第14話砂かけババア

 物事には飽きが来る。

 どんなに大事だったものでも、必ず。


 和菓子屋の朝は早い。身支度を整える前にボイラーを動かし、蒸気で小豆やらもち米やらを蒸らす。


 洗面や歯磨きを終えると、ようやく餡や餅作りができる。しかしこの餡はそのままでは使えない。砂糖や水あめを馴染ませるために、一日か二日置く。


 その日に売るものは朝に作り、焼き物などは午後に作る。乾燥や湿気ないように丁寧に包み、展示ケースに並べる。そうしてようやく一息がつける。


 私は店の窓から空を見上げる。

 すっきりしない曇りだった。そのせいか底冷えするような寒さが背筋を伝う。

 こんな天気ならいっそのこと、雨が降ればいいと思う。


「ごめんください。店主の柳さんはいらっしゃいますか?」


 からんころんとドアベルが鳴る。

 ドアを開けてやってきたのは、上品そうなおばあさんだった。

 薄紫色で黒い花が描かれている、綺麗な和服。

 髪は白と黒が混じった灰色で目元が柔和そうだった。


 若い頃は美人だったのだろうと想像できるお人だな。

 しかし常連のお客様ではない。

 そんなことを考えつつ「はい、柳は私ですが」と椅子から立ち上がった。


「これはこれは。お初にお目にかかります」


 年の割りにぴんと真っ直ぐになっている腰を折り曲げて、深く頭を下げるおばあさん。

 礼儀正しい人だ。年若い私に丁寧すぎる仕草だった。


「ええ、こちらこそ。あの、あなたは……」

「申し遅れました。私は――砂江すなえといいます」

「はあ。砂江さん……」


 砂江さんはにっこりと微笑んで言う。


すなかけババアと言えば、お分かりになりますかね」


 ――砂かけババア。某アニメのおかげで知名度のある妖怪の一つだ。

 そのイメージのせいか、こんな上品だとは思わなかった。

 それにきちんとドアから入られたのは初めてだった。


「うふふ。私はなるべく、人として生きていますので」

「妖怪ではなく、人として?」

「ええ。私はもう、疲れたのですよ」


 笑顔で疲れたという砂かけババア――いや、砂江さんはどこからどう見ても人間としか思えなかった。

 人と同じように生きる妖怪。

 それもまた、現代においては珍しくないのだろう。


「人を脅かし、人に追われる毎日に、飽きたとも言えます」

「失礼だが、あなたは一体おいくつなんですか?」

「私が生まれたのは、遥か昔のことでございます。まだ人と妖怪が互いに畏れていた頃からの」


 今はもう想像もできない。

 暗がりから妖怪が出てくると怖れていた時代は電球の開発によって無くなった。

 もう元には戻れない。


「柳さん。あなたは何かに飽いたことはありますか?」


 唐突に訊ねてきたが、私は詰まることなく「今のところはないです」と言った。


「飽くまで何かに打ち込んだことがないと、言ってしまえばそれまでですが」

「幸せなことですね」

「そう、ですか? 解釈によれば未熟とも言えますが」


 砂江さんはゆっくりと首を横に振った。

 そうしてから、ひどく羨ましそうに言う。


「人生に飽いてしまうと、その後は惰性で生きることになります」

「惰性……」

「私はもはや、妖怪として生きることは叶いません。砂を操る力も失われました」


 私は「人となってしまったのですか?」と言う。


「であるならば、あなたはいずれ……」

「人と同じように、朽ちて灰となり、土に還るでしょう」

「それに、後悔はないのですか?」


 思い切って砂江さんが答えづらそうなことを訊ねる。

 老婆は「ないと言えば嘘になりますね」と微笑んだ。


「砂時計と違って、ひっくり返しても元に戻りません」

「…………」

「そんな淋しそうな顔、しないでください」


 砂江さんは「今日は挨拶だけではなく、買い物しに来たんですよ」と可愛らしく笑った。

 淋しいのは彼女のほうなのに、元気付けられてしまった。


「私、甘いものには目がないんです。特にお饅頭が好きで」

「そうですか。なら当店自慢の美味しい饅頭を見繕いますよ」

「ええ。砂かけババアなだけに、砂糖たっぷりなものをお願いします」


 意外と上手いことを言う。

 私はおまけで一個多く包んだ。


「そういえば、人として暮らしているから、砂江という名前なんですか?」


 今までの妖怪は自身の名を言ったりしなかった。

 というより妖怪には名前などないと思っていた。


 砂江さんは饅頭の入った紙袋を持って「いえ、そうではありません」と答えた。


「妖怪にも名前はあります。しかし、名を知られると悪用されます」

「悪用? どういうことですか?」

「私は人として生きる覚悟で名乗っています。それによって妖怪の力が薄まるのですよ」

「つまり、名を知られると妖怪の力が弱まると?」

「そうです。対象は人でも妖怪でも同じ。だから妖怪同士では名を名乗りません」


 ふむ。だから種族というか、妖怪そのものの名を名乗るのか。

 しかしそう考えるとおかしなことがある。


「悪五郎や山ン本は、名前ではないのですか?」

「あれほど強大な方々は、名を呼ばれても力が落ちることはありません」

「……規格外ってことか」


 砂江さんは店を出るとき、私にこう言った。


「ですから、神野の血は数世代重ねても強いのですよ」

「…………」

「他の妖怪があなたを傷つけられないのは、それが原因です」


 守られたり、悩みの種になったり。

 厄介だな、血というものは。

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