第15話瀬戸大将
相容れない存在は、割と身近にあるものだ。
「――っ!? すみません、店主。湯飲みを落としてしまいました」
纏わりつくような小雨が降っていたある日。
例によって例の如く、雨女とお茶をしていた最中の出来事だ。
そのとき、私は展示ケースから改良を重ねた芋ようかんを取り出そうとしていた。
がちゃんという音で振り返ると、驚いている雨女の足元に割れた湯飲みが落ちていた。
中身が少し零れて、床を濡らしている。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「いえ、私には……しかし、湯飲みは駄目になってしまいましたね」
雨女は申し訳無さそうな顔で割れた湯飲みを見つめている。
私は「怪我や火傷がなくて良かったです」と言ってちりとりを奥から持ってこようとする。それさえあれば十分だろう。
「店主、私が片付けますよ」
「ああ、お気遣いなく。手を切ったら大変ですから」
妖怪に対する言葉ではないと思うが、雨女は客人である。
細心の注意を払いながら、ちりとりに湯飲みの欠片を置いていく。
「その、お高いものですか?」
「うん? いや、安物ですよ。セールで買った物でして」
まとめ買いをしたものの一つである。
それでも悔やんでいるようで、雨女は「弁償いたします……」と小さな声で言った。
「そんなに気になさらないでください。誰にもうっかりはありますから。些細なことです」
「しかし……あ、そうですね。私の知り合いの妖怪に、湯飲みを扱う者がおります」
「ほう。湯飲みを」
「その者に湯飲みを譲ってもらいましょう」
雨女はにっこりと笑って雨の降る中、私の返事を待たずに外へ出て行った。
別に代わりのものを買えば良いのだが……
その間、手持ち無沙汰になった私は管狐の毛繕いをしてやった。
ブラッシングするたび、管狐は嬉しそうにする。
そうだ。そろそろ名前をやらないといけないな。
しかし砂江さんが『妖怪は名を知られると弱くなる』と言っていたな。
だが管狐は妖怪ではあるが、私のペットでもある。
一応、名前は雨女と相談しようと思っていると「店主、お待たせしました」と雨女が帰ってきた。身体には一滴の水も付着していない。
「こちらが私の知己の妖怪――
その言葉が終わるや否や、すうっと現れたのは、陶芸家のような格好――
頭にはねじり鉢巻をつけていて、先ほど陶芸家と言ったが、何かしらの職人なのは確実だろう。
そういえば、瀬戸大将は瀬戸物の陶器が妖怪になったと言われている。何でも戦国時代に輸入してきた
「拙者は瀬戸大将である。以後よろしく」
「柳友哉です。すみません、わざわざご足労いただいて」
「若い人間でも、おぬしのような礼儀正しいものがいるのだな」
瀬戸大将は軽く笑って「それで雨女殿。拙者の持つ湯飲みを譲れば良いのだな」と言う。
「ええ。あのとおり、無惨な姿に……」
「物を壊すのは罪深いことだ。今度から気をつけなされ」
言っていることが苛烈なのか、それとも優しいのか判別できない瀬戸大将。
さっそく湯飲みをくれるかと思ったら「いや、待たれよ」と手で制された。
目線はちりとりのほうに向いている。
「瀬戸大将殿。いかがなされましたか?」
「あの程度なら、拙者が修理して差し上げよう。なに、数分でできる」
思いもよらぬ提案に、私は安物だけど使ったのは数回だし、捨てるのは惜しいなと思って「それでしたらお願いします」とちりとりをそのまま瀬戸大将に差し出した。
「うむ。任せ――」
瀬戸大将が割れた湯飲みを手に取ろうとして――止まった。
目を大きくして、ぶるぶる震える。
「ど、どうしたんです――」
「か、唐物ではないか!」
瀬戸大将の顔が真っ赤になっていく。
全身の震えがますます大きくなり、店全体を揺るがしている。
まるで地震だ!
「か、唐物――」
人間、危険が目の前に迫ると記憶が一気に戻ってくる。
そういえば、湯飲みに貼ってあるシールには、メイド・イン・チャイナと書かれていた……
「せ、拙者に、唐物を、憎き唐物を、触れさすとは……!」
「ま、待ってください! 知らなかった――」
「問答無用!」
瀬戸大将が身体をぶるりと震わせると、変化が解けて本来の姿に戻っていく。
顔は急須、身体は茶壷を組み合わせたもの。
手足は皿だったり茶入だったりしていた。
腰には大小の刀を携えている――すらりと抜く。
「たたっ斬ってくれるわ!」
「――店主!」
咄嗟に雨女が私の前に飛び出して、身を挺して守ろうとする。
だが、大きな刀の前では二人ごと斬られてしまう!
「こぉおおおおん!」
もはや絶体絶命のピンチというときに、管狐が竹筒から飛び出してきた!
狐火を放つつもりか? そんなはったりが通じる相手なのか!?
管狐は細い身体を大きく変化させ、瀬戸大将と変わりないほどの大きな狐になった。
そして瀬戸大将の首元に噛み付く!
「ぎゃああああああ! やめてくれえ!」
瀬戸大将はたまらず、どたんと倒れて、刀を捨てて降伏した。
この状況では刀を振るう前に、喉元を噛み砕かれてしまうのだから当然か。
「店主、申し訳ございませんでした」
雨女が私に謝罪した。
瀬戸大将も目の前で土下座している。
「い、いえ。今回は行き違いがありましたから」
懐いてくる管狐を撫でながら、私は疑問に思ったことがある。
どうして雨女は、私を助けてくれたのだろう。
以前、毛倡妓が言った『私に懸想している』というのは、本当なのだろうか?
それでも命を賭して私を助けるものだろうか?
そしてもう一つ、疑問に思ったことがある。
「……店が滅茶苦茶だ」
瀬戸大将が倒れたことで、床に瀬戸物の破片が散らばっている。
これはどうすればいいのだろうか?
ちりとり一つでは、片付けられないな……
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