第8話 ファルファルの接触


 ――超常事件対策局


 超常事件対策局の一室には、この度の未曽有の事件解決のために必要最低限の人材が集められていた。ちなみに警察関係者は既に右近の指示である人物の捜査を開始しておりこの場にはいない。

 イノセンスのメンバーも同席するのだ。当初は他の場所を借りようかと思っていたが、とっくの昔にこれ以上悪化しないほど最悪の状況を突き進んでいる。上層部と敵対した以上、周囲を気にする必要はもはやない。少なくともこの部屋に仕掛けられている盗聴器や監視カメラは全て特定した上で偽りの映像や音を流している。逆にこのエゲツナイほど厳重なセキュリティーで守られ、通信設備が充実しているこの場所を右近たちの本拠地として動いた方がよほど色々やりやすいってものだ。

だからこの場所を会議場に選択したのである。


「遂に逮捕されてしまったか。これで大幅なタイムロスだ」


 真城ましろ歳三さいぞうが憎々しげに絞り出す。


「悪い知らせが続きます。ご存じの方も多いと思いますが、先刻、維駿河いするが総理が何者かに刺されて緊急搬送されてしまいました。命には別状がないようですが、法務大臣の氏原陰常うじはらかげつねが臨時総理として総理の職を代行することとなります。おまけに、超常事件対策局にも、厳重待機の命令が下されました。事実上、この事件からのお祓い箱ですよ」


 最悪ともいえる凶報に一同深いため息を吐く。

 氏原陰常うじはらかげつねは、阿良々木電子殺人事件の重要参考人の一人であり、今回の悪魔襲来を招いた一人とされる人物。そんな人物が、臨時とはいえ、この日本の政治の頂点に立ったのだ。警察や自衛隊などへの協力要請は絶望的といってよいだろう。


「この段階で藤村秋人を逮捕するとは、政府のお偉方はあと数日後に悪魔の軍勢が東京制圧に動き出すことを本当にわかっているんですかね? どうも自分にはレミングの群れの指揮者になりたがっているようにしか思えませんが」


