第4話 飛べなかった歌姫と独りよがりの作曲家 烏丸和葉


 今、烏丸和葉は、母、烏丸忍に連れられ都内にある高級マンションを訪れている。

 アキトさんの救出につきイノセンスの全体会議の後から、母は徹夜で候補となりそうな人物を調査してくれた。それからこの二日間、作曲家の元へ足を運び依頼をしている。門前払いは当たり前、週刊誌を賑わせているアキトさんとの関係を指摘し罵声を浴びせられることもあった。

 少し前の和葉ならとっくの昔に諦めていたかもしれない。それでも、勇気を振り絞って頼みに行けたのは、あの夢のような時間を取り戻したいからだと思う。


「すまん、忍ちゃん。昔のよしみだし、協力したいのは山々なんだけど、力になれんわ」


 白髪交じりの中年の男性はすまなそうに肩を落として、深く頭を下げてくる。

 

「タルトですか?」

「そうだ。タルトからイノセンスには一切の協力をするなとのお達しがきている。あそこに逆らうと俺達はおまんまの食い上げ。干上がっちまう」

「そう……ですか」


 肩を落とす母を暫し、白髪交じりの男性は凝視していたが、表情を引き締める。そして――。


「忍ちゃん。少し変なことを聞くんだが、あの週刊誌の報道、真実か?」


 アキトさんの逮捕の次の日、大手の週刊誌から殺人鬼、藤村秋人の全てという記事が出る。

 その中身は、アキトさんの幼少期のこと。そして、イノセンスと彼との関係についてかなり詳しく調査していた。

 イノセンスとの関係性については、ある意味真実だから好きに書けばいい。でも、アキトさんの幼少期の頃の事項は涙が出るほど腹が立った。

 全国展開している和宗法道古武術の三男であり、落ちこぼれ。あまりの出来の悪さに、家から追放され、祖父の元へ預けられて育てられる。昔から粗雑で暴力的など、あることないこと書かれていたのだ。


「私達との関係についてだけは真実です」


 濃厚な怒気を含んだ返答に、白髪交じりの男性は目をスーと細めると、


「単刀直入に聞くよ。君は彼についてどう思っている?」


 思いもよらないことを尋ねてくる。


「私達の大切な家族です。少なくとも私達はそう思っています」


 即答する母に、白髪交じりの男性は眉間からしわを解くと大きく息を吐き出す。そして立ち上がり、引き出しの中から一枚の紙とCDを取り出してテーブルの上に置く。

 その紙は履歴書だろうか。その右上には、でっぷり太った少年の写真が張り付けられていた。


「この場所を訪ねてみなさい。まだ彼がここに住んでいるなら、会えるはずだよ」

望月誠もちづきまことさん、彼は?」

「二年前のオーディションで私が見つけた逸材さ。そのCDに入っている曲を聞いてみれば私が勧める意味がわかる」

 

 席を立ちあがると、白髪交じりの男性はCDをオーディオに入れて再生ボタンを押す。



「天才……ですね」


 母が震え声で言葉を絞り出す。同感だ。そのメロディーは、美しくそしてどうしょうもなく切ない。そんな心を揺さぶらせるものだった。


「彼は今どこの会社で仕事を?」


 イノセンスは今や日本中の敵。もちろん、現状で彼ほどの才能のある人が、仕事を引き受けてくれる可能性は低い。それでも、万が一がある。


「彼は今フリーのはずだよ」

「フリー? 個人で作曲活動をしているってことですか?」

「いんや、彼は君らと同じ。タルトから無能の烙印を押された人物さ。理由を知りたいかい?」

「いえ、概ね想像がつきます。彼が太っているからですね?」


 母は顔を嫌悪一杯に歪めて首を左右に振りつつ、即答した。


「そうさ。外見がタルトにふさわしくない、などという訳の分からない理由で完全拒絶されてしまったんだ。なんでも、今の世の中、売れるにはビジュアルが最重要なんだそうだよ」

