第19話土蜘蛛

 物事は意外な方向へ進みがちだ。


 クリスマスの二日前。

 私は店の中を掃除していた。

 この時期は和菓子が売れないと分かっていた。神社や寺の者でもクリスマスケーキを買う時代で、わざわざ和菓子屋に来て買う酔狂な者はいない。

 だからクリスマスを過ぎるまで休業にしていた。


「だが酔狂な妖怪はいるぞ」

「急に現れないでください」


 懐かしい声がしたので、振り返りもせずに応対する。

 このしつこい汚れ、どうやって落としたものか……


「先祖に対する礼儀はどうした?」


 別段、苛立った様子はなく、むしろ愉快そうに言うその男――魔王、神野悪五郎。

 私の先祖だ。


「来訪の連絡もなく、やってくるあなたをもてなすほど、私は度量が大きくないです」

「ふん。妖怪たちはそれなりに扱っているではないか」

「あれは客として来ていますから」

「雨女もか?」

「あの方は友人です」


 私は汚れを落とすのをやめて、悪五郎と向き合う。

 彼はトレンチコートに黒手袋、目にはサングラスをしていて、顎ひげを蓄えていた。

 どこからどう見ても、不審者そのものだった。


「ならわしが客になればいいのか。どれ、和菓子を出せ。買ってやるぞ」

「今日は休店日です」

「なんだ。つまらないな」


 私は悪五郎に椅子を出して、それから店の奥に行って、冬至のときに余った柚餅を差し出す。お茶もついでに淹れてやる。

 悪五郎は「おお、すまないな」と言いつつそれらを食した。


「それで、今日は何の用ですか? コンのときと同じように、クリスマスプレゼントでもくれるんですか?」


 そのコンは竹筒の中で寝ている。


「コン? ……ああ、管狐のことか」

「心を読みましたね? ……違うんですか?」

「そのとおり、違う。実を言えば――お前はとある妖怪に狙われている」

「はあ。狙われている……」

「山ン本のアホから聞いたと思うが、いずれお前は地獄巡りをしなければならない」


 地獄巡り……今まで考えずにいたけど、とうとう悪五郎からもその言葉が出た。

 目の前の魔王は私に指を指した。


「それに反対する者が出てきた」

「私だってやりたくてやるわけではありませんよ」

「わしの血を引く者が情けないことを言うな。それでだな、その反対派の者がお前を攫おうとしている」


 私は訝しげに「攫う? どうして?」と問う。


「攫うより殺したほうが簡単でしょう」

「……自分のことなのに、よくまあそんなことが言えるな」


 考えてみればそうだった。

 妖怪と接しているうちに、少し私は変わったのかもしれない。


「お前を殺すことはできん。薄いがわしの血が混じっているからな。しかし危害を加えることはできる。つまり攫うことは可能ということだ」


 私は子泣きジジイのことを思い出した。


「事情は分かりましたが、どうしてあなたがここに? 警告しに来てくれたんですか?」

「愚か者。その者から守るために来たのだ」


 意外な言葉に私は言葉を失った。

 悪五郎が私を守るなんて信じられなかったからだ。


「なんだその顔は。子孫を守るのは先祖として当然だろう」

「……理屈は分かりますが」

「それにお前には妖怪との交友があるからな」


 前々から思っていたが、どうして私の元に妖怪が訪れるのだろうか?

 それは地獄巡りと関係あるのだろうか?


「あの――」

「待て。静かにしていろ」


 それらを訊こうとして、制された。

 空気が重く感じる。

 肌寒くなり、鳥肌が立つ。

 威圧感で震えてきた――


「げっげっげ。神野、貴様がここにいるとはな」


 地の底から響くような、恐ろしい声が店内を包む。


「なんだ。お前か。やはりわしがここにいて良かったな」


 悪五郎は立ち上がり、虚空をじっと睨む。


「管狐では、お前の相手は荷が重すぎる」

「げっげっげ。それは光栄だな」


 虚空から急に大男がどたんと現れた。

 六本の腕を持つ、まるで歌舞伎のような衣装を着ている、異形な男。

 顔は般若そのもので四本の角が生えている。

 にやりと笑う口元は牙だらけだった。


 一目見て、今までの妖怪とは格が違うと分かった。


「久しぶりだな。土蜘蛛つちぐも

「ああ。久方ぶりだ。神野」


 旧知の間柄らしい二人。

 悪五郎がまず「わしと戦うつもりか?」と問う。

 土蜘蛛はにやりと笑った。


「悪くないが、やめておく。そもそも誘拐など馬鹿らしいと思っていた」

「だがお前はここにいるではないか」

「俺様にも弱みというものがある。以前、お前に腕を二本もがれたことがあっただろう」


 物騒な話をしているなと思いつつ、私は落ち着くために茶を啜った。


「ああ。そのときはわしも首を切り落とされた」

「そうだったな。それで、腕を治す代わりに一つだけ願いを叶えると約束したのだ」

「それが、友哉の誘拐か」

「正確に言えば『柳友哉を連れて来ること』だった」


 土蜘蛛は私をじろりと見て「しかし困ったな」と言う。


「神野がいるのなら、連れていくことはできぬ。仕方ない、そう伝えるとするか」

「契約を破れば、どうなるか分かっているのか?」

「封印されるか、腕を二本もがれるか、だな」


 それは可哀想だ。

 そう思った私は「一ついいですか?」と妖怪たちの会話に混ざった。


「なんだ人間」

「土蜘蛛さんは、私を誘拐というか連れてこないと罰を受けないといけないんですよね?」

「まあな」

「だったら、ついて行きます」


 その言葉に土蜘蛛だけではなく、悪五郎も驚いた。


「友哉、お前は何を言っているのだ!?」

「その代わり、悪五郎もついて行きます」


 土蜘蛛は「どういうことだ?」と驚いた声で言う。


「契約は『柳友哉を連れてくること』ですよね? それ以外の者を連れてこいとは言われてない」

「それはそうだが……」

「それに、あなたが連れてこなくても、他の妖怪がやってくるかもしれない」


 私は悪五郎に「あなたが私を守ってくれればいい」と言った。


「話し合いで解決できればそれでいい。でもそうじゃなかったら……」

「わしがその者たちを黙らせる、か」

「魔王だからできるんじゃないですか?」


 悪五郎はしばらく黙って「そうだな。土蜘蛛、お前も味方しろ」と言った。


「なんで俺様が?」

「治した者への義理は、友哉を連れてくることで果たしたのだろう?」

「まあな。だが味方する義理はない」

「堅いこと言うなよ。今度酒を馳走してやるから」


 その後、土蜘蛛はごねたが、私たちの味方をしてくれると約束してくれた。

 というわけで、私は私を誘拐しろと言った者の元へ行くことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る