第10話 至上最強の主


(素晴らしい! 素晴らしいのである!!)


 バアルは地面を蹴りつつも、低位悪魔の子供たちを殺そうとしている悪魔の兵隊共を狩り続けている。

 アキトの眷属となったことで、産声を上げたばかりの全身の筋肉が、バアルの信じる悪道のために振るう拳に歓喜しているのがわかる。

 バアルにとっての悪の道とは、この拳により魔界の繁栄に寄与すること。そのためなら一切の手段を択ばないし、躊躇ちゅうちょもしない。他種を潰し、壊し、絶滅させることすらいとわない。

 それはバアルの基本的姿勢であり、それは昔から変わってはいない。

 しかし、それに少し変化が見られたのは1000年ほど前の人界侵略の時からだ。

 あのときバアルたちは人という種が見せた狂気染みた意地に負けた。

 意気揚々とゲート・ゲヘナの人柱として魔界に連れ去った幼子は、その後の研究でその力がないことがわかったのだ。

 処分されそうになったのを不憫に思いスキル【天人魔動転】により、悪魔化し軽い気持ちで育て初めたが運の尽きだった。たちまち、バアルにとってリリスは掛け替えのない存在へと変わってしまう。

 それは絶望王という最悪の救いのないクサレ外道から魔界を救うという使命を忘れさせるほどの愛し子だった。

 リリスは、頑固で、気が強く、そのくせ甘えん坊な子。子育ては想像以上に大変であり、バアルはいつも一喜一憂していた。だが、彼女との日々は一日一日が充実していた。多分、バアルにとってこの千年が最も心が安らぐ日々だったのだと思う。

 しかし、案の定、絶望王はバアルのリリスへの父子の心を巧みに利用し、様々な無理難題を押しつけてくる。遂にはバアルの戦隊にリリスを捻じ込んできたりもした。

 それはいつでもお前の愛し子を殺せるとの絶望王の意思表示。それはバアルにとって絶対に許せぬものであったが、同時に己の傍にリリスがいることに安堵している自分も確かにいたのだ。

 そして、《カオス・ヴェルト》という六道王同士のデスゲームが開始されたことを契機に、バアルは絶望王に命じられ、人界へと出撃する。

 アスタロト元帥閣下は、それらしい理由は言っていたが、結局はバアルの謀反を恐れてだろう。共に戦ってきたともがらを第五師団から排除し、寄せ集めの軍を第五師団として組織した。

 それでも、悪魔と人類の強さは桁が違う。バアルたちが完全な状態で現界した以上、勝利は揺るがなかったはずだった。

 だが、それもたった一人のイレギュラーの存在にひっくり返されてしまう。息を吹きかければ飛ぶように弱かった狐面の男は、侵略した悪魔軍を次々に破り、力を蓄える。

 そして、バアルの配下中最強の戦隊であったゴレンジャーまで順に撃破していく。久々の好敵手の登場に魂が沸き立つのを自覚しながらも、拳を交えるときを今か今かと待っていたとき、リリスが絶望王に攫われてしまった。

 そうだ。絶望王の企みはそもそもバアルによる人界の侵略などにはなかった。バアルの侵略さえも、どうでもよかったのだ。

 奴の目的はリリスを人間界に連れていき、ゲートの人柱としての本来の姿を取り戻させること。人界にはその駒が全て揃っていた。

 あの外道に上手く乗せられてしまい、よりにもよってバアルの命よりも大切な愛し子を人柱に使われたことへの憤りに狂い死にしそうになりつつも、バアルは敵である狐面の男へと最後の希望を託した。

 そしてそれは、多大な犠牲を払いながらも思いがけない奇跡を生む。阿修羅王という新たな六道王の誕生。そして、その王の支援のもとでのリリスの救助とバアルの長年の悲願である絶望王の討伐作戦が決行されたのである。


(すべてが以前とは比較にすらならないのである)

 

 これが真の六道王の真の眷属になることか。

 各ステータスは跳ね上がり、アキトの有する出鱈目極まりない【始まりと終わりの吸血鬼】の称号を借り受けることができるようになった。

 特にこの【始まりと終わりの吸血鬼】の称号は本来、悪魔種のバアルが絶対に扱えてはならぬもの。これもアキトが六道王になり、生じた奇跡なのだと思う。

 内心を吐露すれば、バアルは六道王というのものにつき大きな勘違いしていた。

 世の摂理の埒外に座す存在が六道王と頭では理解しながら、まったく分かっちゃいなかった。ことわりの中で生きるものでは決して抗えぬ超常の存在。それが六道王なのだ。

 しかし、だとすると疑問も生じる。バアルは、仮にも六道王たる絶望王の眷属だった。それは、アキトにあっさりと上書きされ以前とは比較にならない力を得る。

 そもそも、あの絶望王とアキトは本当に同じ六道王にカテゴライズされているのだろうか。バアルには、どうしても二者が同じ枠にあるようには思えない。

 アキトはギンジとユキノが、悪魔三大将に勝てぬと勝手に思い込んでいたが、眷属化がここまでの非常識な奇跡ならば、ギンジたちの圧勝で終わるのはほぼ間違いない。

 アキトはまだ六道王としての日が浅い。だから、自分がどれほど常識の埒外にあるのかがまだわかっていないのであろう。


「ひぃぃっ!!」


 路地裏から聞こえる子供の悲鳴。地面を蹴って屋根の上に上り、路地の様子を確認すると、幼い兄妹が、袋小路に追い詰められれていた。

 幼い兄妹に迫るのは王冠を被った巨大なワニ。その上には右手に杖を持った赤色のふんどし一丁の老人が、おしゃぶりを銜えながらもまたがっていた。

 あれはアガレス、三大将の一柱だ。


「あらあら、もう逃げる場所、ないでちゅね」

「く、来るなぁっ!!」


 兄と思しき少年が妹を背後に隠して必死に棒を構える。目尻に涙が滲み、その棒を持つ両手は小刻みに震えていた。

 絶望王の作ったこの魔界の秩序は弱肉強食。それがバアルたち悪魔の唯一ともいえる真実だった。故に、リリスと出会う前なら、今のこの兄のように命を賭して絶対的強者に戦いを挑む姿をみても、無駄な事をするものだと冷めた目で眺めているだけだったかもしれない。

