第6話 潜入と怒りと逃亡 一ノ瀬雫
先輩の逮捕から数日が経過する。
忍さんと和葉が天才作曲家――望月誠という少年を見つけてきて、現在二人で曲の収録にかかっている。彼、望月誠は、ポッチャりしてはいるが可愛い顔をしている少年だ。二人とも年も近い。何より共通の将来の目的があるし、二人はお似合いなのかもしれない。そんな感想を雫がイノセンスの仲間の前でいうと、和葉の前では口にしないほうがいいとかなり強く念をおされてしまった。うーん、なぜだろう?
この点、イノセンスの件で和葉と優斗の学校にはマスコミが張り付いている。だから、忍さんは、この騒ぎが沈静化するまで和葉達に学校を休ませている。そんなこんなで和葉と誠君は一日中、音楽の収録に従事し、本日中には収録が終了するらしい。
このように、【謎のハッカーお近づき作戦】は順調に進んでいたのだが、肝心の先輩からの資料の受け渡しが難航していた。より正確には先輩の軟禁場所が不明なのだ。
警察内部に潜入して調査してわかったことは、既に形式的には検察庁の方に身柄は移されているということ。だが、これはあくまで形式上の話。実際に東京地検で先輩が取り調べられた形跡はない。
こんな不自然極まりない状況だ。十中八九、現在先輩はとんでもなくろくでもないことになっている。だからこそ、もう手段は選んではいられない。
(あとはここだけだよね)
罠かもしれない。信用できるかはそもそも半々ってところだ。でも、少なくともあの場にいた黒色短髪の捜査員だけは、すごく真っすぐな目をしていた。
どうせこのままでは手詰まり。賭けにでるなら今がその時なんだ。
部屋に入ると同時に気配を元に戻す。途端に弾かれたようにスキンヘッドの男、紫髪の少女が身構え、頭部が牛の怪物が唸り声を上げる。対して、あの黒色短髪の捜査員は、興味深そうに雫を眺めていた。
「やあ、そろそろ来てくれる頃だと思っていたよ。ホッピーの仲間の女忍者さん」
正面のひと際大きなデスクに備え付けられた椅子に腰を下ろしている目が線のように細い袴姿の男が閉じた扇子の先を雫に向けつつも、愉快そうに口を開く。
アキト先輩がホッピーであることを知っている。意外とまでは思わない。むしろ、それくらいできてもらわねば、この最悪ともいえる状況を覆すパートナーとしては聊か力不足だ。
「ええ、こっちもどん詰まりでさ。私達はあの人を助けたい。協力してよ」
「もちろんです。ただしぃ、私達が貴方に協力するメリットを見出したらですが」
「右近、貴方――」
紫髪の少女が何か口を開こうとするが、スキンヘッドの男に右腕で制止された。
「何が望み? 私にできる事は限られてるよ」
「もうじき、我らが立ち上げる組織に、君たちも加入して欲しいのです」
「それって、どんな組織?」
「どんな組織だと思います?」
そういえば先輩が、もうじきこの日本に小説やゲームの冒険者ギルドのような組織が立ち上がると言っていたっけ。
「魔物の狩りやダンジョンの攻略を専門とする職業を統括するギルドのような組織とか?」
袴の男は細い両眼をカッと見開いて少しの間、雫の顔をマジマジと凝視していたが勢いよく立ち上がり、
「その話、もっと詳しくっ!」
有無を言わさぬ口調で尋ねてくるので、
「あの人が、そろそろ冒険者ギルドのような組織ができるから、保有した魔石は随時売っておいた方がいいって言ってた」
咄嗟に返答してしまう。
「冒険者ギルドか……確かにそれは盲点だったかもしれませんね。私たちは魔物の討伐とダンジョン攻略は国家の責務と決めつけてしまっていました。違いますね。国家でなければできぬと思い込んでいた」
目が線のように細い袴の男――右近は、右手を顎に置くと夢遊病のごとく部屋を歩き出す。
「できませんよ! できるはずがない! この世界の常識を超えた変革もダンジョンの出現も六道王の課した試練です。私達陰陽師の関与がなければ収めるのは不可能なはずだ!」
右頬に星の入れ墨のある赤髪をポニーテールにした女性の叩きつけるかのような反論の言葉が、部屋を震わせる。
しかし――。
「そうとも限らへんことは儂らもその身をもって味おうたばかりだがな」
「ほんまにね」
スキンヘッドの男に紫髪の少女もうんざり気味に相槌を打つ。
「九蔵様、詩織様! なぜ、そんな我ら陰陽師を貶めるようなことを言うんですっ!?」