「馬鹿馬鹿しい!」

「同感だ。だが、今のご時世、タルトが拒絶した作曲家を使うような物好きな事務所もない。こうして彼は芸能界のその入り口で完全封殺されたってわけ」


 白髪交じりの男性は、自嘲気味に肩を竦める。

 でも、それは途轍もなく和葉たちにとって好都合。


「これはお借りしても?」

「本当はもちろんダメなんだけどね。他ならないホッピーの家族の頼みだ。私も可能な限り便宜は図るさ」

 

 ホッピーの言葉に、驚きで心臓が強く跳ね上がった。当たり前だ。まだ、世間はホッピーがアキトさんだと認識していないはずなんだから。


「なぜそれを?」


 母は大きく目を見開いていたが、その秋人さんと断定した理由を尋ねた。


「ファンタジァランドでの事件の当日。私の娘があの施設の傍の警察署で彼がホッピーになる姿を目にしていたのさ。娘にあの人がそんな悪いことするはずがないって泣かれてしまったよ」


 和葉たち同様、この人の娘さんもあの悪夢の現場にいたのか。


「家族と言い張るくらいだ。見たところ、君らはまだ彼の無実を諦めちゃいないんだろう?」

「もちろんです」

「大した力にもなれないが、私は君らの勝利を心の底から応援しているよ」


 白髪交じりの男性は、両拳を固く握りしめるとそう力強く宣言する。



 白髪交じりの男性から履歴書とCDを預かる。そして履歴書に書かれている住所へと和葉と母は向かう。そこは木造の古ぼけた二階建てのアパート。

 呼び鈴を押すが、まったく反応はない。それでも母はしつこく呼び鈴を押し続け、ようやく扉がゆっくりと開く。


「何の用?」


 扉がゆっくりと開き、その隙間から顔を覗かせてそう問いかけてきたのは、履歴書の写真の黒髪の少年。頬のソバカスに右頬の泣き黒子など、あの写真より大分痩せているが確かにあの少年――望月誠だ。まあ、少年だったのは二年前、今彼は19歳。れっきとした青年なわけだが。


「私はイノセンスの烏丸忍。お仕事の話があってまいりました」

「仕事? 父さんと母さんに頼まれたの?」

「いえ、そういうわけでは――」

「僕は絶対に音楽で食べていくんだ。今度大事なオーディションがあるんだよ。時間もないしもう帰ってもらえないかなっ!」


 母の言葉など聞く耳すら持たず、彼は勢いよく扉を閉めようとする。


「待ってください。私達は音楽関係者です。貴方に作曲の依頼に来ました」

「へ?」

 

