第32話魔王

 大いなる力には、それなりの責任が伴う。それさえ分かっていれば、正義に使うか悪事に使うか自由である。


 鳳凰の身体から飛び出ると、そこは小さな楼閣であった。断崖絶壁――下は雲海が広がっている。中に入るように鳳凰に促されたので、素直に従う。


 入り口には小さな男の子と女の子が二人ずつ、計四人が立っていた。赤い絹を纏っている。無言のまま、手招きされた。そのまま品の良い装飾が施された廊下を歩く。床でさえセンスを感じさせる模様の配置だった。


 奥の間で子供たちは止まった。そして私にお辞儀をする。部屋に入れということだろう。私は扉の取っ手を掴んで、ゆっくりと開けた。

 そこには三人の男が円卓に座っていた。天井には四神が描かれていて、壁はあらゆる鬼で彩られていた。


「おう。結構早かったじゃねえか――おめえさん」


 そう声をかけたのは山ン本五郎左衛門。向かって右側の席に座っている。その真向かいには悪五郎が居た。二人とも黒い高級スーツを纏っている。

 私の正面に居たのは、紋付を着た老人だった。総白髪の短髪で険しい顔つき。私を射抜くような鋭い目。存在感というか威圧感で部屋を満たしていた。


「友哉。このお方にご挨拶しろ」


 悪五郎は静かに、それでいて緊張感の篭もった声で私に命じた。

 今まで聞いたことのない、真剣な口調。

 よほどの大物なのだろう。


「柳友哉と申します。お初にお目にかかります」


 頭を下げて名乗ると、老人は「そうか」と短い言葉を口にした。渋みのある、よく通る声だった。


「友哉。お前は知らないと思うが、このお方は妖怪大翁ようかいたいおう様――わしたちの主だ」


 悪五郎と山ン本が仕えている妖怪?

 そんな妖怪が居るのか!?


「ああ、適当に座っていいぞ」

「は、はい。ありがとうございます」


 適当にと言われても、開いた席は妖怪大翁の正面しかない。

 私はやや急ぎながら席に着いた。


「それで、お前は……魔王になることを決めたんだったな」


 妖怪大翁がゆったりとした口調で私に問う。

 威厳に満ちた声に、私は震え声で「は、はい……」と答えた。


「神野。こやつに魔王が務まるのか?」

「わしはできると思っております」

「山ン本はどうだ?」

「資質は十分にあるかと。地獄巡りも問題ありませんでした。ただ時期尚早なのは否めません」


 各々の意見を聞いた妖怪大翁は顎を撫でて「ううむ……」と唸った。

 私を見つめる――観察している。

 身体中から汗が噴き出る。蛇に睨まれた蛙のような心地だった。


「わしも十分、務まるだろうと考える」


 妖怪大翁の言葉に悪五郎と山ン本はほっとしたようだった。二人して溜息をつく。

 しかし次の言葉で状況が一変した。


「だが女と兄のために、魔王になろうとするのは、気に食わん」

「どうして、ですか?」


 別に逆らったつもりはなかった。ただ疑問を述べただけだった。

 しかし悪五郎は「やめろ、友哉!」と怒鳴り、山ン本も「口答えするな!」と叱った。

 妖怪大翁は二人の魔王を手で制し「理由が知りたいか?」と言う。


「ええ、できることなら、知りたいです」

「魔王に情けなど要らぬ。それに強大な力を持つ者は、責任を持たねばならんのだ」


 責任……私にはないと言いたいのだろうか?

 妖怪大翁は「神野の勝手を許したのは間違いだったな」と厳しいことを言う。


「人と交わり、子を成すなど……」

「……妖怪大翁様。それはもう済んだ話です」


 山ン本が悪五郎を庇った――二人はライバル関係ではなかったのだろうか?

 妖怪大翁は「そうだったな」と鷹揚に許した。悪五郎は固まったままだった。


「話を戻そう。魔王になれば、情を捨てねばならん。様々なことに耐えねばならぬ。お前にそれができるか? 目の前で飢える者を見捨てられることが、できるのか?」


 妖怪大翁が問うのは覚悟。

 全てを捨てる――勇気だ。


「……できないでしょうね。私は雨女さんと兄を救いたい。そのために魔王になるのですから」


 ぎょっとした顔になったのは悪五郎と山ン本だった。

 妖怪大翁だけは表情一つ変えない。

 私はなけなしの勇気を振り絞った。


「流産の末、妖怪となり、賽の河原で苦しんでいる兄を救いたい。私の寿命の少なさで、思い悩んでいる雨女の想いに応えたい。それが捨てねばならぬ情であるなら、魔王になりたくない」


 妖怪大翁は黙って聞いてくれた。

 受け止めてくれた。


「私は――飢えた人に、作った和菓子をあげたい。それすらできないのなら、魔王になんてなりたくない」


 妖怪大翁は悪五郎に「お前の子孫、なかなか言うではないか」と囁いた。

 悪五郎は汗をかきながら「ぶ、無礼をお許しください」と言う。


「いや。気に入った。わしは柳友哉という人間を気に入ったぞ! わっはっはっ!」


 妖怪大翁はうって変わって大笑いした。

 とても愉快そうに笑うのを二人の魔王は唖然と見つめる。


「この妖怪大翁に、そのような大言壮語を言ったのは、お前が始めてだ! よろしい、お前の願いを叶えてやる!」


 妖怪大翁は左耳を肩につけるように首を傾げると「よし、終わったぞ」とあっさり言った。

 何が何だか分からない私に「地獄巡りも終わりでいい」と言った。


「お前に日常を返してやろう。だがその前に聞かせてくれ」

「……なんでしょうか?」

「これからも妖怪と関わって生きるか? それとも関わらずに生きるか?」


 試されているのに気づかないほど、私はぼんやりしていない。

 胸を張って答えた。


「関わってきたからこそ、あなたに意見を言えました。もちろん、関わって生きます」

「よろしい! では――帰るがよい」


 私が瞬きすると、店のカウンターに座っていた。

 目の前には雨女、コン、そしてミケが居た。


「何が何だか、分からない……」


 あまりの急展開に私たちは呆然としていた。


「おめでとう。上手くやったみたいだね」


 声に反応して後ろを向く。

 そこには白い和服を着て、笑顔で立っている、母が居た。

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