「貶めてるつもりはあらへんよ。ただ、お前さんが考えてるより、ずっとこの変貌した世界は無慈悲で残酷ちゅうことだ」
「うちら、それアホほど思い知らされたのよ」
スキンヘッドの男――九蔵と紫髪の少女――詩織の自嘲気味の言葉に、赤髪ポニーテールの女性はわなわなと全身を小刻みに震えさせると、
「しょ、正気とは思えない!!」
手の甲に筋が浮き出るほど強く両拳を握りしめ激高する。
「イザコザならあとで思う存分やってよ。時間も限られているし、話しを進めて欲しい」
「もちろんです。しかし、少々、事情が変わりました。貴方たちには新組織におけるアドバイザーにもなっていただきます」
アドバイザーか。少なくとも目が線のように細い男――右近はアキト先輩を対等な取引相手とみなしているようだ。ならば十分に手は組める。
「あの人がOKすれば私は構わない。でも、私はその件であの人を説得しない。貴方だけであの人を説き伏せなよ」
「ええ、いいです、いいですとも! 私にも今後のビジョンが見えました。此度の件で彼に大層、高く恩を売ることができそうだ」
右近は満悦の表情を隠しもせず、大きく顎を引き、雫にとっての勝利宣言をしたのだった。
雫たちの作戦の概要を話した結果、右近たちも基本賛同してくれた。
アキト先輩は現在、社会的に抹殺されてしまっている状態だ。今先輩を無理矢理解放しても、元の鞘には戻らない。先輩の無実を証明する必要があるのだ。だから、まず優先的に先輩から坪井主任の遺品を受け取ること。それが、この事件解決の鍵となる。
それまではこのまま拘留されてもらうことにした。これはどの道、現代日本ではそんな拷問のような無茶な取り調べなどできないと高を括っていたからでもある。
しかし、拘留が延長されているにもかかわらず、取り調べの権限があるはずの東京地検で取り調べが実際に行われていない。その事実をもっと雫たちは鑑みるべきだった。そう、敵はそもそも、既存のルールを守るつもりなどこれっぽっちもなかったのだ。
右近の予想ではアキト先輩の尋問は、今度の事件に主導で動いていた公安調査庁と手を組んだ陰陽師という組織が運営する組織――六壬神課が行っている可能性が高いとのことだった。だから彼らの本拠地に現在雫は忍び込んでいる。
そこは世界の変容により、霞が関に新たにできた
隠密の能力をフル活用し、建物内を
狩衣を着用している者達が小鬼を生み出す術の研究を行う部屋や、魔物のホルマリン漬けの保存施設に何かの解体場などお世辞にも趣味が良いとは言えない施設ばかりが入っていた。
そんな中、四階建ての建物の最上階へと到達する。
そこは生活感皆無の座敷牢。その最奥のひと際厳重な扉を【大怪盗】の能力で楽々開錠し中に入る。
そこは伽藍洞な室内にガラス張りの天井。
「え?」
そして中心には椅子とその上に括り付けられた人型の何か。それをはっきりと視認し、口から飛び出る間の抜けた言葉。
当然だ。椅子に雁字搦めになった人型は燦々と照らす太陽により、今も体表から炎を上げて燃え上がっていたのだから。
「キタカ」
咽喉から
「アキト先輩!」
悲鳴のような叫び声を上げて駆け寄ろうとするが、床にカチャリと落下する金属。
「ソレヲモッテイケ。オレハモウスコシココニイル」
そしてアキト先輩は静かにそう告げる。
「で、でも――」
「ハヤクイケ。モウジキ、ヤツラガクル」
先輩とは思えぬ強い口調で指示され、金属を拾い上げて精査する。
「これは鍵?」
この不可解な状況への疑問や、先輩がこの世界からいなくなるかもしれないことへの恐怖と焦燥。そして、こんなひどいことをした奴らへの怒りと憎悪で頭が熱く腫れ上がるように痛くなる
「ハヤクイケ!! ツボイヤオヤッサンノムネンヲハラセルノハオマエダケダ!!」
そんな中、先輩の両眼が見開き雫へ強く、諭すような言葉が頭上に叩きつけられ、雫は鍵をポケットに入れると転がるように部屋を飛び出す。
部屋を疾走し階段を駆け下りる。そして一階のロビーで全身を黒色の布で覆った小柄な男に遭遇する。男は『怨』の印が刻まれた黒色のマスクをし、その眼光は赤く鋭利なナイフのように鋭かった。
その姿を網膜が写しとった途端、強烈な焦燥が嘔吐のごとく幾度も襲ってくる。
(こ、こいつ、普通じゃない!)
