第45話輪入道

 時には下がることも大切だけど、それで自分の何かが失われるなら、立ち向かえ。


「着きましたよ。起きてください」


 ろくろ首の声で目が覚めた。

 辺りはすっかり夕方になっている。

 家に帰る人や店で遊ぶ人が多い。私とアリスはタクシーから降りた。


「ありがとう。お代は……」

「山ン本様から頂いていますので、結構です」


 ろくろ首がぺこりと頭を下げて「それではお気をつけて」と言い残してタクシーで黄昏の街を走っていく。

 アリスと手をつないで、バーに入店する。ゆったりとしたBGMが聞こえて、少し薄暗い店内。そこに魔王たちがテーブルを囲んでいた。


 スーツ姿の山ン本五郎左衛門と八岐大蛇、そして和服の神野悪五郎。

 アリスは「だあれ? あの妖怪たちは?」と訊ねた。

 そう言えば事情を話していなかった。


「あれは魔王たちだよ。私の因縁を消してくれるんだ」

「因縁? よく分からないけど、良い者なの?」


 アリスの疑問に悪五郎は「わしたちは善人でも悪人でもない」と答えた。


「わしたちはただの強者だよ。お嬢ちゃん」

「ふうん。ママと一緒だね」

「あれを比べられては困るが……人魚、その子を頼む」


 悪五郎の一声で、以前会ったときより落ち着いたファッションの人魚が、奥のほうから出てきた。

 まあステージ衣装だったからな。


「あなたがアリスちゃんだね。向こうにいようか」

「……柳友哉と離れたくない」


 私の手を握る力を強くするアリス。

 私は頭を撫でて「大丈夫だから」と安心させる。


「大切な話があるんだ。少しの間だけ、頼むよ」

「……はやく終わらせてね?」


 私が無言で頷くと、アリスは私から離れて人魚の元へ向かった。

 母親と同じ、海に住む者だから、警戒は少なくなるかもしれない。


 アリスと人魚が奥の部屋に行ったのを見て「こっちに来い」と山ン本が私に言った。


「適当に座って良いぞ」

「では、失礼します」


 私は山ン本と悪五郎の間に座った。

 自然と八岐大蛇の正面になった。


「さて。今回の試練の結果だが……瓢箪の中身は満たしたみたいだな」

「……いえ、レヴィアタンからは妖気は」

「瓢箪を見せてみろ」


 私が瓢箪を取り出すと、何故か中身は満たされており、瓢箪自体が黄金に輝いていた。


「一体、いつの間に……」

「レヴィアタンではないな。ルキフェルの仕業だ。あやつ、相変わらずキザなことをする」


 山ン本が舌打ちをする。

 しかしそれならば、レヴィアタンに会う必要は無かったはずだ。

 もしかして、アリスと私を引き合わせるためだろうか?


「これで魔王の血から、お前を解放できる」


 八岐大蛇が瓢箪を指差す。


「さっそく始めるか――」

「……八岐大蛇さん。それから山ン本も悪五郎も聞いてください」


 私は姿勢を正した。深呼吸して心を落ち着かせる。

 今まで出会った妖怪のことを頭に思い浮かべた。

 それから最後に、しぐれのことを想う――


「私は今のままで十分です。神野の血を消さなくていいです」


 私の決意を魔王たちは分かっていたようだった。

 さほど驚きはしなかった。


「理由を聞こうか」


 八岐大蛇は静かに言った。

 目には失望や怒りではなく、好奇心が宿っていた。


「妖怪たちと出会えた日々は、私にとって換えようもない、楽しいものでした。しぐれと出会えたこと、父と母に再会できたこと、そしてミケとコンと暮らせること。どれもこれも嬉しいことでした」

「だが同時に嫌な思いもしたはずだ」


 陰摩羅鬼や提灯お化けのことが思い出される。

 でも私は「良いことばかりではありませんでしたね」と肯定した。


「でも、人生ってそういうものじゃないですか」

「…………」

「良いことばかりじゃなくて、嫌なこともある。でも嫌なことから逃げないで、立ち向かうことが、大切なんだと学ばされました」


 だから私は、自分の血の因縁を消さない。

 一生向き合って生きていく。


「子供や孫たちはつらい思いをするでしょう。もしかしたら失敗するかもしれない。でも、私は信じています。絶対に乗り越えられるって」

「おめえさんはどうしてそう思う?」


 山ン本の問いに、私は胸を張って答えた。

 堂々と恥じることなく、大言壮語を言ってのける。


「私としぐれの子と孫です。絶対にできると信じられますよ」

「…………」

「悪五郎が私に期待してくれたように、私も私の子孫を期待しています」


 根拠がなくて、青臭い幼稚な考えだった。

 大人が聞けば笑ってしまうだろう。

 それでも私は言い続ける。


「私は妖怪と出会えて、心からそう思えます。今まで過ごした日々は無駄じゃない。だから無くしていいものじゃない」


 魔王たちはしばらく黙って、それから悪五郎が「それがお前の決断なのだな」と言う。


「わしの血を消すチャンスをふいにして、受け継ぐことを選んだのだな」

「ええ、そうです」

「……わしはお前を見誤っていたよ」


 悪五郎は和物の眼鏡を外して、にっこりと微笑んだ。

 今まで見たことのない、慈愛の篭もった笑顔だった。


「お前と出会えて、本当に良かった。ありがとう、友哉」


 続けて山ン本は「おめえさんも酔狂な人間だな」と言う。


「だが嫌いじゃねえ。妖怪とトラブルがあったら、いつでもいいな。俺様がなんとかしてやるよ」

「ふふふ。そうならないように気をつけますよ」


 最後に八岐大蛇が「その瓢箪は預かっておこう」と言う。


「お前の子か孫が、魔王の血を消したいと思ったなら、これで消してやる」

「ええ。そうしてください」

「お前は強い人間だが、子や孫がそうだとは限らないぞ」


 それにも私は頷いた。

 八岐大蛇は険しい顔を緩めて「それではすぐに家に帰ってやれ」と言う。


「お前の妻が妖怪連中に頼みこんでいてな。まるで百鬼夜行でも作ろうとしている」

「ええ。早く帰らないといけませんね」


 山ン本が「外に輪入道の車を用意した」と言う。


「雷獣ほどではないが、すぐにお前の家に帰れるぞ」

「ありがとうございます」


 私は魔王たちに頭を下げた。

 私の決意を受け止めたことと、今までのことに、感謝をこめた。


 アリスと一緒に、外にあった車に乗り込む。

 一応、運転席に居るが、タイヤの輪入道たちが「何もしなくていいですよ」と言ってくれた。


「しぐれさんの元へ連れて行きます。シートベルトを忘れずに」

「ありがとう。助かったよ」


 そして車は空を飛んだ――普通の人間には見えないようだ。

 そのまま私の家まで一直線に向かう――

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