第9話 呪にも似た悪意からの解放 シグニード


 ――帝都南西部中央広場前


 帝都南西部の中央広場には、多数の低位の悪魔たちが集められ寄り添うように震えている。

 そして木の棒に貼り付けになる数柱すうにんの青色の肌の子供たち。


「お母さんっ!!」

「お許しを!! その子だけは!」


 帝都南西部中央広場に響き渡る複数の泣き声と、必死に慈悲を懇願する母親たち。

 そして、金色の髪をツインテールにした胸毛に青髭あおひげを生やし、ピンクのヒラヒラのドレスを着用した巨漢が悪質な笑みを浮かべて子供たちを眺めていた。


「うーん、今度はどの子にしちゃおうかしらぁん」


 泣き叫ぶ子供たちの声を楽しむかのように、右手にもつ巨大な槌の柄で肩を叩きつつも、子供たちをなめ回すように眺める。


(我らはいつまでこんなことを続けねばならんのだ)


 悪魔第二師団、第二部隊長―シグニードは、凄まじい無力感に下唇を噛み切った。

 絶望王にとって力のない低位悪魔など、価値のない玩具。こんなバカみたいな戯れであっさり命を奪われてしまう。


「そうねぇ、じゃあ母親であるお前に協力願おうかしらねぇ」


 青色の肌に角の有する美女に近寄ると見降ろし、


「お前のその双子の息子、どっちを殺して欲しい?」


 そんな最低最悪な問いを口にする。


「お願いですっ! 私なら好きにしてもかまいませんから、それだけは‼ それだけはご勘弁をっ!!」


 頭を固い地面に擦り付けながらも、必死で懇願の言葉を叫ぶ。

 

「だーめ、今から十秒だけ待ってあげるぅ。もし、時間超過したら皆で全員あの世行きよぉ」


 金髪ツインテールの巨人は、さも楽しそうにスキップしながら、数え始めた。


「ひとーつ、ふたーつ……」


 いいのか? このまま見て見ぬふりをしていて? 

 シグニードは、上位悪魔。低位悪魔は、高位悪魔の所有物。それが、この世界での常識だった。だから、あのときまで高位悪魔たちの低位悪魔への冷遇など気に留めたときもなかった。

 ある晩、仲間の士官と酒場で酒を飲んでいると、働く低位悪魔の子供が酒を友の士官の服へとこぼし、手を上げそうになる。しかし、そのとき、その場にいたリリス様に止められ、ボコボコに打ちのめされてしまう。

 もちろん、当時は理不尽な暴力を振るうリリス様に反発しか覚えなかった。それは他の士官の仲間たちも同じで、酒を飲んではリリス様の悪口しか口にしなかったように思える。

 でも最後にリリス様に言われた、『弱者にしか歯向かえぬお前たちは卑怯者だ』との言葉がどうしても、心の底にまるで喉に刺さった小骨のように残り、いつまでも拭い去ることができなかったのだ。

それからだ。自分たちの行為の是非につき考えるようになったのは。

 そして、低位の悪魔たちの家族と笑う姿をはっきりと認識するようになって、シグニードはようやくこの魔界にはびこる呪にも似た悪意から解放された。

 

「みーつ、よーつ、いつーつ……」


 この魔界は狂っている。何より、少し前までそのおかしな集団の一員だったから間違いないと断言できる。

 そもそも、弱者か強者かなどただの個性。それで虐げていい理由にはならない。逆に強い力を持つものにはきっと、使命にも似た役割が与えられているんだと思う。

 そうでなければ、力持つ者の存在価値とはなんだ? 

 ただ、他者から命を奪い、不幸をばらまく。そんなものは、理性と知性もないただの獣とかわらない。いや、獣も不要な命を奪わないからそれ以下か。


「むーつ、ななーつ……」


だからこそ、もうこれ以上、自分をごまかすことは辞めようと思う。


「すまんな、お前たち」


 小さく部下へと謝ると、ツインテールの男の前へと子供を庇うように進み出ると両手を広げて奴を睨みつける。


「なーに、あんた、私の遊び、邪魔するきぃ?」


 片目を細め威圧してくるツインテールの男。

 この男は、悪魔軍の三柱さんにんの三大将、悪魔軍三大将の一柱――アスモデウス大将。魔界最強の一角だ。強さのみが絶対の価値基準である魔界では、上官に逆らったものは即死刑。特にシグニードのような一介の部隊長に過ぎないものが、雲の上の対象に逆らうんだ。猶更だろう。

 一睨みされただけで、膝が笑う。直ぐに、謝罪し許しを請いたくなる。


(そうか、あのとき、あの子もきっとこんな気持ちだったんだな)


 そもそも、単純な話だったんだ。こんな当たり前のことに長い間、気付けなかったことに笑いすら込み上げてくる。


(もうすぐ死ぬんだ。怖いよな。そりゃ怖い。でも――)


