1:湯けむり美青年の選択3

「警察のものですが」

胸ポケットから黒い縦型の手帳を上の部分だけ見せる。

手帳の桜は金色の百均シール。手帳の中身は顔写真こそ仮に張っているものの、

中身はただのメモ帳。ちなみにこちらの手帳も百均製である。

髪をまとめ、グレーのスーツに白いブラウスを着た美佳は、おばあちゃんの親戚の夫婦が経営する会社に来ていた。そう、おばあちゃんの銭湯に嫌がらせの男たちを送っていた夫婦だ。

警察も当然ここまで調査していたのだろう。手帳を見るやいなや、会社の受付の女性は、露骨に「またか」という顔をした。若いのに重そうに腰をあげて、「こちらへどうぞ」渋々ながらも社長室へと先導してくれる。

コンクリートの打ちっぱなしの壁に、花柄の花瓶やレースなど、ロココ調のアイテムがちぐはぐな雰囲気を醸し出す廊下を案内されている最中、受付の無愛想な女性が気になることをつぶやいた。

「――来るなら一気にくればいいのに・・・」

一気に・・・?まさか、もう誰か中にいるのか・・・?リエとエルは今日、親しかった男の方を調べると言っていたし、ここには来ない。それすなわち、――本物の警察がいる可能性が?

「あっやっ、ちょっとやっぱ、用事が・・・!」

引き止める声も虚しく、女性は社長室へと扉を開けた。

ガチャリという勢いの良い音に思わず目をつむる。

「社長、追加で、警察の方です」

やばい!本物からみたら、絶対ニセモノだって分かるじゃん・・・!

恐る恐る瞳を開けると、そこには驚きの顔でこちらを見ている田宮の姿だった。

目を見張るが、瞬時に一人であることを確認し、兎にも角にもここは口を動かす。

「おっ、遅れて申し訳ありません、刑事」

「あ?」

「もう終わられましたか?」

「いや、これからだけど・・・」

「田宮さん、この方は?」

田宮の正面に座る、恰幅のいい男性が尋ねる。慌てて田宮の座っているそばに立ち、しっかりと頭を下げた。

「申し遅れました、私、田宮の部下の南条と申します」

「あ?」

「話の腰を折りまして申し訳ありません、さ、刑事、続きを」

うまく話を戻せたとソファに座るやいなや、恰幅のいい男性の隣に座っていた細身の女性が甲高い声で叫んだ。

「続きも何も!私達はなんの関係もありません!」

キーキーした、鳥のような声に顔をしかめるが、田宮は至って冷静に質問を続けた。

「関係ないって、それは無いんじゃないですか?今回暴行を受けたお母様の銭湯に嫌がらせされていたんですよね?」

「ですから、そんな話は全くのデタラメで」

「そこについては既にウラが取れているんです、隠すほうが逆効果ですよ」

「――っ」

そうか、やはり、殺された男たちを雇って銭湯に嫌がらせをしていたのは、やはりこの夫婦・・・。しかも警察は、その証拠を持っているようだ。

手元には几帳面にまとめられた複数の書類が出ている。

田宮はノーネクタイにミリタリージャケットの“いかにも”粗雑そうな刑事であり、イメージにありがちの熱血な、勢いで動くタイプかと思っていた。

どうやら、きちんとウラが取れてから論理的に攻めていくタイプらしい。

一方の美佳は直感で動くタイプで、今日も考えなしにここへ来てしまった。そんな美佳と同じタイプだと思っていた田宮の精細な一面に少し驚く。

そして田宮はなおも、冷静な口調で夫婦を追い詰める。

「なぜ金で雇っていたんですか?」

夫婦は顔を見合わせた後、少し考えたような顔をしておもむろに口を開けた。

「――俺はばあさんに銭湯を辞めてほしかったんだ。体も弱かったし・・銭湯は体力仕事なんだよ。自然に廃れていかなきゃ諦めがつかないだろう」

湿っぽいため息を付きながら、男は頭を抱える。

――いやいや、絶対今考えただろう。もっともらしく言っているけども。

「三文芝居はよしてください。どう考えたって、“自然”じゃないでしょう?それは。」

「いや、それは、」

「大体、おばあちゃんすこぶる元気だったそうじゃないですか」

ぐうの音も出ない、と言ったところか。急に視線が天を仰いだと思ったら、横から奥様が耳元で囁き、慌てて視線をこちらへ戻す。

「じ、実際ばあさんは今入院してるじゃないか。どうせ胃の検査かなにかで引っかかりでもしたんだろう」

「はぁ!?」

それはそもそも殴られて長引いて・・・

病院で横たわるおばあちゃんの姿がフラッシュバックして怒りで立ち上がりそうになるが、

応接テーブルの下で田宮から手を伸ばされて制された。

「――もしかして、病院行かれてないんですか?」

そうだ、この人達は息子のはずなのに・・・なぜ、知らない?

