第10話 堺蔵署との共同戦線 一ノ瀬雫
2020年12月19日(土曜日)
全員集合の全体会議から、2日が過ぎる。
イノセンスの皆の協力もあり、この事件の全貌が大分わかってきた。
まずは、
氏原の権力の傘の元、阿良々木電子は談合や権力と反社会的勢力を使用した他競合企業の排除などにより莫大な利益を得、それに対する対価として多額のリベートを氏原に贈与していた。
法律に詳しくないのではっきりとしたことはわからないが、一つ一つが通常なら会社が吹っ飛びかねないことばかりのものらしい。
二つ目が、大手芸能プロダクションと氏原の両者の関係性。料亭やホテルで頻繁に目撃されていることからも両者には密接な関係があることは明白だろう。
最後が、氏原の秘書、久我と獄門会の幹部
氏原からの圧力を避けるために、右近さんたち超常事件対策室は今回、ことを起こすまでできる限り目立ちたくはないらしい。
それ故に雫が拘置所に潜入しようとしたのだが、司法官憲として見逃せないとかいうようなとってつけた理由で反対される。間違いなく他の理由があるんだと思う。
そんなこんなで右近さんの紹介で、現在
正面の警察官の制服を着た恰幅の良い優しそうな初老の男性と、その両脇に数人の幹部らしき中年の男性。そしてさらにその背後には赤髪の女性とガタイの良い坊主の男性が控えていた。
「右近君からの紹介状は読んだよ。相当面倒な事態になっているようだね」
「は、はい」
他の人達の態度からも、雫にもこの初老の男性がかなり階級の高い人であるのはわかった。
「そう固くならないで。僕は所詮、ノンキャリの叩き上げ。現場の人間さ。この国の権力の中枢に位置する右近君の方が遥かに立場は上だよ」
とてもそうは見えない。なぜかは説明つかないが、この人は今まであったどの警察官より異質だった。
「我ら警察や検察が政治の圧力で無辜の市民に無実の罪を着せるなどあり得ませんね。署長、そんな荒唐無稽な話、直ちに突っぱねるべきです!」
署長と呼ばれた初老の男性の隣に座る側近らしき五十台前半の顎が長い男性が右拳をテーブルに叩きつけた。
彼が奇異だとは思わない。マスメディアは毎日のようにアキト先輩を凶悪な殺人鬼として報道している。むしろ、協力してくれると考える方がどうかしているのだ。
(右近さん、一体何を考えているのよ!)
「いえ、真実ですよ、副署長。藤村秋人はあんな殺人など犯さない」
赤髪のスーツの捜査官が凛とした声で断言し、
「自分も赤峰警部補と同意見です」
ガタイの良い坊主の男性も即座にそれに同意すると蜂の巣をつついたような喧噪に包まれた。
「皆、静かに」
署長の静かな一言でピタリと騒めきが止み、静寂が訪れる。
「うーん、赤峰君、不動寺君、その理由を話してもらえるかな?」
「彼が本件で大人しく捕まったからです」
「それは警察の包囲網からは逃げられない。そう観念したからではないのかね?」
「彼にとっては警察官が何千人いようが逃亡することへの障害にはなりえませんよ」
この発言、少し不自然だ。まるで先輩の実力を知っているかのよう。まさか、この人達――。
「赤峰君、キャリアの君がそんな非現実的な妄想を口にするとは思わなかった」
肩を竦めて首を左右に振る副署長に、
「私がキャリアか否かなどどうでもいいでしょう!」
怒気の言葉をぶつける。
「ともかく、君の輝かしい未来のためにも、これ以上、その手の冗談は口にしないのが賢明だ」
「私は――」
言い合いになる二人に署長は再度咳払いをすると、赤峰に穏やかに尋ねた。
「彼が現場から逃亡し得ると仮定して、なぜ彼が犯人ではないと?」
「繰り返しになりますが、彼が自らの意思で警察に捕まったからです。逆にお聞きしますが、もし彼が無事逃亡し得る実力があるなら彼が逃げなかった理由は何だと思います?」
副所長は言葉に詰まるが、
「自己の無実を証明するためだとでもいいたいのか?」
そう赤峰と呼ばれた捜査官に尋ねる。
「そうです。特に今回は猟奇殺人事件。怨恨による犯行ならただ殺せばいい。猟奇殺人など犯して捕まれば死刑になる蓋然性が高い。それなのにわざわざ己の会社で犯行を実行し、大した抵抗もせずに捕まっている。ほら明らかに不自然じゃないですか?」
「単なる頭がおかしい自殺志願者という線もなくはないだろう?」
他の幹部からの問いに、
「ええ、それは一応観念しえますね。ですが、彼の人となりから言って絶対にあり得ない。彼は自殺するようなやわな人間じゃない」
赤峰捜査官は自信を思って即答する。
赤峰のこの言葉に、
「自分も赤峰に同意です。もし彼が猟奇殺人犯をぶち殺したという内容の事件なら素直に納得して、ちゃんと罪を償いなさいねって言ってたんですがね」
不動寺と呼ばれた坊主の男がそんな身も蓋もない補足説明をする。
やっぱりこの二人の捜査官は先輩を知っている。
