第18話「ゴブリン退治と鍋 その4」

 広間に突入した冒険者ギルド団員全員が目をいた。もはや数えるのも馬鹿らしくなるほどの通常種ゴブリン、ゴブリン、ゴブリン。さらに10を超すホブゴブリン。この程度ならベテラン揃いのこのメンツなら対処は出来るだろう。しかし彼ら全員の視線は広間の奥の巨大なに向けられていた。


 四つんいになっているそれは、その姿勢でも頭の位置が3mほどある。顔立ちや肌の色はゴブリンそのもので、ただの巨大種にも見える。しかし異常なのはその大きくふくらんだ腹だ。その膨らみで見通す事は敵わないが、後ろ足の間から何かが次々と落ちていく。


 粘液に包まれたそれは、ゴブリンの赤子。目もまだ開かぬそれらは、近くに積み上げられた動物の死体に這い寄りむさぼり食う。すると早回しのようにその身体が大きくなり、目が開き2本足で立ち上がり始める。


「Ia, ia, Schb=nikratシュプ=ニクラート……」


 その巨大種は、否、居るはずのないは意味不明な、しかし直感的に邪悪な神のそれと理解出来る冒涜的な名を唱える。


恩寵受けし者ギフテッドだ!」


 団員の誰かが叫んだ。直後、団長が指示を飛ばす。


「【鋼鉄の前線】と【たかの目】はあのデカブツ――――ゴブリンマザーを抑えろ!残りは周辺のゴブリンを掃討!」


 即座にベテランパーティー達は行動を開始した。まず【氷の盾】の2人の魔法使いが扇状に氷魔法を放つ。氷結の波に当たった無数のゴブリンが凍りつき、氷像のバリケードと化す。後続のゴブリン達は氷の回廊かいろうを抜けて、あるいは乗り越えて攻め入ろうとするが、右側に【死の救済】が突っ込んで殺戮さつりくを開始する。となれば――――


「私達は左!」

「了解!」


 【鍋と火】は左側に突進した。団長はゴブリンマザーの方へと向かっている。2人だけでやるしかない!


 氷像を乗り越えようとしたゴブリンは氷像に手の皮膚が張り付いて動けなくなる。しかし後続はそいつらをも乗り越えようとしている。氷の回廊を利用して戦闘正面を狭く保つ戦術が可能な時間は限られている。その間に少しでも数を減らさねばならない。


「ふッ!」


 僕は最早もはや定石となりつつあったりで目の前のゴブリンを蹴り飛ばし、後続に叩きつけて足を鈍らせる。次に左側から向かってくる個体を鍋で殴り殺す。右側の個体はイリスが突き殺す。氷の回廊の幅はゴブリン3体分。この繰り返しでいくらかは保つ。


 そう思った矢先、仲間の肩を踏み台に1体がイリスに飛びかかってくる。僕の足元にはナイフを持ったゴブリンが突っ込んでくる。どちらを取るか――――無論、イリスだ。考えるより先に鍋を振るい飛び上がった個体の顔面を叩いて墜落させる。それと同時に前に出していた左足に衝撃。ナイフが突き刺さったのだろう。しかし脛当てに受け止められ痛痒はないノーダメージ


「くそッ!」

「Ia!?」


 シールドバッシュでよろめかせ仕切り直す。よろめいた個体は突っ込んでくる後続に押し出され、攻撃もままならない状態だ。鍋で頭を叩き潰し、さらに後続ももぐら叩きの如く連続で叩き殺す。


 やがて、僕の陰から杖でゴブリンを突き殺していたイリスが押され始める。元々近接戦闘は付け焼き刃の技術なのだ、致し方ない。しかし抜かれたら終わりだ。さらに悪い事に、氷の回廊を乗り越えたゴブリン達が背後に迫ってきた。完全包囲された形だ。


「一瞬時間稼いで!」

「了解!」


 2人でギリギリ保っていた前線を1人で維持するのは至難の業だ。しかし一瞬であればやりようはある。


「うおおおおおおおッ!」


 盾を横向きにし、腰を入れてシールドバッシュ。さらに鍋を横ぎに振るう。顔ががら空きになるが、僕の兜はつば広帽型だ。顔を下げれば鉄のが顔面を守ってくれる。ゴブリンのナイフがガンとケトルハットを突くが痛痒なしノーダメージ。盾で弾かれよろめいたゴブリン達の歩みが一瞬止まる。その隙にイリスが詠唱を終える。


