第33話ミサキ
人生は順風満帆とは行かないけど、ところどころで幸せは訪れる。
「まさか、妖怪大翁様を説得するとはね。素直に驚いたよ」
「母さん……どうしてここに?」
死んだ母のすみれが私の店、つまり現世に居る。
しかも妖怪大翁とのやりとりを理解していた。
不思議なことばかりだったけど、とりあえず事情を聞きたかった。
「今の私は、死人ではないよ。妖怪大翁様に仕える妖怪――ミサキとしてここに居る」
「ミサキ……?」
聞き慣れない言葉だったので、雨女のほうを見る。そこで気づいてしまった。彼女の目が涙で腫れていたことを。悲しませた事実が私の心を苛んだ。
雨女はかすれた声で「ミサキとは力ある者の従者ですね」と説明した。
「有名なのは神武天皇の
「そして今は、伝令役だね。雨女、ありがとう。それにミケとコンも」
母は雨女たちに頭を下げた。
「友哉を守ってくれて感謝するよ。本当にありがとう」
「その言葉だけで、我輩は報われたにゃん」
ミケは母に近づいて腕にしがみついた。母もミケの頭を撫でる。昔と同じ光景に胸が熱くなる。私は二人から離れて、雨女とコンに「申し訳なかった」と謝った。
「心配をかけてごめん」
雨女は一瞬、泣きそうな顔をしたけど、すぐに「無茶をなさらないでください!」と怒鳴った。初めて雨女に怒られた――抱き締められた。
「あなたが居なくなったら! 私はどうすればいいのですか!」
「……ごめん」
「本当に、馬鹿なんですから!」
コンも私の手首にきつくまきついた。彼もまた怒っているのだろう。
情けない話だが、なすがままに抱き締められ続けた。
「さて。本題を話そう」
「すみれ、もう少し黙っていたほうが良いと思うにゃん」
母の声で雨女は急に離れた。顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにしている。可愛らしいと素直に思う。
「息子が女といちゃいちゃするのを見たくないしね。それに時間もない」
「……話を続けてください」
母と向き合うとさっそく本題を切り出された。
「友哉の兄、蛭子は賽の河原から救われたよ。妖怪大翁様のお力でね」
「それだけの力があるのですか?」
「あの方は魔王を従わせるほど強大な力を持っていらっしゃる。歴史の彼方に消えてしまった八百万の神の一柱であり妖怪の祖でもあらせられる。できて当然だよ」
やはり妖怪大翁も神だったのか。
母は「あの子は赤ん坊になったよ」と続けて言う。
「極楽でゆっくりと育てていく。今は京一郎さんが面倒を見てくれているよ。案外、赤ん坊の面倒は得意なんだよ、あの人は」
「意外ですね。苦手そうに思えましたが」
「友哉のおしめも替えていたんだよ? まあ記憶はないと思うけど」
くすりと笑って、母は雨女に言う。
「雨女。あなたも自分の変化に、そろそろ気づく頃だね」
「どういうことでしょうか?」
雨女自身も自覚がないらしい。私も何が何だか分からなかった。
母は「外を見てごらん」と促した。
「綺麗な青空が広がっているよ」
「――っ!? まこと、ですか?」
雨女は窓を見る。私もつられて見た。
外から雨音はせず、それでいて輝かしい晴れ空が見えていた。
「私は、人となったのですか?」
「徐々になっていくが正しい。急に人となると困ることもあるからね。そこは妖怪大翁様の計らいと言うべきかな」
雨女は呆然とする中、母の身体が少しずつ消えていく。
時間切れ、というわけか。
「おや。もう時間らしいね」
「すみれ、行くのかにゃん?」
「ああ、ミケ。いずれまた会おう」
ミケの頭を一撫でして、それから私に「幸せにしてあげなよ」と母は言った。
「良い子なんだから。結婚式には出られないけど、いつでも見守っているよ」
「……いずれ、私も行きます。それまで、待ってください」
「ああ。京一郎さんも言ったけど、なるべく長生きしなさいよ」
母は消える寸前、微笑んだ。
それはこの成長を喜ぶ笑顔だった。
「友哉。私はあなたの親で良かったよ。誇らしいと思う。自慢の息子だ」
極楽へ帰った母。残された言葉。
それを噛み締めて、私は――
「……我輩、どうやって帰ろうかにゃん」
すっかり置いてきぼりになってしまったミケだった。
私は「元々、どこに住んでいたんだ?」と訊ねた。
「極楽だにゃん。とは言っても、すみれとは違うところだにゃん」
「そうか。だったらここで働くのはどうだ?」
私に提案に「従業員として働くのにゃん?」と可愛らしく首を捻った。
「ああ。これまで以上に忙しくなるからな。だって――」
私は雨女の手を握った。
雨女は不思議そうに私の目を見つめた。
「その、家族が……増えるから、稼がないといけないしな」
「……店主? それって」
「わ、私と一緒に暮らしてください――雨女さん」
雨女は目を丸くして、それからにっこりと私の好きな表情になった。
つまり、太陽のように明るい笑顔になったのだ。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします――友哉さん」
雨女が私の名を呼んだのは初めてだった。
今日は初めてのことが多すぎるな。
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