第8話 ほっとけない奴


 背広姿の眼鏡をかけた男が俺の胸倉を掴むとぶんぶんゆらす。


「お前が盗んだ氏原議員の宝石はどこだっ!」


 またこの質問か。そもそも氏原っていう奴にお目にかかったこともないのだ。俺には全く心当たりがない。

 昼間はあのあり難い日光浴。夜はこの尋問だ。普通の奴なら当の昔に精神が壊れていることだろう。だが、生憎俺の心ってやつはそんな繊細にできちゃいねぇ。というか、先に音を上げそうなのはむしろ、あちらさんだしな。

 それに俺が巻き込んで坪井や勘助のオヤッサンを死においやった。この程度の苦痛などむしろ望むところだ。

 ともあれ、オヤッサンや坪井を殺した奴には、地獄を見せる必要もある。しかも、何一つ失わずにだ。こんなクズ共のために俺が何かを諦めねばならんなどそれこそあり得ん話だし。


「俺にはその宝石も、その偉い議員先生にもまったく心あたりがねぇんだがな」

「嘘をいうなっ!」


 ステンレス製の灰皿で俺の横っ面を殴るが、まったく痛くも痒くもない。むしろベコンと灰皿の方が小さく歪んだ。その現実にさらに捜査員の額に太い青筋が漲る。さっきから、ずっとこの非生産的な行為の繰り返しだ。

 それにしても宝石か。正直まったく見当もつかない。当初魔石のことかと思っていたんだが、どうやらそうでもなさそうだ。


「そろそろ、取り調べは終わりの時間だろ?」


 舌打ちをすると、捜査官は乱暴に扉を開けて外に出て行ってしまう。代わりに部屋に入ってくるのは、黒服の小柄な男。たしか、刑部雷古おさべらいことか名乗っていたな。

 こいつ、相当なドSのようで俺の日光浴を頻繁に眺めていたが、大して俺が堪えていないことを知ると、様々な拷問を敢行してきた。だが、正直日光浴の方がよほど苦痛を俺に与えたし、何より、あの【無限廻廊】では生きたまま齧られるなどざらだった。だから、結局、俺に毛ほどの動揺も俺に与えられなかった。それ以来、奴は俺への興味を失い今に至る。

 

「無痛男メ。出ロ!」


 こいつ、俺を無痛だと勘違いしているようだが、一応痛みはしっかり感じているぞ。ただ、慣れてしまってグロイのを含めて我慢ができるだけだ。

 

 取り調べ室を出ると、その建物の最上階に連れてこられる。そして、いつものように、天井がガラス張りとなった部屋の中心の椅子に縛り付けられた。


(そろそろ夜明けか……)


 日が昇り、俺の肌が焼け、いつもの心地よい痛みが全身をくまなく走り抜ける。

 どうやら、吸血鬼にとって日光は最大の敵らしく、日光により次第に思考が著しく低下し、休眠状態となるから、次第に高度な考察などは困難になる。

 取り調べ中も捜査員と会話し、可能な限り情報を収集することにしているから、この僅かな時間が俺の本事件の考察の時間となっていた。

 奴らの会話から推測するに、俺が連れてこられたのは留置所ではなく、四陣相応しじんそうおうとかいう建物。

 逮捕されてから3日などとうの昔に過ぎ去っている。検察に移送されているはずなのに、検事は取り調べどころか、一度も面会していない。代わりに、この建物で警察と思しき連中から非人道的な取り調べを受け続けている。

 そして、その取り調べの内容は殺人事件ではなく、一個の宝石の所在について。

 凡そ信じられないが、奴らの執拗さから言ってこの愚行に及んだ目的はその宝石なんだと思う。俺を犯罪者として仕立てあげ、この施設に閉じ込めて宝石のありかを無理矢理聞き出す。そのために坪井やおやっさんを殺し、この悪趣味な日光浴や拷問まで敢行したわけだ。

 とりあえず、今回の件の黒幕の一人はその氏原議員なのは間違いない。そして、阿良々木電子での殺人事件であったことからも、同僚社員が絡むのはほぼ確実だろう。最も怪しいのはあの上野課長。あとはあの絶妙のタイミングで出現した香坂秀樹と、研究部の部長と赤髪の新入社員かな。

 雨宮は……正直よくわからない。だが、あの取り乱しようから言ってあまり考えたくはないが、事件と一定の関係はあるんだと思う。だが、少なくとも香坂秀樹たちとは異なり、あの結果を望んでいなかった。それは間違いないと思う。

 そしてその具体的な犯人捜しについては、数日前に一ノ瀬に渡した資料が役に立つだろう。一ノ瀬には【大怪盗】の能力があるし、よほどのポカをしない限り、無事逃げきれたはずだ。短い付き合いだが、あいつらは優秀だ。あいつらなら、きっとあの事件の真相を解き明かし、坪井と勘助のおやっさんの無念を晴らしてくれる。俺はそう信じている。

 はっ! この俺が他人を信じるか? 