「寄るなああああああああああッ!」


 イリスが絶叫と共に杖を横薙ぎに振る。杖の先端から伸びた炎の刃が後方のゴブリンの集団を扇状に切り裂き、炎上させる。そうして形成された炎の壁は後方のゴブリンの歩みを止めるが、それも一瞬のこと。火だるまになった味方を蹴り飛ばして押し通ろうとしてくる。


「もう一度!」

「了解!」


 炎の刃は魔法2回分の魔力を消費する。イリスの魔力は5回ぶん。つまりこのプロセスが通じるのはこれが最後だ。その後は?迫りくる死に背筋が寒くなるのを強いて無視し、もう一度シールドバッシュ。イリスが炎の刃を振るい、後方の火の壁を厚くする。流石に2列の炎の壁は超えがたいと思ったのか後方の歩みが止まる。あれは何秒保つ?


「後ろ、あれが抜かれたら最後のファイアボールで一瞬足止めする。後は神に祈って」

「ああ!」


 イリスはそう言って再び僕と一緒に前の対処に加わる。しかしその動きは後方を確認しながらのものなので精彩を欠き、僕の負担が大きくなる。2人とももはや息はあがり、あえぐような呼吸だ。あと何秒戦える?


 その時、前の3体のゴブリンが壁にい留められた。氷像の隙間を縫って飛来した矢がゴブリンの首を3つまとめて貫いたのだ。【鷹の目】の弓使いがウィンクしたのが視界の端に写った。小さく会釈えしゃくし呼吸を整える。しかし直後、イリスが叫ぶ。


「後ろ、来るわ!」


 とうとう最後の時が来たようだ。それでも抵抗しようと、僕は再びシールドバッシュを構える。イリスは既に後ろを向き詠唱を始めている。僕の前にはまだ20体程度のゴブリン、さらにその奥にホブゴブリンが1体。イリスの視線の先にも10体のゴブリン。終わりが見えてきたというのに、そこに到達する前に終わってしまうなんてな。殆ど絶望的な気分で腰を落とす。


 その時、光り輝く矢がホブゴブリンの頭を打ち砕いた。否、それは矢の如く飛び込んできたマルティナさんの拳だ。それに続いて【死の救済】の戦士達が突っ込んで来る。


「よく耐えた!前は任せろ!」


 その声に僕は即座に後ろを向く。


「これで……最後!」


 イリスが最後のファイアボールを放ち3体を焼く。あと7。待ちか?攻めか?待っていれば圧殺されるだけだ。ならば。


「突っ込む、着いてきて!」

「えっ!?」


 困惑するイリスはしかし、飛び出した僕の後ろを駆ける。僕は横並びになったゴブリン達の右翼側、即ち壁際に飛び込み1体を殴り殺す。さらにイリスが隣の1体を突き殺す。残った5体が向きを変えこちらに向かってくるが、最左翼側は僕達から最も遠くこちらに到達するまでいくらか余裕がある。その間に殺しきれるかが鍵だ。運動戦だ。


「ああああああッ!」


 自分に気合を入れるようにして叫びながら、手近な1体を殴り殺す。さっき一瞬休んだとはいえ、この突撃で体力は限界に近い。鍋を持つ腕が鉛のように重いが己を強いて振り上げる。イリスもまた限界が近く、その突きが大きくブレる。ゴブリンの頬を浅く切り裂いたところで、杖を掴まれてしまう。


「あっ!?」


 元々膂力りょりょくが無い上に疲労困憊こんぱいした彼女はそれを引きがすことが出来ない。ゴブリンは弱い者から狙ってくる。3体のゴブリンが列になって彼女へと駆け出す。


「やら、せるかよ!」


 割り込んで前のゴブリンを鍋で殴り殺す。しかし疲労しきった腕を上げるより早く次のゴブリンが迫る。


「おおッ!」


 もはや破れかぶれだ。殆ど倒れ込むようにして盾を板にゴブリンを押し潰す。


「Ia!?」


 僕の体重では圧殺出来ない。だが盾の下で藻掻もがくゴブリンは一先ず無力化した。だが最後の1体がナイフを手に迫る。なんとか鍋を振り上げるが、それより先にゴブリンの攻撃が始まる。ガンガンとケトルハットがナイフで叩かれるのを、顔を下げて耐える。


