第12話 追憶③ 芦屋道満


 結局、オロチを退治しきれなかったことで当然、俺の昇進はなくなる。

 俺は部下を得たし、清明のわけの分からん提案も突っぱねることができて、万時丸く収まってホクホク気味なわけだが、問題が一つ。


「ほら、飯の時間だ。行くぞ!」

「妾はいかん!」


 そっぽを向く咲夜に俺は大きなため息を吐く。そして、羽のように軽い咲夜を抱き上げる。


「うにゅ?」


 目を白黒させていたが咲夜は俺の胸に顔を押しつけると大人しくなる。相変わらず素直じゃないやつ。俺は仲間たちのいる場所へと歩き出す。

 


 それから四年が経ち、俺達は民衆から悪鬼の情報を集めそれらを狩る。それを繰り返していた。

 四年は長く、俺達と咲夜との関係も次第に変わっていく。特に最近、咲夜とは行動をともにしないことも増えた。それでも、一応、護衛として俺達のいずれかがいるようにはしているから問題はあまりない。

 本日は清明に屋敷に呼び出されて咲夜の婚姻の件が持ち上がっている話を切り出される。

 相手は不明だが、相当位階の高い上位貴族だそうだ。


「道満、お前本当にいいのか?」


 清明が神妙な顔で尋ねてきた。


「いいもなにも、咲夜もとっくに適齢期だしな。まさかずっと独り身ってわけにもいくまいよ」


 餓鬼の頃とは違う。咲夜は都一の絶世の美女。この手の浮いた話はない方がおかしい。


「お前がいいなら、私は止めん。この縁談、安部家にとっても良い縁談なのには違いないからな」

「話はそれだけか? なら、俺はもう行く」


 座敷から立ち上がり、部屋を出ようとしたとき、


「道満、お前、もう少し素直になれ。でなければきっと後悔するぞ?」


 普段温和な清明のいつにない鋭い言葉に、なぜか俺は後ろ髪を引っ張られるような戸惑いを感じていたんだ。


 

 現在、いつものように俺と酒呑、オロチの三人で酒を飲んでいる。小虎は咲夜の護衛中だ。最近、二人はやけに仲がいい。最初はあんなに反目しあっていたのに、関係ってのはホント変わるものだな。


「三日後、安部の屋敷で婚姻の儀だってよ」


 酒呑が酒を飲みながら俺にそう伝えてくる。


「うんうん、あのチンチクリンが遂に婚姻か。感慨深いものがあるな」


 巨漢の男がまるで酒を水でも飲むかのように、ご機嫌に喉奥に流し込んでいた。

 こいつはオロチ。式化し人の姿となったものだ。あの廃人のような姿から一変、今や俺達の中で一番好き勝手放題、人生を謳歌している。


「同感だ」


 相槌を打ちつつ酒を飲む。


(味がしない……)


 酒も肉も味がわからない。こんなことは随分なかった。道を迷い死ぬほど退屈していたあの時以来か。おいおい、この俺があのチンチクリンの婚姻にそれほど動揺してるってのか? ないな。ないない。俺にとってあいつは、護衛対象。それ以上でも以下でもない。


「なあ、道満」

「ん?」

「咲夜の相手の噂、知っているか?」


 先ほどとは一転、酒吞が眉根を寄せて尋ねてきた。


「いんや。清明の奴が話さなかったからな。殊更、聞いちゃいねぇよ」

(お前という奴は……確かにこれはいささか骨が折れそうだ)


 酒呑は顎に手を当てて独り言ちていたが、


「次期陰陽頭おんみょうのかみの筆頭と目される――八神不知火やがみのしらぬい、だそうだ」

「はあ? あの呪術趣味のくそ野郎か!?」

「そのようだな」


 八神不知火、俺が陰陽寮を追われる理由となった人物。貧民の餓鬼を買って、新呪術の研究に使っていたクサレ外道だ。

 奴は同じ陰陽師や貴族に対しては受けがよかった。だが、奴は根っからの陰陽師。陰陽術の真理とされる六道王との接触にしか興味がない。そんな肥溜めのような奴。


「清明の野郎、一体何考えてやがる!」


 八神不知火の醜聞は、清明を始め貴族位を有する陰陽師の最上位の位階のものなら誰でも知っている情報。なぜ、そんな奴との婚姻を受け入れようとするのか、俺にはさっぱり理解できない。


「八神不知火の噂は俺も聞いたが、陰陽師ならさして珍しくもない。というより、陰陽師の模範みてぇな奴だ。むしろ、お前さんが変わってんのさ」

「ざけんな! 奴は餓鬼を呪術の道具に使ったんだぞ!?」

 

 そしてそれを問い詰めた俺に奴は、¨別に死んじゃいないし、大した後遺症も残らない。なぜ怒るのか¨、そう聞いてきたんだ。


「術の発展のためならあらゆることが許容される。それがお前ら陰陽師だろ? そして咲夜も同じ陰陽師ってわけだ」


 この吐き捨てるような酒呑の言葉は、重くそして鋭く俺の胸に突き刺さっていた。


「この都の生活も悪くはねぇが、俺たちはお前さえいれば、別にどこでもいいぜ」


 俺と酒呑のやり取りを眺めていたオロチが、肉を口に頬張りながらぼんやりと口にすると、


「そうだな。だから、お前が決めろ。俺達三人は最後までお前についていく」


 酒呑童子もまるで噛み締めるように言い放った。



 二日目の晩、結局、俺はあいつの寝室へと来てしまっていた。咲夜自身が拒否すれば、妹に甘い清明のことだ。あっさりと婚姻を翻意するかもしれんし。

 部屋に入ると、座敷の中心にチョコンと座る絶世の美女。この皆が寝静まった時間で、月明かりだけの暗がりだ。正直、心臓が飛び出るほど驚いた。

 