「俺は忙しいんだ。病院は、下の弟に任せてある。自然な老化だろう。そもそも、胃の検査で・・・」

「金で雇った男を、母親の大切な場所で嫌がらせしてまで体調を心配してやめさせたかったのに、いざ入院したら病院には行かない、と・・・矛盾ばっかりですね?」

「くっ、――とにかく俺には、あのボロ銭湯なんて嫌がらせしても、なんの特にもならん!」

男は怒って立ち上がり、窓の外を見つめる。

田宮はその様子を目で追いながら、ゆっくりと口を開いた。

「権利書じゃないですか」

窓に写った男の瞳が見開かれる。

「事業、危ないみたいですね。あの土地の権利書でどうにかしようとしていたんじゃないですか?なかなかいい場所にあるみたいですし、――ご長男さんですよね、当然、相続はあなたでしょう」

田宮が一枚の書類を追加で取り出す。そこにはあの銭湯周辺の土地の時価が記載されている。中小企業にとっては十分な金額だ。

あのあたりは町中に近く、住宅街の中に有る割にはアクセスがいい。加えてあの銭湯は結構広い土地を使用していたので、可能であれば売っぱらってマンションなんかにしたら、一生遊んで・・・とまでは行かないが、安泰の生活を遅れるだろう。

地価の紙を見せつけられた奥さんは、震えながら紙をテーブルに叩きつけた。

「い、いいがかりです!あの権利書だって、結局見つからないし」

「見つからない。なるほど、では、探されたんですね」

「――っ」

墓穴をほっている。完全に黒だ。権利書を理由におばあちゃんの銭湯を襲撃していたのは、ほぼほぼこの人達で間違いないだろう。

「と、とにかくお引取りください。もう話せることはなにもありませんから」

「亮司、お帰りだ。玄関まで送ってきなさい」

部屋の隅で作業をしていた若い男性は手を止めて、すっと扉を開けた。

任意の聞き取りのため、これ以上の長居はできないと判断したのか、田宮はおとなしく扉の奥に向かう。本当はも少し粘って、殺人事件に関わっていないかも聞き取りしたかったかが・・・部下という設定上、ついていくしか無い。

「すいません、社長が」

「いえ、こちらもすいません。急に押しかけて大騒ぎして・・・」

「お仕事だから、しょうがないですよ。それに、大騒ぎしていたのはうちの両親の方ですから・・・」

流行っぽいマッシュルーム未満のショートカットに、清潔そうなスーツを着た長身の若い男性は気弱そうに笑った。人当たりが良い感じで、よくあのご両親でこの人が生まれたな。

「あの、これ、よかったら」

笑顔をそのままに、男性は紙袋をわたしてきた。

紙袋には有名なまんじゅう屋のマークが描かれている。

「いえいえ!そんな」

「受け取って下さい」

同じような押し問答を3回位続けて、田宮が呆れたように首で受け取れと指図する。おずおず受け取れば、紙袋の中身は2箱。

「あれ、2個」

「1個は祖母の病院へお願いできますか。親父があんな感じで、病院にも行かれませんので・・・」

「それはそれは、すいません――おとうさん、何も知らないんですね」

あの両親よりは事情に詳しそうなその人に問えば、少し悲しそうな顔で笑う。

「はい、祖母の連絡は叔父へ――父の弟へ行くようになっていたそうですので・・・」

「下のご兄弟もこの近くにお住まいなんですか?」

「ああ、一応調査済みだ」

あとで書類を渡すから。早く離れろと言わんばかりの田宮に、少し食い下がる。わざわざ変装してこんなとこまで来たんだから、もうちょっと情報がほしい・・・!現状、丸中純への情報は手ぶらだ。

「ちなみに息子さんから見て、ご両親が何か変わったこととかは・・・」

「すいません、私の口からは・・・」

「そ、そうですよね・・・あ、あの、だったら息子さんは、先程言っていた親戚の方とかって親しいですか!?」

もしかしたら、もう片方の親類のほうもなにホコリが出てくるかもしれない。

「いや、僕たち家族はあんまり親戚づきあいがなくて・・・何年も連絡してなくて・・・」

「あ、そうなんですね」

濁されて、田宮が ほれ見たことか の顔をする。顔のうるささに反論しそうになるが、口を開いたのはわたしではなく、息子さんのほうだった。

「ちなみに、暴行した容疑者って、うちの両親以外には、もう可能性のある方って・・・」

当然、丸中純だ。逃亡資金を得るためにおばあちゃんを殴った。それが警察側の見解だろう。当然それ以外の可能性を調べるために、今日ここへ来たであろう田宮に視線を向ける。

