第17話 主人にもう一度会うために ミトラ
(リリス様! リリス様ぁ!!)
悪魔ミトラは賢明に足を動かしながらも、敬愛する主人の名前を繰り返す。
あの狐面の男にかけられた赤色の糸の効力で力の全てを奪われてしまい、今ではゴミのような力しか出ず、あんな
奴らはこの区域の支配悪魔――メフィストが悪魔化した人間の子供を殺し、ミトラの拘束を一部解くと狩りと称してあの乗り物から追い立てるように奴らの武器を放ってきた。
「ぐがっ!」
左肩に焼けつくような痛みが走り、無様に地面に転がってしまう。
(リリス様! このミトラ、絶対に貴方のお傍に戻ってみせますっ!)
痛みに歯を食いしばりながらも、立ち上がり走り出す。
ミトラにとって、リリス様は拾って育ててくれた恩人。
帝都の裏路地で空腹と飢えで意識さえも遠のいていたとき、丁度通りがかったリリス様がミトラに手を差し伸べてくれたのだ。
あの時からミトラにとってリリス様がこの世界の全てとなる。もちろん、あの御方が元人間であり、他の悪魔から侮蔑の目で見られていることも知っている。
だが、そんなことは、ミトラにとってどうでもいい些細なことだった。だって、リリス様は寒くて暗い地獄のような場所から救い出してくれたミトラにとっての英雄だったんだから。
(これは罠だっ! 絶対にあいつが仕組んだんだ!)
リリス様はバアル様の義理のご息女にして、バアル五少将最強の存在。そして、バアル五少将は一枚岩ではない。むしろ、他の五少将は元人間にすぎないリリス様に敵意すら持っているものが大半だ。
特に五少将のトップ――サマエルは信用ならない。一応、表面上はバアル様を敬ってはいるが、奴が忠誠を誓っているのはミトラたち悪魔たちの神――絶望王陛下に対してのみ。
きっと、ミトラたちリリス様の家臣が、サマエルの腹心である大魔導士メフィストの隊に配属されたのも、リリス様を孤立させようとするため。
つまり、奴らはこの地でミトラが死ぬことを望んでいる。この人間に無様に追われている状況もきっと奴らの目論見通り。
だとすれば、リリス様が危険だ。あの御方の下に戻らなければならない。例え、ミトラなど大して役に立たなかったとしても。
(リリス様……)
意識も朦朧とし、全身の感覚もなくなっている。右脛に衝撃が走り、地面に俯せに倒れる。
霧のかかった視界の中抱きかかえられ、誰かがミトラに何かを叫んでいるのを子守唄にして意識は遠のいていく。
◇◆◇◆◇◆
「……を渡せ!」
「いやよ」
気が付くとミトラを抱きしめる銀髪の虎面の女が視界に入る。
ミトラを赤い糸で拘束した狐面の男の知り合いだと頭が認識し、悲鳴を飲み込み慌てて逃れようとするが、ビクともしない。
「いいのかぁ!? 奴の妹がどうなっても!?」
人間どもの一人がミトラを傷つけたあの人間の武器をこちらに向けて苛立たしげに叫んでいた。
「渡す前に少し聞いていいか?」
「十朱っ‼ それは――」
銀髪虎面の少女が血相を変えて何かを言いかけるが、狒々面の男により制止される。
「素直は一番だ。なんでも聞いてくれ。今なら特別に答えてやるぞ?」
黒のカラーで統一された衣服を着た長身の男が、歌うように口ずさむ。あいつは楽しそうに悪魔化された人間の子供を殺していた奴だ。
「なぜ、捕虜の子供を殺した?」
「上の命令だからに決まってんだろ?」
興味なさそうに耳をほじりながらも、そう返答する。
「あの子供は元人間だった。それを知っていたのか?」
「いんや、まったく」
大げさに肩を竦めて両方の掌を上にする。
「その割にショックを受けたようには見えないが?」
「ショック? そんなの受けるわけないだろう? 俺はただ上の命令に従っただけ。悪くねぇもん」
