第11話 壺中晩餐会


 ――帝都北部、アマイモン御殿


 円柱状の大ホール。その真っ赤なに敷き詰められた絨毯に、煌びやかな装飾がなされた内装、まさにそこは外とは別世界の隔離された空間だった。

 その部屋の中央には、巨大な肉塊があった。より具体的には、甘党と刺繍された真っ赤な衣服を着用し、額に甘党の入れ墨を持つ脂肪太りの男。まあ、脂肪太りというより、脂肪の塊といった方がよほど適切かもれないが。


「た、助け――」


 脂肪の塊――アマイモンは、悲鳴を上げる低位の悪魔の女性を近くのたっぷり満たされたチョコレートの入ったツボへとつけると、不自然なくらい大きな口を開けて、かぶりつく。

 女性の断末魔の叫びとともに、その脂肪の塊の肉を噛み千切り、骨を噛み砕く咀嚼音が室内に響き渡る。

 室内で鎖につながれた女と子供たちが、その悪夢のような光景に身を寄せ合いガタガタと震えている。


「あの女狐めっ! 陛下の威光を笠に着て、我ら三大将にまで偉そうに命令してきやがって! 許せんブ!!」


 三大将の一人アマイモンは、食い散らかした死体を放り投げて、異様にギロッと突き出た眼球を隅で震える女子供に向ける。


「やけ食いブ! その餓鬼をつれてくるブ!」


 軍服を着た顔を含めた頭部全体がツルツルのっぺらぼう男が、敬礼のような仕草をすると少女へ向けて歩いていく。

 こののっぺらぼうは、アマイモンのスキル【ドッペルゲンガーΩ】により作り出された分身体。すなわち、アマイモンそのものだ。故に、この分身体のステータスはアマイモンとほぼ同じ力が与えられている。アマイモンは、この【ドッペルゲンガーΩ】により、無制限に己を作り出せることができる悪魔であり、この能力故に三大将の地位を得ているのである。


「や、やだよぉ!!」


 甲高い声で泣き叫ぶ少女。そんな少女の手首をドッペルゲンガーの一体は掴むとアマイモンの元まで引きずっていく。


「うん、柔らかで美味そうブ!」


 アマイモンは、金切り声を上げる少女にその太い右腕を伸ばそうとするが――。

少女にアマイモンの右手が触れる刹那、その右腕が肘の部分からズルッとスライドしていき、ドシャッと重力に従い地面に叩きつけられる。

 右腕の断面から噴水のように吹き出る血液に暫し、アマイモンは茫然と眺めていたが、


「ぎゃあああああぁぁぁぁぁッ!!?」

 

 その脊髄を貫く激痛から、あらん限りの絶叫を上げる。

 アマイモンの眼前には頭から二つの触覚を生やした鎧姿の少年が佇立ちょりつしていた。

 少年は興味なさそう目でアマイモンを見上げている。そのアマイモンに向ける少年の三白眼には蛆虫に向けるほどの尊厳も認められなかった。


「と、とっととそこの餓鬼を殺せブッ!!」


 痛みに顔を歪めながらも、アマイモンはドッペルゲンガーどもに三白眼の少年の抹殺命令を送る。

 数十体の武装したアマイモンのドッペルゲンガーが、ぐるっと円状に三白眼の少年を取り囲む。


「お前、誰ブ?」


 切断された右腕を修復させながら、眉を顰めて少年に尋ねる。

 三白眼の少年は、刀を腰に収めると中腰になり左の掌を前に突き出し、右の掌を後方へもっていくと――。


「拙者は我が殿、藤村秋人様の筆頭家臣、五右衛門なりぃぃぃぃぃぃーーー!」


 首を動かし、芝居がかったポーズをとる。

 

(なんブ? この御目出度い餓鬼は?)


 敵の前で剣を収めて自己紹介とか、馬鹿じゃなかろうか。

とても強そうには見えないが、アマイモンの右腕をいとも容易く切断するくらいだ。相当な強度なのだろう。アマイモンは、そう判断し三白眼の少年――五右衛門に解析をかける。

 解析能力、これはアマイモンだけにある特殊スキルであり、物や人の漠然とした強さや価値をランク付けして示してくれるのである。

 この能力により、悪魔軍のほとんどの解析をアマイモンは済ませていた。

 アマイモンを始めとする三大将は、平均A-からAランク。フェニックス将軍等の他の最高幹部が、B~B+。

 そして、絶望王陛下がS-。もっとも、バレずに解析できたのは一瞬だったから、参考程度にしかならないわけだが。


(どれどれ……ーーーーーーっ!!!!)

