第20話天狗
欲しい物を手に入れるには三つの手段がある。譲渡と取引、強奪である。
てっきり移動手段は人外の力を使った何かだと思い込んでいたが、悪五郎が所有している車で向かうことなった。
店の近くのコインパーキングに止められたそれは、車に疎い私でも分かる高級車、メルセデス・ベンツだった。しかもSクラス。妖怪のくせに生意気だなと思ってしまう。
「わしがベンツに乗ってはいかんのか?」
「心を読まないでください。しかし意外ですね。魔王が車を運転するなんて」
「ま、移動手段はいろいろあるが、一番のお気に入りはこれだ。人間が発明したものの中で、最も好ましい」
車で移動するのは構わないが、土蜘蛛はどうするんだろう。
彼の巨体では後部座席にすら乗り込めない。
悪五郎は後ろで腕組みをしている土蜘蛛に「お前は先に行ってくれ」と言う。
「山の麓で落ち合おう。わしは子孫とゆっくり参る」
「逃げたりしないよな?」
「ははは。このわしが逃げるわけなかろう」
土蜘蛛は「それもそうだな」と納得して、その場から姿を消した。
車より早く移動できるのか。つくづく埒外だ。
「さてと。行くぞ友哉。お前は助手席に乗れ」
「……私を誘拐しようとした妖怪は、車で行けるところにいるんですか?」
「いや、そうではない。途中の山までは行ける。そこからは徒歩となる」
私の諸々の準備が終わって、それから出発となった。
これまた意外だが、悪五郎の運転は丁寧なものだった。バックミラーで後方をこまめに確認しているし、車の震動も少なかった。ブレーキのかけ方も優しい。
私の店から二時間ほど走らせたところに、その山はあった。別段、観光名所ではなく、麓に古びた神社があるくらいの寂れた場所だった。
車を降りると、ぬっと土蜘蛛が現れて「遅かったな」と文句を言った。
「これだから機械は好かん。やけに手が込んでいる割に、俺様よりできることが少ない」
「まだ若いな。そうした無駄を楽しめるのが、一流の妖怪というものだ」
悪五郎はサングラスを外して、和物の眼鏡にかけ直す。それも無駄の一つだろうか。
私は「この山を登るんですか」と悪五郎に訊ねた。
「登ると言ってもお堂に向かうだけだ。五分くらいで着く」
「お堂、ですか? そこが異界とつながっていると?」
「そのとおりだ。異界――妖怪の里につながっている」
妖怪の里か……今更になって戻れるのか不安だったが、今は悪五郎と土蜘蛛を信じるしかなかった。
そのお堂には人が居らず、それどころか何年も人が立ち入った形跡が無かった。蜘蛛の巣が張っていたり、落ち葉が散らばっていたり。古ぼけた印象を受ける。
悪五郎が何やら呪文のようなものを唱えると、目の前のお堂から突風が吹き出した。しかし不思議なことに前述した蜘蛛の巣や落ち葉は微動だにしなかった。その風が止むと、お堂の扉が開いた。その先には――街があった。
「よし、行くぞ。友哉」
「あ、ああ……意外と変わらないのだな」
悪五郎、私、土蜘蛛の順で入った先は、都会の街があった。ビルが立ち並んでいて、飲食店や娯楽施設、服屋や本屋が店を構えている。しかし歩いているのは人間ではなく、妖怪だった。姿格好も人間のものではない。
「田舎の町や時代劇に出てくるようなところを想像していたのだが」
「そんなの不便だろうが。さて、土蜘蛛。友哉を誘拐してくるように言ったのは、どこのどいつだ?」
土蜘蛛がすっと前方を指差す。
誘導されるまま、その方向を見ると、そこには背の高い妖怪――天狗が居た。
真っ赤な顔に長い鼻。ぎょろりとした目。背丈は二メートル以上ある。修験道の山伏の格好。背中には籠を背負っている。手には羽扇を携えていた。まさにイメージどおりの天狗であった。
「なんだ。お前だったのか、天狗」
「神野さんまで連れてこいとは、言わなかったはずだが」
低音のよく通る声で土蜘蛛の不備を咎める天狗。土蜘蛛は「連れてこいとしか言われてねえ」とそっぽを向く。
「それ以外の奴を連れてこいとも言われてない」
「ふむ。なら今度から気をつけることにしよう。それで君が柳友哉か」
私は「はい。柳友哉です」と頭を下げる。そして持っていた和菓子の包みを差し出した。
「これ、店の商品です。良かったらどうぞ」
「……状況を理解していないのか? 私はお前を攫うよう頼んだのだぞ?」
天狗は呆れている。悪五郎はにやにや笑っていた。
私は「危害を加えるのなら、土蜘蛛さんに命じるでしょう」と答えた。
「でもそうしなかった。ということは何か事情があるのでしょう」
これは移動中、悪五郎に指摘されたことだった。いくら私が魔王の子孫だとしても、土蜘蛛ならば容赦なく殺せるだろう。そのくらいの力があるみたいだ。
天狗が顎を撫でながら「それなりの知恵はあるらしい」と感心している。
「では説明しよう。君を呼んだのは他でもない。神野さんと交渉するためだ」
「交渉、ですか?」
誘拐の目的としては真っ当と言ってもいい。人間でも身代金を要求する。悪五郎にとって、私は大事な子孫だから狙いどころとしては良いだろう。
「ああ。神野さんが所有している独鈷鈴が欲しい」
私が悪五郎と出会ったときに、使われた道具だ。自分の意思を言葉にせず、十全に相手へと伝える効力がある。
「元を正せば、その法具は高僧から奪ったもの。そして遡れば私が作ったものだ」
「なら作り直せばいいだろう」
悪五郎が面倒そうに耳の穴をほじりながら言う。盗人猛々しいとはこのことだ。
天狗は「作るのは煩雑であるし、希少価値も無くなるしな」と言う。
「そもそも、あの法具を偶にしか使わないだろう」
「でもなあ。あいつから奪うの苦労したんだぞ?」
「盗人自慢をしないでもらいたい」
悪五郎と天狗の話し合いが長引きそうだったので、私は土蜘蛛と一緒に妖怪の里を歩くことにした。人間の街と少し異なるが、見ていて面白かった。生憎、妖怪の里のお金は持っていなかったので、何も買えなかった。少し残念だった。
しばらくして帰ると、まだ話し合いを続けていた。
私は「返してあげなさい」と悪五郎に言う。
「自分の思いは、自分の言葉で伝えてください」
「むう……」
「それに、返さなかったら、私の身も危ういですから」
渋々説得に応じた悪五郎は独鈷鈴を天狗に手渡す。なかなか手を離さなかったが、私のいい加減にしなさいという声で、ようやく諦めた。
「ありがとう。柳友哉。そしてすまなかったな。こんなことに関わらせて」
天狗が頭を下げて私に礼を言う。
「もう日が暮れる。今日は泊まっていきなさい」
私は天狗の厚意に甘えることにした。
悪五郎は最後まで不平を言っていた。
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