 しかし、今のバアルはこの世界はそんな単純なものでは回っていないことを知っている。

 ――家族からの手作りの贈り物を受け取ることがどれほど嬉しいかを知っている。

 ――暖かい暖炉の部屋で家族と食べる料理がどれほど美味いかを知っている。

 ――そして、日々の何気ない団欒がどれほど貴重で掛け替えのないものかを知っている。

 リリスはそれを1000年かけてバアルに教えてくれたのだ。

 バアルはここにきてようやく己の進むべき道を探し出すことができた。それは――。


「下賤で、お馬鹿で、弱い救いのない生き物のおみゃえらが唯一できることがあるでちゅ。その絶望と恐怖におののき、ぼきゅを楽しませることでちゅよ」


 ワニは大口を開けつつも、少年の目と鼻の先まで迫る。ガタガタと震えながらも気丈にも、妹を必死に隠すように後退る。

 力のないものを子飼いの鰐で追いつめ食い殺して楽しむ。それがアガレスの質の悪い趣味だ。だから、これはある意味見慣れた光景。そのはずなのに――。


(外道――めがっ!)


 少年と少女の怯え切った表情は、バアルに娘リリスの泣き顔を想起させ、胸の中心からグツグツとしたマグマのような堪えようのない怒りを煮えたぎらせる。


(必殺なのであるっ!)


 屋根の上から跳躍、下降し、少年に齧りつこうとした鰐の頭部に右拳を打ち付ける。

 ゴシュッ、と肉が砕け散る音。王冠を被った巨大な鰐の上半身は、大きく抉れてズシンと地面に横たわる。


「ジェファーソンッ!!」


 アガレスは頭部を失った鰐を抱きしめ涙を流し絶叫していたが、突如表情を消して、


「まっ、いいでちゅ。次はもっと強い玩具をみつけるでちゅ」


 鰐の亡骸を渾身の力で蹴り上げてくる。バアルに迫る鰐の首のない死体を左手で受け止めて脇の地面へと置く。

 案の定、アガレスはその隙に遥か遠方へと距離をとっていた。

 アガレスは遠距離からの攻撃を得意とする悪魔。これは意外性などないある意味当然の戦術だ。

 しかし、このときバアルはアガレスのこの行為が理解できぬ異様なものとして映ってしまっていた。だから――。


「それは貴様のペットではなかったのであるか?」


 バアルは今、最も気になっていた疑問を口にする。


「ペットでちゅ。でも、死んだらいらないでちゅ。それよりバアル、チェックでちゅよ」


 バアルを取り囲む無数の黒色の炎の小さなわに。あの冗談ではない数の炎の鰐は、アガレスの十八番のスキル――【黒炎鰐】。指先一つ分の小さな鰐の姿だが、万能属性であり、その威力も尋常ではなく、バアルの肉体へも攻撃が届きうる。

 本来なら多少肉体を犠牲にしても逃走し、バアルの得意な接近戦を持ち込むのが得策のはずなのだが、今のバアルは微塵もそうする必要を覚えなかった。

 重心を僅かに低くし、右肘を引いて空気を肺に送り込む。そして瞼を閉じてバアル唯一の探索系スキル――【領域】を発動する。

 これは、己の領域内に入ったものの位置と気配を認識特定する能力にすぎず、戦闘には大して役に立たぬゴミスキル。そう、今までならば。

 バアルは己を中心に領域内に存在する全ての黒色の炎の鰐を特定する。


「とうとう観念したようでちゅね。良い心がけでちゅ」


 アガレスが勝ち誇ったように指を鳴らそうとしたとき、バアルの右拳が打ち出される。

 あれだけいた数の黒色の炎の鰐は、一瞬で粉々に吹き飛んでしまう。

 

「へひ?」


 頓狂な声を上げて大きく見開く奴に、


「吾輩の視界に入った。それが貴様の敗因である」


 右回し蹴りを放つ。無論、アガレスまでは相当距離が離れている。本来なら風圧で髪を揺らす程度しか効果はないはずだが、今のバアルにはあのイカレきった称号がある。


「ひげっ!?」


 予定調和のごとく、アガレスはたった一撃で粉々の肉片となって四方八方にばらまかれてしまった。

この一撃は回復さえも認めない主から受け継いだ究極の一撃。勝敗は決したのだ。

 やはりだ。同格だったはずの三大将も今やバアルにとって道端の石に過ぎなくなっている。正直その強さが他の一般悪魔兵と判別つかないのだ。

 もし、これが新たなバアルのあるじと絶望王との間に存在する絶望的に抗えぬほどの深い溝であるならば――。


「バハハハハッ! そもそも格すら違うのであるかぁっ!」


 至上最強の主に仕える。それはある意味、武人としての究極の誉れ。

 今も湧きあがる抑えがたい興奮のままにバアルは勝利の咆哮を上げたのだった。


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