第27話白沢

 考えなくてもいいことを考えてしまうのが人間だ。

 また機会を逃がしたくないと思うのも人間である。


 一時間後、次の地獄に到着した。

 ある程度予想はしていたが、注射が苦手な私にとって、一番きつい地獄であった。


「到着しましたよ。針山地獄です」


 のっぺらぼうが言うまでもなく、タクシーの窓から見えていた。

 針山というより剣山のほうが適している、鋭い刃が罪人に突き刺さっている。

 生身の肉体を持つ者はもがき苦しんでいて、中には腐り始めている者も居る。よく見ると白骨化している者も……


 タクシーから降りると、罪人たちの苦悶の呻き声が聞こえる。

 助けを求める声が針山に響き渡っていた。


「針山地獄の苦しみは、突き刺さることじゃないにゃん。ああやって肉体を腐らせる苦しみを与えているんだにゃん」

「刺殺ではないのか……」

「身体を固定することで身動きできなくさせるにゃん。飢餓や渇きも苦しみに含まれるにゃん」


 ミケの解説は私を心底震えさせた。先ほどの血の池地獄の熱気が一気に冷めてしまう。

 隣で手をつないでくれている雨女も言葉が無いらしい。

 コンは私に擦り寄っている。


「なあミケ。どうして人は地獄に落ちるのだ?」

「悪いことをしたからにゃん」

「それは分かっている。しかし、ここまでの責め苦を受ける必要があるのか?」


 永遠と繰り返される責め苦を受けなければならないほどの大罪とはなんだろうか?

 ミケは「甘いにゃあ。御主人様の和菓子のように甘甘だにゃん」と言う。

 その表情は、どこか馬鹿にしている感じだった。


「そこに突き刺さっている罪人は、自分の快楽のために人を殺したんだにゃん。そこのは女を騙して売り飛ばしたにゃん。そっちの女は権力者を騙して多くの戦争を引き起こしたにゃん」

「悪逆非道だとは思うが……」

「同情なんてしなくていいにゃん。悪人は罪人となって罰を受ける。簡単なことだにゃん。むしろ善人にとって、この仕組みは良いものだにゃん」

「善人でも、ここの現状を知れば同情するだろう。私のような凡人ですらそう思う」


 ミケは首を横に振って「善人で良かったと思えるのが地獄だにゃん」と言う。


「人は地獄を怖れることで、善人であろうとするにゃん。そうやって生きれば、世界は良くなるにゃん。それでも悪事を働く者は地獄に行く。ただそれだけにゃん」

「これも割り切れというのか?」

「善人が馬鹿を見る仕組みなんて、ないほうが良いにゃん」


 ミケはやけに断定的な物言いをする。

 どこか確信めいている言い方だった。

 私はなおも反論しようとすると、雨女が「地獄の是非を話しても、徒労に過ぎません」と諌めてきた。


「私たちが何を言おうと、地獄は無くなりません。世界に悪人が居なくならないように」

「……分かっている。私が間違っていることは。でも、この光景を見てしまったら、言わずに居られないんだ」


 地獄に落とされた者は、生前の報いを受けている。それは分かっていた。

 でも、苛烈な責め苦を受ける者に、同情を抱いてしまう。

 私はおかしいのだろうか?


「妖怪と人間の違いだにゃあ。別に間違っていないにゃん」


 ミケは私の心中を分かっているらしい。いや、心痛を見抜いたと言うべきだろうか。

 そのとき、私に「甘い匂いがしますね」と声をかけた者が居た。


「地獄に似合わない、甘いお菓子の匂いです」


 身体は白いライオンのようだが、身体に目が多く付いている。顎には山羊のような長い髭があり、頭には角が二本生えている。声は中年男性のように渋い声。妖怪だと一目で分かったが、名前は分からなかった。


「その方は白沢はくたく様だにゃん。瑞獣――高貴なお方だにゃん」


 瑞獣とは吉兆を知らせる珍しい動物のことを指す。

 ミケが丁寧に白沢に向けてお辞儀をする。のっぺらぼうもタクシーから降りて帽子を取って礼をした。雨女も私から手を離して、深く頭を下げた。コンも同じように頭を下げる。

 私も皆に倣って頭を下げた。すると白沢は「そのようにかしこまらなくても良い」と言う。


「和菓子を分けてくれぬか?」

「ええ、良いですよ。ドラ焼きでも構いませんか?」

「大好物だ。ありがたくいただくよ」


 私はリュックからドラ焼きを取り出して、包みを開けて白沢の前に差し出した。

 白沢は実に美味しそうに食べてくれた。作り手冥利に尽きるというものだ。


「うん。美味しかった。君のお母さんと同じ味だね。いや、父親に似ていると言うべきかな」

「母と父を知っているのですか?」

「ああ。母とは地獄巡りで、父とは極楽で会ったよ」


 母は悪五郎から聞いていたが、父も極楽に行けたのだと知って、少し安心した。

 父は悪い人ではなかったから当然と言えば当然だろう。


「しかし、何故か父は今、地獄に居るようだ」

「……なんですって? まさか、刑罰を?」

「いや、そうではないのだが……君が良ければ、彼の元に連れてってあげよう。美味しい和菓子のお礼にね。ただし、連れていくのは君だけだ」


 責め苦を受けていないのに、地獄に居る。

 その理由を私は知りたかった。だから即答した。


「お願いします。私を父の元に連れて行ってください」


 皆が止める間もなく、白沢は「よろしい」と答えた。

 空間が歪み始める。頭が酷く痛い。

 吐き気を催しながら、私は針山地獄から姿を消した。

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