「僕も藤村秋人君が殺人を犯したとは考えていません」
「署長!」
副署長のたしなめるような言葉に、署長は首を大きく左右にふり、瞼を閉じる。
「副署長も薄々感じておいででしょう。この事件におけるサッチョウと本庁の挙動は明らかにおかしいですよ」
「署長は、上が氏原議員の圧力に屈しているとお考えですか? いくら警察組織に影響力の強い氏原氏でもたった一人の政治家の力で犬猿の仲であるサッチョウと本庁の両者が動かされるのは聊か、いえ、かなり不自然だと思いますが?」
「ええ、だからこそですよ。氏原議員の独断にしてはあまりに、この国での藤村秋人君の排除の流れがスムーズ過ぎる。普段ならもっと足の引っ張り合いをしてしかるべきでしょう」
「それは……確かに言われてみれば……」
顎に手を当てて考え込む副署長。そういえば、右近さんがこの前、盛んに言っていたな。
「そういえば、右近さんが今回の事件に関連して、現在米軍にきな臭い動きがあるって相当警戒していたような……」
雫の誰に言うのでもない呟きに、騒めく室内。
「いやいや、ありえんでしょう。なぜ一介の猟奇殺人事件に米軍が関わってくるのです?」
「容疑者が藤村秋人だからでしょうね」
赤峰捜査官の何か得心が言ったかのような台詞に、
「それはどういう意味ですか?」
署長が眉を顰めて聞き返す。
「藤村秋人はホッピーです」
雫の心臓が跳ね上がる。やっぱりこの人たち、先輩を実際に知っている。
「ちょ、ちょっと待て、赤峰警部補、それは本当か?」
副署長が厳粛した顔で赤峰に尋ねる。
「ええ」
「これは極めて重要なことだ。彼がホッピーである証拠はあるのか?」
「ええ、ホッピーを目撃したと思われる白洲警察署に配属になった同期に連絡を取って確認しております。間違いありません」
「藤村秋人がホッピー。だとするとこれは……いや、流石にそんなことあるはずが……」
うつむき気味にブツブツと呟く副署長に、署長は自嘲気味に深く息を吐き、
「いえ、今は種族至上主義社会に舵を切っています。藤村秋人があのホッピーと知れば、世界中の組織がその獲得に乗り出す。そしてこの変貌した世界でも超大国たらんとするあの国ならどんな手を使ってでも、彼を自陣営に引き入れようとするはず。
対して――滑稽なことに、我が国の現在の警察組織は、かの国のシナリオの舞台の上で道化を演じ続けているのでしょう」
その優しそうだった顔を初めて憤怒に染めた。
「署長は、まさか今回の猟奇殺人を米国がやったとお考えで?」
「いーえ、もしそんなことをして彼にバレでもしたら全てが水泡に帰します。そんな危険、愚者しか犯さない。大方、藤村秋人を嵌めたあの猟奇殺人事件を最大限利用しているにすぎないでしょう。まあ、だからこそ救えないんですがね」
署長は席を立ちあがり、窓際へ行くと外の行きかう人々を慈愛の表情で眺め見る。
「私は、この
署長は視線を雫たちに移す。その顔は運命に取り組むがごとく引き締まっていた。
「ですが絶望ばかりじゃない。希望の芽はしっかりと芽吹いています。それが――」
「ホッピーですね?」
赤峰捜査官の言葉に、署長は大きく頷き、
「世界は
ただそう宣言する。
「それはどういう意味です?」
眉を寄せて尋ねる副署長の疑問に、
「その答えは、あの子供達の熱狂ぶりを見れば明らかでしょう。弱きを助け、強き悪をくじく。そこに一切の裏がない。だからこそ、子供達はあれほど彼を信じるのです。きっとまたホッピーが自分たちを助けに来てくれると。彼はこの世知辛い世が生んだ唯一の希望だ。彼を救わねばならない。そうは思いませんか?」
署長は眼球をグルッと動かし、部屋内の警察の同僚たちに同意を求めた。
「ホッピーですか……確かに、私の息子も大のファンですわ」
「ええ、私の娘の部屋なんて今出回っているホッピーグッズで溢れていますよ」
「それならまだいい。私の娘など、将来、ホッピーのお嫁さんになるの! ですよ。少し前までその役は私だったはずなんですがね」
ゴホンッと副署長は咳払いをし、
「別に彼を救うためではありませんが、私も警察官です。もし我らの組織が不正に手を染めているなら我らでそれを正すことに異論はありません」
淡々と己の主張を口にする。
一同、暫し呆気にとられたように副署長を凝視していたが、一斉に笑い出す。
「な、何が可笑しいんだ?」
「いや、素直じゃないなと思いまして」
「そうですね。私、てっきり副署長は、上の判断を仰ぐべきだと主張すると思ってましたし」
不動寺捜査官と赤峰警部補の言葉に、他の警察官もうんうんと頷く。
署長は満足そうに笑みを浮かべると、
「どうやら決まりのようですね。微力ながら、私たちも貴方がたに協力しますよ」
雫に右手を差し出してきたのだった。
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