「うざったいんだよ……!」

「Iiiii……」


 渾身こんしんの力で鍋を振るい、途中で手首をかえして内側に振り抜く。背面撃ちがゴブリンの頭を捉えると同時、ゴブリンのナイフが左の肩口に突き立つ。


「ぐうっ!」


 ギャンベゾンが受け止めるが、貫通した切っ先が肌を突く。だがゴブリンは倒れた。鍋が光らないので殺してはいないようだが、気絶させたらしい。


 視線をイリスにやれば、彼女は杖を掴んでいたゴブリンに組み伏せられ、ナイフを突き立てられていた。なんとかナイフを持った腕を抑えているが、長くは保たないだろう。【死の救済】はまだ戦闘にかかりきりだ。僕が助けなければ。ガクガクと震える膝に力を入れて立ち上がる。左肩の痛みは然程ではないが、もはや疲労から盾を構える事すら適わない。それでも鍋だけは何とか振り上げ、盾から解放され立ち上がったゴブリンの頭を砕く。


 イリスの方に向き直ると、ゴブリンの持つナイフはもはや切っ先が彼女の平坦な胸に当たっていた。


「い、嫌……!」


 震える腕でゴブリンの腕に抵抗しながら悲鳴を絞り出すイリス。距離はあと5歩。上手く動かない足を気合で前に出す。あと4歩。僕は鍋のリーチの短さを呪った。あと3歩。ナイフの切っ先はイリスの服にめり込み始めた。直感的に間に合わないと理解してしまうが、それでも鍋を振り上げる。


「なんで」


 それは呪詛じゅその言葉。


「なんで鍋なんだよ」


 敵を斬り裂く刃を持たず、ホブゴブリンの骨を砕く重さも持たず、あと3歩を埋めるリーチも無い。投げつけようにも、この疲労困憊した状態では当てる自信もない。僕は初めて神に祈った。


「誰でも良い、助けてくれよッ!」




『良いですよ』


 声が頭の中に響いた。僕をこの世界に送り出した女神の声。


 気づけば景色は学校の教室になっており、プロジェクターから黒板に広間の光景が映し出されている。画面の左上に「一時停止」の文字があり、1枚の静止画のように画面は停止している。中心に映し出されているのは汗か涙かわからない液体で顔をびしょびしょにしながら鍋を振り上げる僕と、ゴブリンにナイフを突きつけられているイリスだ。


 カーテンを締め切り薄暗い教室の中に僕は突っ立っていた。正面には教壇きょうだんに肘をつく女神。その左手の上ではいくつもの小さな光球が弄ばれていた。


「んー、ゴブリンが32にホブが1ですか。魂の格は低い上、生まれたばかりでカルマも傾いていないですが、まあ供物くもつは供物」


 困惑する僕をよそに女神はそんな事を言う。


「というか君、祈る対象が私で良かったんですか?日本の神々が泣きますよ」

「いやなんか、咄とっさに浮かんだのがあなたの顔だったので」

「印象に残っていたと。祈りが殆ど呪詛混じりだったのはまあ、面白いから許すとしましょう。それで、この状況をどうにかしたいのですね?」

「ッ!はい、あのゴブリンを一瞬で殺さないとイリスが死んじゃう!」

「死んじゃいますねえ。のですが、対価ぶんは助けて差し上げますよ。では私の取り分はこれくらいで」


 女神は光球の群れを握り、かき消した。その手から漏れたのは10個の光球。


「こんなものですかね。残りはとしては十分でしょう」


 女神は僕を指差す。すると僕の脳裏に、概念としか言いようのないイメージの奔流ほんりゅうが流れ込む。しかし僕はそれを


「では手助けはここまでです。また何かあったら対価を携えて呼んで下さいね」


 彼女がそう言うと、意識がスクリーンの中の自分に吸い込まれるような感覚を覚えた。聞きたいことは山程あるが、今やる事ではない。僕は僕の実体と重なる瞬間に備えてを準備した。やるべきことは完全に理解していた。



