわとしている。


「意外と可愛いね」

「見た目だけはね。でも舌の刺突には気をつけてよね、ほら」


 しばらく見ていると、ウールマジロはアリの巣でも見つけたのか、地面に舌を突っ込んだ。……突っ込んだというよりは突き刺した、といった方が適切だった。舌は地面を穿ち、ほとんど地面をひっくり返すようにして巣穴を掘り返し、地表に放り出されたアリをパクパクと食べ始めた。


「ええ……」

「因みにウールマジロによる死因ナンバーワンは、目口鼻に舌突っ込まれて脳みそ破壊される事だから、しっかり防御してよね」

「簡単に言わないでくれるかなぁ!僕の兜、顔面がら空きなんだから!」


 想像の数倍は危険なクエストだった事に泣きそうになりながら僕は防具を確かめ、【鍋と炎】は1体目のウールマジロに近づいた。



 陣形はいつも通り、僕を先頭にした単縦陣。イリスの火炎魔法は「せっかくの尻拭き紙が焼ける」との事で基本的には緊急時用で、今回は僕とルルが主力だ。


「じゃ、僕が抑え込んで、ルルが喉とか口を突いて仕留めるって事で」

「了解でーす!」


 ウールマジロもこちらに気づいたようで、シャーと声を出して威嚇いかくしている。残り1mほどといった所で、僕はほとんど無意識に盾を上げた。次の瞬間、盾に鋭い衝撃が走る。ウールマジロの舌が僕の目を狙って伸びてきたのだ。反射的に防御していなければ目を貫かれ、あのほじくり返されたアリの巣のように脳を破壊されていただろう。


「こんなに伸びるの!?」

「詰めて詰めて!」


 イリスに促されるまま駆け出し、一気に距離を詰める。その間にもウールマジロは盾と兜の隙間に舌が何度も突っ込もうとし、そのたび盾が揺れた。全く油断ならない。


「このッ!」


 鍋の距離に踏み込んだ僕は、とりあえず怯ませようと鍋でウールマジロの頭を叩く。しかし鍋はウールマジロの頭の上を滑った。同時に、1枚の紙のようなものが宙を舞う。


「それが尻拭き紙!何層にもなってて、剥がれて衝撃を受け流すようになってるから垂直に攻撃を当てないと無意味よ!」

「先に言ってよねもう!」


 垂直に鍋を何度も振り下ろすが、これはこれで層構造になったに受け止められてしまい、怯ませるどころか容赦ない反撃でこちらが抑え込まれてしまう。


「ルル、ヘルプ!」

「了解でーす!」


 次の瞬間、僕の股の下を槍が通り抜け、ウールマジロの喉に突き刺さった。深く腰を落としたルルが僕の股下から槍を突きこんだのだ。体勢と槍の長さ的にルルの顔が僕の尻の近くにあるわけで、非常に居心地が悪い。……今朝、しっかり尻拭いたよな。そんな事を思っていると、喉を突かれたウールマジロはひっくり返ってのたうち回り始めた。僕は盾のフチでウールマジロの喉を押さえつけ、ルルが無防備な腹を槍で何度も突くとウールマジロは力尽きた。


「よし!じゃあ剥ぎ取るわよ!」


 今回特に仕事のないイリスはナイフと大きな頭陀ずだ袋を手に、ウールマジロからを剥がす作業を始めた。甲羅にナイフを差し込むと、数十層の紙がいちどに剥がれた。その1枚1枚は直径15cmほどの6角形になっており、確かに尻を拭くのに丁度良さそうだ。手触りもきめ細やかく柔らかいフェルトのような感じで、木の葉や麻布とは比べ物にならないほど尻に優しいだろう。


 最終的に千枚近い尻拭き紙を獲得した。1体でこれなのだから大したものである。僕たちは最終的に3体のウールマジロを仕留め、数千枚の尻拭き紙を手に帰路についた。



 ギルドで報酬を受取り、尻拭き紙と一緒に等分していると、イリスが「そういえば」と口を開いた。


「ウールマジロの尻拭き紙って、貴族とか富裕層に人気なのよね。100枚で銅貨10枚くらいで売ってた気がするわ」

「マジですか!?」


 ルルは話を聞くや、すぐに尻拭き紙を売りにいってしまった。1人あたま千枚ほど手に入ったので、銅貨100枚……すなわち銀貨3枚と銅貨16枚になり、これはほぼ3週間ぶんの食費だ。食費に事欠くルルにとっては尻の快楽よりも明日の食事という事だろう。しかし僕は……


「あんたはどうするの?」

「……ちょっと考えさせて」


 そう言って僕は、尻拭き紙数枚を手にトイレに向かった。


 …………数分後、菩薩ぼさつの顔をして戻った僕はイリスにこう言った。


「これは売らずに、全て家に備え付けよう」

「……あ、そ」


 イリスはやや引き気味であった。

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