「よ、よう」


 咲夜は僅かに口端を上げて俺を見上げる。その月明かり照らされた姿は、信じられなく美しく、そして彼女とは思えぬほど妖艶ようえんだった。


「道満、女中たちに気付かれる。そのふすましめてくれぬか?」

「あ、ああ、すまん」


 不覚にも見とれていたのかもしれない。慌てて襖を締める。

 それにしても、小虎はどうした? 咲夜が年頃だということで最近の咲夜の護衛は小虎が務めていたわけだが――。


「小虎は、今夜は外してもらっている」

 

 俺の心のうちを読んだかのように咲夜は俺の疑問への解を述べる。


「外してもらってるって、お前な……」


 こいつ、今自分がどんな危うい状態にいるのかわかってんだろうか。桜の言が正しければ、相手は六道王の一角。しかも、最悪の神。咲夜はその人柱的存在として奴らにマークされている。護衛を外すなど自殺行為もいいところだ。


「道満がくることはわかっておった。だから、心配はいらんのじゃ」


 今回、こいつが無事だったのはただ運が良かっただけ。こいつまったく分かっちゃいないな。

 俺は咲夜の前に胡坐をかいて座ると奴と視線を合わせる。


「だったら、話は早い。他なら誰でもいい。八神不知火やがみのしらぬいだけは、やめておけ。奴は――」

「八神殿の噂なら聞き及んでいるよ。かの御仁からすれば、絶望王の人柱に指定されている妾も体のいい呪術の玩具じゃろう」

「はあ? それ知ってんならなぜ受け入れる?」


 咲夜はさも呆れたように肩を竦めると、


「八神家は、正三位しょうさんみ、上級貴族だ。拒めると思うておるのか?」


 寂しそうに口にする。


「清明なら――」

「妾達は陰陽師にして、安部家。兄様にも拒絶できぬことくらい、ぬしならわかっていよう」


 過去のお偉い陰陽師が開発した術により、血により術を承継することが可能となった。以来、陰陽師にとって血の承継は最も重要な儀式の一つとなる。陰陽師ならば女の幸せなど到底、保障されるはずもない。

 なるほど、事情は大分読めてきた。酒呑童子の奴、清明から聞いていやがったな。いや、オロチと小虎もか。大方、咲夜を俺に逃がさせる。それが目的だろう。

 清明は現在の陰陽頭おんみょうのかみ。口が裂けても、咲夜を逃がせという指示はだせぬ。もし、それをしたと分かれば、最悪、安部家すらも取り潰しになる。家長として清明にはその選択は絶対にできない。

 その点、護衛の俺を雇っているのは、桜だ。仮に俺が暴走したとしても責任を取らされるのはあいつのみ。桜は現、陰陽寮にとって守護霊的存在。厳罰をくらっても、謹慎程度で済む。

 もっとも、行動に移せば俺はお尋ね者だが、元より幼き頃からそんな生き方をしてきた。俺にはこいつら以外失うものなどないんだ。


「ならいくぞ。俺が逃がしてやる」


 咲夜に右手を差し出す。


「……」


 咲夜が婚姻を望んでいないのは知っていた。だからてっきり素直に頷くと思っていた。なのに、咲夜は無言で俺を見つめるのみ。


「どうした? 早く行くぞ」

「そなたに付いて行けばそなただけではない。妾もお尋ね者じゃ。兄様たち安部家も少なからず咎められるじゃろう。二度と、安部家を名乗ることはできぬ。それは、この家、家族、全てを捨てる事と同義なのじゃ」

「だが、このまま奴と添い遂げれば――」

「わかっておる。だから確証が欲しい」

「確証?」

「うむ、そなたが妾とともに地獄に落ちてくれるという確証じゃ」


 咲夜は立ち上がると、着物の帯を引く。たちまち女性らしい肉体が露わとなってしまう。


「な、な、な……」


 言葉が上手く喉から出ない。ただ、目は彼女から微塵も逸らすことができなかった。


「道満、そなたの選択肢は二つ。このまま部屋を出て妾を忘れるか、それとも、妾と契りを結び共に落ちるかじゃ」


 だが、咲夜の全身が小刻みに震えているのを認識し、なぜか突然笑いが込み上げてきしまった。こいつは、まったく初めて会ったときから変わらない。どうしょうもないくらい天邪鬼で、そして演技が下手くそだ。


「ごちゃごちゃ難しいこと言ってるが、要するに、俺に惚れてるから抱いて欲しい。そういうことだろ?」

「――っ!? それは――」


 今まで人形のような笑みを浮かべていた咲夜の顔が引き攣り、暗闇でもわかるほどに紅潮していき、反論を口にしようとする。俺はそんな咲夜の華奢な身体を抱き寄せると、開きかけた彼女の小さな唇を奪う。

 

「違うのか?」


 唇を放して尋ねると、目尻に涙を貯めて、


「違わない!」


 返答すると咲夜は俺の唇に自分の唇を押しつける。それを契機に俺達は激しく求めあう。




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