多分、この六壬神課という組織の戦闘専門の職員だ。対峙しているだけで、自然に身が竦み、その紅の瞳を見るだけで身体に小さな震えが走る。特徴が伝え聞いた情報とも合致する。こいつが最も危険とされる四天将――
(大丈夫、まだ気づいてない)
【大怪盗】の能力により、気配と姿は消している。過剰に反応しさえしなければ、無事に離脱できるはずだ。
カラカラに乾く喉を唾液で麗し、念のため壁際まで移動しゆっくりと前進する。
よし、どうやら、やり過ごした。ほっと胸を撫でおろした。そのとき――
(ぁ……)
足元のバケツをひっくり返してしまう。自身の馬鹿さ加減に内心で叱咤していると、
「イタ、兎ダ!」
と呟く。
(き、気付かれたっ!!)
出口へ向けて疾駆しようとするが、
(う、嘘! 認識阻害の能力が切れてる!?)
「狩りの時間ダ」
男の宣言を背後に浴びつつも、雫は
こうして、雫と男の命懸けの追いかけっこが始まった。
生じた炎は黒色の雷の虎に衝突するとあっさり弾け飛ぶ。そして、雷の虎が雫の左腕を掠める。たったそれだけで、焼け
「ホラホラ、逃げロ、逃げロ」
相手は格上だが、一応逃走劇が成立いているように見えるのも、奴が実力を見せていないからに他ならない。奴がその気になればすぐにひっくり返される。もし、この状況を打開できるとしたら、あの黒髪短髪の捜査員――十朱が参戦することだが、今回のアキト先輩逮捕の件には政界が関与している。それ故、今のこの現状を打開しない限り、右近たちは一切動けない。
右近たちが動けない理由は、超常事件対策室が先の獄門会壊滅の件で目立ち過ぎたから。
まさに黒髪短髪の男――十朱の圧倒的ともいえる暴虐の力に日本中、いや、世界中が恐怖した。結果、内圧、外圧、様々な圧力がかけられ、十朱を始めとする超常事件研究室の活動は厳重なセーフティーロックが掛けられ、内閣府の承認の元へ置かれる。いわば、核兵器のような大量破壊兵器とみなされたのだ。
(あいつ、無茶苦茶するっ!)
通行人の行き交う白昼の街中だというのに、奴はまったく気にする様子もなく術を放ってきている。それを風遁や火遁の術を使用し、何とかやり過ぎるが、その際に生じた凄まじい爆風や衝撃破が吹き抜けていき、ショーウインドーや路上に駐車してあった乗用車の窓ガラスが粉々に砕け散る。
とっくに霞が関からは離脱している。土地勘のない雫には今どこを走っているのかは不明だ。ただ、通行人でごった返す路上をひた走っている。
「命中ダ」
雫の右の脹脛を小さな雷の虎が噛みつき、地面に無様に横たわる。
「そこまでだ」
「そこまでよ」
「MO!」
雫を庇うように紫髪の少女――詩織とスキンヘッドの男――九蔵、そして覆面をした大男が立ち塞がる。
「な、何で!?」
「私達も手ぇ貸すわ」
「ああ、見てるだけは性に合わんし、わしらは厳密にはまだ六壬神課やさかいな。これも広義には内輪もめにすぎん」
「MO!」
「そういう意味じゃない!」
喉から言葉を吐き出した。彼女たちは雫よりもずっと弱い。多分まともにやり合えるのはあの牛頭の男くらい。それもどこまで通用するかは微妙なところだ。
「九蔵、詩織、お前タチ、裏切るのカ?」
ニヤニヤと薄気味の悪い笑みを浮かべながらも、二人にその意思を確認する。
「裏切るもなんもお前らの仲間になったつもりはあらへん」
「同感」
詩織たちの言葉に
「お馬鹿サン」
刹那、
「生きて捕らえろとは、面倒なことダ」
「くそ!」
あいつらは真面じゃない。捕縛されれば何をされるかは自明。本来ならその恐怖に泣き叫んでもおかしくはない。なのに、雫にあったのはこの鍵を皆に渡せないことへの絶対的な焦燥感だった。だから――。
「くそぉぉっ!」
四つん這いになりながらも奴から遠ざかるべく足を動かす。雷の虎に齧られた右の
「残念だったナ。女」
「ここ周辺での魔物出没の情報で来てみたら、あれなんだろうね?」
「女を襲っているクズ野郎だな」
「聞くまでもないかもだけど、銀ちゃん、どっちを助けるよ?」
「もちろん、その女だ。目が腐ってねぇ」
「だよねー」
男性二人の会話を最後に雫の意識はあっさりとブラックアウトする。
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