「物取りの犯行もありますので、まだ詳しくは・・・」

「じゃあ、まだ逮捕とかじゃなくて、これからなんですね」

息子さんは心底ホッとしたような顔をした。

田宮が力強くうなずくと、先程のように気弱そうに笑った。

「そうですか、――すいません、私はこれで・・」

「ありがとうございました。これ、預かります、」

「よろしくおねがいします!」



会社を出た瞬間、田宮は気だるげにジャケットを脱ぎ、先程の堅苦しい印象を解いた。つられて美佳もジャケットを脱ぐ。

外は信じられないようなカンカン照りで、気温はゆうに30度は超えているだろう。街路樹の木陰を選びながら、田宮と最寄り駅へ向かう。

「お前、警察の前で警察を名乗るとはいい度胸だな」

「うっ――仕方ないじゃん!まさかいるとは思わなかったんだから!」

「俺じゃなかったら逮捕されてるぞ、お前」

「――そんときは力技で逃げるわよ」

力こぶを見せつけると、げんなりした顔をされた。

「いつか公務執行妨害で逮捕されそうだ」

「嫌がらせをしていたのはあの夫婦だったんだ・・・裏がとれたってほんと?」

「7割位本当。3割はハッタリ」

「なにそれ――じゃあ権利書のためにおばあちゃんを暴行したのかな」

「いや、あの様子だと本当に何も知らなかったんだろう。」

「え、どうして」

美佳は完全にあいつらが犯人だと思っていた。おばあちゃんを殴って気絶させた後、権利書を奪いに家探ししたと考える。

「あの夫婦が犯人なら、あそこで入院の話はやぶ蛇だろ。別に俺はおばあちゃんの暴行容疑で聞き込みに行ったんじゃないんだから」

「そうなの?」

「確かにそんな話になったけど、ほしかった情報は殺人事件のほうだ。被害者はあの家族の指示で銭湯に嫌がらせをしていた、そこで丸中純は被害者に『自分が報酬を支払うから嫌がらせに別の方法をとってほしい』と持ちかけた。それがなんでかわからないけど、もし嫌がらせを疎ましく思っていたんなら、あの夫婦と接触していた可能性もある」

「何だ、てっきり暴行容疑で聞いていたんだと思ってた」

「何いってんだ、言っとくけどあの婆さん、危篤だぞ?あそこまで身内を殴れる人間なら、ばあさん殺したほうがはやいだろ」

「いや、いやいや、それはまだ早いじゃん。もしかしたら、あそこまでじゃなくて、権利書の場所を吐かせるためにわざと生かしているのかもしれないでしょ。現に、権利書は見つかってないって言ってるんだし」

「それで殴ってジワジワ吐かせようとしたら意識不明にしちゃったってか?おまぬけ過ぎるだろ。だいたい、自分の母親の家に嫌がらせするのをためらわない奴らだぞ。その気があれば殺したほうが、あの土地は自動的にあいつらのモンだ。」

確かに田宮が言い分は理解できる。別に難解なわけじゃないんだが、それだと、丸中純が犯人に・・・。

「そういやお仲間はどうした?」

「なんか丸中純に親しい男がいたけど姿を消してるから、それを探してる」

「あ~警察も探してたな」

「警察もまだ見つけられてないのか・・・」

ピルルルピルルル

無機質な音が会話を引き裂き、美佳は慣れないビジネスバッグからスマートフォンを探す。

「お、噂をすれば。――はーい、もしもし」

『美佳ちゃん!て、テレビ見れる?』

「テレビィ?」

『も、もしくはにゅ、ニュースで、いいいいいから』

「ハァ?」

テレビ、の声に反応していた田宮がスマホからワンセグへとつないでくれる。

同時に、田宮が息を呑んだのがわかった。

そこには最近のニュースではよく見る、丸中純の顔が映っている。

しかし何故か、そこに書かれている被害者の名前が違っていた。

『もしもし美佳?』

見かねたエルが電話を変わったのか、受話器からあの無感情な声がする。


『調べてたあの親しかった男、遺体で発見された。場所は隣の県境にある川の土手。・・・ニュースの音が聞こえるから見てるだろうけど、容疑者は丸中純。』

爽やかな風が、並木道を吹き抜ける。

車は停まっているのか、人は消えてしまったのか、そのときの美佳には時が止まったように何も聞こえなかった。

『これで、二人殺したことになってる。』

この、電話の音以外は。

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