第23話「収入と支出」
訓練の次の日は雨だったので、座学をやる事になった。
ルルも文字の読み書きが出来なかったので彼女は文字の読み書きから、僕は復習と文法だ。文法と言ってもこの世界――――というかこの地域の文字は表音文字なので、特殊な音の
「これがリューテルって人が聖典を翻訳する時に使った書法で、細かい所は地域によって違うけど、これで大体のプリューシュ語は読めるはずよ」
と教師役のイリスが言う。
「へぇー……というか僕たちのいる国、プリューシュって言うんだ」
「ごめんなさい、あんたが記憶喪失って事忘れてたわ。その辺の事さっぱり教えてなかったわね」
「まあ必要無かったしね」
「プリューシュって言うのは……意外と説明が難しいわね、まあプリューシュ語を話す人が住んでる地域全体の事。私達が住んでる国は……これも難しいわね、大きな括りでは"神聖レムニア帝国" ね。で、その皇帝に仕えるノルデン辺境伯様の国が、直接的に私達が住んでる国って言えるわ」
おおう、日本国に住んでて日本語を話してた身にはややこしい。
「えーと、つまり神聖レムニア帝国内ノルデン辺境伯国に住んでるって事ね。因みにレムニアって言うのは?」
「遥か南西の都市ね。旧教の法王が住んでて、昔はそいつに許可を貰わないと皇帝になれなかったそうよ。今は無視して選定候の承認だけで皇帝になれるけど」
「なるほど」
国家制度とか貴族制についても覚えないといけない事は多そうだ。その辺りについて聞こうかと思ったところで、ギルドの扉が開いた。
「ちわ。クルト、いる?」
それは赤髪の少年、甲冑師の息子のヴィムだった。
◆
ヴィムの工房に行くと彼はマントを脱ぎ、雨粒を叩いて落とした。僕は鹿の毛皮を同じ様にする。
「頼んでたあれ、完成したんだ?」
「ん。これが試作品」
ヴィムが指差す先には、奇妙な
台座から支柱が伸び、そこから横棒が生え、さらに横棒の先が8つに別れて横向きの樽を掴んでいる。そして横棒の反対側にはL字に曲がったハンドル。手回し洗濯機だ!
「おー!」
「最初は樽の底に直接軸を取り付けてたんだけど、どんなに精密に
ヴィムはとうとうと技術的な話を始めたけど、だんだん難しくなって来たので聞き流す。ともあれ、ヴィムに「樽が回転したら洗濯楽だよね」というアイデアだけ伝えて丸投げしたのは正解だったようだ。下手に現代日本の知識を伝えていたら、この世界の技術水準と噛み合わずに上手くいかなかったかもしれない。
「……で、もう量産品を10個作って商人に
「流石!……って、商人通すんだ。マージン取られない?」
「取られるけど、僕もクルトも直接販売する時間ないでしょ。それに売れなかった時の損害も怖いし」
「あーなるほど」
「で、1個あたりの卸売価格が銀貨25枚。ここから材料費と工賃銀貨10枚を引いて、1個あたり銀貨15枚が利益」
「じゃあその10倍、銀貨150枚が僕たちの懐に!」
「そういう事。はい、取り決め通り利益は半々で、金貨1枚と銀貨27枚が君の取り分ね」
ヴィムがお金の入った小袋を渡してくる。やった、2枚目の金貨だ!これで僕の所持金は金貨2枚と銀貨30枚前後になるので、日本円にして130万円ほど手に入れた事になる。うーん、戦争と商売は甘美だ。戦争はもう行きたくないけど。
「それで、この後はどうするの?増産続ける?」
「商人の要望次第かな。でもそんなに増産かからないと思う」
「えっ、なんで?」
「すぐにコピー品が出てくるでしょ」
ああ、特許とか存在しないのか……。それなら確かに、すぐにもっと安く作る職人が出てきて、価格競争が始まって利益は尻すぼみになっていくだろう。この世界で新製品を売り続けるのは難しいようだ。
「じゃあ儲かるのはこの一発だけかぁ」
「多分ね。まあ、増産がかかってお金が入ったらまた連絡するよ」
「お願いするよ……。あっ、そうだ。甲冑の値段を知っておきたいんだけど、兜と肩鎧っていくらで造れる?」
昨日の訓練でヴィルヘルムさんにルルの頭が撃ち抜かれていた事を思い出したのだ。それとゴブリンの刺突で少し貫通した僕のギャンベゾンも補強しておきたい。
「肩鎧は冒険者ならプルーシュ様式でいいよね。なら片方銀貨10枚。兜は形式によるけど、本当に最低限のなら銀貨40枚、今風のなら金貨2枚かな」
……お高い!ルルに兜を買ってあげても良いなと思ったが(もちろん借金でだが)これは迷ってしまう。そして略奪で兜を手に入れられた僕は相当にラッキーだったのだと思い知った。やはり戦争は甘美なのでは……?
