第8話「行軍とキャンプ」

 初任給と「鍋のクルト」という通り名を受け取った僕は、意気消沈しながら団長の話の続きを聞いた。


「んじゃ話続けるぞ。具体的な行動を伝える。俺たちと傭兵隊で構成される歩兵隊は辺境伯様の騎兵隊とともに南方の村【ハイデ】に向う。歩兵は村の中に、騎兵隊は付近の森に潜んで敵の徴発隊を待ち受ける。んでノコノコとやってきた徴発隊を挟み撃ちって寸法だ」


 なるほど、僕たちは村で敵を引き止め、騎兵隊が横っ腹を叩く。それなら比較的安全かもしれない。騎兵隊の活躍に期待しよう。


「先の戦いではよォ、戦列を組むなんざ兵の真似事を強いられたが……今回は村の中だ、戦列を組む余地はねェ。モンスターの群れに突っ込むように各パーティーでバンバン斬り込んでバンバン殺せ。一騎当千の冒険者の戦い方、敵味方に見せつけてやれ!」

「「「Foooooooooooooo!」」」


 全然安全ではなかった。逃げたい。


 団長は13時に出立する旨を伝え、ミーティングはお開きになった。僕はイリスと一緒に遠征の準備を整える事になった。


「とりあえず食料の買い出しね」


 と言うイリスと共に街に繰り出し、堅く焼かれたパンを3日分と革製の水袋、そして麻の頭陀袋ずだぶくろを買った。この時点で残金は銅貨8枚(2日ぶんの食費だ)しか無くなっており、僕は殆ど泣きそうだった。


「そんな顔しないでよ……勝てばまた略奪出来るんだから元気出しなさいってば」


 そうだ、彼女の言う通りもう勝って略奪するしか生きる道はないのだ。ここで逃げてもまだこの世界の事を何も解っていない今の状況では野垂れ死ぬしかない。


 戦って、生き残るしかないのだ。そして略奪品で布団を買って生活の質QOLを上げよう。決意を旨に僕は鍋袋とナイフをつけたベルトを締め、集合場所に向かった。



「…………馬車とかで運んでくれないんだね」

「何贅沢言ってるのよ」


 マントをまとったイリスが呆れる。


 冒険者ギルドは徒歩でハイデ村に向かっている。先頭集団は騎兵隊、中央が傭兵隊、最後方を進むのが冒険者ギルドだ。最初は「遠足なんて久しぶりだな」なんて思っていたが、1時間も歩くと足が重くなってくる。たまに落ちている騎兵隊のものと思われる馬糞がどんどん気分を盛り下げる。


 こんな気持ちではいけないとイリスや他の団員と雑談すると、これは実際気が紛れるしこの世界の常識を学ぶのに役立った。団員達の顔と名前、役割クラスを覚えられたのも大きい。日が傾き始める頃には、かなり仲良くなれた――――そして仲間意識が芽生えた気がする。



 森の中に入ったところで、団長が「本日の行軍はここまで!野営の準備を始めろ!」と号令をかけ、僕たちは割り当てられた場所に荷物を下ろした。団員達がナイフや剣、持参した鎌で下草を刈り始めたので僕もそれに倣った。……なるほど野営も楽じゃないんだなあ。


 「狩人」と呼ばれるクラスの人たちが周囲の索敵がてら乾いた枝や朽ちた木を持ってきて、焚き木を始めた。冒険者ギルドはその焚き木を囲み、夕食を摂ることになった。各パーティーごと持ち寄った食材を炙ったりして食べている。


「ね、私野菜持ってきたんだけど。あんたの鍋でスープでも作らない?」

「君が女神に見えるよ」


 僕はケチりまくった結果パンと塩しか持ってきていなかったのでこれはありがたい。僕は鍋に水を入れて火にかけ(取っ手を持って直接火にかけるので暑いし腕がつらい)、イリスがそこにキャベツのようなもの――――どう見てもキャベツにしか見えない――――を千切って入れる。煮立ってキャベツがしんなりして来た所で火からおろし、塩を入れる。