 元自衛官である真城の直属の部下である黒色短髪の青年が訝しげに素朴な疑問を口にする。


「いーえ、氏原陰常うじはらかげつね、その他の政府の上層部は馬鹿ではない。むしろ、自己保身にかけてはそれこそ世界屈指の力を持っていますよ」

「ふへー、自己保身で世界屈指ってまったく嬉しくないなぁ」


 一ノ瀬雫の素朴な感想に苦笑が至るところからもれる。


「右近、回りくどい言い回しはよせ。普段の俺なら聞いてやれるが、今は無理だ」


 真城がギヌロと右近を威圧してくる。相変わらずせっかちな男だ。物事には順序があるというのに。だが、これ以上、彼を怒らせても意味はない。とっと核心を述べるとしよう。


「ズバリ、悪魔との取引ですよ」

「「「「「悪魔との取引ぃ!!?」」」」」


 幾人かからの素っ頓狂な声が見事に重なる。


「はい。というかこの状況で彼らが藤村君を戦闘から排除する理由、それしか考えられないんですよねぇ」


 今回ことを起こしたのは、十中八九、明星みょうじょう教だ。理由は、簡単。この『明星みょうじょう』の名は、右近たち陰陽師にとって極めて重たい名だから。

 あけ明星みょうじょう――それこそが人間界での絶望王の別名でもある。

 氏原陰常うじはらかげつねの秘書――久我信勝くがのぶかつがこの明星みょうじょう教の信者。ならば、久我はもう悪魔側と理解するのが妥当。

 つまり、氏原は久我を介して悪魔側の指揮官――バアルと取引を交わしている可能性があるのだ。


「悪魔との取引か。右近、お前はそれがどんなものだと思っている?」


 真城の声色が一段と低くなる。これは経験則上、真城のストレスが臨界に到達したときの癖だ。


「冷静になってくださいね。私に怒っても仕方ないですからね?」

「当たり前だろ。お前に怒って何になる」


 嘘をつけよ、絶対怒るだろ、とそう内心で毒づきながら、


「例えば日本の土地と人民の半分を分与するから、今まで通りの統治を認めよとか」


 グシャッと物が潰れる不吉な音。真城の顔は茹蛸のように真っ赤に染まり、その顔中に太い血管が浮き出していた。ほらみろ。思った通りじゃないか。


「右近、そないな人間との口約束、悪魔どもが守るとは思えねぇ。その氏原とかいうクズは悪魔の慈悲を信じるほど間抜けなのか?」


 四天将の一人、スキンヘッドの大男――九蔵が当然の疑問を提起する。


「おそらく口約束ではないのでしょう。現在、悪魔どもは東京の特定の六区に封じ込められており事実上行動不能です。ですが契約なら明星みょうじょう教の信者を使って触媒を届ければ可能だ。違いますか?」

「そういうことか……」


 不快に顔を歪める九蔵に、


「ええ、絶望王の眷属たる悪魔の召喚自体が元の世界なら極めて高位の奇跡。当然、その悪魔との契約に用いる触媒もめったに手に入らない最上位の魔術具。しかし――」


 説明を加える。


「肝心要の最上位の悪魔など腐るほど溢れている……ってわけか」


 流石は真城、恐ろしいほどの理解力だ。


「悪魔との契約って、そんな素人がやったら悪魔落ちするにきまってるやん!」


 同じ四天将の一人、阿部詩織の問いに右近は大きく頷く。


「その通りです。氏原はまず悪魔落ちしております」

「ねぇ、質問、その悪魔落ちって何?」


 一ノ瀬雫が挙手をして尋ねてくる。


「悪魔との契約は、悪魔との魂の預け合い。要は綱引きです。弱い魂ほど魂を悪魔に握られてしまう。そして悪魔に握られた人間は中途半端な悪魔である半魔と化す。ようは化物になるんですよ」


 これが右近の出した結論だ。氏原たち政府首脳陣が悪魔側に落ちているなら、この一連の特攻のような無茶苦茶な行動にもすべて辻褄が合う。


「もっと建設的な話をしましょう。奴らの目的がアキトさんの封じ込めだとして、私達のとるべき行動は?」


 烏丸忍の提案に真城も怒りの表情を消し、他の者たちも各自神妙な顔で右近を見てくる。

 わかっている。ここからが本題。一分一秒、無駄にすれば、それは人類の敗北に繋がる。


「私達の勝利条件は二つ。一つは藤村君たちを縛っている要因の排除。もう一つは、邪魔な氏原側に与した政府関係者の完全失脚と国内に散在する明星みょうじょう教の摘発です」


 逐一連絡をしてくれていた十朱との連絡が途絶している。氏原たちが十朱をどうにかできるわけがない。藤村君と十朱の行動の合致、考えるのはただ一つ。人質をとられた。それに尽きる。もし人質がいるなら、その解放が最優先事項となる。

 そして、今回のようなゴタゴタを起こしている余裕は我ら人類側にはない。氏原と明星みょうじょう教の罪を全て明らかにし、人類側の足の引っ張り合いに終止符を打つ。それに尽きる。


「先輩を縛っている要因?」

「ええ、堺蔵さかえぐらの警察署長が他の所轄の警察署長も説得し、藤村君の周囲を徹底的に調べ上げていただきましたところ、彼の妹――藤村朱里の行方が不明となっていることが判明しました。彼を縛っているのはそれでしょう」

「先輩の妹さんまで! どこまでも汚いやつら!!」


 テーブルを叩いて憤る一ノ瀬雫に、イノセンスを中心に次々に怒りの声が上がる。


「ご心配なく、あの堺蔵さかえぐらの署長さん、相当の人格者のようで今や東京中の非番の警察官が今、捜査に協力してくれておりますよ。じきにその居場所も割り出せるでしょう。そして醜くも卑劣な賊へぶつける駒も手配済みです」

「駒?」


 一ノ瀬雫のオウム返しの問に、


「ええ、とびっきりの駒ですよ。私達は氏原と明星みょうじょう教の排除に集中することにいたしましょう」


 右近は大きく頷いた。

 そうだ。彼ら・・ならばきっと醜い賊にふさわしい地獄を用意してくれるだろう。

 藤村朱里の救出については警察と彼らに任せればいい。


「一ノ瀬君のお陰で氏原の汚職や獄門会との繋がりなどの資料は取得しましたが、阿良々木電子殺人事件の決め手となるものが何もない。それがそもそも問題ですね。彼のファイルだと、そろそろだと思うんですが……」