 ひゅっ、と鋭い刃が走る音がした。


 次の瞬間、イリスを組み伏せていたゴブリンの首がずるりと落ち、続いて主を失った身体がばたりと横に倒れた。


 荒い息をつく僕が掲げる鍋は光り、そして霧散するようにして光が失せた。ゴブリンとの距離は未だ3歩あり、鍋も振っていない。視覚的には突然ゴブリンの首が落ちたようにしか見えない。しかし僕だけは、鍋からが飛んでいった事を知覚していた。


 幽体ゆうたい剃刀かみそり。不可視の刃を飛ばす魔法。この世界では発見されていない――――否、そもそもこの世界の道理では実行する事すら適わないまことの外法。僕はそれを理解し、実行した。


 イリスの服を突き破ろうとしていたナイフがぱたりと倒れ、彼女の荒い息に合わせて上下する胸の動きで滑り落ちる。彼女はそのまま大の字で固まっている。困惑もあるが、疲労が激しすぎて立てないのだ。


 僕もまた体力の限界に達し膝をつく。見れば、【死の救済】の戦いは掃討戦と言って良い段階に達していた。そしてゴブリンマザーと2パーティーの戦いも佳境に入っていた。


 両目に矢が突き立ったゴブリンマザーは闇雲に腕を振り回すが冒険者達はそれをひらりと避け、或いは盾で見事に受け止める。【鋼鉄の前線】の戦士3人が人1人程度ならわし掴み出来そうな巨大な右手を受け止め、掴まれる前にすかさず剣で斬りつけ指を落とす。その隙に後衛の魔法使いが光の矢を放ち肘を撃ち抜く。


「Iiiiiiaaaaahhhhhggggg……」


 ゴブリンマザーの両膝には氷の槍が突き立ち動かす事は適わない。そうでなくとも重い腹のせいで直立する事が出来ないのだ。左手で上体を支えるが、そこに【鷹の目】の戦士が駆け寄り手首の腱を斬り裂き、おまけとばかりにその傷口に弓使いが矢を撃ち込む。左手の力を失ったゴブリンマザーは無様に地面に倒れ伏す。


 そして団長が突っ込んだ。ゴブリンマザーの側胸部に剣を深々と突き立てる。


「Coff! Coff! Ia, Schp=nikrat……」

「呼吸するンなら気胸になるよなァ?」


 ゴブリンマザーは咳と共に血を吐き出し悶え苦しみ、神に助けを祈り乞う。だが団長はさらに反対側の胸も無慈悲に突き刺す。空気を求め血を流しながらあえぐゴブリンマザーを前に団長は悠々と剣を収め、その口の前に歩み寄る。吐き出された血が彼の身体を汚す。


「ガハハ、きたねェーし息が臭い。もう呼吸やめろ」


 団長はてのひらを前に出す。その先には空気を求め大きく開けたゴブリンマザーの口。人を丸呑み出来る大きさのそれは、今や巨大な的と化していた。


「ファイアボール」


 団長の掌から撃ち出されたその火球は狙い違わずゴブリンマザーの口に飛び込み、喉を、その奥の肺を焼いた。肉が焼ける悪臭漂う煙が一度吐き出される。……そしてそれきり息を吸うことも、事もなかった。


「ゴブリンマザー、討ち取ったり!」


 団長の大音声が広間に響いた。【死の救済】も掃討を終え、ゴブリンは文字通りの全滅。全員が鬨の声を上げるのを、僕とイリスは肩を上下させながら眺めていた。鬨の声を上げる気力も体力もまだ回復していなかった。


「勝った……」

「生き残った、の間違いでしょ……」

「言えてるね。怪我はない?」

「お陰様――――で良いのよね、これ」


 イリスが切断されたゴブリンの頭部をあごで差す。


「うん。僕、この鍋の使い方わかっちゃった」

「なんか外法の雰囲気がするけど、後で教えなさいよね……でも今は、ありがとう。また助けられたわね」


 イリスは汗と涙と返り血で酷いことになっている顔で笑った。それでも可愛いと思えるのだから美人は得だ。僕は汗を拭って、これでせめて少しは見れる顔になってくれと思いながら笑い返した。

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