第10話 破滅の始まり 氏原陰常


 12月24日(木曜日)午前10時――江戸川区臨時首相官邸

タイムリミットまで、4日と5時間。


 長かった。警察官僚から政治家に転身してからはや15年。ようやくこの椅子に座ることができた。

黒塗りの総理の椅子の座り心地を堪能しながら、氏原陰常うじはらかげつねはご機嫌に頬を緩ませた。

 久我の指示通り動いた結果、万事うまくいった。

 藤村秋人とかいう下級国民は獄中へと再度ぶち込み、あの目の上のたん瘤だった維駿河いするがを事実上失脚させることに成功する。 

 あと数日過ぎれば契約通り、この日本は事実上、陰常の所有物となる。まあ、悪魔どもとの約束を守らせるべく契約をして人間を辞めねばならなくはなったが、この種族絶対主義の世の中だ。人じゃなくてもさして奇異ではないし、何より劣等人種である人間と決別することができてむしろせいせいしてさえいる。


(あと思い通りにならぬのは、あの女だけか)


 そんなとき、プライベート携帯が鳴り響く。


(電源を切り忘れたか)


 首をかしげながらも、ポケットからスマホを取り出し耳に当てると聞き覚えのある女の声が聞こえてきた。


『氏原先生、私です』

「忍、決心は決まったか?」


 願ってもない相手からの電話。

 過去に手に入れようとして逃した極上の羊。今回の件で氏原は内密に忍と連絡を取り、ある取引を持ち掛けていたのだ。


『ええ、私はイノセンスの家族を守ります』

「そうか。ならばすぐに儂の元までこい。たっぷり可愛がってやる」


 あの極上の女に、ベッドの上で十年間の劣情をぶつける光景を夢想したとき、


『これは純粋な興味なんですが、先生はなぜそれほど御自身の欲望に忠実でいられるのですか?』

 

 忍がそんな疑問を尋ねてくる。


「ふん! 今更、私に説教か? 負け犬の遠吠えにしか聞こえぬぞ?」

『いえ、繰り返しますが、本当に純粋な興味なんです。力のない一般国民から、政敵の政治家や周囲を嗅ぎまわったジャーナリストまで、先生は幾人もの人々の人生を食い物にしてここまで来た。そして、今度は日本という国家すらも生贄にしようとしている』


 ほう。そこまで掴んでいたか。それともはったりか。何れにせよ、忍には何もできない。


「この音声を証拠として提出しようとしても無駄だぞ。既に警察の上層部は抑えている。マスコミどももタルトの奴が仕切っているしな。お前たちの主張が通ることはない」


 少し前ならいざ知らず、今や種族特性という概念によりその手の技能があるものなら、音声程度なら楽々合成することができる。大した証拠能力などない。


『無駄ならいいじゃないですか。答えてください』


 強烈な怒りと侮蔑の表情を向けられながら、とびっきりに美しい女を犯す。それは悪くない。


「儂が特別な人間だからだ」

『特別な人間ですか?』

「ああ、国民は三種に分けられるのだ。全ての力と富が集中する儂ら上級国民とそんな儂ら上級国民に貢ぐしか価値のない下級国民。そして、儂らの命を忠実に守る中級国民の三者にな」

『先生は、その下級国民はどうなっても構わないと?』

「いんやそこまで言ってはおらんよ。ただ、下級国民には少々生きづらい世の中になるだけだ。当面の生存くらいは保障されるんじゃないのか。多分」


 電話越しに、忍の大きく息を吐きだす音が聞こえる。


『先生、今、あなたは仮にもこの国のトップでしょう? そんな身勝手が許されると?』

「それは認識の違いだな。儂の使命はこの国の維持。そして、国とは政治を動かす儂ら政治家と官僚であり、財界を始めとする上級国民に他ならない。つまり、これは身勝手でもなんでもなく正当な国の保全だ」


 氏原の完璧ともいえる理論構成に、息をのむ声が聞こえる。


『先生のお考えはよくわかりました』


 忍はコホンと咳払いをする。


「では、忍、儂のホテルに――」


 氏原が口を開こうとすると、


『このぉ――ドグサレ外道がぁぁぁぁ!!』


 鼓膜を破るかのような大音声がスマホから飛び出てくる。耳を抑えてしばし呻いていたが、


「貴様、よくも――」

 

 屈服したばかりの飼い犬に噛まれたという屈辱に激高するが、


『お前はもう終わりよ。お前の味方をする人間なんてこの世のどこにもいやしない。せいぜい、お前が下級国民と蔑んできた人たちに泣いて詫びることね』

 

 スマホはその言葉を最後にプチッと切れる。


「あの女ぁッ!!」


 怒りをぶちまけた途端、外が急に騒がしくなる。そして転がり込んでくる氏原の第二秘書。


「た、た、大変です! 至急、至急、テレビをご覧ください!!」

「テレビ?」


 眉をひそめて部屋に備え付けられているテレビの電源を入れると――。


『あのおんなぁ!!』


 激怒する氏原の姿がアップで映し出される。

 そして次に映し出される光景を目にしたとき、サーッと潮が引くように全身から血の気がなくなっていくのを自覚する。

 そこには氏原が絶対に知られるわけにはいかぬ映像が画面一杯に映されていたのだ。


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