 こうして立ち上がることができたことにようやく少しだけ自分を好きになれそうな気がしていた。


「くくははっはははははっ!」


 自分を鼓舞するように声を上げて笑う。これからやることは、ただの自己満足であり、部下への最大の裏切り行為だ。それでも、止まるという選択しはない。


「どうしたのかしらぁ? 怖くて狂っちゃったぁ?」

「いえ、哀れだなと思っただけですよ」

「はあ? 哀れぇ? もしかしてそれってわたしのことかしらぁ?」


 蟀谷に青筋を漲らせて射殺すような視線を向けてくる。


「ええ、そうです。そこのあんたがゴミのように扱っている下位悪魔たちは、我らに酒や料理を作り、衣服を仕立て、建物を建ててくれる。対してあんたはどうだ? ただ力を振るうしか能のない哀れな生き物だ」

「それでぇ?」


 既にアスモデウスの顔は真っ赤に腫れあがり、いくつもの血管が浮き出ていた。

その姿を楽しむかのように、シグニードは続ける。


「あんたがいなくなってもこの魔界は何も変わらない! 何も失われない! つまり、あんたはこの魔界には全く不要な存在というわけですよ」

「よく言ったわぁん。ここでお前ら全員、挽肉にしてやるわ!!」


 アスモデウスは、槌を高く振り上げる。あれを振り下ろされたら、シグニードは死ぬ。

 

(すまない。すまない。すまない)


 部下たちに謝罪の言葉を繰り返しながらも、奥歯を強く噛み締めるが、


「は?」


 部下たちも、両手を広げて立ちふさがっていた。


「お前ら?」

「俺達も部隊長に同意です。こんなのにもう、従う必要はない」


 そう叫ぶ部下の言葉に、アスモデウスは耳をほじると、つまらなそうに、


「なら面倒だからぁ、死になさーい」


 槌をシグニードたちの頭上へと振り下ろしてくる。

 咄嗟に瞼を閉じるが、いつまでたっても来るはずの痛みが来ない。恐る恐る瞼を開けると、アスモデウスの槌の一撃を左手で受け止めた狐面の男が佇んでいた。


「あんた、身の程知らずの侵略者ねぇ」


 アスモデウスは目を細めて狐面の男を睥睨する。


「うーん、途中から聞いてたけどよ、お前らすげーよ。ナイスガッツ!」


アスモデウスへ視線すら合わせず、肩越しにシグニードに向けて右手の親指を立ててくる。


「ちょ、ま、前っ!!」


 まったく状況が読み込めず狐面の男に注意を促すも、


「無視するんじゃないわよっ!!」


 槌を狐面の男の横っ面へと殴りつける。

 衝撃波により、吹き飛ばされそうになるも、狐面の男は何事もなかったように、殴られた場所を摩りすらしない。


「わたしの一撃を受け切った? 何かのスキルかしらぁ?」

「うーん、全員怪我はしてねぇな。じゃあ、今から避難場所を教えるから、そこの避難民を連れてそちらに向かってくれ。第三師団の奴らと俺の仲間が対応してくれるはずだ」


 アスモデウスに視線すら向けず、狐面の男はまるで存在しない空気のように扱っていた。


「だから、無視するなと――」


 再度、アスモデウスが槌を振り上げ、怒号を浴びせようとしたとき、狐面の男は左手で一度、空を引っ掻くような仕草をする。


「ぐがっ!?」


 その短い悲鳴が事実上、アスモデウスの最後の言葉だった。

 アスモデウスは五つに縦裂していき、地面にドシャリと叩きつけられ、ピクリとも動かなくなる。


「……」


 誰も一言も口を開けない。当然だ。相手は、あの魔界でも五指に入るとされる大将アスモデウスだ。それをあんな攻撃手段にすらならぬ方法で倒してしまうなど、まるで、何か悪い夢でもみているようだ。

 

「虫軍、今俺がいる位置に救援をよこしてくれ」


 短くそう伝えると、シグニードに向くと、


「あと数分で、俺の仲間がお前たちの先導のためにここに来る。信用してついていって欲しい。じゃあ、この戦争が終わったらゆっくり話そう!」


 そういうと狐面の男は跳躍し、その場から姿を消失させてしまう。

 

「た、隊長! ご無事ですか!?」


 張りつめていた気が抜けたせいか、地面に両膝をつく。駆け寄ってくる部下たちに、


「俺はいい。さっきの狐面殿たちと協力し、指定の場所へと向かう。

 直ぐに隊を近隣の建物内の帝都民の保護をするチームと、この場で回復をするチームの二つに分ける。これは俺達の最初の仕事だ。絶対に成功させるぞ!!」

「は!!」


 敬礼をし、部下たちは動き出す。

 そうだ。これはシグニードが初めてこの魔界の構成員となるための重要な仕事。失敗は許されない。

 今も燻る狐面の男についての疑問を振り払うように、シグニードも近隣の建物へ向けて走り出す。


    

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