第4話「記憶喪失と鍋の秘密」
「……実は僕、記憶喪失なんです」
全員が口をぽかんと開ける。突拍子もない話だから仕方がない。だが半分は本当だ。実際僕はクルトの記憶がないのだから。
「嘘かと思われるかもしれませんが、本当に何も思い出せないんです……合戦で矢が降ってくるあたりからしか覚えて無くて。正直、ここがどこかも、自分が何者なのかも」
この辺りで自然と涙が出てきてしまった。死んで生き返ったと思ったら何も知らない状態で鍋片手に戦争に放り込まれ、矢を射掛けられ槍で突かれ、おまけに見に覚えのない侮蔑を向けられ。理不尽極まりない。
「おいおい、戦場でビビって小便漏らすヤツはよく居るが記憶漏らしたヤツは初めてだぜ」
団長が冗談めかして言うが、その目は僕の話を信じているように見えた。
「マジかよ」「そういえば態度っつーか話し方も違うしなぁ」「前はもっと豚にも劣る品性と野良犬みたいな視線のクソ野郎だったし」
団員が顔を見合わせながら囁く。……本当にクルトはどんなクソ野郎だったんだ。
「あー……わかった、話は後で詳しく聞こう。全員、記憶を失いながらも武勲を立てた鍋の勇者に憐れみと賛辞を!乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
「以上、あとは死なない程度に飲んで食ってクソして寝ろ!」
「「「Fooooooooo!!」」」
微妙な空気を団長が再び盛り上げ、無理やり宴会を始めてくれた。確かに祝勝会で言う事ではなかったかな、と少し罪悪感を覚えながらも、とりあえず僕の話は信じてもらえたようで一安心した。これで「クズが何をつまらない冗談言ってるんだ」とか言われたら流石に首を吊りたくなる所だった。
「……あんた、さっきの話本当なの?」
イリスが話しかけてくる。その声色は猜疑ではなく確認するようなニュアンスだった。
「うん。だから戦闘技術とか、魔法とかもさっぱりで」
「……この前あたしに言ったことも?」
「うん。……そのう、差し支えなければ何を言ったのか教えてくれると」
「やめとくわ。教えて――今のあんたなら謝りそうな気がするけど――謝られても、あんたに言った記憶が無いならその謝罪に意味もないでしょ」
「……ごめん」
「そこで謝らないでよ」
イリスはばつの悪そうな顔をする。
「そういえば、短剣野郎を倒した後さ、あんたの鍋光ってなかった?」
気まずさに耐えられなくなったのか、イリスは急に話題を変える。
「そういえばそうだったね。光っただけだったけど」
「あれ一体何――ああ、魔法の知識も無くなったんだっけ。うーん、じゃあちょっと鍋見せなさいよ」
僕は鍋を差し出す。実際、あの光が何だったのか気になっていた所だ。イリスは鍋を受け取ると様々な角度から観察を始めた。
「うわ気持ち悪っ」
そして出た言葉はそれだった。
「ちょっと何これ、意味がわかんないんだけど――ってあんたに問いただしても無駄か。ああもう」
「あの、解説してくれると助かるんだけど」
「あたしも全てはわからないけど」
イリスはそう前置きして説明してくれた。
「付呪ってわか……らないわよね。物質に魔法の効果を付与する技術なんだけど、そもそも魔法は金属と他の魔法と反発しあう性質があるの。だから、金属に付呪する時はこうやって呪文を直接刻み込むの」
イリスは自分の椅子ごと僕の方に寄り、鍋の表を細い指でなぞる。ふわりと香る甘い香りにどぎまぎしながらその指が示す所を見ると、確かに鍋肌に小さな文字がびっしりと並んでいた。彼女のバストは平坦だ。
「で、この1列目の文字が
「ああ、それで槍で突かれても貫通しなかったんだね」
貫通どころか、今まじまじ見ても傷ひとつ付いていない。
「で、この2列目が
「難しいの?」
「相当高等技術よ。こういう多層付呪が施された甲冑もあるらしいけど、皇帝とか王様しか買えないレベルよ」
そんなに。いまいち凄さが飲み込めないが、そういう事だととりあえず頭に叩き込む。
「で、気持ち悪いのはその多層付呪が少なくとも32層も重なってる事よ」
「そんなに」
「正直聞いたこともないわ。稀代の付呪師の作品か、外法に手を出したヤツの仕業としか思えない」
