第28話蛭子

 親への情は、当人の運命を狂わせる。


 私の父の名は京一郎という。父の両親はサラリーマンで、息子が和菓子職人になると知って大層驚いたという。祖父母は私が四才のときに亡くなってしまって、ほとんど記憶はない。でも父は優しい人たちだったと教えてくれた。


 父は私が十六才のときに他界した。まだ四十六歳だった。運悪く交通事故に巻き込まれて、病院で亡くなった。気の強い母が私に泣きついたのはそのときだけだった。その後、母は和菓子屋を継いで、その五年後に病気を患って死んだ。


 父と遊んだ記憶はほとんどない。いつも店に篭もって和菓子を作っていた。だから遊園地や釣りなど遊んでくれたのは母だった。でも私は父が好きだった。だから十三才のときから和菓子作りを教えてくれと頼んだのだ。少しでも父の助けになりたかったから。


 父は私に「やりたいことや夢はないのか?」と一度だけ訊ねた。

 私は「和菓子職人になりたい」とだけ答えた。

 しばらく黙った父は何も言わず、和菓子作りを教えてくれるようになった。


 父の凄いところは自分の和菓子をきちんとレシピ化してくれたところだ。そのおかげで手伝い程度だった母も、素人同然だった私も、父の味を受け継ぐことができた。父の味を残せたのは、私にとって望外の喜びだった。


 父には感謝の言葉しかない。だから白沢が父の元へ誘ってくれると言ったとき、何も考えずに了承したのは、会いたい気持ちで一杯だったからだ。

 しかし、少しは考えるべきだったのかもしれない。

 極楽に居るはずの父が、どうして地獄に居るのかを――




 灰色の空。白い大地。石しかない荒涼とした世界。

 何か物寂しく感じるのは、不毛の土地だからというわけではない。

 目の前に一心不乱に子供たちが石を積んでいる光景が広がっているからだ。


「知っているか? ここは賽の河原だ」


 賽の河原。親より先に死んだ子供が、行き着く場所。

 石を積み上げて、積石塚を作ることで自身の供養とし、極楽に行けるが、もう少しで完成というときに、強風が吹いて崩れ去ってしまう。


「ここも地獄なのですか? 三途の川の付近だと聞きましたが」

「子供たちにとっては地獄であろう?」


 白沢の返しに、心が締め付けられる。

 それにしても、こんなに大勢の子供が居るとは思わなかった。

 眼前には数百の子供たちが石を積み上げていく。


「子供を殺す親も居るからな。ま、その親も子殺しで地獄に落ちるが」


 白沢は「こっちへ来い」と私に言う。ゆっくりと子供たちの間を歩く。何人か私を見つめたが、すぐに自分の作業に没頭する。

 病気や事故で死んでしまった子。親に悲しいことをさせられた子。心が痛む。


「見ろ。あそこに京一郎が居る」


 白沢が指摘したところに父は居た。黒い和服を着てしゃがみこみ、何かをじっと見つめている。

 私は早足で父の元へ向かった――そして呼びかける。


「父さん。お久しぶりです」

「うん? ……驚いたな。元気か、友哉」


 父は目を見開いて驚き、立ち上がって私の手を取った。

 私は涙を浮かべながら「元気ですよ」と答えた。


「そうか。元気か。しかしどうしてここに? 死んだのか?」

「いいえ。その、実は……」

「ああ、地獄巡りか。すみれから聞いていたっけ」


 私は「ご存知だったんですか?」と聞き返した。

 父は「すみれの先祖に聞かされていた」と困った感じで笑った。


「神野悪五郎の独鈷鈴だっけか。それで分かった。しかしお前、大きくなったな。ああ、そうだ。すみれとも会ったんだ。あいつも極楽に居るぞ」

「そうですか。ところで父さんはここで何をしているのですか?」


 私の問いに父は「……この子を見てくれ」と身体をどけた。

 この子? 子供が居るのかと思い見てみると、それは人ではなかった。

 未熟児と言うべきか、人の形を成していない赤ん坊が、必死に石を積み上げている。


「……なんですか、この子は」

「今まで黙っていたが、この子はお前の兄だよ」


 兄? 私の?

 あまりのことに思考が停止する。

 父は「お前をすみれが産む前のことだ」と説明し出した。


「すみれ、流産してしまってな。そのとき、産まれなかったのがこの子だ。水子供養はしたのだが……知っているとおり、この子も神野の血を引いている」

「まさか……この子は妖怪なのですか?」

蛭子ひるこという。私はこの子を極楽に連れて行きたいが、上手く行かんのだ」


 父は悲しそうな顔で私に「どうすれば助けられるのか、分からない」と告げた。


「地蔵菩薩様にも救われない。妖怪だからな。それに未熟児として産まれたから喋ることもできない」

「母さんは、このことを知っているのですか?」

「ああ。交代で傍に居てあげている。すみれも努力しているがな」


 すると父は私に「一つだけ可能性があるとしたら」と言う。

 私に遠慮しているような表情。

 躊躇してから、ゆっくりと言った。


「お前が魔王になれば、この子を救えるかもしれない」

「…………」

「すみれがそう言っていた。神野の力があれば、この子を地獄から救えるかもしれないと」


 私は自分の兄を見つめた。

 這いつくばって、石を積み上げようと苦心し、もがいている兄を――

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