 

 心臓が口から飛び出そうなる。これほど、今のアマイモンの心境を表すのに適した表現も他にあるまい。

 その目を疑う文字。そこには、S-の文字が躍っていたのだから。

 

「で、出鱈目ダブ! こんなやつが絶望王陛下と同じ強度などっ、あり得るはずがないブッ!!」


 不吉な考えを打ち消すように、声を上げて叫ぶ。

 しかし、その否定の言葉とは対照的に、アマイモンの脳裏に次々に浮かぶ解析の内容を肯定する事実。

 一つ、今までアマイモンが解析できなかったことも、解析を誤ったこともない。

 二つ、五右衛門はアマイモンに認識させることすらせずに、右腕をいとも簡単に切り落とした。

 三つ、今はこの魔界は他の六道王の侵略にあっている。

 

「お、お前が阿修羅王かっ!!」


五右衛門は不快そうに、心底顔を顰めると、


「うつけが! 拙者は筆頭家臣、そう言ったばかりでござろう? それに、拙者ごときと殿を同列に扱うなど不敬極まりないでござる!」


 腰の刀を鞘から抜くと、剣先をアマイモンに向けてくる。

 今やアマイモンにとってあの解析の結果は真実に等しく、五右衛門と戦うという選択は完全に消失していた。だから――。


「ま、待て! このブーが絶望王陛下にとりなしてやるブ! お前ほどの強者ならば陛下も是非ともお傍に控えたいと思いになられるはずブ! だから――」

「だから、拙者に殿を裏切れとでも申すか?」


 どこか、冷静だった五右衛門の言葉に交じる初めての激情。その心臓を鷲掴みにされるようなぞっとする声色を耳にし、アマイモンは、己が五右衛門にとっての禁反言タブーを口にしたことを実感とともに理解してしまう。


「ブーのドッペルゲンガーが、周囲の低位悪魔の餓鬼を人質にとっているダブ! 奴らは私が滅んでも残り命令を遂行し続けるブ! 餓鬼どもが殺されたくなければ、ブーを逃がすブ!」


 到底信じられんが、あの女狐の言が正しければ、阿修羅王とかいう奴は、悪魔でも餓鬼を殺せぬ変わり者らしい。もしその情報が真実なら、この手の脅しは覿面てきめんに効くはず。それを信じるしかない。

 五右衛門は少し俯いて考え込み始めてしまう。


(いけるブ!)


「ブーがこの帝都を離れれば、直ぐにでも解放するダブ!」


 もちろん、解放などするわけないが。


「わかったら、早くブーを――」


 五右衛門は初めて顔を上げる。


「ひいいっ!!」


 複眼の眼球に、文字通り耳元まで避けた口角に、その口からミシミシときしむ音が聞こえてくる。

 

「無駄でござる。たった今、拙者の眷属が全てのわらべを解放したのでござる」

「け、眷属が解放した?」


 アマイモンは咄嗟に、オウム返しに尋ねていた。当たり前だ。ドッペルゲンガーは全てアマイモンと同じ強さを持つのだ。いわば、大将クラスだけで構成された最強の軍隊。たとえ、五右衛門が強くても、配下までそのレベルであるはずがない。


「そうでござる。紹介の続きでござった」


五右衛門が指笛を拭くと、部屋中をカサカサとうごめく極小の生物。


「そ、それは?」


カラカラに乾く喉でどうにかその疑問を口にする。


「拙者の元の能力は眷属たちの支配。それだけでござる。それを拙者は、ずっと鍛え上げてきたのでござる」


 五右衛門は得意げに、そしてまるで歌うように説明する。

 今や部屋中を覆い尽くす黒色の小さな塊。これ以上は聞いてはならない。理解してはらない。本能がそう煩いくらい警笛を鳴らす中、五右衛門の両眼が赤く発光し、右手を上げる。


「【壺中こちゅう晩餐会ばんさんかい】」


 五右衛門の両眼が怪しく光り、パチンと指をならして最悪の言霊ことだまを口にする。

 小さくも黒い生き物は、ボトボトと地面に落ちるとボコボコと盛り上がり、小さな人型の何かを作っていく。


「これらは全て拙者。拙者は元より個にして群。よって、その強さに一切の差はなし」


 鎧武者の黒光りする怪物たちが、腰の刀を抜く。途端、部屋中のドッペルゲンガーの首が飛び、サラサラの砂へと回帰する。


「ああ……」


 勝てる勝てないじゃない。そもそも、そんな次元ではなかったんだ。


「うぁっ……」


 悪夢が始まろうとしていた。そんな幸の一切ない己の運命を理解し、アマイモンの口からでたのは小さな絶望の声。

 鎧姿の怪物たちは一斉に刀を上段に構える。


「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!」


 アマイモンの最後の咆哮は次第に大きくなり、そして泡のように弾けて消えた。


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