 この未曽有の事件で協力を求めるべく、彼の居場所の調査のため改めてコテージを捜索した結果、あるファイルが見つかる。そのファイルの中には複数のストーリーが記されており、今の絶望王による東京襲撃の流れはそのうちの一つであることがわかった。現に今のところそのファイルの一つにある筋書き通りに事態は進んでいる。

 そして、このファイルに書かれている最後の項目。それがこの藤村君の再逮捕の騒動であったわけだ。

 漠然とではあるが悪魔の襲来すらも予想したことからも、彼には右近たちとは全く別のものが見えている。いわば、先を見通す能力のようなものが発現しているんだと思う。藤村君が警察の手を逃れたとき、このストーリーに収束したのだろう。そう。藤村君にとっての修羅の道へと。


「右近さん! 超常事件対策局にファルファルなる人物から動画の添付メールが来ています」 


 来たか。ようやく待ち望んだ反撃の狼煙だ。


「メールの内容は?」

「ホッピーの無実を証明するために使えとのみ記載されています」


 右近たちとは極力関わり合いになりたくはないか。予想通り、この人物、よほどの人見知りらしい。


「探知はできますか?」

「米国の軍事衛星経由でのアクセスなので、まず不可能です」


 この用心深さと米国の人工衛星をいとも簡単にハックする腕。お目当ての人物で間違いはあるまい。ではここからだ。この作戦はこの人物の全面的な協力が必須。しくじれば、右近たちの敗北で幕が下りる。


「私の言う通りにメールで打ち込んでください」

「了解!」


 頷く局員を確認し、頭でその会話の流れを構築する。

 このときのため、当該人物に対する散々入念なプロファイルを行い、いくつかのtypeにその行動パターンを絞り込んでいる。

 

「動画感謝する。だが、我らは現在大手メディアと対立している。この動画を適切に使用する機会自体がないんだ。できれば、君も協力して欲しい」


 その十数秒後、メロディーが鳴り響く。


「先ほどのメールの返信が来ました。出します」


 皆が画面を食い入るように見入る中、捜査官はクリックし、ファイルを開く。


『そんなの私、知らない』


 知らないか。この言葉は非常に重要な意味を有する。

 この人物が他者に無関心だとは思わない。もし真に興味がないなら、そもそもこんな動画を送り付けてはこない。

 だからといってこの人物が、正義感やらの倫理観のような感情で右近たちにアクセスしてきたとも思わない。

 きっと、この人物は藤村君と同じ。正義や良心のような上っ面の言葉では決して動かせない人種。もし、少しでも発言を間違えばこの人物はこのアクセスを一方的に切ってしまうだろう。そしてそれは右近たち人類側の敗北を意味する。


「それじゃあ、別に私達に協力しなくてもいい。ただ、自分自身のために私達に力を貸してくれないだろうか?」

『それどういう意味?』

「ずっと見ていたんだろう? なら私達以上にわかっているはずだよ。このまま突き進めば、東京の――違うな、ごく一部を除き日本中で生きる人々の生活は無茶苦茶になる。君やその家族も死ぬかもしれないし、君のその今いる場所も奪われるかもしれない。他ならない君が動かなければ」

『嘘だ! お前、おいらをいいように利用しようとしているなっ!』


 食いついてきてくれている。無視よりよほどいい。この調子だ!

 

「もちろんだとも。私達の生活を守るために私は君を利用する」

『ほらみろ! みんなそうだ! お前たちはすぐに利用してあっさり捨てる!』

「君がどんなトラウマを持つのか私は分からない。だがね、衣食住、日常生活品、人というものは少なからず他者を利用して生きているものだよ。それと同じ。私達を利用するのは君も同じだ」

『おいらも同じ?』

「そうさ。君は自分の家族と生活を守るため我らを利用する。我らは私達の家族や生活を守るため君を利用する。それ以上でも以下でもない関係さ。そう悩むこともない。実にすっきりした関係だろ?」


 以来、メールはぷっつりと途絶したのだった。


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