「……とりあえず、肩鎧だけお願いしようかな」
「肩だけで良いの?」
「うん?いや、この前ギャンベゾンの肩にナイフを突き刺されちゃって。そこ補強しようかなと」
「肩鎧に突きが当たると、そこから滑った刃が首に来るよ」
とヴィムは僕の肩に軽くチョップし、その手を首へと滑らせた。なるほど、これは確かに危ない。非致命打を避けたつもりが致命傷を呼び込んでは意味がない。
「……じゃあ首鎧も追加で」
「まいど。肩と合わせて銀貨45枚ね」
……なんだか乗せられた気がするけど、自分の負傷率を下げるという目的には適っているので良しとする。ギャンベゾンを取りに戻ってから採寸し、その後はせっかく外に出たし買い物をする事にした。
◆
まずは靴屋だ。この世界の靴は下駄歯を持った木製サンダルか、底の薄い革靴かの2択だ。今履いてるのは後者だが、連日の行軍や登山ですっかりボロボロで、穴が空きかけている箇所がある。普段はサンダル、戦闘が予想される時は革靴と使い分ける事にして両方買う。革靴は底が薄いわりにお高いので、普段はサンダルで
貧民丸出しのチュニックが嫌になってきたので、麻のシャツ2着とウールのベスト、それに行軍用のマントを買う。これも採寸して後日出来上がり。
いやぁ買った買った。
1日で金貨2枚が余裕で吹っ飛んだのを気にしなければ、良い買い物が出来たと言えるだろう。この世界、とにかく物価が高い。途上国に生産を委託して安く良いモノを仕入れてた日本とは違って、1つ1つが職人の手作りなのだから仕方ないが。
いずれにせよ、食料もまだ十分にあるしこれで当分は快適に暮らせそうだ。冒険者ギルドが部屋を貸してくれるので家賃がかからず、暗くなったら寝るので光熱費は必要なく、水は井戸や川から汲み放題なので水道代もかからない。全く冒険者ギルドというのは、死の危険が無い時は福利厚生が充実してて最高だ。
ホクホク顔でギルドに戻ると、ルルが泣きながら文字の練習をしていた。イリス先生は覚えの悪い生徒に手を焼いていると見える。
僕は再びペンを執って、何か短文を書く練習でもしてみるかと思ったが、そこにドーリスさんがやってきた。手には鎖がついた銅板を2つ持っている。
「イリスさんとクルトくん、ちょっと良いですか?」
「あ、はい」
「冒険者ギルドの認識票が出来たのでお渡ししますね。これ、お役所をはじめノルデン辺境伯国ならどこでも身分証になるので決して無くさないように」
認識票を受け取り、眺めてみる。銅板には僕の名前とブラウブルク市冒険者ギルドの名前が打刻されており、ご丁寧に物理防御の付呪まで施されている。僕はとりあえず、首にかけてネックレスのように装着する。
「ありがとうございます。いやあ、本当に正式団員になったんですねぇ。やっと実感が湧いてきました」
「そうですとも。それに伴い、2階のお部屋は速やかに引き払って下さいね」
「えっ」
えっ。
「部屋の貸し出しは見習い期間限定ですよ。大抵の入団希望者は無宿者ですので、その救済措置です。しかし君たちは既に定職――――即ち安定した給与を得たので、もうギルドはそこまで面倒を見ません」
「……あの、因みにこの街の一般的な家賃ってどんなもんですか」
「なんだかんだ辺境伯国随一の街ですからね、月額銀貨3枚くらいでは?」
週給がまるまる飛ぶ!
「な、なるほど。……もう1つ、平均給与額ってどんなもんですか」
「一般男性なら月給銀貨18枚くらいだと思います」
「……冒険者ギルドの週給は銀貨3枚、月額銀貨12枚って安くないですか」
「クエストで稼ぐのが前提ですので。生活の質を維持したければガンガン戦ってガンガン稼いで下さい。あっ、今みたいにクエストが無い時もあるので貯蓄も忘れずに」
「先に言って下さいよ、今日アホみたいに買い物してきちゃいましたよ!」
「知らないですよ……」
ドーリスさんはあきれ、「ではそういう事ですので」と言い残して事務作業に戻ってしまった。なんという事だ、職場から階段十数段、家賃水道代ゼロ物件を失ってしまった。
「大変ですねぇ」
ルルはのん気な声をあげる。君、今は僕の隣の部屋に住み始めたけど3ヶ月後はこうなるんだぞ。
「……明日、一緒に不動産屋行く?」
とイリス。
「お願いします……」
そういう事になった。
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