「……そんなモノを持ってるクルトって何者だったの?」
「クズって事以外知らないわよ」
自分の
「続けるわよ。ここまでは鍋の表側の話。裏側と鍋底に16層、さらに鍋のお尻に16層何か付呪が施されてるけど、これは何の呪文かさっぱりわからない。一通り基礎魔法は勉強したつもりだけど、皆目検討もつかないわ。っていうかそもそもこんな高等技術を鍋に施した意味が本当にわかんない」
「マジで」
「マジよ。……でも恐らく鍋が光ったのはこの32層の付呪のせいだと思うわ。……こんな得体のしれない――外法の産物かもしれないもの、知識のない牧師にでも引き渡したら魔女裁判モノじゃないかしら。告発しようかしら?」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
それは困る。というかあんまりだ。転生即魔女裁判で死刑はひどすぎる。
「冗談よ」
こいつ……。しかし
「ともあれ、そういう訳でそれはあんまり人に見せるのはオススメしないわ。……あっ、でもあたしにはたまに見せてよね。興味湧いてきたから」
イリスの目には知的好奇心の色が浮かんでいた。異世界ファンタジーものだと魔法使いは探究心旺盛なイメージがあるが、この世界でもそういうものなのだろうか。そう考えていると、急に後ろから太い腕が伸びてきて僕のとイリスの肩をがっちり掴んだ。
「よォ若者達ィ!仲良く顔を寄せ合ってどうした!?戦場の恋か、うん!?」
「ちがっ…」
「違います。……団長酒臭いです」
イリスはすまし顔できっぱり否定する。なんだか心が痛い。そして割り込んできたのは団長だ。他のテーブルで飲んできたのか、だいぶ出来上がってる。
「
がはは、と豪快に笑う。そして勢いよくジョッキを呷り、空になったそれをテーブルに叩きつけ、小樽から手酌でビールを注いだ。……いや単純に酒好きなだけじゃないかこの人。
「……で、クルト。お前、さっきの話、マジなんだな」
急に真顔になった団長がずい、と顔を寄せる。
「マジです」
「そうか……。まあ、詳しいことは明日俺がシラフの時に聞くが。今、重要な情報を1つくれてやる」
「重要な情報……!?」
ごくりと唾を飲む。
「ああ。心して聞けよ。……………………お前の寝床、ギルドの2階な。イリス、後で教えてやれ」
「はーい」
拍子抜けである。
だが、自分の寝床がわからなかったのも事実だ。僕が記憶喪失という事から推測して態々教えに来てくれたのか。戦利品の選定から僕を引き立てるような演説といい、この人は部下思いの良い人なのかもしれない。礼を言う前に彼はゲラゲラ笑いながら別のテーブルに行ってしまった。
「……とりあえず、食べましょうか」
テーブルには鍋の話と団長の乱入で手つかずだった料理がずらりと並んでいた。ひとまず直近の危機は脱したこともあり、急にお腹が空いてきた。
「そうだね。……イリス、色々ありがとう。少し安心したよ。乾杯」
「やっぱり調子狂うわね。……乾杯」
彼女は一瞬困惑しながらも柔らかく笑い、控えめにジョッキを打ち合わせた。
そこからは料理と酒との戦争だった。
◆
食欲のままに料理を片付けた後、僕は酔っ払った団員に絡まれバカ騒ぎをしたが内容はよく覚えていない(僕もだいぶ酔ってた)。イリスは女性団員の輪に加わり談笑し、宴は夜半まで続いたが、大方の団員が各々の宿舎に帰るか潰れた頃に戻ってきた。
「あんたの寝床教えてあげるわよ!」
彼女の顔は真っ赤で上機嫌だった。だいぶ出来上がっている。しかし僕も出来上がっていたので「Foooooooo!」と奇声を上げてついていった。
ギルドの建物の2階に案内された僕は、「あんたの部屋ここね!おやすみー!」とブンブン手を振るイリスに蹴り転がされ自室に入った。
「お部屋じゃなくて汚部屋じゃん!」
ゲラゲラ笑いながら、雑多なものがそこかしこに転がっている部屋を見渡し、床に敷かれているシーツを見つけるとそこに飛び込んだ。硬い床の感触と枕からはみ出る
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