 辺りもすっかり暗くなり、鍋から立ち昇る湯気が野営キャンプしているという実感を沸かせる。僕たちは鍋を挟んで向かい合う。


「ベーコンかソーセージでもあればもっと良かったけど、これでも見習いの行軍食にしては結構上等じゃない?」

「美味しそうだ。少なくともパンだけよりは」

「感謝しなさいよね?」

「ありがとう、リーダー!」

「大変よろしい。じゃ、食べましょうか」


 そう言うとイリスはパンをナイフでガリガリと切り、スープに浸して食べ始めた。……この世界では「頂きます」とか神への感謝とか、食事の前の祈りは無いんだな。僕は心の中で「頂きます」と唱え、パンを切る。表面が真っ黒になるまで焼き締められたパンは中々刃が通らなかったが何とか切り、スープに浸して齧る。


 ……うん、あんまり美味しくはない。スープはほとんど海水の味だが、キャベツの出汁をほんのりと感じる。パンは全粒粉なのだろうか、若干の酸味と焦げた部分の苦味が強いが、小麦の滋味じみたっぷりだ。――――『食文化も衛生面もさほど現代ヨーロッパと乖離していない世界です』と言っていた女神に腹が立つが、まあ食べられなくはないし『現代でも貧乏な食事はそんなものですよ』と言われたらぐうの音も出ない。僕も流行りのゲーム機を買って究極にお金が無かった時は、弁当箱に白米を詰めて塩をかけたものだけを食べていたし。


 各々持参したスプーンで鍋から直接スープをすすっていると(これはイリスとの間接キスなのでは、と思ったが彼女が気にしている風でもないので言わなかった)、イリスが「ん?」と声をあげた。


「どうしたの?」

「いや、何というか……魔力っぽいものが流れ込んで来た気がするの」

「魔力?」


 尋ねながらスープをすすっていると、僕も胃の中から何かがじんわりと広がるような感覚を覚えた。温かいスープで胃が温まったのとはまた別の感覚。胃を貫通し、血液とは別の流れで全身に力が巡る。


 イリスは無言でスープを啜る。僕もそうすると、やはり先程と同じような感覚を覚える。


「……鍋かな」

「……鍋ね」


 原因があるとすればそれしか考えられない。この世界では食物から経験値のようなものや魔力を吸収出来るのかと思ったが、イリスの反応を見るにそうでは無いらしい。


「ヤバいかなこれ」

「うーん……カンだけど、悪い力じゃない気がする。っていうか本当に何なのよこの鍋」

「僕に聞かれても」

「そうだったわ……。多分、外側の防御付呪を除いた32層の解読不能の付呪のせいだとは思うけど。とりあえず、この鍋であたし以外に料理を振る舞うのは避けた方が良さそうね」

「そうだね……」


 また鍋の謎と隠すべき理由が増えてしまった。本当に何なんだこの鍋。


 身体の中を未知の力が駆け巡る感覚に戸惑いながら2人でスープを平らげると、何だかんだすっかり腹は満たされた。全てのパーティーが食事を終えると団長が「んじゃクソして寝るぞ!見張りはパーティーごとに割り振る。今夜の当番は――」と見張り当番を割り振り(僕たち【鍋と火】は今夜は割当なし、明日の夜に割り振られる事になった)、寝る事になった。焚き木は敵から見られないようにするためだろうか、土をかけて火を消してしまった。


 その辺で用を足し葉っぱで尻を拭いて戻ると(尻が痛い)、各自が寝袋やらマントやらに身を包んで横になっていた。……うん?


「ねえイリス、テントとか無いの?」

「そんな大掛かりな装備持ってきて無いわよ、馬車があれば別だけど」


 マントに身を包んで木にもたれ掛かっていたイリスが答える。


「普通冒険者は寝袋持っていったりマント、を……」


 そのあたりでイリスも気づいたらしい。


「……寝袋持ってないの?シーツとかマントは?」

「無い」

「…………」


 シーツは部屋にあったが、持ち出す事は全く考えていなかった。野営キャンプと言えばテントを設営するもの、そういうのはギルドが運んでいると思っていたのだ。春とはいえ、夜は冷える。チュニックとズボンは長袖だが寒い。ぴゅうと冷たい夜風が吹き、イリスの髪を揺らす。