「ありえんな」


 少し前までならそれこそ絶対取りえぬ思考回路だぞ。自嘲気味に呟いたとき、部屋に入ってくる二人の男。

 七三分けの目がやけに鋭い男とさっき部屋を退出したばかりの刑部雷古おさべらいこだ。


「何があり得ないのかな?」


 黒髪を七三分けにした男が、部屋に入ってくるなり、興味深そうに俺に尋ねてくる。

 こいつ、人間か? 今まで遭遇したどんな奴よりも嫌な・・匂いがする。多分、これは理屈じゃない。ただ俺はこの匂いがする奴らが、どうやっても受け入れられない。


「お前は?」

「私は氏原議員の第一秘書をしております久我くがと申します。どうぞお見知り置きを」


 なんとなくわかる。宝石を望んでいるのは、氏原とかいう議員ではなく、こいつ自身だ。

 そして、刑部雷古おさべらいこを始めとするここの建物の奴らもこの氏原とかいう議員ではなく、この久我くがと手を組んでいる。


「安い茶番は結構だ。お前は人の下につく奴じゃないだろ?」


 なぜそう感じたのかはわからない。ただ、この時俺にはそう純粋に思えていたんだ。


「ふーは、ふははっ! 実に面白い方だ。その通ぉーり、あんな脳筋ゴリラなど、私の仕える主人ではありませんねぇ。我が主人は崇高にして偉大な至上の悪の王」

「悪の王ね。大層じゃないか。一度お目通りしてみたいものだ」


 勘助のおやっさんと坪井の受けた苦痛と恐怖、骨の髄までたっぷり味合わせてやるために。


「させませんよ。直に会ってみて確信しました。ウイークポイントの日光により今も焼かれながらも、眉一つ動かさないその胆力、その威風堂々とした佇まい。貴方は毒だ。しかも我が主人すらも膝を折りかねぬとびっきりの毒酒。それを献上するなど私のような小心者にはとてもとても」

「なら、何の用だ? まさか、挨拶をしにきたっていうほど暇でも律儀でもねぇだろ?」


 七三分けは口端を上げると、


「単刀直入にお聞きします。大井馬都との戦闘で貴方はある石を得たはずです」

「さあてな。どうだったかな」


 畜生……最悪だ。あの【荒魂】とかいう宝石のことか。あれは雨宮に渡したままだ。あれがそんな面倒な代物だとは夢にも思わなかった。


「そうですか」


 七三分けは満足げに頷くと、


「貴方、あれを誰かに渡しましたね」

「……何の話だ」


 ちっ! 少し返答のタイミングが遅れちまった。


「うんうん、そうですか。渡しましたか。誰でしょうねぇ? 貴方の周りなら限られていますし。鬼沼さんに売却した? いや、彼なら既に市場に出回っており我らが手にしているはず。それはない」

「おい! 勝手に話を進めんな!」

「だとすると、一ノ瀬雫さんか、烏丸忍、和葉さん親子でしょうか? 彼女たちに渡すとしたら、気を引くためでしょうが、資料では貴方にはそういうマメさはない。だとすると、一人しかおりませんねぇ」


 完璧に見抜かれてやがる。雨宮の奴が素直に預けた宝石を渡せば、七三分けも無茶はしないはずだが、あいつ妙に律儀なところがあるしな。雨宮なら絶対に拒否する。どうする? ここで動くか? 

 しかし、力押しでそれをすれば、俺は晴れて逃亡者。仮に俺の無実が証明されたとしても、俺はもうあの心地よい日常には戻れない。だからこそ、今回、一ノ瀬達にこの事件の究明を任せたんだ。今俺が動けば一ノ瀬達の行為に泥を塗ってしまう。


(アホらしい。考えるまでもないな)


 俺が雨宮を見捨てる? 到底あり得ない選択だ。これは理屈じゃない。俺の本能のようなもの。なんかさ、最初にあったときから雨宮ってどういうわけか放っておけねぇんだよな。

 とりあず、この七三分けを尋問し、全て吐かせるとしよう。俺を束縛する拘束具を千里眼で解析しようとしたとき――。


「貴方は危険だ。だから、ここで死んでいただきます」


 久我がパチンと指を鳴らす。


「グヌッ!?」


 刹那、太陽の光が数十倍にも増大し一瞬で俺の視界は真っ赤に染まり、思考は微睡という深い深海へと沈んでいく。 

 そんな俺の僅かに残存する意識の欠片は、


「では刑部さん、早々に彼を処理してくださいね」

「わかっタ。任せロ」


 二人の会話を捉えていた。

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