 キョトンした顔で望月誠は和葉たちを見ていたが、直ぐに胡散臭そうに眉を顰める。


「それって本当? 詐欺じゃないよね? 見ればわかると思うけど僕余分な金なんて持ってないよ?」

「いえ、純粋に貴方の作曲した曲に興味があるんです。一度、お話だけでも」

「そ、そう。じゃあ、上がって」


 こうして和葉たちは彼の家の中に招かれた。



 家の中はまさにゴミ屋敷。コンビニで買ったと思しき空のペットボトルや容器などが散乱していた。何か黒色の生物が蠢いていたが全力で見なかったことにする。

 散乱するゴミを払って三人分の座る空間を作ると彼はニコニコと笑顔で据わるように勧めてきたので、そこに和葉たちも腰を下ろす。


「改めまして私はイノセンスの烏丸忍、この子が娘の烏丸――」

「そんなことより、これが僕の子供達さ」


 自己紹介を遮ると、パソコンに記録されている数百にも及ぶ曲を自慢げにクリックし順々に流し始めた。


 聞かせてもらった曲はどれも素晴らしいものばかり。これらの曲をボツにする意味がわからない。つくづく思うけどタルトって実は相当間抜けなんじゃなかろうか。

 そんなこんなで契約内容について、話は移るが――。


「ネットで流す? なら断るよ。僕の子供達はより相応しい場所と人物により公開させる。僕はそう誓ったんだ」


 人付き合いはすこぶる苦手のようだが決して悪い人じゃないし、この人の音楽への情熱は本物だ。

 幼い頃から和葉もアーチストを目指してきたんだ。この手の自信満々の変人には耐性がある。そのはずなのに、このとき彼の姿勢に無性に腹がたっていた。

 だから立ち上がり、


「勘違いしないで。私も別に君に頭を下げて曲を使わせてくださいって頼み込むつもりはないわ。第一誓ってもいいけど私達以外、君の曲は誰も使わないよ」


 そう、はっきりとそして力強く言い放つ。


「そ、それってどういう意味?」

「和葉、やめなさい!」


 いつにない母から厳しい制止の声を浴びるが、構わず話を続ける。


「君の曲は確かに素晴らしいと思うわ。でも、君はタルトに作曲家として無能の烙印を押されてしまった。だから何回オーディションを受けようと君が認められることは絶対にない」

「和葉……」


 母は右の掌で顔を抑えると大きく息を吐き出す。


「う、嘘だっ!」

「本当よ。だって君は私と同じだもの。私もそう。タルトに睨まれているからテレビや雑誌等のメジャーのオーディションは門前払いの状態だし」


 和葉にとって幼い頃から音楽は日常であり、呼吸をするのと同じ。大好きで、心地よくて手放せないもの。将来、大人になったら音楽で生計を立てて大勢の人にその曲を届けるんだと心に誓っていた。

 イノセンスは音楽主体ではなく、俳優や演劇タレント専門のプロダクション。だからこそ、音楽でメジャーになりたければ大手の音楽プロダクションに入らなければならない。

 しかし、オーディションに応募する度にそれが叶うことのない夢であることを思い知る。和葉の歌を最後まで聞いてすらもらえないのだ。それが、どうしょうもなく悔しく情けなかった。

 だからこそ、彼がこんな場所に閉じこもって曲を作ってきた孤独さも口惜しさも和葉には手に取るようにわかっている。


「そんなの君に才能がないだけかもしれないじゃないかっ!」


 裏返った声で必死に叫ぶ誠の言葉は和葉の胸を容赦なく抉る。だが、これはいつか向き合わなければならない問題なんだ。和葉にとっても彼にとっても。だから――。


「かもね。でもそれは君も同じでしょ?」

「……」


 誠の顔が泣きそうに歪み、俯いてその身を小刻みに振るわせる。


「まず私の歌を聞いて」


 和葉は演奏用に持ってきていたアコースティックギターを取り出し、その伴奏に合わせて、今流行りのクリスマスソングを歌い出す。



 和葉がギターを下ろしたとき、誠は大粒の涙を流していた。


「あれ?」


 何度も頬を袖で拭うが、絶え間なく流れ続ける。

 

「ねえ? 私達二人で世の中の評価をひっくり返してやらない?」

「で、でも僕には……きっと無理だよ。僕には君のような才能はない」

「できるよ。何より君が認めてくれた以上に私も君の曲を認めているから」


 涙で晴らした顔で誠は和葉を見上げると、


「ほ、本当に?」


 恐る恐る尋ねてくる。


「ええ、音楽に誓って。私は音楽にだけは嘘はつかない」

「わかった」


 コクンと静かに頷き、立ち上がる。

 母は目を細めて、和葉たちを眺めていたが、


「いいわねぇ、若いって。じゃあ、まずは生活の改善ね。こんな場所じゃ、病気になっちゃう。当分、うちに来て生活しなさい。親御さんにも私の方から伝えて置くわ」


散乱した部屋の惨状に視線を移して、誠にそう語り掛ける。


「は、はい」


 縮こまって頷く誠に母はいつもの暖かな笑みを浮かべると、パンパンと両手を叩き、「さて、ここの部屋の掃除ね」と言って腕まくりをする。


「和葉、隣のコンビニで買い物してきて頂戴」

「うん! わかった!」


 こうして、和葉たちイノセンスの計画は作曲家――望月誠もちづきまことを迎えて、本格始動した。


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