「……ごめん、言うの忘れてたわ」

「……いや、僕も思い至らなかった。着替え持ってきてるからそれいて寝るね」


 そう言って彼女の隣に着替えを広げ、そこに寝転がる。刈り取った下草から湿気が上がってきて冷たい。荷物を入れた麻袋を腹に抱え、腹が冷える事だけは防ぐ。木々の間を吹き抜けてくる風が露出した首に触れ、小さく身震いする。寝れるかなこれ。


 気を紛らわすために周囲の音を聞く。既に皆寝始めたようで、木々や揺れる音に混じっていびきが聞こえる。遠くでたまに聞こえるのは見張りの足音だろう。


 人は上がった体温が下がる時に眠くなる――――と言うが、これは寒すぎだ。スープで温まった身体は急速に冷え、結局寒さで音に集中する事も適わなかった。かたかたと震えていると、肩をちょいちょいとつつかれた。そちらを見ると、イリスが手招きしているのが見えたので起き上がる。


「どうしたの?」


 小声で問うと、彼女も小声で返す。


「……流石に風邪ひくでしょ、それ」

「うん……良ければ着替えとか貸してくれると助かる。掛け布団代わりに」

「あたしの体格の服よ?小さすぎて焼け石に水でしょ」

「それでも無いよりは、」


 と言う僕を遮るように、イリスは左手でマントを開く。


「うん?」


 うん??


「……何してんのよ、入りなさいよ」

「うん??」


 うん????


 理解が追いつかなかった。何を言っているんだこの娘は。マントの中に入れと言ったか?それはつまり、男女身を寄せ合わせ――――


「待って欲しい、それはやや破廉恥はれんちでは」

「ぶっ殺すわよ」


 つま先で小突かれた。だがその痛みで少し冷静になれた。……整理しよう、恐らくイリスは完全な厚意から一緒にマントに包まることを提案しており、そこに僕がよこしまな気持ちを持ち込む事はその厚意を無下にする行為であって、


「……寝具の準備を指示しなかったのは、リーダーたる私の落ち度。それで風邪ひかれたら他のパーティーに面目立たないし、メンバーの体調管理もリーダーの仕事の内だし、つまりその……」

「失礼します」

「急に入らないでよ気持ち悪い!」


 おっといけない、必死に理由を並べ立てるイリスが可愛くてついスルリと彼女のマントの中に入り込んでしまった。落ち着け僕、ここで妙な真似をしたら永遠に彼女の信頼を失うことになるぞ。いやしかし、良い匂いするしあったかいし抑えきれるのか? 頭の中で性欲が理性を足蹴にしてポンプを用意し、下半身に血流を送り込まんとしている。


「妙な真似したら燃やすから」


 立ち上がった理性が性欲を殴り飛ばし、ポンプを物置にしまった。


「言っとくけど、前のあんたクルトだったら見捨てて凍え死なせてたから。……これは私の罪滅ぼしもあるけど、への信頼もあるんだから裏切らないでよね」

「わかってる……わかった」


 月明かりに照らされる金髪と空色の瞳が美しく、まっすぐに僕を見つめる。視線をほんの少し落とせば、ほんのり朱の差した頬が目に入る。肩と肩が触れ合う距離でそれを見せるのは逆効果だよという気持ちになったが、なんとか理性を保つ。彼女のマントは小柄な体格に合わせて小さく、2人で包まると前が開いてしまう。僕は地面に敷いていた着替えを手繰り寄せ、マントの隙間を塞ぐようにしてかけた。……温かい。


「……よろしい。じゃ、おやすみ」

「おやすみ。……本当にありがとうね」


 イリスはふんと鼻を鳴らすと目を瞑り、やがて眠りに落ちたのか頭を僕の肩に乗せた。彼女のバストは平坦だ。……寝れるかなこれ。


 彼女の体温と香りに悶々としながら目を瞑る。これは徹夜かな……。








寝れたわ。


 木漏れ日で目を覚ますと、周囲に人が集まっていた。イリスをつついて起こし、2人で見上げるとそこにはにやけ顔のギルド団員全員が居た。中心に立つ団長が一歩進み、僕とイリスを交互に見てこう言った。


「ゆうべは おたのしみ でしたか?」


 飛び起きたイリスが団長に蹴りを入れた。

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