ミシリッと十朱と呼ばれた獅子の仮面を被った黒髪短髪の男から何かが軋む音が聞こえ、
「悪くない。お前、今そういったのか?」
ぞっとするような疑問の声が鼓膜を震わせる。
「ああ、俺達は戦争屋だぜ? つまり、人を殺すお仕事だぁ。当然、他人を殺す覚悟ってやつができてるってわけよ」
ケタケタとせせら笑う黒髪長身。
「例え、それが無辜の子供だったとしてもか?」
「当然だろう? それが戦争ってもんだぁ」
もう気のせいなんかじゃない。獅子仮面の男の全身の筋肉が膨れ上がり、全身から濃密な赤色の靄のようなものがゆらゆらと漂っている。
そして――。
「お前らは悪だ! 救いようのない悪党だ! 俺はお前らを断罪する!」
獅子仮面の男はゆっくりと奴らに向けて近づいていく。
「ま、まてよ! いいのか!? あいつの妹がどうなってもいいのかっ!!?」
いつになく必死な黒髪長身の男の声。そんな声など聞こえているのかいないのか、
「悪を倒せ! 俺の正義のために! 正義執行‼ 正義執行ぉぉぉ!!」
獅子仮面の男はそう叫びながら近づいていく……。
自然に歯がガチガチと打ち鳴らされる。当然だ。あんな出鱈目な存在、悪魔にだってそういるもんじゃない。
巨大なクレーターに、跡形もなく吹き飛んだ建物。周囲はその光景を大きく変えてしまっている。
「あーあ、やっちまったよ。解決したとはいえ、流石にこれってマズいんじゃねぇの?」
赤髪の男が頭を両手で抱えながら、周囲の惨状を一瞥し、そう独り言ちる。
「大丈夫! 全員生きているぜ!」
十朱は親指を立てて、白い歯を見せて快活に笑った。
「そういう問題じゃないよね、これ……」
銀髪に虎仮面の少女が疲れたような声を上げ、既に髪が真っ白になって気絶している人間どもを拘束していく。
◇◆◇◆◇◆
あの狐仮面の男が姿を現し、三人の仮面の男女に労いの言葉をかけると、ミトラに向き直る。
「お前、もう人に傷をつけるな。約束できるか?」
あの獅子面の男のボスだ。ミトラではどうやっても太刀打ちできまい。いや、そういうレベルの話ではもはやないんだろう。
こいつらがこのまま進めばリリス様にすら届きかねない。そんな不吉な予感がさっきから鎌首を擡げている。
「じょ、条件がある」
「条件ってお前、そんなこと言える立場じゃねぇだろ!」
狒々面の男が声を荒げるが、狐面の男はそれを歯牙にもかけず、しゃがみ込むとミトラに視線を合わせる。ミトラが面食らって目を白黒させていると、
「条件を聞こう」
静かに発言を促してくる。
「リリス様は、お前らと同じ元人間だ! だから、リリス様には手を出すな!」
この条件が叶えられるなら、どんな条件だってのんでやる。
「リリスってのは、お前の主人か?」
大きく頷くと狐面の男は、暫しミトラを眺めていたが大きく息を吐きだすと、
「いいだろう。そのリリスというのには危害を加えない。それでいいな?」
よし! これでこの戦争の勝敗いかんにかかわらず、リリス様を守ることができる。
もちろん、この狐仮面の男が約束を守らない危険性もある。だが、そもそも奴らにとっての最善はミトラを殺すことなのだ。少なくともこの条件を受け入れた時点で、この狐面の男は約束を守る意思があると考えてよい。
「いい。約束が守られる限り、今後、人に危害を加えないことを誓う」
狐面の男は満足そうに、何度かミトラの頭を撫でていたが、直ぐに立ち上がると、傍で成り行きを見守っていた頭を綺麗に刈り上げた男と牛の怪物に視線を向けて、
「この悪魔っ子の世話を頼む」
そんな指示を出したのだった。
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